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行き場のないカルロスの冒険とその終わり  作者: スーザン・ソンタグ・ラブ・エクスペリエンス
7/30

本筋と脱線

フランソワが行ったバンバラ村の改革は多岐にわたるため、ここでは全てを話さないどころか一つも話さないことにしたい。

結果的にバンバラ村はよくある穏やかな田舎の村になった。

ヘルヒコはもうメルヒコに殴られることはない。牛の頭のオブジェも川に捨てた。物置小屋も燃やして、今は跡形もない。


フランソワは改革が終わった後は村から離れて森に小屋を建てて暮らすようになった(熊なので)。たまに村に顔を出して、村人と話してお茶を飲むくらいの距離感で村と関わっている。

フランソワが村とパイプを持っていたおかげで俺の異世界生活の出だしは順調に進んだ。


俺はフランソワに村に連れていってもらった。

フランソワは俺が村で生きられるように関係各所と調整してくれた結果、俺は金貸しの家の養子になることになった。ヘルヒコとメルヒコと兄弟になったわけだ。


そろそろ俺は俺自身のことを話そうと思う。

そうしないと自分で自分のことがよく分からなくなってしまいそうだ。

本当になにもかもが馬鹿げていると思う。

森の中に突如現れた合唱団だとか、元フランス人の熊だとか、ヘルヒコやらメルヒコだとか。

そして、あの大きな痛み。

すべてが馬鹿げている。


しかし、こういったことが今の俺の現実だ。

ドキュメンタリー作家の父パンチョ・ロウレイロは、「僕は脱線によって本筋を語るのさ」と母の吉田恭子を口説いてベッドインへ持ち込んだ。母は幼い俺に何度もその話をした。そのことを語る際の母の幸福そうな顔を見るたびに俺はイラついていた。

今の俺はこの台詞がジャン・リュック・ゴダールのデビュー短編「水の話」からの引用だと知っている。


妊娠中の母を置いてきぼりにしてメキシコに行ったっきり帰って来なかった父。

幼い俺は不在の父の影を追うようにして映画を見まくった。俺の生まれた山形は東北の片田舎だったが、隔年で国際的なドキュメンタリー映画祭を開催している日本有数の映画の街だ。なので、割合といろんな映画を見ることができたし、シネフィルもいた。8歳の頃には一人で地元のシネクラブに出入りするようになっていた。

山形のフランソワ・トリュフォー。


フランソワたちの話が脱線なのだとしたら、俺の話が本筋なのだろうか?

たしかにこの異世界に来てから俺にはいろいろなことがあった。

フランソワが熊になったように、俺は10歳くらいの子供になった。この姿は何年経っても変わらないようだ。

歯の痛みを抑える膨大な魔力を神々から与えられた。その魔力を魔法として用いることもできる。無論、魔力を使うと歯が痛くなるのだけれど。

冒険もあったし、恋もあった。

英雄とも呼ばれたし悪魔とも呼ばれた。

何百万人も救ったし何百万人も殺した。

本当にいろいろあったのだ。


本当にいろいろあったので、何が本筋で何が脱線なのか分からなくなっている。

今はもう真夜中なのに月が二つとも満月なので光がうるさい。狂気の象徴である月がここでは二つもある。

こんな夜にフランソワがいてくれたらなって思う。

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