第十九章 星に生きる者たち(1)
王宮の中庭には、柑橘類の甘酸っぱい匂いが立ち込めていた。
四方を高い建物によって囲まれた空間で小鳥たちがさえずり、用水路を利用した人工の小川が流れていく。自然のエッセンスをぎゅっと凝縮したその場所は、王族専用の箱庭である。
「どうだ、私の代役は?」
さほど豪奢ではない青色のチュニックに白い麻のズボンをまとったカーウィン王子が、箱庭を並んで歩くノクトに話しかけた。現在も王子になり代わったままのノクトは、一週間前に初めて会ったときの王子と同じ服装をしている。王冠のような豪奢な被り物、膝丈まである銀色の上着、腰の部分を白い紐で結び、その胸元にはいくつもの勲章が輝いていた。そのため、傍目には王子によく似た使用人が王子にタメ口をきいているように見える。
「俺、最初にカーウィン王子の代役を頼まれた時は、もっとお気楽なものだと思っていたよ」
「この国の民は生活に必要な設備の多くをマイヤたちに奪われ、不便な生活を強いられている。だからこそマイヤたちを排除するために奮闘するカーウィン王子という存在は、人々の精神的な支えになっているのだ。その代役が気楽なものであるはずがない」
その言葉には王子自身の自負がこめられていると同時に、少しだけ憮然とした棘があった。この一週間、カーウィンは自らの従者になりきってノクトに寄り添うと共に、リゼールに頼んで王子の公的行事を極力減らしてきた。
「それならもう元に戻してくれよ」
「迷惑をかけてすまないな。だが、そなたがこうして頑張ってくれているからこそ、私は生まれて初めて王子という重責から逃れることができているのだ。もう少しだけこの自由を味わわせて欲しい」
そう言われてしまうと、ノクトもそれ以上は我を主張できなくなってしまう。
「人々の精神的な支え、か。カーウィン王子はそれを今まで一人で背負い込んでいたんだな」
「仕方がなかったのだ」カーウィンの表情が曇った。
「ところで今日の午後、将軍からの定例報告がある。そこに私の代理として出席して欲しい。リゼールに同席させるから、そなたは黙って話を聞いているだけで良いだろう。だが相手は血気盛んな軍の強硬派だ。病弱な王の代わりを若い王子が勤めることに反感を持っているようだし、くれぐれも余計なことを言ってボロを出さないでもらいたい」
「うーん、なんだか気が重いな。とにかくできるだけ喋らないようにするよ」
「うむ、頼んだぞ。……ところでノクトにはいずれ私の秘密を話さないといけないだろうな」
王子は両目を閉じたまま、何かを悩んでいるようであった。
「カーウィン王子の秘密?」
「そうだ。いずれ話そう」
カーウィンは眼を閉じたまま、それ以上何も答えようとはしなかった。
天井の高い部屋の中にはさまざまな調度品が置かれていた。重厚な木製の本棚、足の部分に猫足の彫刻が施された大理石のテーブル、バッファローの革を使ったソファー、シャンデリアの形をしたLED照明。壁に飾られた絵画には、真っ黒な星空に浮かぶ青い惑星が描かれている。
ここは王宮内にある控えの間。一週間前にラックたちも訪れた場所である。
本来そこには王国の軍を束ねるベラール・スノイマー将軍が控えているはずだが、その姿は見当たらない。代わりに小さなメモリーチップを手にした若い兵士が、直立不動の姿勢で立っていた。
兵士は壁にかけられた時計が午後二時ちょうどになったのを確認し、遠慮がちに謁見の前と通じる扉をノックした。それと同時に、チーク材でできた重厚な扉が向こう側へと自動的に開いていく。
「王子、スノイマー将軍より伝言をことづかって参りました」
兵士は最初に深々と一例をすると、その顔を上げた。謁見の間の上座にはカーウィン王子が座り、その右脇には施政官のリゼール・シガイレーが立っている。兵士はメモリーチップを両手で掲げるようにして、恭しい仕草で王子に差し出した。
「伝言だと? この定例報告には、将軍が自ら出席されるのが慣わしのはずだぞ」
リゼールが不快そうな表情で兵士に歩み寄り、メモリーチップを奪い取った。そして近くの映写機に触れると、眼窩がくぼんだ陰のある初老の男がその場に現れた。スノイマー将軍の立体映像である。
「カーウィン王子、今日はこの場に伺えなかったことをお詫びします。その代わりと言ってはなんですが、我々軍が入手した大変貴重な情報をお伝えしましょう。実は二か月ほど前に、我々は背中に羽を持つ者たちのアジトを特定しました。この王宮から西に300スタディオン(54キロ)ほどの場所にある砂漠のオアシスで、我々の前線基地からも近い場所です。奴らはそこにある日干し煉瓦でできた廃屋で、普段は息を潜めているようです。もう少しこのまま奴らの動きを観察しようと考えておりましたが、先週ついにマイヤが王宮にまで乗りこんできたそうですな。王子のお命が危険にさらされたとあっては、もう悠長なことは言っていられません。そこで我々は本日の午後三時から奴らに対して総攻撃を開始することにしました。王宮に残っていたスクーターのうち一機と、残り三本の反物質砲すべてをお借りしますが、必ずや奴らを蹴散らし、王子に吉報をお届けできるでしょう」
将軍の映像はそれだけを語り終えると、すぐに消えてしまった。
「スノイマーめ、勝手なことを」
上座の方向からカーウィン王子の声が聞こえた。兵士が顔を上げると、リゼールが顔をしかめてる。しかしカーウィン王子は無表情のままだった。それがかえって不気味である。
「総攻撃まであと一時間足らずだな」再びカーウィン王子の声が聞こえた。
「あの、王子、すみません。私はただ伝令をことづかっただけで……」
兵士は表情一つ変えないカーウィン王子に恐れをなし、後ずさりした。
「分かった。もういいから下がってくれ」
「はっ」
自分が責められるのではないと分かり、兵士はほっとした顔で敬礼をした。足早に立ち去るその後ろ姿を確認してから、上座の背後に隠れていた本物のカーウィン王子が姿を現し、リゼールに小声で話しかける。
「今から大急ぎで将軍たちを追うべきだろうか?」
「はい、私もシーナ殿の話を聞いて、ようやく背中に羽を持つ者たちのことが分かってきました。彼らは一度敵意を向けられると、その相手を殲滅するまで攻撃の手を緩めません。しかしこちらが友好的な態度で接したら、必ずしも害をなす存在ではないようです。今すぐ総攻撃をやめさせるべきでしょう。しかし王宮にあったスクーターは、七機を残してマイヤに破壊されてしまいました。そのうち五機はあの未来から来た者たちに貸し出していますし、更に一機を将軍が持ち出したとすれば、残るのは一機です。つまり、現場に向かうことができるのは一人だけです」
「一機……」
カーウィン王子はしばらく考えこんだあと、自らを演じて上座に座っているノクトと目を合わせた。そしてある決意を胸に秘め、リゼールに命令する。
「仕方がない。リゼールよ、そなたがスクーターを使ってくれ」
「よろしいのですか? しかし私の言葉に将軍が耳を傾けるとは思えません。ここは王子自らが行かれたほうが効果的と思いますが……」
リゼールは片膝をついた姿勢でカーウィンを見上げた。リゼール施政官が文官のトップなら、スノイマー将軍は武官のトップである。昔から文官と武官には価値観の相違があり、両者の関係はあまり良好とは言えなかった。功績争いに発展することも珍しくないし、特に現在のスノイマー将軍はヘンド王の学友でもあるリゼールを目の敵にしているようなところがあった。
「私も自力で現場に向かうから心配するな」とカーウィン王子が答える。
「自力で?」
「後で詳しく話す。とにかく私とノクトは自力でそのオアシスへと向かうから大丈夫だ。リゼールは一度ビャンマの町に立ち寄り、ノクトの仲間たちにこのことを伝えてくれ。そして彼らをオアシスまで案内して欲しい」
「仰せのままに」
返事をするや否や、リゼールが謁見の間から飛び出していった。その姿を見届けてから、上座に座るノクトが不安そうな顔でカーウィン王子へと視線を移す。
「自力で向かうって、どういうことだい?」
「説明するより見てもらったほうが早いだろう」
カーウィンは窓に歩み寄り、それを大きく開け放った。ここは王宮の三階であり、地面からは距離がある。そこにカーウィンが身を投じた。
「王子!」
ノクトは思わず目を閉じた。そして少し経ってから再び目を開けると、窓の外に浮かぶカーウィンの姿が見えた。
「これは一体?」
窓の近くに駆け寄るノクトに、カーウィンが寂しげに微笑んだ。
「これが私の秘密だ。背中に羽を持つ者たち――アンゴルモア星人に対抗する国民たちの精神的支柱であるべき私が、どうしたことか彼らと同じようにデルタイを使えるようになってしまった」
「つまり空を飛べるってこと?」
「そうだ、このデルタイに目覚めたのは半年ほど前のことだった。自分を押し殺して王子としての職務に励む毎日の中で、もっと自由に生きたいと思い悩んだことがあった。そしてその時、私は重力から解放されるデルタイに目覚めたのだ。しかしデルタイを使う者たちに対抗すべき私がデルタイに目覚めたなどと、まわりに打ち明けることはできなかった。きっとこれは私への罰なのだろう」
「重力から解放されるデルタイ……そうか、カーウィン王子もデルタイの持ち主だったのか。実は俺たちも全員、デルタイを持っているんだ」
「それはどういうことだ?」
「例えば俺は王子の正反対で、周りの人や物に何倍もの重力をかけられる。ラックは剣の先から炎のドラゴンを生み出すし、ジールは地面に衝撃波を起こせる。シーナは動物たちと話ができて、ルサンヌは空気の防御壁を作り出せる。そしてキャランは相手に秘密を自白させることができるんだ。これは罰なんかじゃない。そして俺たちは全員、王子の仲間だよ」
「……仲間?」
「そうさ。テラノム・サーサスールって言うだろ」
「神代語、いや、アンゴルモア星人の言葉で『私たちは仲間だ』という意味だな」
「その通りさ。俺たちと王子はもう仲間だし、だからきっとラックたちも来てくれるはずだ。だから俺たちも早く出発しよう」
「ありがとう。そなたたちは――いや、そなたは私にとって初めてできた仲間だ。今から出発するから、ノクトもその窓から飛び出してくれ」
「え?」ノクトの顔に恐怖の色が浮かんだ。
「大丈夫だ。私を信じろ」
カーウィンは真っすぐにノクトを見つめている。
「よし、分かった」
ノクトは意を決し、両目を閉じたまま窓の外へと飛び出した。その瞬間ふっと体が軽くなり、上のほうへと吸い寄せられる不思議な感覚に陥る。それは、ノクトが生まれて初めて体験する無重力であった。髪の毛や胸の勲章、服の紐が、思い思いの方向に漂っている。
「さあ、行こう」
カーウィンの声と共に、二人の体は宙に浮かんだまま西の空を目指して移動を始めた。




