熊のフランソワについて その3
猟師はヘルヒコという若い男で、近くのバンバラ村に住んでいる。本当は猟師ではなくて、村で随一の金貸しの三男で、まあよくいる虚無的な金持ちのバカ息子の間抜け野郎なわけだが、そのおかげでフランソワに銃弾が当たることはなかったし、そこそこ教養もあったためイレギュラーな彼の存在を受け入れることもできたわけだ。ちなみに銃は兄のメルヒコのもので、後に勝手に持ち出したことがバレてメルヒコにぼこぼこにされることになる。まず脇腹にフックを入れられる。ヘルヒコはうずくまる。そして、顔面に膝だ。ヘルヒコの鼻は折れる。血がダラダラと床に落ちる。金貸しの屋敷にある離れの物置小屋はメルヒコtoヘルヒコの暴力のインスタレーション会場になっており、床は長年ヘルヒコが垂らした血で染まってドス黒くなっている。机には牛の頭を模したオブジェが置かれている。メルヒコが高校の修学旅行で都に行ったときに買ったお土産だ。
ヘルヒコはいつも馬鹿をやらかし兄のメルヒコから凄惨な暴力でお仕置きされていたが、何度も馬鹿を繰り返していた。反抗的であったわけではないし、本当に馬鹿だったわけでもない。
フランソワが後にヘルヒコの精神分析を行った際も(「精神分析!?すげえ」と俺が言ったところ「フランスの大学だと教養課程でやるんだよ」とフランソワは言った)、ヘルヒコにマゾヒズム的な兆候は認められなかったという。
牛の頭のオブジェもなにかしらのメタファーだったわけではない。
みんな、ただそれが自分の役割であると思い込んでいた。メルヒコにしたって、弟のヘルヒコを激しく憎悪していたわけではなかったみたいで「いやー昔からこんな感じなんですよね」と爽やかに言っていたという。
凄惨な暴力がごく自然に繰り広げられる。
暴力に伴う愛も憎しみも完全に擦りきれてしまっていて、彼らは機械のように殴り機械のように殴られる。
この異世界がおかしいのかって思うかもしれないが、
田舎だったのである。バンバラ村は。
田舎過ぎて絆やら縁やら暴力やら愛やらは完全に煮詰まっていた。
「子供の時に延々と玉ねぎのスープを煮詰めてみたんだ。興味本意でね。そしたら鍋が燃えたんだよ...」とフランソワは言った。
俺は「言いたいことはわかるけど、別に言わなくてもいいエピソードじゃないかな」って思ったら、フランソワは察したようで
「あー、今のは失敗かな」
さすが。
「まあとにかく僕がバンバラ村にとって久しぶりの外部だったんだよね」
フランソワは村と交流を持ち、いい感じに改革を行っていった。
イエー、さすがフランス人!
啓蒙主義ってやつ?
熊なのにマジで優秀なんだな、フランソワは!!