第十三章 グリンピア王国の遺産(1)
あの夜、イエローサハウスの店内には、三人の奏者による砂漠地方の民族音楽が静かに流れていた。ゆったりとした時間が流れる中、キャランは店員が持ってきた蒸留酒を一気にあおると、銀貨を一枚テーブルの上に置いて席を立った。
「ごめん、今日は気分が悪いから先に帰らせてもらうよ。二人とも幸せにな」
マイシーは思わず腰を浮かしてキャランを呼び止めようとするが、シャブールが首を横に振る。
「やめろ。今さらマイシーが慰めの言葉をかけても、あいつをより一層惨めにするだけだ」
「でも……」
「仕方ないさ、一人にさせてやれ」
シャブールも手にしたグラスの酒をあおった。その胸中はマイシーを射止めた嬉しさが九割、三人の関係が崩れた寂しさが一割である。
「うん」
マイシーが力なく腰を下ろした。ざわついていた周りの客が静まり、古き良き時代の異文化の香りが店内に戻ってくる。
「俺もいよいよ来月から赤いトラの隊員だ。メーヤルの塔があるオアシスで、昔の人間が作った日干し煉瓦の借家住まいだ。贅沢は出来ないけど一緒に暮らそうな」
シャブールが空いたグラスを目の前にかざした。マイシーはその横顔を見つめながら、こくりとうなずく。
「うん。あそこはパルタスと違って冬でも雪が降らないんでしょ?」
「そうらしいな」
「きっと、初めての体験ばかりね」
「そうだな」
二人はテーブルの上に置かれているメーヤルの塔を模した黄色いランプを見つめながら、新しい土地での生活に思いを馳せた。
今はなき異国の音楽が静かに流れ、あまり会話もないまま食事が進んでいく。二人が食べ終わって席を立とうとした時、突然店のドアが荒々しく開き、一人の大男が入ってきた。
「シャブールはいるか?」
店の入り口で大男が吼えた。布製の頭巾をかぶり、背中には二本の剣を差している。その姿を見たシャブールが立ち上がり、直立不動の姿勢で大男に敬礼をした。
「はい。シャブール・シンクルム、ここに」
「誰?」
マイシーが眉をひそめた。しかしシャブールは緊張した面持ちで、それに答える余裕がない。
「副隊長、何の御用でしょうか?」
「お前たちに聞きたいことがある。今から一緒に来てもらうぞ」
「どのようなことですか?」
「それは後で話す。シャブール、そして隣の娘はマイシーだったな。二人とも早く来い」
大男は有無を言わせぬ口調で二人に命令した。その威圧感に怯えるマイシーの耳元で、シャブールがささやく。
「あの人は赤いトラの副隊長、ベンラス・クーパー殿だ。俺もよく分からないが一緒に来てくれ」
高い天井に豪奢なシャンデリアが輝いていた。重厚な作りのテーブルが縦にいくつも並べられ、その上に生け花の入った花瓶が置かれている。テーブルをはさんで向かいあう形で、背もたれのついた革張りの椅子が並べられている。上座にはひときわ豪奢な椅子が置かれ、その背後にはレッディード王国の紋章が掲げられていた。
「お前たちはここに座れ」
ベンラスが手前にある二脚の椅子を指さした。シャブールとマイシーは言われるままに、上座の椅子から一番遠い椅子に着座する。少しして、ベンラス自身もその隣に腰を下ろした。
「国王陛下と隊長もじきに来られるはずだ」
ベンラスは腕組みをして真正面を見据えたまま、声を張り上げた。それを聞いたマイシーが目を白黒させる。
「国王陛下と赤いトラの隊長ですって? なぜそんな席に私が?」
「今宵、ある危険な出来事が起きた。それについてお前たちから直にお聞きになりたいのだろう」
やはりベンラスの声は無駄に大きい。
その時奥の扉が開き、一人の少年が入ってきた。丸い帽子のような冠に宝玉が輝き、額の部分から後方に伸びた突起の先端には鳥の羽のような装飾が施されている。身の丈より長いマントをまとい、その胸にはいくつもの勲章が輝いていた。十五歳の若き国王、ロッサン・ディルマーである。
ロッサン王は悠然と上座に座り、ベンラスに話しかけた。
「これで全員揃ったな?」
「はい、陛下」
ベンラスが恭しく頭を下げた。しかし部屋のどこにも隊長らしき人物の姿はない。マイシーが不思議に思っていると、不意にベンラスの対面にある空席から、か細い声が聞こえた。
「赤いトラ隊長ケイサム・ロンコリー、陛下をお待ちしておりました」
マイシーが目をこすると、いつの間にかそこには青白い顔の小柄な男が座っていた。ロッサン王が男に問いかける。
「ケイサム、相変わらずその人見知りの激しさは治っていないのか?」
「はい、陛下。ですがこの性格ゆえ、私はデルタイを手に入れることができたのです」
小柄な男が答えた。マイシーとは初対面だが、この男が赤いトラ隊長ケイサム・ロンコリーに違いない。
「たしかに自分の存在を消し去るというデルタイは、諜報機関向きだな」
「初対面の人間から姿を隠すのにも役立ちます」
ケイサムがマイシーをちらりと見た。
「それで、どうだった?」ロッサン王が神妙な顔になる。
「女神メルネの予言どおりです。今宵ラック・ハイモンドが復活し、キャランと接触しました」
ケイサムの言葉を聞いたシャブールが眉をひそめた。予言だの、復活だの、彼には何の話かさっぱり分からないが、キャランのせいで自分たちが巻き込まれたということだけは何となく理解できた。
「そうか。すると奴らはいずれ、古代兵器と聖剣を持ってメーヤルの塔に現れるだろう」
ロッサン王が手にした黄金の杖をいじりながら、ため息をついた。やはりシャブールには皆目見当がつかないが、国王と赤いトラ隊長の会話に割って入ることはできない。
横に座るベンラスが正面を見据えたまま声を張り上げた。
「おい、シャブール。お前とマイシーは今晩キャランと何の話をした?」
「え? ええ、その……あいつは自分たちの幼馴染みです。ですから自分が来月から赤いトラに入隊することを伝え、自分とマイシーが結婚する予定だと話しました。ただ、それだけです」
突然話を振られたシャブールは、動揺しながらも何とか答える。
「ええ、その通りです」そこにマイシーも口添えした。
「シャブール・シンクルム」
ケイサムが小声で彼の名を呼んだ。シャブールが立ち上がって敬礼する。
「はい、隊長。何でしょうか?」
「隊長権限で、明日からお前を赤いトラ隊員に任命する。あと二日で荷物をまとめ、三日後にメーヤルの塔に向けて旅立て」
「はい、分かりました」
事情はまったく飲みこめないが、口答えできる状況ではなかった。ケイサムの姿がなぜか半透明になっていく。
「マ、マイシーとやら。お前も一緒だぞ」
「あの、すみません。それは危険を伴いますか?」
マイシーがおそるおそる尋ねた。彼女は平穏を望んでおり、危険なことには巻き込まれたくなかった。
「たぶん安全だ。しかし断ることは許さない」
ケイサムの口調がすごみを帯びた。マイシーは観念したように目を閉じ、小さくうなずく。
「では、二人とも下がってよいぞ」
ロッサン王が手で出て行けという仕草をした。二人は立ち上がって王に深く頭を下げ、おずおずとその場を後にする。それを見届けてから、再びくっきりとした姿を浮かび上がらせたケイサムが口を開いた。
「今から92年前、レッディードの王城で黒い霧の中に姿を消したラック・ハイモンドたちが、今宵現れるという女神メルネの予言は正しかったようですな。彼らはどうやらカシウスにあるグリンピア王宮跡に向かうようです」
「それをどこで聞いた?」
「キャランがラックたち五人を自分の家に招き、そこで話しているのを聞いていました」
ロッサン王の問いかけに、ケイサムが答えた。人見知りが激しく、その結果として自分の存在そのものを消し去るデルタイを手に入れた彼は、壁でも何でもすり抜けて、気配を感づかれることなく周囲のことを見聞きすることができる。
「グリンピアの王宮跡ですか。たしかあそこには開かずの扉がありましたな。その奥に神々ですら恐れを抱くという古代兵器があるのかもしれません」
ベンラスが大声を張り上げた。ロッサン王も最初はその声量に閉口したものだが、今ではだいぶ慣れてしまった。
「ではそろそろ神殿のほうに参りましょうか」ケイサムが腰を上げる。
「今宵、武神ソドが蘇る。こちらは女神マイヤの啓示です」
「おお、そうであったな」
ロッサン王がうなずいた。




