箱庭限界図書館
この世界は、箱庭が連なった世界である。
一つ一つの世界に管理者が居り、基本的に世界は繋がっていない。
けれども、例外もあり、全ての世界に繋がっている場所もあった。
その一つがここ、箱庭限界図書館だ。
その名の通り、箱庭の容量目一杯が図書館となっている。世界そのもの一つが図書館。
文字の翻訳は管理者は何故かしたがらず、他の箱庭世界の独自言語は、余程の物好きでない限り読み解くことは出来ない。
ただし、執念でもってその言語を読めるものを見つけ出し、頼み込んで翻訳をして貰ったり、言語体系を比較している研究家などもおり、ものによっては辞書じみたものや、翻訳版などと言うものも存在している。
それも、箱庭限界図書館では、どの箱庭の人間も、同じ言語を操っているかの如く、同時に翻訳され、会話が成立するためだ。
以前は、言葉が通じない為のトラブルも酷く多く、煩いものは、強制的に自身の世界にはじき出され、行為によっては、二度と箱庭限界図書館の出入りを禁じられることもあった。しかし、会話が成り立てば、回避出来たトラブルというのも多く、苦心の末、全ての言語を自動的に翻訳し、意思の疎通だけは図れるように管理者が取り計らった。
それは、公共場と言われる、数多くの箱庭と繋がっている交易でも採用されている。
図書館内は管理者が気に入らないことをすれば簡単に出入り禁止となるため、暴力沙汰はもともと起きにくかった。
言葉の行き違いなどによるトラブルが減った分、意思の疎通が出来るようになって激しくなった部分もなくはないが、その場合は、共交場に移動しろと周りに白い目で見られるだけだ。
そこに並ぶものは、管理者の好みによって蒐集されている。基本は本であるが美術品でも何でも問うことはない。根っからの蒐集家なのだ。
管理者が一度目を通し、飽きたものが並ぶのが限界図書館の閲覧室。管理者のプライベートルームにはこれを更に上回るものが蒐集されているとも言われている。
新規閲覧許可が出た物など表示されないし、何より世界がまるごと図書館なのだ。探し出すだけで一生を費やすとも言われ、蔵書管理兼案内役は、古くから熱望されているが、管理者がそれを作る気はないらしい。
曰く、そんなスペースはない。とのこと。
本書を盗むことは出来ないが、副書を借り出すことは出来る。結構な金額を借りるときにふっかけられるが、それは、買い取り時の値段であり、返却すれば手数料を少々引かれただけでほぼ全額に近く返ってくる。そのまま持ち帰って返却せずとも良いと言う、ある意味管理者の優しさであり、買い取りたいと煩く言う者が多かったために取られた最終手段であった。
いちいち値段を査定するのも面倒臭いと、余所の箱庭から無理を言って手に入れたものを使い、ほとんど自動で査定され、要求される金額を一時的に払い、箱庭限界図書館から持ち出されたものは、後はご自由にと言うことだ。
箱庭限界図書館外から持ち込まれた本も査定されるが二束三文にしかならないので、早々に、諦められた。
ただし、管理者の知らないものを査定に掛けることが出来ると、驚くほどの金を手に入れることが出来るとも言われているが、それを目にした者は今のところいない。
そして、たった一人、本を片手に貸し出しの対応をしている者こそが、箱庭限界図書館の管理者だと知るものもまた、ここに足繁く通う者でも知る者はない。
正し、同じ管理者以外は。
「あー。閉めたい」
唐突に紡がれた管理者の言葉に、プライベートルームに存在する補佐役が、苦言を呈す。
「あなたがいなければ貸し出しが出来ないんですから、蒐集は我々に任せて受け付けがんばってください」
あけすけな物言いに、ぐっと管理者は低く呻いた。
「だって、あんたら置くスペースがないんだもの」
箱庭には限界がある。人とは結構重いものだ。まして、補佐などとてつもなく重い。その重さの分どれだけ図書館に本をぶち込めるかを考えると、人を置く気にはなれなかった。
「我々でなくとも、にっこり笑って貸し出しするだけの人形程度でしたら置けるでしょうに」
どうせ盗難などない。なにより、面倒くさがって、査定は余所から借りてきた文明の利器を使って査定しているし、金や物を支払って、その分の重さも相手の世界から借りているのだ。
「図書館に住み着いている者を使って、しばらく貸出業務をする代わりに好きな本を2、3冊くれてやれば問題あるまいよ」
「それ良いわね。でも、補佐の許しもなくここまで来るのは感心しない。マイナス」
唐突に響いた声に驚くこともなく対応すると、容赦なく減点を言い渡した。
「君の補佐など、ほとんどここに存在して居るまい。居場所の分からない補佐を捜すより、居場所の分かっているお前の所に直接出向く方が手間も少ない」
言い返せない現状に、近くに居たらしい補佐がクスクスと笑う。上司を敬うということを知らない補佐だなと、内心憤慨しつつ、余所の管理者が来ると言うことは、何かしらのお願いがあると言うことだ。
「で、御用向きは?」
何しに来たのだと忌憚なく問い詰めるその姿に、訪ねてきた相手は口の端を上げて笑う。
「お前が私の所から盗んでいった原書を引き取りに来たのだよ」
「公正にお取引して譲って頂いたので管理者様の口出しのされるものではありません」
「なんであれだけ原書をもって行ったのだと言っているのだよ。私は」
基本的に余所の箱庭から管理者を通さず持ち出すのは、禁止されている。そんな勝手をされると、困ることが多いからだ。
「これ見て、持ち帰りたいなら良いわよ」
差し出された本をパラパラとめくり、内容を確認していくごとに眉間に皺が寄っていく。
「なんだこれは」
「予見書」
「分かったお前に預ける」
この世界には、管理者が定める禁書が存在する。管理者が想定している予想を上回るものであったり、今回のように、予言、予見などの未来を勝手に定めかねないものだ。
原書を買い取った予見書は、その世界の管理者が分岐の一つとして考えている物の一つであり、まだ、確定しているものではない。幾つかの分岐のどの分岐を選ぶのかをここの管理者は見るのを楽しみにしており、今回のような、分岐の一つを完全に読み取ってしまっているような予見書は、この管理者にとっては、不要と言わざるを得ない。
「アフターケアまではしないよ」
「書がなければ、問題は無い。それも分岐の要因の一つだ」
本となって正しい形を広げるのは困るが、口伝として語られる分には予想の範疇内なのだろう。
「じゃあ、もう十分でしょ。しばらくしたら、閲覧に出すから」
「出す前に連絡をくれ」
分岐が定まる前、もしくは修正出来てしまう状態で閲覧されるのは好ましくないと、その管理者は面白く無さそうな声を出した。
「はいはい。でもさ、私の箱庭で、この1冊をアンタの箱庭の人間が見つけ出すなんて、そんなことが起こったなら、それこそ、この分岐が運命だったとも言えるんじゃないの?」
「お前のことを面白がらせるための世界ではないのでな」
酷く当たり前のことを言った管理者に。
「まあ、それもそうだわねぇ」
気のない返事をして、ひらひらと手を振る。さっさと帰れとありありと態度に示すと、管理者の姿はすぐに消えた。
「あと少し遅れてたら手に出来なかったわー」
幸せそうに予見書に頬擦りして、にんまりと笑う。
「図書館の管理権限は私にあって、閲覧は私の気分一つで変わるから、うっかり閲覧に紛れ込んでも文句は言えないわよね。だって、管理者からも正式に引き渡されたのだしね」
「意地が悪いですよ」
補佐役が咎めるように管理者をたしなめる。
「ちょっとぉ。補佐が上司に意見するとかないと思わない?」
子供のようにいじけた声を上げれば、補佐役は困った子供を見るように、管理者を眺める。
「我々補佐役の性格設定は、他の管理者様により作られております。
特に我々の上司は目を離すと勝手に他の箱庭に行ってしまわれるので、その度に我々補佐役の性格設定に手を加えられる管理者様が増えるという状態です」
暗に反乱起こされないだけマシと思えとむしろ逆に脅される始末だ。
「ちょっと、そこ。館内火気厳禁だって言ってんでしょうがーっ。次の入館お断りっ」
箱庭限界図書館内で、火を熾して食事をしようとしている者を見付けたらしく、管理者が唐突に叫び出す。
「全く。飲食物持ち込みは禁止してないけど火気は厳禁だってのくらい理解しなさいよね」
この広い箱庭限界図書館は、管理者以外全てを把握することは出来ない。また、この管理者以上に処理能力の高い管理者も数は少なかった。
ただし、ここまで能力の無駄遣いをしている管理者は、おそらくこの管理者くらいなものだろう。
「その管理能力をもう少し他にお使いになって欲しいものです」
「いやよ。本の蒐集するために管理者になったんだし」
もともと、この管理者が作りたかったのは、全ての箱庭世界の、全ての蔵書を収める場所の構築。それを図書館として、全ての箱庭世界に開放することによって、成し遂げた奇人である。
日々蔵書は増えていき、箱庭限界図書館は、それに伴い迷宮にも似た造りになっていく。
「ああ。あの本の続きどうなったんだっけ」
ぽつりと呟けば、ふいっと管理者の姿が消えた。
「全く困ったものです」
余所事に目がいっているうちに予見書をそっと本の山の中に隠すと、補佐役は、早速、本の虫を勧誘し、二冊タダで譲渡することで、一週間カウンター業務を引き受けてくれる人物を捕まえた管理者を見付け溜息を吐いた。
他の箱庭世界に移動したとしても、管理者が、管理する箱庭から目を離すことはないので、心配は無いのだが、プライベートルームですら圧迫し始めているこの本の山を一体どうする気なのかと、補佐役は一瞬遠い目をした後、業務に戻ることにする。
環境の設定、同時翻訳の処理、危険物持ち込みのチェックなど、補佐役にも本の蒐集の手伝いや片すだけでない仕事があるのだ。
放蕩管理者に構っている時間はできうる限り最小に留めたい。
補佐役を捜すことを完全に諦めている他の箱庭世界の管理者が訪れたときのために、そっと、管理者のお気に入りの場所に、「不在中」の張り紙を貼り、これで準備万端とばかりに、業務に戻ったのだった。