第一章「誰がために反旗は翻る」の拾玖
「くそおっ!」
敵兵に煮た糞尿を浴びせながら、わしは怒鳴った。
「貴様らの親玉は、貴様らの命のことなど屁ほどにも思っちゃいないんだぞっ! なのに何故、そこまで命を懸けて戦うっ?」
だが、拡声器を使わない以上、その声はまるで敵兵には届かない。
徐々に味方に疲労の色が濃くなる。いや、敵だって、疲労困憊している筈だ。なのに、何故、攻撃は中断されない。こいつら、陽が沈んでも攻撃を止めない気か?
敵の攻撃は一向に終わりを見せない。敵の数はもう二千余の筈だ。これではまるで無限の数の敵と戦っているようではないか……
味方でついに力尽き、弓が射てなくなり、その場に倒れ込む者が出てくる。敵兵に煮た糞尿を浴びせている者の人数も明らかに減っている。
もともと訓練された兵士ではない。ただの領民が弓を射たり、敵兵に煮た糞尿を浴びせているのだ。無理もない。だが、このままでは本丸に攻め込まれる。そうなれば男も女も老いも若きも皆殺しだ。
みんな、もうちょっと、もうちょっとだけ、わしに力をくれ。
それとも…… それとも…… わしはまた間違えたというのか?
前世で、あの関ヶ原の大戦で、多くの仲間を、家族を死なせてしまったように、また、間違えたというのか?
くそっ!
◇◇◇
敵勢からどよめきが上がる。
ちいっ、ついに本丸に侵入されたか?
いや、違う。あれは? あれは?
敵の遥か後方から大きく煙が立ち上っている。
やってくれた。おとかがやってくれたんだ。敵が兵糧を保管していた二つの村に放火し、敵の兵糧を丸焼きにしたのだ。
「ようしっ!」
わしは拡声器を取ると、あらん限りの声を張り上げた。
「攻撃軍の者どもっ! 後ろの煙を見ろっ! 貴様らの兵糧は我らによって、丸焼きにされたっ! もう、食い物はないのだっ! 諦めて投降しろっ! 命までは取らんっ! 食い物も分けてやるっ!」
効いたっ! 敵の侵攻は明らかに止まった。しかも、味方の士気はこの上なく上がった。倒れ込んでいた弓兵も次々と起き上がり、射撃を再開した。煮た糞尿を浴びせる者もまた立ち上がった。
だが、次の瞬間、敵の「督戦隊」が、後方から己が仲間を射撃したのだ。
多くの敵兵がその場に倒れた。それと共に敵兵は侵攻を再開した。そしてその時……
◇◇◇
「もうっ、やってられっかてんだっ!」
一際、大きな声が響き渡り、敵の一隊が「督戦隊」に向かって、攻撃を始めたのだ。
「砦の奴らからは、味方に付けば殺さない。食い物は分けると言われてるんだっ! 味方を後ろから射殺すような奴らの言うことをいつまでも聞いてられるかっ!」
それに呼応して、何隊かが「督戦隊」に襲い掛かった。
他の敵部隊も次々に侵攻を停止し、二の丸に引き上げ始めた。
わしは味方に攻撃の中止を指示し、事態を見守った。
「督戦隊」は己が仲間への射撃を止め、散り散りになって、持っている弓矢を投げ捨て、敗走を始めた。
それに伴い、「督戦隊」以外の敵部隊も武器を捨て、雪崩を打って、敗走を開始した。
かくて、「督戦隊」を攻撃した敵部隊以外は、全てこの地域から姿を消した。
勝った。ぎりぎりのところで、わしらは勝ったのだ。
気が抜けてしまったわしのところにサコが駆け寄る。
「佐吉兄ちゃん。俺たち勝ったの?」
その言葉に、わしは気を取り戻した。
「ああ、勝ったんだ。わしらは勝ったんだ」
わしは拡声器を持つと周りに向かって、叫んだ。
「みんな集まってくれっ! 勝鬨を上げる。サコは旗印を振ってくれ」
すぐに質問が来る。
「佐吉殿。勝鬨って何だ?」
そうか。ここの世界の者たちは「勝鬨」を知らないのか。いや、無理もない。みんな、今までは戦なんかやったこともない農民だったのだから。
「勝鬨というのはな、わしが『エイエイオーッ』と言うから、皆も一緒に『エイエイオーッ』と言ってくれ。それを三回繰り返す。サコはそれに合わせて『大一大万大吉』の旗印を振るんだぞ」
みんな、分かったような、分からないような顔をしている。まあ、こういうのはやってみることが一番だ。
「いいかっ! 行くぞっ! エイエイオーッ!」
「エイエイオーッ!」
「もう一回っ! エイエイオーッ!」
「エイエイオーッ!」
「最後っ! エイエイオーッ!」
「エイエイオーッ!」
オオーッ! 大歓声が上がる。感激のあまり泣き出す者。抱き合って喜ぶ者もいる。
そうだ。みんな、喜びに浸れっ! わしらは勝ったのだ。軽傷者は出てしまったが、死者は一人もいない。わしらの完勝だったのだ。
◇◇◇
敵兵の中で離反して、わしらに下った者は五十名ほどだった。
いや、正確には八十名ほど離反したのだが、「督戦隊」等との戦闘で死傷者が三十名も出てしまったそうだ。
今回はそのくらいの激戦だったのだ。こちら側に死者が出なかったのは奇跡と言っていいかもしれない。
投降者は武装解除され、耕作や建築、加工などの部門で引き取ることになった。
「突撃隊」入りを希望する者もいたが、今回は遠慮してもらった。いずれ、体制が整備されたら、担当替えもあると伝えたら、納得した。
◇◇◇
そしてある日、「遊撃隊」の者がわしに面会を願った。実はわしはそれを一番気にしていた。おとかが戻ってこないし、連絡もないのだ。