第一章「誰がために反旗は翻る」の拾七
約三千の追討軍は砦を完全に包囲した。
「ふん」わしは思った。この場合、包囲の完全不完全は全く関係がない。包囲に穴が開いていたところで、そこから兵糧を搬入できる当てがある訳でもない。
要は囲んでいる奴ら全員を追っ払ってやらないと無意味なのだ。
また、敵方は囲んではいるが、空堀を渡ってくる用具も用意していないようだ。そうなると攻撃はとりあえずは正面口だけと考えていい。念のため全方面に「遊撃隊」を張り込ませてはあるが……
さあ、どう来るかな? と思っていたら、何と最初は馬鹿正直に正面口から攻撃を仕掛けてきた。
これはヨク殿が指揮する弓隊が集中的に射撃をし、敵を追っ払った。
この戦勝に弓隊の者は周囲の賞賛を受けた。
比較的感情を露にしないヨク殿にして、満面の笑みである。
ところが、ここで面白くないという顔をしている者が一人。
そう、サコである。
無理もない。この砦が出来た最初期から「突撃隊」と共にあったのに、開戦後、真っ先に手柄を立てたのが、よりによって一番最後にこの砦に入った自分の実の父親なのだ。
「ふふふ。サコの奴、ぶんむくれているよ」
おとかが楽しそうにわしに言ってくる。
「じゃあ、おとか。出番はこの先だと言ってやれよ」
「ん~、いやいや、焦らされた方がより士気が上がるだろうから、黙ってるわ」
うーん。人が悪いと言うか、狐が悪いと言うか。
三日後、おとかから申し出があった。
「やっぱり、敵はこっちが攻撃するとは思っていないみたいだよ」
「ようしっ! やるかっ! でも、おとか。サコがやり過ぎないように見ててくれるか?」
「あいよっ!」
わしはサコを呼ぶと指示を出した。
その時のサコの張り切りようと言ったらなかった。
翌朝、砦の門が開き、サコの率いる「突撃隊」は外へ打って出た。
驚いたのは敵方だ。こちらの突出はまるで予測してなかったようで、大混乱に陥った。
サコと突撃隊は大暴れに暴れ、敵は大損害を出した。
さて、難しいのは、これからだ。「突撃隊」は精鋭とは言え、五十名しかいない虎の子だ。一人たりとも失いたくない。
わしは引き上げの合図、狼煙を上げた。
サコ。わしの期待に応えてくれ。引き際を間違えないのも、優れた侍大将の条件だぞ。駄目なら、おとかが引っ張って連れて帰ってくれるだろうが、ここは自分でやってくれ。
サコは見事にわしの期待に応えてくれた。精鋭「突撃隊」を一名も失うことなく、きれいに引き上げた。おとかの出番はなかった。
おとかの推算では敵方の死傷は百といったところのようだ。総勢三千からすると大した損害ではないが、これを積み重ねていくしかあるまい。
◇◇◇
「むっ?」
わしは丘陵の頂上から敵勢を遠望していた。戦況は一時膠着状態になっている。敵はあれから攻撃を仕掛けてこない。こちらも奇襲をかけるには、敵の緩みが感じられず、様子をみているところである。
「何か少し敵の数が減っていないか?」
「あっ、気が付いた?」
とおとか。
脇に控えるのは、おとかにサコ。わしの両腕だ。
「『遊撃隊』から情報は入っていないか?」
「うん。どうも幾つかの部隊が元いた二つの村に引き上げたみたいなんだ」
「ふ~ん」
疲労回復のためとは考えにくい。こちらも正面口付近の敵勢には痛打を与えたが、敵勢の大半は無傷だ。考えられるとすると「あれ」だ。
わしはおとかとサコに話した。
「これは『あれ』じゃないのか?」
「やっぱり、佐吉もそう思う?」
「ああ。おとか。すまないが、『遊撃隊』で裏を取ってもらえないか?」
「分かった。でもまあ、『あれ』だろうね」
「サコも準備を頼む」
「分かってる。俺の方から父ちゃんの弓隊にも話しておくよ。厄介だけど、あっちの準備もしないと」
「ああ。あまり使いたくない手だが、これくらいやらないと、敵にも大打撃は与えられないからな」
◇◇◇
わあああああ
鬨の声が上がった。敵の総攻撃が始まったのだ。
敵勢が抱え持っているのは、空堀を渡り切るための長梯子だ。
そう。「あれ」とは長梯子のこと。敵勢の一部がいったん元いた二つの村に引き上げたのは長梯子の製造のためだったのだ。
長梯子は一斉に空堀にかけられ、敵兵がこちらに入り込もうとする。
ヨク殿率いる弓隊が撃ち落とそうと試みるも、なにぶん敵の数は多く、全ては撃ち落とせない。
やがて、一番乗りの敵兵がこちら側に渡り切ったと思われた…… その時……
敵兵の顔面に高熱の液体がかけられた。
敵兵は悲鳴を上げて、空堀の底に落ちて行く。
かけたのはこのわし。高熱の液体とは煮られた糞尿だ。
敵兵で渡り切る者は次々出てくる。わしは次々敵兵に煮られた糞尿を浴びせる。周囲の他の者もわしに倣い、煮られた糞尿を浴びせていく。
有効な戦術といえ、煮られた糞尿を扱うなど、誰もが出来たらやりたくないことだろう。
だからこそ、わしは自らが行うと宣言した。
ヨク殿やサコは止めた。何も領主がそんなことを自らすることはないと言うのだ。
おとかとヒョーゴ殿は笑っていた。わしの真意を見抜いているのだろう。