ラブエクスペリエンスによる葬送
ペッペペペの森の奥にある巨大な樹木。よく見ると宝石やら骨やら看板やらが樹皮の中に埋め込まれていたり枝先と融合していたりする。
この奇妙で不細工で禍々しく、それでいて見てると泣きたくなるような切なさを感じさせるフォルムを持った樹木。私はパブロ・ピカソの描いたケンタウロスの絵を思い出す。
世界最強魔法使いである吉田カルロスは千年以上に渡って世界をめちゃくちゃにしたし、自分自身もめちゃくちゃにした。自らの体の一部を世界のあちこちにばらまき、代わりにいろんなガラクタと融合した。そして最終的に巨大な樹木となって、この森に根付いた。
吉田カルロスはほとんど全てのことを可能にする力を持ちながら、結局のところこの世界でやっていけなかったので、意識を植物のリズムに委ねることで救われようとしたのだ。そんなふうに私は推察する。
彼の最後の決断は、彼にとっても世界にとっても有益なものだった。やっとこの世界は平穏になった。
彼は気まぐれに歴史の時計を前に進めたり後ろに戻したりを繰り返した。そうすることになんの目的もなかったと思う。ひとりぼっちの子供の手遊びの道具としてたまたまあったのがこの世界だっただけだ。
いまや彼は古ぼけた神話の登場人物で、ことわざや格言やスノッブたちの気のきいた会話の中でのみ生きている無害な存在なのだけれど、それでも私はケリをつけなければいけないと思いわざわざこの森の奥までやってきたのだ。
いや、彼が私を呼んだのだと思う。
今日、私は彼をこの世界から完全に追放する。
彼の求めによって。
私の名前はラブエクスペリエンス。「愛の経験」を意味する。
千年以上の時を生きた彼は最後までラブエクスペリエンスを得ることができなかった。
彼は多くの人に愛された。しかし、それは彼にとってラブエクスペリエンスではなかった。
だから私は彼に呼ばれた。
ラブエクスペリエンスによって彼を解放するために。それは私にしかできないことだ。
しかし、ラブエクスペリエンスとはなんだろうか?
一般的にラブエクスペリエンスは「純粋な愛」だと思われがちだ。例えば、アヤワスカでキマッた状態で出会うぶよぶよしたあたたかいものがラブエクスペリエンスだと思われることが多い。しかし、それは典型的な俗用ラブエクスペリエンスだ。様々なメディアを経て歪んだラブエクスペリエンス像であると言えるだろう。もちろん「純粋な愛」と呼ばれるものについては肯定的な効果があるし、ある価値体系の中心になり得る概念ではあるが、私ラブエクスペリエンスとはまったく異なるものであることは強調しておきたい。
ではラブエクスペリエンスとはなにか?
説明するより見てもらった方がいいだろう。
ここに一つの巨大な投石機がある。現時点でのこの世界の技術を結集して作った巨大な投石機で、三万人近くの労働力を投入した。もはや一大事業であるといえよう。ちょっとした名峰くらいの大きさのこの巨大な機械。
実はこれがラブエクスペリエンスなのだ。