第十二章 偽られた歴史(3)
パルタスの表通りに面したイエローサハウスの店内には、三人の奏者による砂漠地方の民族音楽が静かに流れていた。かつてイエローサ王国の聖都であったバイシャや南のソーカス地方から取り寄せた民芸品、家具などが上品に配置され、日干し煉瓦で造られた丸いテーブルの上には、メーヤルの塔を模した黄色いランプが灯っている。
キャランが店に入ると、そこにはすでにマイシーとシャブールの姿があった。
「よお、久しぶり」
シャブールが右手を上げ、キャランに自分たちの居場所を伝えてきた。マイシーは黙ったまま、キャランに小さく手を振っている。
「ああ、久しぶりだな」
丸いテーブルを取り囲むように四個の椅子が置かれていたが、マイシーの右脇にはシャブールが座り、左脇には二人分の荷物が置かれていた。キャランはマイシーから見て正面の空いている席に座った。黄色を基調とした民族衣装を着た女性店員が、香の入った小さな器を持ってくる。
キャランは店員に蒸留酒を一杯頼むと、シャブールに話を振った。
「どうだ、軍の生活は?」
「色々と厳しいし、下の奴らは鬼軍曹にしごかれて本当に大変そうだよ。でも俺はパルタス王立学院卒の士官候補生だから、それほどじゃない」
シャブールが苦笑いを浮かべた。士官と言えば少尉以上を指し、軍曹よりも上官にあたる。
「ところでキャランこそ、研究は進んでいるか?」
「ぼちぼちだな」
キャランは昼間のことを思い出し、言葉を濁した。シストルス教授の言うとおり、もうラック・ハイモンドの伝承について調べることは、やめたほうがよさそうだ。
「そうか、実は今日、お前に報告しておくことがあってな」
シャブールはそう言ってマイシーのほうを見たが、マイシーに肘で小突かれ、再び口を開いた。
「俺たち、この秋に結婚することにしたんだ」
「え?」
突然の話に、キャランはぽかんと口を開けて固まってしまった。
「ごめんなさい、なかなか言い出す機会がなかったの。彼ね、赤いトラの隊員に推挙されて、かつてイエローサ王国の女神メルネが住んでいたメーヤルの塔のあるオアシスに、来月から赴任することになっているの」
「それで新しい生活を始めるに当たって、どうしてもマイシーを一緒に連れて行きたくてな」
二人の話を聞いて、キャランは頭の中が真っ白になった。マイシーと五歳のときに交わした結婚の約束を真に受けていたわけではないが、それでも自分にとって一番の理解者だと思っていたし、恋心も寄せていた。来月のマイシーの誕生日にはプロポーズをしようと考えていた矢先でもある。
「そうだったのか、おめでとう」
キャランは心にもない言葉を上の空で言った。そこにシャブールが追い討ちをかける。
「それでな、一つ頼みがあるんだ。お前がラック・ハイモンドという人物の足跡に興味を持っていることは知っている。でもそれを嗅ぎまわり、いちいちマイシーに話すのはやめてくれないか?」
「何だって? それじゃあ、僕がマイシーに話したことがすべてシャブールに筒抜けになっていたのか?」
薄暗い店内で、一瞬キャランの体が淡く光った。それは彼がデルタイに目覚めた瞬間でもある。
「……」マイシーは無言のまま眼をそらした。
「俺は来月から晴れて赤いトラの隊員になる。そしてマイシーは俺の婚約者だ。これで状況を理解してくれ」
シャブールが勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「マイシー、一つだけ答えてくれ。僕は君だけに話したつもりだったのに、どうしてそれをシャブールに伝えたんだ?」
キャランが問いかけたが、マイシーは眼をそらしたまま何も答えない。
「頼む、本当のことを話して欲しいんだ」
キャランは無意識にマイシーに向けて右手を伸ばした。それと同時に、マイシーは抗いがたい何かを感じ、胸のうちを吐露し始める。
「キャランは賢いし、優しくてとてもいい人よ。カシウスの王宮跡を調べ、立派な研究をしていた頃は素敵な人だと思っていたわ。でもタブーとされるラック・ハイモンドのことを色々と調べ始めるようになって、それを嬉々として私に話されて、私は怖くなったのよ。私が求めているのは平穏な毎日。赤いトラに危険視されるような人物となんて関わりたくないの。あなたのお姉さんみたいになりたくないの。そんな時、シャブールが色々と優しく相談に乗ってくれて、軍の出世コースである赤いトラに入隊が決まったから、一緒に来てくれと言われたのよ」
マイシーはなぜこんなことを二人の前で言ってしまったのか自分でも分からず、眼を白黒させた。
しかしキャランにはとってはこれだけ聞けば十分だった。きっと一週間前にイエローサ地方の老人と会った話も、キャランからマイシー、シャブールを経由して赤いトラに伝わり、さぞかしシャブールの評価アップにつながったことだろう。そう思うと、自分はみじめで滑稽な存在に思えた。
キャランは店員が持ってきた蒸留酒を一気に煽ると、銀貨を一枚テーブルの上に置き、席を立った。濃いアルコールが通り過ぎた後の食道が焼けつくように痛む。
「ごめん、今日は気分が悪いから先に帰らせてもらうよ。二人とも幸せにな」
マイシーが腰を浮かして何か言おうとしたが、それをシャブールが止め、首を横に振った。
キャランはふらふらとした足取りで店の外に出ると、通りの景色を見渡した。初夏の夜風が酔った体に心地よい。しかし心の内では、すべてを焼き尽くすかのような劫火が燃え盛っていた。
「畜生、ラック・ハイモンドめ!」
絵本に出てきた過去の人物から直接何かをされた訳ではないが、それ以外に怒りをぶつけられる相手がいなかった。
「ラック・ハイモンドがどうしたんだ?」
不意に背後から男の声が聞こえてくる。キャランが振り返ると、そこには五人の男女が立っていた。




