第十八章 誕生は黄昏の中で(3)
オレンジ色に染まる光を浴び、夕方の往来を多くの人が行き交っていた。
ほんの五年前までは荷台を運搬する装置がその中央を行き交っていたが、彼らの生活を支えてきたエネルギー源となる反物質炉は漆黒の破壊神マイヤによってシステムダウンさせられ、それを再稼働するすべもなかった。
そして今では馬車がその代用をするようになっていた。それは動物の力で荷車を動かす極めて原始的な運送手段である。
しかし人々は不便な生活を強いられながらも、いつの日かカーウィン王子率いる王国の正規軍が漆黒の破壊神を打ち倒してくれると信じ、その笑顔を失うことはなかった。
ここは様々な地方の物品が集まる交易都市ビャンマである。
これまでの平和だった世相を反映し、その周囲を取り囲む高い壁は今のところできていないが、そこに集まる品物の多さと人々が産み出す盛況ぶりは、ラックたちの知る未来と変わることはない。
その目抜き通りの真ん中に、人々が久しく見ていなかった六機のスクーターが着陸した時、それを取り囲む大きな人垣ができた。
「あんたたち、一体どこから?」と話しかける老婆の言葉を、スクーターから降りてきた大男が遮った。
「すまない、仲間がケガをしているんだ。どこかに診療所はないか?」
「ケガだって?」
老婆が眉をしかめ、大男の指さすスクーターを覗きこんだ。そこには腹部を短刀で刺された男が苦悶の表情を浮かべている。
「あ、あんた、大丈夫かい? 一体誰にこんなことを」
驚きの声を上げる老婆の瞳に、スクーターの座席で泣き崩れる若い女の姿が映った。その背中には黒い猫が乗っている。
「一体、なんでこんなことに? いや、それよりも診療所だったね。この道をまっすぐ進み、三つ目の角を右に曲がったところにあるから早くお行き」
老婆が指さすほうに、六機のスクーターがゆっくりと進み始めた。その行く先の人垣がゆっくりと割れる。最後尾のスクーターには顔を半分隠した少年が乗っていたが、その姿に気を留める者はいなかった。
「すまないが道を開けてくれ、急ぐんだ」
大男が群集に向かって声を張り上げた。三つ目の角を右に曲がると、古ぼけた診療所の建物が見えてくる。
真っ先にスクーターを降りて中へと入ろうとする大男を、先ほど泣き崩れていた女――シーナが引きとめた。
「待って、ジール。私が行くわ」
シーナは右掌で涙を拭ってから顔を上げ、足早に屋内へと入って行く。その切羽詰った顔を見て、受付にいた女が尋ねてきた。
「どうしたの?」
この反応で、シーナは相手がネリシア女王の姿を知らないのだと悟り、少しだけホッとした。今はよけいな説明に時間を取られたくなかった。
「私の知人が……お腹をナイフで刺されて、怪我をしたんです」
シーナはキャランとの交換で手に入れていたレッディード王国の金貨を受付の机に並べた。女は見慣れぬ金貨に戸惑いの色を見せるが、そこに少年が近づいてきてネリシア王国の金貨を並べた。
「クシラ、久しぶりだな」
「カーウィン王子!」
クシラと呼ばれた女が驚いて両手を口元に当てた。歳は二十代半ばで、大きな丸い額縁メガネをしている。
「怪我をしたのは私の客人だ。手当をして欲しい」
「でもバルディー先生は昨年、漆黒の破壊神マイヤに夜道で襲われて殺されてしまいました。ここには私一人しかいなくて……」
クシラが語るマイヤの姿から目をそらすかのように、シーナは眼をきつく閉じた。その姿をちらりと見てから、カーウィン王子が叱責する。
「だから私はバルディーの弟子に頼んでおるのだ。そなたはバルディーの弟子であろう」
クシラははっとした様子で顔を上げ、こくこくと頷いた。
「はい、その通りです。取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
「ではよろしく頼むぞ」
「承知いたしました」
そのやり取りを横で見ていたシーナがガラス戸の向こうで待つジールに目配せをすると、その肩を借りながらラックが中に入ってきた。
「ラック、ごめんなさい」
再び涙声になるシーナに、ラックが苦しそうな笑顔を作りながらも親指を突き出す。
「なるほど、見事に刺さっているじゃない。さあ、奥へ入りなさい」
クシラに手招きされるまま、ラックは奥の診察室へと入り、そこにあるベッドに横たわった。
「それほど切れ味が鋭そうには見えないし、儀式用の短剣かな。腹直筋の走行に沿って刺さっているし、太い血管もない場所だと思うけど、いかんせん刀身が汚染されていれば腹膜炎の危険があるかもね。もし小腸に刺さっていれば壊死を起こすかもしれないし」
その説明を聞くシーナが唇を噛みしめた。
「これが五年前なら、様々な検査器具や薬品も使えたのに……。マイヤがメーヤル博士のエネルギー炉をシステムダウンしてから、エネルギー源を失った私たちの生活は一気に原始的なものになってしまったのよ。今となってはここにもわずかな局所麻酔薬と抗生物質があるだけで、検査もろくに出来ないの。ところで彼の名前と、ケガをした時間は?」
「名前はラック。ケガをしたのは三十分ほど前です」
「今から傷口を消毒するけど、麻酔薬は残り少ないの。ラック君は激痛で悲鳴を上げるだろうし、それを君が見届けるのは辛いでしょう。外で待っていなさい。その代わり、そこの大柄な君、ラック君を押さえつけるのを手伝ってね」
「私もここで一緒に……」と言いかけるシーナに、クシラは首を横に振った。
「かなり荒っぽい治療になるからダメよ。きっと彼氏にひどいことをしたと思われて、君に恨まれちゃうからね。だから外で待っていなさい」
彼氏、のところでクシラはシーナに向けてウインクをしてくる。
「そうですか、分かりました」
シーナは肯定も否定もできず、ため息をついて診察室を後にした。
悲鳴とも雄たけびともつかないラックの叫び声が聞こえてきたのは、しばらく経ってからのことだった。
窓の外から虫の音が聞こえてくる。その隙間から入り込む夜風は少し肌寒い。
ろうそくの明かりに照らし出された狭い室内に、ラックのうめき声が反響した。その額に浮かぶ汗を拭おうとしてシーナが手ぬぐいを当てると、まるでカイロのような熱がその手に伝わる。
「すごい熱……」
シーナの口からつぶやきが漏れた。
あの後、短剣による傷口の消毒を済ませたラックは診療所の片隅にある部屋に運ばれ、そこで数日経過を見ることになっていた。カーウィン王子はカシウスの王宮に戻っていったが、それでも小さな部屋にラックたち五人とクシラの計六人が入るとかなり狭苦しい。黒猫のナノは部屋の隅でうずくまり、おとなしくしていた。
「どうも腹膜炎を起こしたみたい。抗生物質を使ってはいるけど、ここにあるのは残り三日分だけ。あとは本人の体力次第ね」
クシラはそう言い残して部屋を出て行った。
「まさかこんなことになるなんて……。私があの時に余計なことを言わず、目の前にあった聖剣アトラスを選んでいたら、あんなトラップが発動しなくてすんだのに」
シーナは嗚咽を《おえつ》堪えながら、右手で両目を覆った。
「いや、あれで良かったんだ。少なくともあの時、俺たちはラプラスによって定められた未来を変えようと……」
ラックが顔をしかめるのを見て、ジールがその言葉をさえぎった。
「ラック、これ以上話さなくていい。俺たちは明日、アルマニオンの破片を持って、この町に住むキストという刀鍛冶職人のところに行ってくるつもりだ。カーウィン王子が親書を書いて下さったんだ。お前は自分の怪我を治すことにだけ専念していろ」
「すまない」
「俺たちは近くの宿に部屋を借りたけど、シーナはできるだけラックに付き添ってやってくれ」
「え?」
シーナが少し動揺しながらジールを見上げた。その傍らにいたルサンヌがジールの代弁をする。
「だってもう私たちの出る幕はないですからね」
「そういうことだ。おやすみ」
キャランは真っ先に部屋を出て行った。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
ジールとルサンヌもそれに続き、ラックとシーナの二人が取り残された。先ほどまで手狭だった室内も、二人きりだとちょうど良い広さに感じる。
苦悶の表情を浮かべ、荒い呼吸を続けるラックの横顔を見ながら、シーナは何か声をかけようとして言葉を探した。しかし思いつく言葉は、どれも彼女の気持ちを伝えるには十分ではなかった。
「ラック、元気になってね」
結局その口から出てきたのは、一番単純で、一番陳腐な言葉だった。
シーナがラックの手を握りしめると、ラックも握り返してきた。その手をいつまでも握りしめたまま、シーナはまどろみへと落ちていった。
ろうそくの火が消えた室内で、窓辺から差し込む月明かりが二人の姿を淡く照らし出す。その傍らには炎のように燦然と輝く七個のペンダントが置かれていた。




