第十九章 星に生きる者たち(6)
漆黒の夜空に星がまたたき、風に揺れるベールのようなオーロラが淡い光を落としていた。足元には汚れることを知らない真っ新な雪原が果てしなく広がっている。あたりに生命の姿はなく、身を切り裂くように凍てつく風だけがその場を荒々しく支配していた。
まわりの景色が熱暑の砂漠から極寒の雪原へと変わり、最初は心地よいと思えた冷たさがやがて苦痛へと変わる。
「寒い。ここはどこなの?」
シーナが身をすくめた。
「少なくとも重力の強さは変わっていない。だから別の星というわけではなさそうだ」
ソリナが指摘する。彼女のデルタイで七人の体を宙に浮かし、黒い霧の中に入った後、出てきた場所がここだった。だからソリナは重力の差異を一番鋭敏に感じ取ることができる。背後には彼女たちが出てきたばかりの黒い霧があった。
「そう、ここは惑星アララトの北極地点からあまり遠くない島よ」
マイヤが黒い霧の陰から現れる。その漆黒のドレスが擬態となり、誰も気づいていなかった。もっともマイヤたちアンゴルモア星人の眼には、地球人にとって紫外線帯域の光が鮮やかな紫色として見えているはずである。そしてマイヤのイメージカラーはその紫外線帯域だった。地球人の眼には黒い霧と紫外線帯域のドレスが同じ色に見えることを知った上での警戒行動かもしれない。
「ここは寒いでしょう? でも私たちの故郷である惑星アンゴルモアはもっと寒く、ほとんど光がささない世界なの」
マイヤはオーロラを見上げながら語る。
「私たちはその氷に閉ざされた大地で奇跡的に進化を遂げた生命体。飢えに苦しむ時や傷ついた時には、白い石像のような姿になってエネルギー消費を抑え、傷をいやす能力を進化の過程で手に入れた。あなたたちが眠るのと同じように、私たちは生涯の九割以上の時間を石像の姿で過ごさないといけない。その代わりあなたたちの二百倍という長い寿命と高い身体能力、そしてデルタイという能力を手に入れた。私たちアンゴルモア星人とあなたたち地球人は、異なる環境で異なる進化を遂げた異なる者同士。でも仲間を想う気持ちや快適な環境を求める気持ちに変わりはないわ。三代前の大王であるポセイドン様は、異なる時空へと導く黒い霧を作り出すデルタイの持ち主だった。そして地球という温暖肥沃な惑星を見つけられ、アンゴルモアの国民たちをその大地へと導くために自ら調査に出かけられた。でも現地のクレイトという女と恋に落ち、そこに移住してしまわれたの。それだけではないわ。アンゴルモアの大王として、私たちが地球に進出しないようにそれを禁じる命令まで出された。そしてその命令に背くものが現れないように、アンゴルモアの大王として地球での生涯を閉じられた。だからポセイドン陛下が作られたアトランティス王国は、陛下が開祖でありながら、その初代国王は長子であるアトラス殿だった。アンゴルモアの法律で、大王は他国の王を兼任することができなかったからよ。私たちアンゴルモア星人はポセイドン陛下のご意思を尊重し、地球という惑星への移住を諦めるしかなかった。でも私たちにとってつい最近、地球人の一部が同じように肥沃で温暖な惑星アララト、つまりこの星へと移住したことを知ったの。そして幸いなことに、その時の大王はポセイドン陛下と同様に黒い霧を作り出すデルタイを持つラプラス陛下だった。だから私たちはラプラス陛下を中心とする五人の調査チームを組み、この星にやって来たわ。陛下を除く四人は、陛下が地球人たちと心を通わせて心変わりすることがないように監視する見張り役でもあったのよ。でもここに暮らす地球人たちは私たちに敵意を向け、来訪後すぐにセルナが殺されてしまった。だから私は地球人たちの科学力をそぐために暗躍する役を自ら買って出て、ネリシア王国を衰退させてきた。もう二度と、私たちの中からセルナのような犠牲者を出さないためにね。元を正せば、これはあなたたち地球人が私たちに売ってきた喧嘩だったのよ」
「いや、少し待って欲しい」
マイヤの話を遮ったのはソリナである。
「最初に命を落としたのは我が国の施政官リゼール・シガイレーの父親だ。あなたに威嚇攻撃をした後、あなたのアイス・ブリザードによってそのまま凍死した」
「なんですって?」
いつも冷静なマイヤがわずかに動揺した。そこにソリナが言葉をかぶせる。
「あなたたちと私たちは、どちらかが一方的な加害者でもなければ被害者でもない。その上で我が国の初代女王に瓜二つであるシーナ殿はあなたたちとの和平を望んでおられる」
「そうね。私たちはお互いに、どちらかと言えば加害者なのでしょう。もし完全な被害者がいるとしたら、この惑星アララトで進化を遂げつつある生命たちくらい。この星はまだ若く、ここで誕生した固有の生命たちはまだ母なる海から抜け出せていないわ。そこに地球人たちが入植し、地球上と同じ生態系を作り上げた。でもこの星の99%以上は海洋であり、わずかに陸地と呼べるのは、ネリシア王国が位置する島と、この氷に閉ざされた島の二つだけ。だから私たちはこの島をベースキャンプにしながら、あなたたちの住む島への進出を目指したの。私たちの最終目標は、故郷アンゴルモアに残された国民たちが光あふれる大地へと移住すること」
「それならマイヤ様、私たちと共存を図ることはできませんか? 私が生まれたグリンピアと呼ばれる王国では……」
シーナが懇願するように言うが、マイヤはそれを遮った。
「それはあなたたちが直接ラプラス陛下に言うべきことでしょう。私はただの取り次ぎ役に過ぎないのだから」
「そうですか、分かりました」
シーナはしゅんとうなだれる。
「ではそろそろあなたたちを陛下の元へ案内します。ここから10スタディオン(1.8キロ)ほど離れていますが、私についてこられますか?」
マイヤがこれ見よがしに背中の羽を大きく羽ばたかせると、ソリナが見えを切った。
「もちろんだ。私のデルタイを舐めないでもらいたい」
だがその顔色は悪く、寒さとデルタイの酷使によって体力を消耗していることは誰の目にも明らかである。
「王女、あなたは私たち地球人の名代なのだから、あまり無理をしないでください」
シーナがおもんばかるが、ソリナは決して譲らかなかった。
「大丈夫だ、あと10スタディオン程度なら何とか私の体力も持つだろう。そしてその先は、ラプラス王との話し合いは、そなたに全権を委ねる。任せたぞ、シーナ」
その瞳には決してくじけないカーウィン王子の強さと、救いを求めるソリナ王女本来の弱さが同居していた。たしかにここから10スタディオン先まで、デルタイで七人を飛行させるにしろ、雪原の中を歩いていくにしろ、ソリナ王女の体力はそれだけで尽きてしまうだろう。それに十二歳のソリナ王女にラプラスと渡り合うだけの胆力や経験を求めるのも酷である。それなら他の六人を少しでも消耗させずに、ラプラスの元へと送り届けることだけに専念するほうが理にかなっていた。
「承知しました。グリンピア王国のティーナ王女の名に誓って、必ずやその大役を果たしてみせましょう」
シーナの口から出てきた見知らぬ王女の名に、ソリナは一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべる。しかし次の瞬間には気持ちを切り替え、「任せた」とつぶやいてからマイヤに向き直った。
「案内をお願いしたい」
「いいでしょう。ついてきなさい」
マイヤが背中の羽で飛翔しながら、ゆっくりと移動を始めた。七人はソリナのデルタイでそれに追従するが、たったそれだけのことで吹きつける風はさらに強まり、体温と体力が削り取られていく。空にたなびくオーロラさえ、どこか残酷なものに思えた。
「やはり来たか」
しばらく進むと、不意に前方から幼い少年の声が聞こえてきた。白い法衣をまとい、雪原に佇んでいたラプラスである。マイヤと七人の地球人たちは高度を下げ、凍てついた大地へと降り立った。
「さすが姉上だな。僕があそこから逃げ出したままで納得するはずはないと分かっていたんだろ?」
「はい、ですから彼らの代表者たちを連れてきました」
マイヤが雪原にひざまずき、頭を下げる。
「それで彼らの要件は何だ?」
「私たちと和睦したいとのことです」
「そのアルマニオンの剣を携えてか? まあ良い、話だけなら聞いてやろう」
ラプラスの鋭くも冷ややかな眼光が七人を射すくめる。シーナは口の中までも凍り付くような錯覚におちいりながら、辛うじて会話を切り出した。
「アンゴルモアの大王ラプラス陛下。お初にお目にかかります」
雪原に片膝をつくと、寒さが余計身に染みる。シーナにとってラプラスとの邂逅は二度目だが、この時代のラプラスにとっては初対面のはずだった。
「私は今から五百年以上先の未来、マイヤ様を豊穣の女神と崇めるグリンピア王国の王室で育った者で、名をシーナ・ユモイニーと申します。こちらにいるアルマニオンの剣を携えた者はラック・ハイモンド。その隣の大柄な人物がジール・シモリス。そして今は王族の服装をしていますが、こちらの少年はノクト・イワラームです。私たち四人は、マイヤ様を守護神として戴くグリンピア王国で生まれ育ちました。そこにいるメガネをした女の子はルサンヌ・ヤンバルト。私たちよりも数百年早くグリンピア王国に生まれ、のちにメルネ様を守護神として崇めるイエローサ王国の国民になりました。ルサンヌとメルネ様との間には特別な友情が芽生えていたようです。そして彼はソド様を守護神とするレッディード王国の歴史学者で、名をキャラン・コラウニーと言います。私たちよりも百年近く未来の世界で生まれました。私たちはみな生まれた時代も場所も違いますが、全員がデルタイに目覚め、陛下の能力に導かれてこの時代にやってきました。そしてあちらにおられるのは質素な身なりの少年の姿をしていますが、ネシリア王国の正統な後継者ソリナ王女です。本来であれば王女が陛下との会談に臨むべきですが、この場では私が陛下との会談を一任されています」
シーナは七人すべての紹介を終えてから、本題に入った。
「私たちはグリンピア王国でマイヤ様を崇め、共に暮らして参りました。どうやら私たちの間で最初に行き違いがあったようですが、本来なら私たちはあなたたちと共に暮らしていくことができるのではないかと思っています」
「本当にそう思うのか? お前は我々アンゴルモア星人の寿命、そしてそのほとんどを石像の姿で過ごすことを知っているのだろう」
「え、ええ」
シーナは予想外の言葉に戸惑いを見せた。
「お前たち地球人が昼に起きて夜に寝ているように、僕たちアンゴルモア星人は一年のうち十日だけ活動し、それ以外は石像の姿で休眠している。石像の姿でいる間もまわりのことを見聞きできるし、必要に応じて長期間の活動をすることもできるが、それを続けるとお前たちにとっての寝不足のような状態になってしまうのだ。漆黒の破壊神という異名を持つようになったマイヤには、これまでかなり無理をさせてきた。でも本来は一年のうち決まった時期に短期間だけ活動して、後は休眠する。それが僕たちの本来の姿なんだ」
そう言われて、シーナには思い当たるものがあった。グリンピア王国の女神マイヤは毎年豊穣祭の時期にしか姿を見せず、それ以外の期間は神殿の中にこもっていたのである。そしてレッディード王国の武神ソドも同じ時期にだけ姿を見せていた。もしかしたら彼らは同じ時期に活動しながら情報交換をしていたのかもしれない。
「その顔を見ると、どうやら心当たりがあるようだな。一年のうちほんの短い活動期のあいだに、僕たちは必要な栄養を摂取しなければいけない。そんな僕たちアンゴルモア星人が、農耕をして暮らすこの星の地球人たちと本当に共存できると思うのか?」
「それはどういうことでしょうか?」
「僕の三代前の大王だったポセイドン陛下は、アンゴルモア星人たちに地球への入植を禁止した。それがどうしてか分かるか? 地球人たちが一年かけて作物を育て、それが実を結ぶ短期間にだけアンゴルモア星人たちが活動を始めて、栄養を摂取する。そんな関係が長く続けば、地球人は我々アンゴルモア星人を憎むようになり、両者の間にいさかいが生じるからだ。もしマイヤとお前たちの王国が共存できたのだとすれば、それは一つの国にたった一人のアンゴルモア星人しかいないからその負担が少なかっただけなのだろう。しかしこの星に暮らす地球人たちとアンゴルモア星人たちすべてがあの温暖な島で暮らそうとすると、そこで食糧問題が生じる。そして両者のあいだで争いが生まれる。この程度のことは、ポセイドン陛下がとっくの昔に予測済みだったんだ。だからこそ陛下は我々が地球に入植することを禁じられた。そしてその程度の想像すらできない愚か者が理想を語ることを、妄言と呼ぶ」
「そんな……」
「ここでお前に質問したい。正義とは何だ?」




