第十七章 アトランティス王国(8)
それはアトランティス王国暦9861年のある夜のことであった。王国全土が巨大な津波に襲われ、地盤の緩いアトランティス島はその重みに耐え切れず、一晩のうちに海の底へと沈んだ。
そして島の住人たちも、その多くは暴風雨と津波の中に消えて行った。
だが、一部の者たちはその巨大な災厄から逃れ、新天地に彼らの故郷の文明を伝えた。
かつて南米の地に栄えたインカ文明の伝説は語る。
創造者であるビラコチャは、大洪水と天地創造の後、当時無秩序だったアンデス地方の人々にいかに生活するかを示し、人々に慈愛や親愛を説いた。その容姿は白い肌をしてあご鬚をたくわえた大柄な男性であった。
ビラコチャは人々に慈愛だけでなく農業を教え、灌漑水路を造り、トウモロコシの作りかたや家畜の飼い方も教えた。更に、行く先々で数多の病人を治した医師でもあった。ある時、ナスカ地方の村で見慣れぬ白人を恐れた村人が石を投げると不思議な武器を使いこの場を凌いだ。この事件の後、ビラコチャは海の泡へと消えた。
しかしインカの伝説は、彼がどこからやってきたのかを語ることはなかった。
また、トロイ遺跡を発見したヘンリー・シュリーマンは、ギリシアのミケーネ遺跡にある「ライオンの門」で次のような碑文を発見している。
「エジプト人の始めはミソルから起こった。ミソルはエジプトで神と称えられているトートの息子であり、トートはアトランティス王クロノスの娘を愛したアトランティスの司祭の息子だった」
この碑文の通り、アトラス総王家の直轄地で司祭の家に生まれたトートという人物は、クロノス王の娘スプエラ王女と恋に落ち、二人で北アフリカの地へと逃れた。そして祖国の知識を地元民たちに伝え、巨大ピラミッドを作った古代エジプト文明の礎を築いたのである。
同様にムネセアス王家領に生まれたククルカンという人物は、中米の民に高度な文明を授け、マヤ文明の礎を築いた。
またビラコチャの代わりにノアの方舟に搭乗したタケルの出身地であるヤマトの国は、現在の沖縄県与那国島近くの海底に不思議な巨石遺跡を残した。
これらの文明の共通点は、現代文明をもってしても容易ではない巨石の運搬や建築をやってのけたことであり、その建造方法については未だに明らかにされていないものもある。
こうして失われたアトランティス王国の末裔やその関係国は、世界中にその足跡を残した。
しかしこの地球上で、カシウスという名が後世に語り継がれることはなかった。




