第十三章 グリンピア王国の遺産(2)
王の謁見室を出ると、夜空に満月がのぼっていた。月明りを受けて王城の中庭がうっすらと浮かび上がっている。そこにはいくつかの朱色で彩られた建物が散在しており、その奥にある何の変哲もない建物が神殿と呼ばれていた。
もともと神殿は王国の守護神である武神ソドの住まいであり、ラック・ハイモンドのフレイム・ドラゴンによる傷を負ってソドが休眠状態に入ってからは、ソドの姿をした白い石像が代わりに安置されていた。そこには年に一度だけ女神マイヤとメルネが訪れ、予言や啓示を託すことでソドがいない穴を埋めていた。しかしその事実を知るのは国王をはじめとするごく一部の者たちに限られている。世間では、三人の神々は過去百年近く人々の前に姿を見せていないことになっていた。
神殿の入口にある重厚な扉を、赤いトラ副隊長のベンラスがその怪力で開けていく。天井の採光窓から差しこむ月光とろうそくの明かりで、屋内が淡く照らし出されていた。
その中央には身の丈7プース(2.1メートル)はあろうかという男の石像があった。筋骨隆々とした四肢を大きく伸ばし、憤怒の表情で今にも襲いかかってきそうな迫力がある。その両脇には緑色のローブをまとった女神マイヤと黄色を基調とした衣装の女神メルネの姿もあった。
「あ、ロッサン君たちが来たぁ」
メルネが持ちこんだ膨大な書籍の上に腰を下ろしたまま、軽く手を振った。
「女神様、お待たせいたしました」
ロッサン王は腰を直角に曲げてマイヤとメルネに頭を下げた。中興の祖ダッセル王以後、歴代の王は武神ソドだけでなく二人の女神にも最大限の敬意を払うのが習わしになっていた。
「もうそろそろソドが休眠状態から回復するはずよ」
マイヤはあさってのほうを向いたまま応じる。この女神はあまり愛想が良くない、とロッサン王は常日頃から思っていた。
その時、神殿内に一陣の風が吹いた。やがてあたりの空気が大きく振動を始め、石像から火花が散る。
「うおぉぉぉぉぉ!」
巨大な獣の咆哮が大地を揺らしているのかと錯覚しそうになる。雄々しい彫像が光を帯び、いつしかそれは赤い鎧をまとった一人の大男に変わっていた。
「ラック・ハイモンドめ。この俺を休眠状態にしやがって。許さん、もう許さんぞー!」
こめかみの血管を怒張させて大男が吠えると、メルネは両手で耳をふさいで苦笑し、マイヤは冷めた目を向けた。
「ソド、落ち着きなさい。あなたの欠点はそうやってすぐ頭に血が上ることよ」
マイヤがたしなめると、あたりの空気の振動が収まった。
「マイヤ殿下、これは大変失礼いたしました」
鋼の筋肉を持つ大男が恐縮のあまり小さくなり、マイヤに頭を下げている。
「その呼び方はやめなさい。マイヤでいいわ」
「はは、マイヤ様。ところでこの私めが休眠していた間、大王陛下の計画はどのようになっていたのでしょうか?」
「おおむね順調よ。グリンピア王国の王宮地下にある禁断の間を暴くことはできなかったけど、メーヤル博士が建てた巨大なエネルギー塔は今や完全にメルネのコントロール下にあるわ。もう私たちが古代ネリシア王国のあの凶悪な兵器を恐れる必要はないし、スクーターの弱点も判明しているから大丈夫よ。そして来月にはいよいよ陛下が永い休眠状態から戻られるでしょう」
「そうなればぁ、あとは国民たちをこの光あふれる世界へと導くだけだよぉ」
メルネが言葉を継いだ。ロッサン王には話の全貌が一向に見えないが、目の前にいる三人の神々がレッディード王国の民たちに幸せをもたらすのだと解釈した。
「それは大変めでたい話です。この国の王として、神々に深謝いたします」
「別に感謝されるようなことではないわ」
そう答えるマイヤの態度には相変わらず愛想の欠片もない。
「いえ、ご謙遜を。今や皆様方は我が国にとって欠くことのできない道しるべです」
「それは違うわ。私たちにとって本当の道しるべとなるのは来月蘇られる大王陛下です。でもそのために必要な儀式を、ラック・ハイモンドたちが邪魔をしに現れるかもしれません。だからこの国の総力を挙げて彼らを阻止しなさい」
「はい、承知しております」ロッサン王が最敬礼をした。
「後ろの二人はどうなのぉ」
メルネが王の後方に声をかけると、ケイサムとベンラスの二人が右手を胸に当てて右ひざを地面についた。
「仰せのままに」
かつてこの世界には三人の神々が君臨し、三つの国に分かれて争乱の世が続いていたという。それを統一したのが中興の祖ダッセル王であり、今宵こうしてレッディード王国の旗のもとに三人の神々が集った。来月には神々から大王と崇められる偉大な神が蘇られる予定だという。そうなれば、この国の威光はますますもって高まるばかりだ。
ロッサン王は神々に深く帰依しながら、自らの身に降りかかる溢れんばかりの栄光を確信し、表情が緩むのを耐えることができなかった。
翌日、王都パルタスの王城前広場におよそ五千の兵士たちが集められた。
彼らは王国でも選りすぐりの精鋭たちであり、その一糸乱れぬ所作にも高い練度が現れている。眼光はみな一様に鋭く、甲冑の下にうかがえる引き締まった身体は筋肉の鎧そのものと言ってよい。あたりには緊迫した空気と、とてつもない熱量が渦巻いていた。これから国王による重大発表があると伝えられていたが、その内容はまだ誰も知らない。
彼らの視線の先には、十五歳の若きロッサン王、そして最精鋭部隊である赤いトラの隊長ケイサムと副隊長ベンラスの姿があった。
「皆、今日はよくぞこの王城前広場に集まってくれた。余はそなたたちの忠誠心を大変うれしく思っておるぞ」
まだ少年と言って差し支えないロッサン王が精一杯の声を張り上げた。それは広場のごく一部にしか届かなかったが、かわりに地響きのような雄たけびが前方の兵士たちから沸き起こり、後方へと波及していく。
ロッサン王は眼下の兵士たちを満足そうに眺めてから、後方を振り返った。
「今日は皆に朗報がある。この一世紀近くお姿を隠されていた武神ソド様が我らの前に再び君臨されたのだ」
その言葉とともに、身の丈7プース(2.1メートル)を超える大男が現れた。紫色の髪に茶色の瞳、赤黒い肌。上半身は肌の上に直接胸当てを当てただけであり、体に密着する膝丈ほどの赤いスパッツを履いている。背中には白く長い羽が生えており、その姿は伝承で伝えられている武神ソドの姿そのものだった。
「レッディード王国の兵士たちよ、長らく留守にしてすまなかった。俺がソドだ」
雷鳴のような大声が広場全体に響きわたり、一瞬の間をおいて拍手喝采が巻き起こる。
「そして今日ここに、かつて滅亡したグリンピアとイエローサ、二国の女神を迎え入れることができた」
ソドが両手を高く掲げると、その両脇に二人の女性が現れた。緑色のローブをまとったマイヤと、黄色を基調とした衣装のメルネである。兵士たちの眼には、武神ソドが両脇に二人の女神を侍らせているように映った。
「かつて三カ国に分かれて覇を競っていた時代、我々は敵同士だった。だが遂にこのレッディード王国の旗の下に我ら三人の神が集ったのだ」
その言葉に、兵士たちのあいだから更なる大歓声が巻き起こる。
「それだけではない。今から九日後、ここからはるか南にあるメーヤルの塔で、我ら神々の頂点に立つ大王ラプラス陛下が永い眠りから目覚められる。大王陛下は必ずや国民たちを光あふれる大地へと導いて下さるであろう」
両手を広げてふるう熱弁に陶酔し、兵士たちもまた両手を天に掲げてソド神の名を連呼した。
「栄光は我らのものだ。正義は我らの内にある。だが実は昨日、大変な問題が起きた。あの大悪党として名高いラック・ハイモンドがこの時代に復活したのだ。奴の目的は、我らの偉大なる大王ラプラス陛下が蘇られるのを妨害することだ。これを許しても良いのか?」
ソドが問いかけると、王城前広場を埋め尽くす兵士たちからブーイングが飛んだ。
「そうだ、絶対に許すことはできない。我々は何としてもラック・ハイモンドの野望を阻止し、大王ラプラス陛下をお守りしなければならないのだ」
再び大歓声が巻き起こる。
「我こそはと思う者たちよ、共にメーヤルの塔を目指そう」
ソドの呼びかけに応じ、「うおおおお」という兵士たちの咆哮が王城前広場を埋め尽くした。
「ありがとう、俺はお前たちのように勇敢な兵士たちと共に戦えることを誇りに思うぞ」
再び万雷の拍手が巻き起こる。それを横目に見ながら、メルネがちらっと舌を出した。
「さすがだねぇ。アンゴルモア王国の兵士長だっただけあってぇ、こういう鼓舞は得意なんだぁ」
「ええ、これでようやくアンゴルモア王国の国民たちをこの光あふれる大地へと導くことができるわ」
マイヤがしみじみと語った。三つの王国を建国したのも、それらを順に滅亡させたのも、すべてはこの計画のため。彼女たちは五百年以上の永きに渡って、アンゴルモアの大王ラプラスが蘇るその日のために万端の準備を整えてきたのである。
しかしこの時まだ、レッディード王国の兵士たちは神々の計画の全貌を知らなかった。




