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七の王国  作者: 毎留
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第十七章 アトランティス王国(4)

 それから数日が過ぎた。

 まだに付したままのネリシアは、黒いドレスに純金製の細いネックレスという簡素な装いで公務に当たっていた。その日の午前はギリシアのアテネから来た使節団との謁見があり、午後からは長い会議にオブザーバーとして出席する予定であった。

 昼食が終わり午後の会議が始まるまでの時間、ネリシアは王宮の中庭へと来ていた。護衛も侍女も抜きで外の空気を吸いたかったが、今の彼女にそれが許される唯一の場所がここだった。まるで、かごの中の鳥である。

 王宮の高い建物によって視界をさえぎられているが、見上げる限り空は青かった。手入れの行き届いた花壇には、色とりどりの花が植えられている。

 ふと気付くと、ネリシアの正面に位置する中庭への出入り口のそばに、左手に包帯を巻いた一人の護衛兵が立っていた。護衛兵はネリシアと目が合うと、右膝を地面につけて頭を下げた。やや黒みがかった金色の髪、カシウスに違いない。

「カシウス?」

 ネリシアが声をかけ、歩み寄った。カシウスは一度も話したことのない女王がなぜ自分を知っていたのか不思議だったのであろう。見るほうにもそれが伝わるような戸惑った表情で、目をぱちくりしながら顔を上げた。

「陛下、なぜ私の名前を?」

「あの時、周りの護衛兵から聞いたのよ。それより傷は大丈夫なの?」

「はい、化膿もしていませんし、いずれ治ります」

「あの時あなたに助けてもらわなかったら、私がそれ以上の傷を負っていたわ。本当にありがとう」

「いえ、あの時は体が勝手に動いていただけです」

 カシウスは目の前で微笑むネリシアの顔を見て、遠慮がちに答えた。もちろんその言葉に嘘はないが、それが女王陛下をお守りする兵士としての使命感だったのかと言われたら自信がなかった。好きな女の前で格好をつけたいという男としての本能が少しもなかったと言えば嘘になる。

「何かお礼をしないとね、何がいい?」

 ネリシアはすっと立ち上がり、女王の顔に戻った。

「特に欲しい物はありませんが、今後も陛下の護衛を続けたいと思います」

「そう、あなたって欲がないのね」

 ネリシアがくすりと笑った。今後もネリシアの近くにいたい、というカシウスの意図いとはうまく伝わらなかったようである。

 ネリシアはカシウスに背を向けると、天を仰ぎ見た。

「ここから見上げる空は狭いわ」

「王宮の建物に囲まれていますからね」

 その言葉につられて、カシウスも空を見上げた。だが、今度はネリシアの意図がカシウスにうまく伝わらなかったようである。

「どこに行けば、もっと広い空が見えるの?」

「それは、ここから外に出れば……」と言いかけて、カシウスが口をつぐんだ。

 黒いドレスに身を包んだネリシアが、物憂げな表情で彼の瞳を見つめていた。

「私ね、ここでしか自由になれないの。先日の件は、王家に反感を抱く個人による突発的な行動だったみたいだけど、あんなことがあると、一人で自由に広い空を見に行くことはできないの」

「それなら私が護衛します。一緒に見に行きませんか?」

 自分でも不思議なくらいすんなりと、その言葉がカシウスの口をついて出た。ネリシアが嬉しさと戸惑いの入り混じった表情を浮かべる。

「いいの?」

 カシウスが黙ってうなずいた。女王を黙って連れ出し、もしそこで何かあればただでは済むまい。だが、それでも構わないと思えた。

「できれば明日か明後日の夕日を見たいわ」

「それなら明日にしましょう」

「明日の午後五時に、王宮の北西にある小屋の前に来てくれる?」

「はい。でも陛下はどうやってそこまで?」

「秘密よ」

 ネリシアが笑った。王宮には王族しか知らない外部への脱出口があるのだが、あくまで秘密なのだ。

「分かりました。それでは明日の午後五時に」

「護衛兵の制服を着てきたら一緒にいる私が目立つから、普段着で来てくれる?」

「分かりました。それではそのように」

 カシウスがうなずいた。

 その時、中庭に続く廊下を誰かが歩いてきた。ネリシアがちらりとそちらを見て、すまし顔に変わる。

「それでは、私はもう行くわ」

 ネリシアは普段よりやや足早に、中庭の向こう扉へと消えていった。カシウスは片膝をついて頭を下げ、臣下の礼を取ったまま、右手をぐっと握りしめた。



 翌日、カシウスは仕事を半日で終えて兵舎へと戻った。

 代々王宮の護衛兵を勤める彼の実家もここからそう遠くはないのだが、この時間に立ち寄れば不思議に思われてしまうだろう。そう思って前日の晩に立ち寄り、今日着ていく服装を持ち出していた。

 白のチュニックに茶色の外套、紺色のズボン。そして万が一に備えて護身兵が持つ光子銃を隠し持ち、同僚たちに見つからぬよう、ネリシアに指定された場所へと向かった。

 まだ約束の時間まで三十分ほどある。日は高い。王宮の位置する小高い丘の上から、整備された町並みが、そしてその向こうには果てしなく広がる海が見えた。とても美しく、そして女王ネリシアが普段一人では見ることのできない景色である。背後には王宮の高い壁がそびえたち、左手にある林の手前にネリシアの指定した小屋が見えた。あたりに人の気配はない。

 カシウスがその場に立ち尽くしたまま水平線を見つめていると、背後で草を踏みしめる音がした。

 振り返ると、そこには頭をすっぽりと覆う黒い帽子で栗毛色の髪を隠し、丸く太い額縁の色メガネをした女性が立っていた。庶民的なワンピースを着て腰ひもをしばり、スカーフで口元を隠しているが、無理に変装した感が否めない。カシウスにはそれがネリシアだとすぐに分かった。

 カシウスが片膝をついて頭を下げた。突如現れたネリシアの姿を見て、この辺りに秘密の通路の出口があるのだと何となく察する。

「きれいな景色ね」

 ネリシアははるか彼方に広がる水平線を眺めていた。一方、カシウスはそのネリシアを見つめている。

「はい。これからどうしますか?」

「あそこを自由に歩いてみたいの」

 ネリシアは王宮のふもとに広がる町並みを指さした。

「え? あんな人通りの多い場所を歩けば、すぐに陛下だとばれてしまいますよ」

「やっぱり?」

 ネリシアが残念そうな声を出した。カシウスは一度目をつぶり、覚悟を決めてからネリシアの顔を見る。

「もしばれたら、一緒に逃げていただけますか?」

 その場合、ネリシア女王自身による恩赦おんしゃがなければ打ち首は免れないだろう。命がけだった。ネリシアもそのことは分かっているようであり、遠慮がちに頭を下げる。

「はい。我がままを言ってごめんなさい」

 その言葉を聞き、カシウスはもう後には引けないことを悟った。彼の胸が色々な意味で高鳴っていた。



 二人が丘の麓にある市街地へと降りてきたときには、すでに日が沈み、あたりの店に照明が灯り始めていた。

 大通りには家族連れやカップルなど、多くの人が行き交っている。道路の上空には無数の広告動画が投影されていた。初めて自由に市街地を歩くネリシアは、見る物すべてに目を輝かせながらフラフラ散策するのだが、それに少し離れてついて歩くカシウスはハラハラしていた。そしてこの往来の中で、自分たちの距離感が不自然に見えることに、何となく気付いていた。

「少し目立っています」

 カシウスがネリシアに近づき、小声でささやいた。振り返るネリシアの視線がカシウスに注がれる。

「どうして?」

「それはその……どうしてもこの距離だと、陛下と私は身分の高い人とその護衛にしか見えません」

 そう言われてネリシアがあたりを見渡すと、連れと思われる人同士の距離はみな、ネリシアとカシウスよりも近かった。腕を組んで歩くカップルがネリシアの目の前を通り過ぎていく。

「これでいい?」

 ネリシアがカシウスの左腕にしがみついた。柔らかい感触がその腕に伝わる。

「え、ええ」

 カシウスは戸惑いながらネリシアの顔を見た。ネリシアは真剣な表情で周囲のカップルを観察しながら、その仕草を真似ようとしている。王家に生まれ育ち、街中を歩く一般人同士の距離感が素で分かっていないのかもしれない。

 だがしばらくするとその状況にも慣れたのか、ネリシアはカシウスと腕を組んだまま、再びあたりの店を興味津々な様子で眺め始めた。そして急に、菓子が山積みにされた店の前で立ち止まる。

「あれは何?」

 ネリシアの指さす先には、カエデの葉をかたどったパンケーキが並べられていた。

「庶民が食べるお菓子ですよ」

「あれを食べてみたいわ」ネリシアが遠慮がちにカシウスの顔を覗きこんだ。

「ええ、どうぞ」

「でも私、お金をもっていないのよ。普段使わないから」

 浮世離れしたその言葉に、カシウスは思わず卒倒してしまう。しかし言われてみれば、ネリシア自身が街中で買い物をすることなど、これまで一度たりともなかったのだろう。

「それなら自分が買いましょう」

 カシウスは自分の財布を出してパンケーキを買い、ネリシアに差し出した。

「ありがとう」ネリシアの眼が輝き、口元を隠していたスカーフを取ってかじりついた。

「あ、おいしいかも」

 無邪気な笑みを浮かべるネリシアを、周りの人たちが横目で見ながら通り過ぎていく。

「ねえ、あの人、女王陛下に似ていない?」

「そうだな」

「おい、あの人、もしかして……」

 周りからそんな会話が聞こえてきた。カシウスの表情がすぐにこわばる。

「急用を思い出した。そろそろ行かないと」

 カシウスはネリシアの手を取り、その場から駆け出した。ネリシアも状況を察したのか、スカーフで鼻から下を覆い隠して、カシウスと一緒に走り出す。

 誰かが追ってくるわけではないが、二人は手を取り合ったまま細い路地を抜け、王宮のふもとまで走り続けた。そしてうっすらと街の光に照らされた草原にたどり着くと、示し合わせたかのようにそこに倒れこんだ。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 二人ともまだ呼吸が乱れているが、乾いた草の上で仰向けになり、再び手を取り合った。

「はあ、はあ、ははは、あははは」

 そしてどちらからともなく笑い始めた。

 とてもスリリングで楽しかったのだ。この時ばかりはネリシアも父を亡くした悲しみを忘れていた。

「ありがとう。買ってもらったパンケーキはつぶれちゃったけど、とても楽しかったわ」

 ネリシアが手の中でつぶれてしまったパンケーキをカシウスに見せた。

「いいですよ、また今度買いに行きましょう」

 カシウスが仰向けのまま、ネリシアのほうに顔を向けた。ネリシアもカシウスのほうに顔を向け、二人はお互いを見つめあう。

「また買ってくれるの?」

「もちろんです」

「また借りができてしまったわ。何かお礼をしたいけど、欲しい物はないのよね?」

「ひとつ、できました」

「何なの?」

「内緒です」

「いいじゃない、教えてよ」

 ネリシアが起き上がった。頬を膨らませるその表情が愛らしい。

「では、教えるだけですよ。自分が欲しいのは、陛下のキスです」

 それを聞いたネリシアがきょとんとした顔をした後、再び笑い始めた。

「ふふふ、カシウスって面白いことを言うのね」

「だから内緒にしたかったのに」

 カシウスは大きなため息をついた。同時にネリシアの笑い声が消える。

「……いいけど、それでこれまでの借りは帳消しにしてくれるの?」

 その言葉に驚いてカシウスも起き上がった。ネリシアが真顔に戻り、カシウスを見つめている。

 カシウスはネリシアの反応を確かめるかのようにゆっくりと両手を彼女の肩に置き、自分のほうへと引き寄せた。ネリシアはそれに抗うことなく、そっと眼を閉じた。

 二人の唇が重なり合う。あたりに人影はなく、遠くから街の賑わいが聞こえていた。

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