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気になるあの子は半分悪魔  作者: 柚鳥柚
2/5

馬鹿げたことを止めるために、僕はここにいるんだ

 僕が本間さんと話せるようになったきっかけは、夏が過ぎ秋が来て、体育祭や文化祭といったイベントが終わった頃のとある事件だ。


 この日、女子は体育館、男子はグラウンドと分かれて行なわれた体育の授業で、僕は運悪く後片付けを押しつけられた。お陰でグラウンドを離れるのが少し遅かった僕は、本間さんの友人たちに見つかり「助けて」と縋られた。

 あのとき僕しかいなかったから、彼女たちは僕なんかを頼ったわけだ。


「あっ、渡部君! ねぇ渡部君、渡部君男の子でしょ、私たちより力あるよねっ?」

「お願い、ひなちゃんが高崎さんに体育館裏に連れてかれちゃったの! 私たち先生呼んでくるから、渡部君ひなちゃん助けに行って、お願い!」

「えっ。ぼ、僕が?」

「渡部君しかいないんだもん、高崎さん怖いんだもん、お願い! お願いしたからね!」

「ひなちゃんが素っ裸にされてたら渡部君のこと一生恨むから!」


 素っ裸なんて言葉に一瞬想像してしまいそうになったが、二人が今にも泣きそうだからとにかく「わかった」とうなずいた。彼女たちは走り出しながら「体育館裏だよ」「体育館の外だからね」と何度も僕に念を押した。本間さんがいるという体育館裏を目指し、僕も教室と反対方向へ駆け出した。


 二人が言うとおり、体育館裏にはブレザーに着替えた本間さんと高崎さんがいた。

 高崎さんを一言で表すなら〝不良〟だ。目つきと口の悪さも然る事ながら、先生に対する態度や素行も眉をひそめるものだ。

 機嫌が良くなかった日に、窓際で話す女子の集団がうるさいと机を蹴り上げたことがある。しんと静まり返ってしまった教室と張り詰めた緊張感を、僕は忘れられない。

 彼女が誰かとつるんでいるところを見たことはないが、影でいろいろ噂されているのを耳にしたことがある。僕らが通う高校は偏差値が高い学校ではないけれど、低い学校でもない。よくここに入学できたなと思う。


 その高崎さんが、嫌がる本間さんのシャツを掴み無理やり脱がせようとしていた。

 本間さんは泣きながら「やめて」「離して」と抵抗している。可哀想に、壁際に追い詰められた本間さんはあれ以上後ろに下がることができない。本間さんが僕に気づいた。眼鏡の向こうの目が光ってる。涙のせいだ。


 僕は生まれて初めて他人に――それも女の子に対し、本気で怒りを覚えた。


「や、やめてあげなよ」


 それでも口から出たのは、我ながら情けない、震えた声だった。でも高崎さんは僕の声で手を止めた。近づく僕を見て、馬鹿にするように鼻で笑う。


「誰かと思えば、渡部かよ」


 せせら笑いながら、高崎さんは本間さんのシャツを片手で引っ張り上げた。本間さんが必死に抵抗して押さえつけてるお陰で、見えるのは白い肌と臍くらいだ。それもなるべく見ないようにして、早足で高崎さんに近寄り、本間さんのシャツを掴む手を引き剥がした。

 僕がこんな乱暴なやり方をすると思わなかったんだろう、高崎さんは僕に掴まれた手と手放してしまったシャツを見て目を丸くしてる。高崎さんがぽかんとしてる間に、高崎さんから隠すように本間さんの前に立つ。そこでようやく高崎さんは我に返って「離せよ」と僕の手を振り払った。


「つーか、何でお前がここに来てんだよ。男子はグラウンドだっただろ。ストーカーかよテメー」


 ストーカーという言葉が胸に刺さる。いつも本間さんを目で追いかけ、本間さん見たさに図書室に通っている僕にまさしく当てはまる言葉だ。だけど今は、言い負かされてなんかいられない。本間さんを背中に隠しながら「本間さんの友達が先生を連れてくるんだ」と相変わらず震える声で牽制した。


「先生を呼びに行くから……その間に高崎さんから酷いことされないよう、本間さんを助けてあげてくれって頼まれたんだ」

「はぁ? 酷いことって何だよ。服の下ちょっと確かめさせろっつっただけだし。本間が自分で見せるのが嫌だっつーから、あたしが自分で見ようとしてただけだ」

「嫌だって言ってるんだから、やめてあげたらいいじゃないか。こんなに泣いて、可哀想だろう」

「お前みたいな陰キャに裸見られそうになったのが嫌で泣いたんじゃねーの」

「だ、だとしても……こんなところで、脱がせようとするのはおかしいだろ。何を確かめたいかは知らないけど、先生も来るし、もうやめ――」


 言い終えないうちに、殴られた。まさか拳で殴られると思わなかった僕は、避けることも身構えることもできず拳を受け入れてしまった。よろめく程度で済んだのは奇跡だ。

 口の中が痛い。鉄の味がする。歯で頬が切れたんだろう。高崎さんは二発目をお見舞いするためまた拳を振り上げた。

 僕はその場から動かず、高崎さんと本間さんの間に立ち続けた。

 二発、三発、四発。高崎さんの手は止まる気配がない。僕が退くまで殴り続けるつもりだろう。僕の後ろにいる本間さんが、泣きながら「もういいよ」と僕の制服を掴んだ。


「渡部君もういいよ、私が大人しく脱げば良かった。脱ぐから、逃げて。高崎さんお願い、脱ぐからもう渡部君を殴らないで」

「脱ぐ必要なんか、ないじゃないか」


 納得いかない。高崎さんが何で本間さんの服の下を見たがるのかわからないけど、泣かせてまで見る必要があるとは思えない。

 僕が殴られてるからって、本間さんが自分から「脱ぐ」なんて言うのも納得できない。そんな必要はないはずだ。本間さんは何もしてない。こんなところで肌を見せなきゃいけない理由なんかない。そんな馬鹿げたことを止めるために、僕はここにいるんだ。


「何できみが脱ぐ必要があるんだ?」


 口の中に溜まった血を吐き捨てながら、「大丈夫」と後ろを見ずに本間さんの手を握る。


「大丈夫だよ。もうすぐ、先生が来るから。本間さんはそのまま、僕の後ろにいてくれればいい」

「センセーセンセーって、てめーは小学生かよ。クソキモオタのくせしてヒーロー気取って女を安心させようとしてんじゃねーぞ!」


 高崎さんの拳がまた大きく振り上げられる。これで何発目だったかと考えながら身構えたとき、さっき授業で聞いていたダミ声がこの場の空気を震わせた。


「何やってんだ高崎ぃ!」


 二人が連れてきたのは体育の教師であり生活指導担当でもある檜山先生だった。げ、と高崎さんが手を下ろした。僕を睨み、僕の後ろの本間さんを睨み、諦めたように舌打ちする。だらんと下ろされた手を檜山先生の無骨な手が掴む。ダミ声が「酷い顔になってるな渡部ぇ!」と僕の心配をする。


「平気です」と呟いた僕の手を取り、本間さんが「私が保健室に連れて行きます」と檜山先生に名乗り出た。びっくりして声も出ない僕は本間さんを振り向いた。僕より頭一つ分背が低い本間さんの表情はよく見えない。見えないのは背丈だけの問題じゃなく、殴られて瞼が腫れたせいかもしれない。

 檜山先生が「そうかぁ!」と大きなダミ声でうなずいた。檜山先生は高崎さんを連れて指導室へ、僕と本間さんは保健室へ、檜山先生を呼んできた二人は次の授業に僕らが遅れることを連絡するため教室へ、それぞれ行くべき場所へ解散となった。

 目が塞がってよく見えない僕の手を引き、本間さんがしゃくり上げながら「ごめんね」と何度も謝った。本間さんが気にすることじゃない。悪いのは向こうなんだから。


「ごめんね、ごめんね渡部君。私のせいで、渡部君の目が見えなくなったらどうしよう。渡部君、本読むの、大好きなのに」



 ――僕のこと、知っててくれたのか。


 話したことすらないのに、本間さんは僕のことを知っていてくれた。嬉しさに僕の頬は知らず緩んだ。表情筋を動かしたせいで、殴られた頬や口の中がズキッと痛む。笑ったかと思えばすぐ顔を歪ませた僕を本間さんが心配する。また自分の表情筋が動くのを感じた。今度は痛くても、緩んだままだ。


「このくらいで目が見えなくなったりしないよ。それより本間さんが何ともなくて良かった。正直言うと、僕は殴り合いなんかしたことないし、もしかしたら助けられないかもって不安だったんだ」


 僕の手を握る本間さんの手に、少し力をこめられた……ような気がした。気のせいかもしれない。でも僕の手を引く力は強くなったと思う。本間さんはもう一度細い声で「ごめん」と呟くと、保健室に着くまで一言もしゃべらなかった。


「あら、あらあらまあまあ。可哀想に、とにかくこっちに来て座りなさいな」


 保健室で養護教諭から手当を受ける。僕の隣で本間さんが心配そうに「痛い?」「見える?」と何度も尋ねる。そのたびに「平気だよ」「まだ瞼が重いかな」と返していたら、養護教諭が呆れたように「そんなすぐには治りません」と最後の絆創膏を貼った。


「こんな怪我をするようなけんかでもしたの? 違うわよね? あなたたち、今から教室に帰れる? 帰りづらかったらこのまま保健室にいてもいいのよ?」

「平気です。けんかでも、いじめでもありませんから。行こう、本間さん」

「でも、渡部君はまだ保健室にいたほうが……」

「保健室にいても腫れは引かないよ。それなら聞くだけでも授業を受けたほうがいい」

「そんな、でも……ううん、わかった。帰ろう、渡部君」


 本間さんは自然に僕の手を握った。まだ僕の瞼は(ひら)ききってないから、こうやって手を引いてもらえるのはありがたい。もう授業は始まってるだろうし、本間さんに手を握られ――本間さんと手を繋いで歩いていても、誰かに見られることはないだろう。そうだとしても、本間さんは僕なんかと手を繋いで嫌じゃないんだろうか。僕の目が(ひら)かないことをそんなに気にしてくれているんだろうか。本間さんは優しい人だな。

 そんなことを考えながら歩いていたら、本間さんに話しかけられた。


「あの、あのね、渡部君」

「うん? どうしたの、本間さん」

「あの……助けに来てくれて、ありがとう」


 手から伝わる温度は熱いくらいだけれど、本間さんの顔色まではわからない。ぼんやり見える世界の本間さんは耳まで赤いような気がしたが、うまく目を(ひら)けない僕はそれを確かめる(すべ)を持たなかった。

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