第十六章 瓜二つ(4)
天井の高い部屋の中にはさまざまな調度品が置かれていた。重厚な木製の本棚、足の部分に猫足の彫刻が施された大理石のテーブル、バッファローの革を使ったソファー、複雑な意匠の飾り全体が光を放つ照明器具。壁に飾られた絵画には星空に浮かぶ青い惑星が描かれていた。
ここは首都カシウスの王宮内にある控えの間であり、目の前にはチーク材でできた重厚な扉が立ちふさがっている。
扉の前でリゼールがラックたちに説明した。
「カーウィン王子はこの奥にある謁見の間におられる。ヘンド・マハイラ国王は元々病弱な方で、カーウィン王子が生まれる以前から病に臥せっておられた。しかしその頃には、マイヤ、ソド、メルネと名乗る三人の翼を持つ者たちが、王国への破壊工作を頻繁に企てるようになっていた。我々は、奴らを排除し王国を再興してくれる強い指導者を待ち望んでいたのだ。そのような時代にお生まれになったカーウィン王子に対する国民の期待は厚く、王子もその期待に応えようと尽力してこられた。王子はネリシア王国すべての国民にとって希望の光なのだ。ぜひそのことを弁えておいていただきたい」
「はい、承知しました」
シーナが右手でスカートの裾を軽くつまみ、片足を半歩引いて腰を下げた。
元の時代とは少し内装が異なっているが、古巣であるカシウスの王宮に再び戻ってこられた彼女は心なしか嬉しそうだった。優雅な笑みを浮かべるその姿は、彼女がティーナ王女として暮らしていた頃を彷彿とさせる。上流階級に生まれ育ったキャランはそれなりに平静を保っているが、残りの四人には不慣れな場所であり、どうにも居心地が悪かった。
「それでは王子殿下、失礼いたします」
リゼールが謁見の間へと続く重厚な扉をノックすると、扉は向こう側へと自動的に開いた。
赤い絨毯が続くその先には、宝玉に彩られた壮麗な玉座が二つあり、そのうちの一つに少年が座っていた。カーウィン王子である。
黄色みを帯びた髪を短く切りそろえ、王冠のような豪奢な被り物の先端には鳥の羽がついている。膝丈まである銀色の上着には刺繍で紋様が織り込まれ、腰の部分を白い紐で結んでいた。その胸元にはいくつもの勲章が輝き、左手には宝刀の柄が握られている。
「リゼールの言っていた者たちだな。遠路はるばるカシウスまで呼び立ててしまい、すまなかった。歓迎しよう」
カーウィン王子は玉座に座ったままで上体を前に突き出し、ノクトの姿をまじまじと見つめた。
「ほう、そなたがこの私にそっくりという人物か。たしかによく似ているな」
「あ、あの、俺、ノクト・イワラームと言います」
未来の世界ではレッディード王国のロッサン王につらく当たったノクトであったが、謁見室の独特の空気に呑まれ、柄にもなく臣下の礼をとる。
「そして、我がネリシア王国の初代女王ネリシア様と瓜二つと言うのはそなただな」
王子が、今度はシーナに会話を振った。
「そのようですね。しかし私はネリシア女王のお姿を一度も拝見したことがないのです」
「そうであったか。ところでそなたたちは未来から来たそうだな。その歴史ではカーウィンという人物がソリナという妃とともに新しい王国を築くという話だが……」
「はい、今から五年後のことになります」
「残念ながら、それは実現しないだろう」王子は首を横に振った。
「どうしてですか?」
「その理由をここで言うことはできない」
「そうですか。……ところで王子殿下はソリナという女性をご存知ですか?」
「そのような人物は知らない」
急に王子の声が低くなった。シーナは違和感を覚えるが、あえてそれ以上は触れないことにした。
「承知しました。ところでこの王宮に聖剣アトラスという剣はありますか?」
「アトラス? いや、聞いたことがないな」
「私たちの歴史では、このネリシア王国は背中に羽を持つ者たちによって滅ぼされてしまいます。その時、オリハルコンでできた聖剣アトラスを手に、カシウスという人物が彼らを倒し、その朋友であったカーウィン王が新しい王国を築いたと伝えられていました」
「我々の科学力をもってしても手にあまる相手を、そんな原始的な方法で倒したと言うのか?」
王子は一瞬だけ鼻で笑ってから、すぐ真顔に戻った。
「ともかく、この王宮にオリハルコンで作られた剣はない。背中に羽を持つ者たちはなぜかオリハルコンを恐れ、そのほとんどをすでに奪い去ってしまったからだ」
「そうですか。私はカーウィン王が築いた王国の王室で育った者です。この王国にアトランティス王国の歌が伝えられていたこと、カーウィン王以来、王室には現在の我々とは別の言語が伝えられていたこと、その言葉でアトラスとは希望を意味すること、そしてその言葉が背中に羽を持つ者たちの母国語であることを知っています」
シーナはカーウィン王子に自らが持つすべての情報を打ち明けた。
「ほう、アトランティス王国の歌と申すか」
王子の目が真剣みを帯びる。
「そなたはそれを歌うことができるのか?」
はい、と答えてからシーナが歌い始めた。ラックがグリンピア王国歴522年の豊穣祭で聞いたあの歌である。
「ラ~イラ~ス~イハ~、テ~リヨ~セ~ミサ~、テ~ラノ~セ~リト~、リ~ルサ~シ~ハム~」
重厚で静謐な謁見の間に、どことなく切ない旋律が響きわたる。後半はカーウィン王子も加わり、シーナとの二重唱になった。
「この歌を知っているのはこの王国でも王室に近い人間数名に限られている。それを歌えるのであれば、そなたの言葉を疑うことは難しいな。ところでその歌詞に用いられた言語を、我が王室では神代語と呼んでいる。その神代語が背中に羽を持つ者たちの母国語であるというのはまことか?」
王子が質問した。しかしシーナもそれに自信をもって答えられるわけではない。
ただパルタス城でラックとソドが戦った時、マイヤが「テラノム・サーサスール」という言葉を自分たちの母国語だと言っていた。そしてソドも未来の世界で「アトラス」という語がアンゴルモア王国の言葉だと言っていた。
それだけは事実だった。
「殿下、テラノム・サーサスールという言葉の意味は分かりますね?」
「我々は仲間だ、だろう」
「その通りです。私たちの時代に、マイヤがその言葉を自分たちの母国語だと話していました」
「なるほど。もしそれが本当なら、神代語は奴らの母国語ということになるな」
「ところで殿下、神代語はどのようにしてこの王国に伝わったのでしょうか?」
「それは……」
王子が口ごもる。そしてしばらく考えこんだ末に、小さく頷いてから話し始めた。
「そうだな、私もすべてを話そう。我々の祖先は遠い昔、地球から方舟と呼ばれるロケットに乗って、この惑星アララトにたどり着いたとされている。その陣頭指揮を執ったのが初代女王ネリシアと科学者ノアであり、彼らの故郷の名がアトランティス王国だった。神代語はそのアトランティスの上流階級が話した言葉だったとされている」
王子はそこで大きく深呼吸し、間を取った。
「我が王室には、いつの日か神代語を話す者たちが我々の友として姿を現すであろうという古くからの言い伝えがあった。だからこそ、その日に備えて神代語を王族と一部の臣下のあいだで伝承してきたのだ。現在このネリシア王国で神代語を話せるのは、病に伏せる父上、私、そしてそこにいるリゼールの三人だけだ」
「なるほど、僕たちが古代ネリシア語と呼んでいた神代語は、さらに古いアトランティス王国に伝わる言葉だったのですね。そしてそれが背中に羽を持つ者たちの母国語だったなんて……」
キャランがごくりとつばを飲みこんだ。
無理もない。彼は剣士カシウスや古代王国ネリシアの研究で歴史学者として名を成し、その後ラック・ハイモンドの伝承を調べることですべてを失ったのである。それが今こうして、ラックたちと共に古代ネリシア王国を訪れ、カーウィン王子からさらに古い王国に関する伝承を聞いている。夢のような話であった。
「つまり、アトランティス王国と背中に羽を持つ者たちとの間には何らかの親交があったのでしょうか?」
古代のロマンを追いかけるキャランの瞳が、子供のように無邪気な光を帯びた。すると突然そこにリゼールが割って入る。
「少しよろしいか? 私の父は漆黒の破壊神マイヤによって殺された。私は背中に羽を持つ者たちをずっと敵だと思い、その秘密を暴き、奴らをこの星から排除するために施政官という地位まで上りつめたのだ。しかしその一方で、いつかこの国を訪問するであろう友の言葉だと信じ、神代語を習得してきた。それなのに神代語がマイヤたちの母国語だと言われ、正直なところ戸惑っている」
その葛藤に対し、それまで黙っていたルサンヌが言葉をつむいだ。
「もしかしたら、お互いに分かり合おうとする努力が足りなかったのではないでしょうか? 私たちの時代には、マイヤ様は豊穣の女神として、メルネちゃんは知の女神として、それぞれの王国で守り神として信奉されていました。少なくとも数百年の間は、そうやって共存していたのです。ですからアトランティス王国の人々も、そうやって背中に羽を持つ者たちと共存していた可能性はないでしょうか?」
「……それなら私のこれまでの努力は何だったのだ?」
リゼールが唇をかみしめた。
その場に重い沈黙が立ちこめるが、それはどこからともなく聞こえてきた女の声によって破られた。
「なるほど、よく分かったわ」
その場にいた全員があたりを見渡す。すると謁見室の片隅にあった彫像の陰から、黒いローブを来た一人の若い女が現れた。
女神マイヤ――この時代には漆黒の破壊神マイヤと呼ばれていたその人である。
「何者だ? 一体どこから侵入した」
カーウィン王子が大きな声を上げると、二人の兵士が謁見室の扉を開けて入ってきた。
「王子、どうされましたか?」
兵士たちはあたりを見回し、不法侵入者であるマイヤの姿を見つけて抜刀した。
「何奴だ?」
二人の兵士が襲いかかるが、マイヤは身じろぎもしない。その首と胸に兵士たちの剣が振り下ろされた。
シーナは思わず目を背けたが、しばらくしても何も聞こえてこない。
恐る恐る目を開けると、マイヤは首と胸に斬撃を受けたまま涼しい顔をしていた。
「いきなり攻撃してくるなんて、相変わらず野蛮な民族ね。でも私たちアンゴルモア星人にこの程度の攻撃が効くとでも思っているの?」
マイヤはそう言って、二人の兵士に両掌を向けた。
「待って、マイヤ様!」
シーナが叫んだが遅かった。二人の兵士は至近距離からマイヤのアイス・ブリザードを受けて一瞬にして息絶える。
「マイヤ? 奴がマイヤだと?」
激昂して腰の剣を抜くリゼールの前に、シーナが飛び出した。
「やめなさい、リゼール!」
その気迫に押され、リゼールが踏みとどまった。
「ネリシア陛下?」
威厳に満ちたシーナの姿に、彼女と瓜二つだというネリシア王国初代女王の姿が重なったのかもしれない。
リゼールが剣を鞘に収めるのを見届けてから、シーナはマイヤのほうに向き直った。
「マイヤ様、お初に目にかかります。私は五百年後の世界であなたを守護神として祀るグリンピア王国からこの時代に来ました。名をシーナと申します」
その足が小さく震えていた。眼前には、マイヤのデルタイによって氷の棺桶に閉じ込められた二人の兵士がいるのだ。無理もない。
「そう、シーナというのね」
一方、マイヤは初対面のシーナの態度に少し戸惑っているように見えた。そこにシーナが神代語で語りかける。
「カラープ・ニーラム・パーサ・ローサム?」
「ライプ」マイヤがうなずいた。
「そうですか、やはりマイヤ様はこの言葉を話せるのですね。それで今日はなぜここへ?」
「情報収集よ。あなたたちが私たちを恐れるのと同様に、私たちもあなたたちの兵器を恐れているの。それでもメルネが数十年の歳月をかけて調査してくれたおかげで、ようやくこの王宮に侵入できるまでになったわ。それでさっきの話をすべて聞かせてもらっただけのことよ」
「ところで、あなたたちの目的は何ですか?」
「この星を私たちアンゴルモア星人の第二の故郷にすること。そのために、私たちに害する地球人たちと危険な兵器を排除すること」
「排除だなんて……」シーナが絶句した。
「私はあなたのことをよく知らないのだけど、その様子だと私たちの関係は悪くなかったようね」
マイヤがゆっくりとシーナに歩み寄り、その頭部に触れた。するとシーナが一瞬だけ身をこわばらせる。マイヤはその瞬間にある細工をしていたのだが、それに気づく者はいない。そしてそのまま皆の注意をそらすため、カーウィン王子に向き直った。
「ところでそこのあなた。あなたは本当にカーウィン王子なの?」
突然の問いかけに戸惑いつつも、王子は精一杯の声で答えた。
「当たり前だ。私はまぎれもなく、ヘンド王とソーシャ王妃の間に生まれたこの国の後継者カーウィン王子だ」
「……まあいいわ。お互いに王族として苦労が絶えないわね」
マイヤが口元だけでカーウィン王子に笑いかけた。マイヤ自身もアンゴルモア王国の大王ラプラスの姉であり、つまりは王族である。
「情報収集がてら、この国の王子が私たちの脅威となるようであれば、この場で消し去ろうと思っていたのよ。でもあなたたちに少し親近感を覚えたから、今日はこれで引くことにするわ。ただし今度会う時は敵同士だからよろしくね」
マイヤは近くの窓を大きく開け放ち、屋外へと飛び立った。そして白くて長い羽を羽ばたかせながら西の空へと消えていく。
その姿が見えなくなったところでカーウィン王子が言った。
「シーナよ」
「はい、何でしょうか?」
シーナは臣下の礼を取り、王子に向かって片膝をついた。
「そなたたちはオリハルコンで作られた剣を探しているのであったな」
「はい、その通りでございます」
「先ほども言ったように、この国にあるほぼすべてのオリハルコンはマイヤたちによって奪われてしまった。しかしあの場所に行けば、まだ残っているかもしれない」
「殿下、それはもしかして……」リゼールが息を呑んだ。
「そうだ。我々の祖先がこの星に来る時に使ったとされる宇宙船、ノアの方舟だ。別名を古い峰とも言う。このカシウスから北東の山岳地帯の頂上に今もある」
古い峰――シーナはその言葉に聞き覚えがあった。彼女が元いた時代に、古代ネリシア王国時代の美しい神殿がそびえ建っているとされた場所だ。
「ですが、あそこは王族以外立ち入ることを禁止されている場所です」
リゼールが制止するが、カーウィン王子はそれを受け流した。
「仕方あるまい。先日、我々の科学文明を支えていたエネルギー炉であるメーヤルの塔がマイヤによって機能停止に追い込まれてしまった。もはや我々には奴に対抗できるだけの科学力は残されていないのだ。それならシーナの言うオリハルコンの聖剣とやらに賭けてみるのも悪くなかろう」
「それはそうですが……」
「リゼール、地下にある王宮宝物庫からペンダントを持ってきてくれ」
「……承知しました」
リゼールはたっぷりと逡巡してから、片膝をついて頭を下げた。そしてすぐに立ち上がり、謁見室を出て行く。
「少し待たせると思うが、皆、ここで待っていてくれ」
カーウィン王子は氷の棺桶に閉じ込められた二人の兵士たちに黙礼をしてから、玉座にもたれて静かに目を閉じた。




