さようなら、ラブエクスペリエンス
ラブエクスペリエンスと二人きりで話すなんて何年ぶりだろうか。組織が大きくなっていくにつれてそうした機会は少なくなっていった。
喫茶室にはラブエクスペリエンスと僕の二人きりでいる。一緒に座ってお茶を飲んでいる。
こういう時間は本当に久しぶりだ。
今回、スルッポンが場所と時間を手配してくれた。
僕が彼女に話すべき話は決まっている。話すべき話だけしようと思う。
「こんにちは。話すのは久しぶりだね」と切りだしお茶に少しだけ口をつけてから本題の話を切り出した。
「僕は長いこと君と一緒に仕事をしてきた。とても楽しかったけれど、今は違う場所で違うことをしたいと思う。今日はさよならを言いにきたんだよ」
僕はそう言ってまたお茶に口をつけた。
これ以上、彼女に言うべきことが思いつかない。ラブエクスペリエンスは黙ってじっと僕を見つめている。彼女もなにを言うべきか考えているのかもしれない。
彼女が僕に言うべきことなどあるのだろうか?
それについて考えてみたけれど、ちょっと思いつかなかった。
言うべきことがないから黙っているのかもしれない。彼女は言うべきことしか言うことができないのだ。
沈黙は続く。
お茶をすべて飲んだらさっさと帰ろう、と僕は思った。僕はここのお茶が好きだった。甘さと爽やかさのバランスがいい。このお茶もなかなか飲めなくなるのだろうなと思い少し寂しくなった。
ラブエクスペリエンスはお茶に口をつけない。
温かいお茶が嫌いなのかもしれないな、と僕は思った。
「三角アシカちゃん」と彼女はやっと口を開く。
「髭を剃ったのね?」
僕は数日前に二等辺三角形状の髭を剃り落としていた。髭のケアには特殊な薬剤が必要で、ここを出ていったら髭を維持する余裕はなくなってしまう。
「そうだよ。だから僕はもう三角アシカちゃんじゃないんだ」と僕は答えた。
「もう私のことを愛してないのね?」とラブエクスペリエンスは言った。悲しそうな顔をするので僕は驚く。
実際のところ、僕はもうラブエクスペリエンスを愛していなかった。彼女に思いあふれることもない。だからこそ僕は回復することができた。
僕が好きだった彼女の鼻を見る。相変わらず美しい。素晴らしいバランスだ。
しかし、もはやそれだけだった。
それでも僕は「そんなことないよ」と答えた。
最確信能力の彼女に嘘を言っても意味がないのだけれども、それでもそう答えたい気分だった。
僕たちは異常な熱量で彼女を愛して異常な仕方でそれを表現した。彼女は僕たちがそうする様をとてと愛した。
彼女の前には今後僕たちのような人間はあらわれないように
思えた。
そう思うのは僕の復讐心や執着なのかもしれないが、彼女もそう確信している気がする。
だからこんなに悲しい顔をしているのかもしれない。
とにかく、僕はお茶を飲み干した。
「それでは、さようなら」
喫茶室を去って、自分の執務室に向かった。
ここを去る準備をしなければならない。
ラブエクスペリエンスのおかげで贅沢な暮らしを送ることができた。僕は欲しいものを欲しいだけ買った。
でも今となっては、ほとんどのものを置いていかなければならない。