第十二章 偽られた歴史(5)
キャランの家は、イエローサハウスから歩いて五分ほどの場所にあった。大通りに面した三階建ての建物の玄関に入ると、そこには吹き抜けの空間が広がっていた。正面には大きく弧を描いて二階へと続く階段があり、その手前には豪華な彫像が置かれている。
ラックやジールはこういう空間では思わずたじろいでしまうが、王宮育ちのシーナは堂々としたものである。
「キャラン様、お早いお帰りで。ところでその方たちはどなたです?」
家政婦と思われる初老の女性が、キャランたちを出迎えた。
「ちょっとした知り合いでね。これから大事な話があるんだ」
「それなら紅茶でもお持ちしましょうか?」
「いや、話が済んだらこちらから取りに行くから大丈夫だよ」
キャランは女性にそう言い残すと、ラックたちを三階にある子供用のおもちゃがたくさん置かれた部屋へと案内した。ふかふかの毛皮に愛らしい笑顔を浮かべ、おしりを地面につけて座っている羊のぬいぐるみや、古ぼけた絵本などが部屋中に散らばっている。
「今、応接間には父さんの商談相手が来ていてね。ここしか案内できる部屋がなかったんだ」
キャランはそう言って、隅のほうに置かれた小さなソファーに着座した。ラックたちもそれにならい、子供用の椅子やおもちゃ箱など、思い思いのものを見つけては腰を下ろした。黒猫のナノはシーナの膝の上で丸くなっている。
「ところで君たちに聞きたかったんだが、今は王国暦何年か知っているか?」
キャランが質問すると、ジールが不機嫌そうに答える。
「何だよ、その人をバカにした質問は。今はグリンピア王国歴528年だろ」
「……そうか、やはり君たちは過去から来たのか」
キャランは近くにあった古ぼけた絵本を拾うと、ジールに差し出した。本のタイトルは『ダッセル王と乱暴な男』であり、その裏には王国暦187年発売と書かれている。
「それは小さい頃、僕が買ってもらった絵本さ。今はレッディード王国歴202年。つまりグリンピア王国歴だと620年になる。その本の中では、ラック・ハイモンドという男が数々の悪事を働き、それをダッセル王が討伐したことになっているんだ」
「何だって?」
ラックが気色ばんだが、キャランに文句を言っても仕方ないだろう。そう思い直し、ジールの背後から絵本を覗きこんだ。シーナやルサンヌ、ノクトも同様に覗きこむ。ナノはいつの間にか床におりて寝そべっていた。
『ダッセル王と乱暴な男』
むかしむかし、この世界は三つの王国に分かれていました。
それらの国の名は、レッディード、イエローサ、グリンピアです。
三つの国は互いに争いを起こし、そのせいで人々はとても苦しんでいました。
中でもグリンピア王国にはラック・ハイモンドというとても乱暴な男がいました。
ラックはダッセル王のお妃様になるはずだったティーナという女性を誘拐してしまいました。
それからイエローサ王国に侵入して内乱を起こし、シシカ女王を殺してしまいました。
さらにラックはレッディード王国にも攻めこんで、王城で大暴れしたので、多くの死者が出ました。
人々は恐怖にふるえましたが、そこに現れたダッセル王がラックを倒しました。
それを見た人々が言いました。
「ダッセル王、万歳! レッディード王国、万歳!」
しかし、そのうわさを聞いたグリンピアのタイラー王とイエローサの新しい女王アジェカは、勇敢なダッセル王に嫉妬しました。
最初にグリンピア王国が攻めて来ましたが、ダッセル王の家来だったシャンツたち赤いトラが、タイラー王とダン王子を討ち取りました。
次にイエローサ王国も攻めてきましたが、レッディード王国は正義の力でアジェカ女王とイエローサ軍を倒しました。
こうしてダッセル王は世界を一つの国にまとめ、平和な世の中を作ったのです。
「何だよ、この胸くそ悪い話は。ラックと俺は、ダッセル王に人質にとられそうだったティーナ姫を救出した側だぜ」
ジールが顔をしかめると、ルサンヌも嫌悪感をあらわにした。
「私たちの知るダッセル王は、自己保身しか考えない卑劣な人間でした」
「たしかに俺たちはパルタスの王城に攻めこんだけど、ルサンヌのデルタイのおかげで死者は出なかったはずだ」
ラックも憮然としている。
「それよりもこれを見て。タイラー王とダン王子が討ち取られたって書いてあるわ」
絵本を指さすシーナの手が震えていた。ティーナ王女として育てられたシーナにとって、タイラー王とダン王子は父親と弟のような存在である。その死をこのような形で見せつけられ、自然と涙があふれてきた。
「やはり君はティーナ王女だったんだな。残念ながらその部分は史実だ。王国暦530年、レッディード王国とグリンピア王国の間で戦争が起き、その二年後にタイラー王とダン王子は討ち取られたんだ」
キャランがつらい事実を物静かな声で告げた。シーナはしばらくの間さめざめと泣いていたが、やがて歯を食いしばって顔を上げた。
「少し落ち着いたか?」
ラックがシーナをおもんばかって声をかける。
「うん、もう大丈夫よ」
シーナは赤く目を腫らしたまま、ラックに微笑んだ。
キャランはそんな二人を横目で見ながら、紙と筆を用意して古代ネリシア語で何かを書き始めた。そして書き終えると、それをシーナに見せる。
「これは今から二年前、僕がカシウスにあるグリンピア王国の王宮跡で見つけた碑文なんだ」
「王宮跡……」
その言葉にも軽いショックを覚えながら、シーナは身を乗り出してキャランの書いた古代ネリシア語を見つめた。そこにはシーナがグリンピアの王宮を去るあの日見たのと同じ言葉が書かれていた。
「1999年7月、空から恐怖の大王が来るだろう。アンゴルモアの大王を蘇らせ、マルスの前後に首尾よく支配するために」
「恐怖の大王とは、何やら不吉な文章ですね」ルサンヌが率直な感想を口にした。
「でも1999年というと、まだずっと先の話だな」ノクトが安堵の息をつく。
「このアンゴルモアと言うのは地名で、マルスというのは何かの固有名詞ね?」
シーナが指摘するように、古代ネリシア語はそのあたりを使い分けられるようになっていた。
「その通り。でも古代ネリシア時代の文献を見ると、マルスというのは、赤、火、軍隊の隠語でもあったらしい」
キャランが品定めするかのようにシーナを見つめた。
「その単語で現在連想するものといえば、レッディード軍、ラックのフレイム・ドラゴン、後はオリハルコンくらいかしら」
「なるほどね。ところでオリハルコンといえば、僕が調べた話では、君たちは七個のペンダントを集めて聖剣を甦らせたらしいな」
「ここにあるのがそうさ」
ラックが腰にさした鞘から聖剣を抜いた。オリハルコンの刀身が炎のように燦然と、そして誇らしげに輝いている。キャランはそれを見て、思わず身を乗り出した。
「……すごいな、文献どおりの輝きだ。これはやはり古代ネリシア文明が生み出した未知の金属だね。真鍮とは明らかに違う」
キャランはしばらくの間、おもちゃを与えられた子供のような目で聖剣を眺めていたが、ラックに礼を言ってから、シーナに向き直った。
「ところで君はこの碑文のことを知っていたか?」
「ええ、この碑文は王宮内部にあったものね」
「実はこの碑文の下にあった扉がとても強固でね。僕たちはどうしても開けることができなかったんだ」
「それはそうでしょう。あの扉は古代ネリシア王国時代の技術で封印されていたのだから」
「君はあの扉の開け方を知っているか?」
「ええ、もちろん。でもあの扉は……」
そこでシーナはあることに気付いた。
「あの扉の先は禁断の間と呼ばれていて、グリンピア王家最後の一人となった者以外、立ち入りを禁じられていたの」
「そうだったのか。でもグリンピア王国はもう百年近く前に滅んでしまって、その生き残りなど……いや、待てよ」
キャランもシーナと同じことに気付いたようである。
「そう、グリンピア王家最後の一人になった人間が今ここにいるのよ。私の本名はシーナ・ユモイニーだけど、私はグリンピア王家の養女となり、ティーナ王女として育てられたの」
「それなら君は禁断の間に入るための条件を満たしているのか?」
「おそらくね。そもそもカシウスたちはいくつかの予言を残しているし、もしかしたらカーウィン王も、私がグリンピア王家最後の一人になることまで予見していたのかもしれないわ」
「なるほど。カーウィン王、あるいはその関係者が今の君に何かを伝えるために禁断の間を作らせたということか。それならそこにはグリンピア王国が滅ぶまで決して明かすことのできなかった重大な秘密が隠されているのかもしれないね」
「そうね、きっと……」
シーナの言葉が途切れたところで、キャランが遠慮がちに申し出た。
「君たちはこの時代に来たばかりで、まだ分からないことも多いだろう。君たちだけでここからグリンピア王宮跡に行くのはかなり大変だと思う。もしよかったら僕を案内役として同行させてくれないか?」
その提案は両者にとって利益になるものだった。シーナたちはこの時代に詳しいガイドを得て、キャランはラック・ハイモンドの伝承やグリンピア王国創世記の謎に近づくことができる。皆、お互いの顔を見ては無言でうなずきあった。
「キャラン、出発は明日で良いか?」
ラックが尋ねた。それはもちろん、彼らがキャランと一緒に出発するという意味である。
「そうだね。もしよかったら今晩はここに泊まっていくといいよ。来客向けの寝室もいくつかあるから」
キャランはそこでしばらく言いよどみ、顔を紅潮させた。
「ありがとう、そしてようこそ、この時代へ。この国では君たちに関する歴史を調べると危険人物扱いされるけど、僕は歴史学者として古代王国や剣士カシウスの伝説を調べていく上で、いつしかラック・ハイモンドの足跡が気になり、調べるようになっていた。その結果、諜報機関である赤いトラに目をつけられ、昔から思いを寄せていたマイシーという女性にも今晩ふられたばかりだ。でも今晩こうして君たちと会えたことは僕にとって幸運だった。僕は、剣士カシウスの伝説が後世にどんなメッセージを託したのか、これから世界がどうなるのか、それを知りたいんだ。歴史から未来を学びたいんだ。だから君たちと一緒にカシウスの王宮跡まで行けることになり、大変うれしく思う。もしよかったら、禁断の間にどんなことが記されていたのか後で少しだけでも教えてくれないか?」
そこにあるのは、あくなき知への探求心である。シーナはしばらく考えてから、全員の顔を見渡した。
「禁断の間にはみんなで入りましょう。そのほうが心強いし、歴史学者の講釈があったほうが間違いないから」
全員が力強くうなずく。グリンピア王国が滅びるまで決して明かされなかった秘密と言われて、興味を抱くのはキャランだけではなかったらしい。誰からともなく旅の準備に関する話題が出始めた。
そのタイミングを見計らい、シーナは先ほどから気になっていたことを訊いてみた。
「ところでキャランに二つほど質問があるんだけど、いいかしら?」
「何でも構わないよ」
「私たちは九十年以上前に、ランデルマードでパーガス・コラウニーという人と会ったの。もしかしてその人はキャランの先祖なの?」
その質問に、キャランの表情が険しくなる。
「違うよ、僕の先祖は代々この王都パルタスで暮らしてきたんだ。それなのにダッセル王に歯向かった罪で滅ぼされたランデルマードのコラウニー家と勘違いされて、これまでずいぶんと嫌な目にもあってきたんだ」
ラックは複雑な思いを胸に、黙ってそれを聞いていた。今から92年前、パーガスはイギスの妻子を助け出そうとして、ダッセル王の臣下によって阻止された。きっとその時の罪を問われたのだろう。
「それなら女神メルネと会ったことは?」
少し間をおいて、シーナが質問を続けた。
「あるわけないさ。君たちの時代以降、ソド、マイヤ、メルネの三神の姿を見た者はいないんだから」
「そうなの? ごめんなさい。何でもないわ」
シーナが首を横に振った。キャラン・コラウニーという名前に聞き覚えがあるのは、きっとただの偶然だったのだろう。
ラックたち五人を二階にある来客用の寝室へと案内した後、キャランは再び三階の子供部屋に戻ってきた。
まだ人いきれが残っているが、そこにはもはや何の音もない。近くにあった積木に座り、古びた絵本を手に取ってみた。『ダッセル王と乱暴な男』と書かれている。幼い頃あんなに胸をときめかせ、キラキラと輝いて見えたその絵本が、今ではすっかり色あせていた。たった一冊の絵本がキャランにたくさんの知識を与え、そのかわりに多くのものを奪っていった。
すっかり酔いの冷めた頭でこれからのことを考え、それを姉のメリカに報告しておこうと思った。キャランは腰を上げ、子供部屋の奥に分かりにくい形で作られた扉をそっと開ける。奥の部屋にはすえた臭いが立ちこめ、ついたての奥にあるトイレ以外にこれといった設備はない。
そのあまり大きくない部屋の中央にメリカが座っていた。整った顔立ちだが、目の焦点は合っていない。額には大きな傷跡があり、頬や二の腕、足首にも大小さまざまな色素沈着や瘢痕がある。
「君は誰? また私をいじめるの?」
メリカはおびえた様子でキャランに尋ねた。
かつてシストルス教授の研究室に在籍し、在学中に古い文献を読み漁ることで古代ネリシア語を習得したという才女の面影はそこにない。一年ほど前に突然失踪し、それから二か月ほど経って自宅に戻ってきた時、メリカの心は完全に壊れてしまっていた。それからはずっとこんな状態で、この何もない部屋で一日中過ごしていた。そして何があったのか訊いた時だけ激しく取り乱し、興奮し、泣き崩れた。
とてもつらい目にあったのだろう。そしてそうなった原因も想像がついている。
だからこそ今のキャランにとって、ラック・ハイモンドの伝承を明らかにし、この国の隠された歴史を暴くことは姉の仇討ちでもあった。
歴史学者として、メリカの弟として、真実の歴史を知りたかった。
「姉さん、もう大丈夫だよ。姉さんを虐める奴はもうどこにもいないから安心して」
キャランが優しく語りかけると、メリカは安心したのか大声で泣きだした。
「僕は明日旅に出るけど、姉さんも元気でね」
キャランはメリカの体を抱きかかえながらそっとつぶやいた。メリカの両手もキャランの服をつかんでなかなか離そうとしない。
そしてそれが二人にとって最後の別れとなることを、キャランはまだ知らなかった。




