第十章 パルタスの決戦(4)
馬たちは激しく飛び跳ねて騎乗者を振り落とすと共に、前方の盾を持つ部隊にも襲いかかり始めた。シーナは自分たちの位置から王城の正門までの直線上に馬を集め、そこで暴れさせることで兵士たちを両脇へと退けていった。
馬のいななきと人間の怒声が入り混じり、あたりは騒然としていた。一見混沌としているが、シーナの誘導によって次第に兵士たちが左右二手に分かれていく。
そしてある瞬間、ルサンヌの目にまったく障害物のない王城正門までの一本道が見えた。
「チェンジ!」
ルサンヌの言葉と共に、それまで半円形だった空気の壁が、王城正面へと真っすぐ伸びるトンネルのような形状に変わった。彼女の目にしか見えないが、三千の敵軍はすべてそのトンネルの両脇にいる。王城正門へと続く無人の安全な通路ができていた。
「さあ、行きましょう」
ルサンヌが先頭に立ち、王城前広場を真っすぐに進み始めた。兵士たちが襲いかかろうとするが、見えない壁に遮られてどうすることもできない。
やがて五人とナノは王城の正門へと続く橋の上にさしかかった。後方の広場ではまだ馬たちが暴れ、混乱が続いている。橋の下には王城を取り囲む堀があり、そこには氷が張っていた。正面には銅でできた巨大な城門が見えており、門戸には躍動感あふれる二匹の竜が彫りこまれていた。
ジールがその竜を見据えながら、再び斧を振り下ろす。
「アース・インパルス!」
今度は手加減なしである。銅でできた城門に、一撃で人が十分に通れるほどの風穴があいた。
城門の奥には、上下左右を赤土の壁で覆われた巨大な通路が3プレトロン(89.4メートル)ほどの長さにわたって続いていた。通路の両脇には兵士たちの休憩所らしき場所があるが、人影はない。皆、城門の外にいるのだろう。
そこを抜けると急に景色が開けた。広大な敷地に氷の張った人工池や雪原が広がり、やはり赤土で作られた建物が散在している。それらには幾何学的な紋様が描かれており、とりわけ正面に見える国王の執務室の壁には美しい模様が彫られていた。
ラックは人工池のそばに立つ一人の男の姿に気付いた。赤い鎧を身にまとった鋭い眼光の男――そう、イギス・ダンサンである。
「ようこそ、パルタス城へ」
その声はいつもの感情を押し殺したそれと違い、躍動感と高揚に満ちあふれていた。
「ここは俺のただ一人の親友、パーガス・コラウニーと初めて出会った場所だ。ここでお前たちを迎え入れることが、俺なりの最大限のもてなしだと思って欲しい」
「イギス・ディルマー公、お会いできて光栄でございます」
シーナが右手を胸に当て、半身を屈めて、王族同士の面会の際に用いる正式な挨拶をした。レッディード国王ダッセル・ディルマーの実兄であるイギスに対する、シーナなりの礼儀であった。
「ティーナ姫、我が愚弟のせいでこんなところまでご足労いただくことになり、大変恐縮しております」
イギスも一応の返礼をするが、その関心がシーナではなくラックに向いていることは明らかであった。
「ところでラック、お前が探しているのはこれか?」
イギスがその背後から、古びた鞘に収まったままの一本の剣を取り出した。だが六年前に遠巻きに見ただけのラックには、それが本物の聖剣かどうかよく分からない。かわりに豊穣祭の儀式で聖剣を携えたことのあるシーナがその特徴をしっかりと目で確認し、小さくうなずいた。
「あれはどうやら本物のようね」
「そうか」
ラックの声も嬉しそうである。彼もまた、イギスとの再戦を心待ちにしていた。
ラックは四個のペンダントを取り出し、それをイギスに示した。雪に反射された太陽の光を浴びて、オリハルコンは赤い炎のように燦然と輝いている。それを見たイギスも自分の懐から三個のペンダントを取り出した。
五百年以上の歳月を経て、今ここに剣士カシウスの伝説の品が集結したのである。
「この戦いの勝者が聖剣と七個のペンダントを総取りする。それでいいな?」
「無論だ」
ラックとイギスが口元に笑みを浮かべたまま睨みあった。
争いを嫌うルサンヌも、二人の表情を見て、その決闘が決して邪魔をしてはいけない神聖なものだと理解した。
ジール、シーナ、ルサンヌ、ノクト、そしてナノは対峙する二人からゆっくりと距離を置く。あたりに人影はない。邪魔者が入ってこないよう、ルサンヌが城門へと続く通路にプロテクト・ウィルを張っていた。
ゆっくりと二人が剣を抜いた。雪原に舞う風が白い結晶を巻き上げ、日の光を浴びてダイヤモンドダストが輝いている。
「行くぜ」
ラックが剣を下段に構えたままイギスに切りかかった。
ガン!
音を吸収するはずの雪原に、剣と剣とがぶつかり合う激しい音が響く。
ガン、ガン、ガガン、ガン!
目にも留まらぬ速さで剣をぶつけ合う二人の眼は真剣そのものだが、その口元には笑みが浮かんでいた。パーガスには悪いが、彼との対戦では得られなかった楽しさがある。
無論、デルタイの持ち主同士だ。真の決着のつけ方は知っている。だがそれとは別に、純粋に斬撃の応酬を楽しんでいた。
「お父さん!」
その時、不意に少女の声が聞こえた。
二人は反射的に一歩下がり、距離を置く。同時に剣先を下げ、相手のほうに顔を向けたまま、眼だけを動かして声の主を探した。
ラックの左手、やや離れた場所に、豪奢な服を来た男に取り押さえられ、喉元に剣を突きつけられた少女の姿がある。
「お父さん!」
もう一度、少女が叫んだ。その横では赤い甲冑を来た兵士数人が、後ろ手に縛られた美しい女性と、顔中あざだらけになって頭から血を流すパーガスを取り押さえている。
「イギス、すまない」パーガスがかすれた声を絞りだした。
「ずいぶんと勝手な真似をしてくれたな」
豪奢な服を着た男が腹立たしそうにイギスを睨んでいた。それを一瞥すると、イギスはいつもの感情を押し殺した声に戻った。
「パーガスをどうするつもりだ? ダッセル」
「俺はこの国の王だ、呼び捨てにするな」
豪奢な服を着た男――ダッセル・ディルマー王が怒鳴り声を上げる。
パーガスはイギスの妻テミーシャと娘レイリアの二人を助けるために王城の東塔に忍び込もうとして、見張りの兵士たちに取り押さえられていた。もちろん純粋な戦いであれば、パーガスが後れを取ることはない。しかしテミーシャとレイリアの二人を救出する前に人質にとられ、どうすることもできなかった。
そして報告を受けたダッセル王が怒り心頭でレイリアの喉元に剣を突きつけ、この場に現れたのである。
「お父さん!」
もう一度叫ぶレイリアに、ダッセルが怒鳴り声を上げた。
「静かにしろ。暴れると本当に斬るぞ!」
「……」
レイリアはおびえた表情を見せて大人しくなった。イギスの顔に、ラックが初めて見る狼狽の色が浮かぶ。
「やめてくれ、ダッセル……陛下」
「それならさっさとその男を消してしまえ」
ダッセルが腹立たしげに叫ぶと、イギスは観念した顔で地面に視線を落とした。しかしその直後、予期せぬ出来事が起きた。
レイリアがダッセルの腕に噛み付き、ひるんだ一瞬の隙をついて逃げ出したのである。それを見たイギスがあうんの呼吸で剣を構える。
「トルネード・ロール!」
虚をつかれたダッセルに、イギスの放ったトルネード・ロールが襲いかかった。ダッセルの顔が恐怖に引きつるが、すぐに勝ち誇った笑いに変わる。
「リプレース!」
ダッセルの声と共にその姿が消え、かわりにパーガスが現れた。
トルネード・ロールはパーガスに直撃し、その体をはるか後方に吹き飛ばした。雪煙に覆われてよく見えないが、おそらく即死だろう。
一方、ダッセルは先ほどまでパーガスがいた場所に現れていた。一瞬にして二人の居場所が入れ替わったことになる。
「イギス、よくもこの俺を殺そうとしたな」
ダッセルが歯軋りをした。イギスは状況を理解できずに呆然としている。
「一体、何が起きた?」
「バカめ、俺もデルタイを持っているのだ。それは自分の身が危険にさらされたとき、一瞬にして周囲の人間と入れ替わって身代わりにするのだ。国民が死すとも、王は死なず。王であるこの俺に相応しいデルタイだろう?」
ダッセルが下卑た笑いを浮かべる。
何という卑劣な男だろう。こんな男と結婚させられそうになったなんて……。
シーナの目から悔しさのあまり涙がこぼれた。その気持ちは横で見守るルサンヌにも十分に伝わる。
すでに王城の外から追ってきた兵士たちが赤壁に囲まれた通路のところまで来ていた。そこから先はかろうじてプロテクト・ウィルで防いでいたが、ルサンヌはあえてそれを解除した。
同時に多くの兵士がなだれこんでくる。
「ルサンヌ、何を?」
ジールが驚きの声を上げたが、ルサンヌはそれを無視してダッセルたちに向き直った。
「プロテクト・ウィル!」
ルサンヌが作った空気の壁は不規則な形をなし、テミーシャとレイリアの二人をダッセル王や兵士たちと隔離することに成功した。こちらに意識を集中するために、通路に張った空気の壁を解除しなければならなかったのである。
ダッセルと兵士たちが二人を取り押さえようとするが、見えない壁に阻まれてどうすることもできない。
「さあ、今のうちに二人とも逃げて!」
ルサンヌが叫んだ。まだ状況を飲みこめていないようであったが、テミーシャがレイリアの手を取ってイギスのほうへと駆け寄る。
「グラビティ・クラッシュ!」
ノクトが痛みをこらえながらデルタイを放った。ダッセルの体が勢いよく地面に崩れ落ちる。ダッセル自身の言葉を信じるなら、身に危険を覚えるほどのデルタイを加えると、誰かと入れ替わってしまうかもしれない。だからわざと動きを封じる程度に加減していた。
「アース・インパルス!」
攻め寄せてくる大群の前方をめがけて、ジールが斧を振るった。その軌跡は王城の中庭に広がる雪原に一本の直線を描き出す。
「その線を越えてきた奴は真っ二つにしてやる」
ジールが吼えると、恐れをなした兵士たちの動きが止まった。
「さあ、二人とも思う存分戦え。もう邪魔する奴はいない」
「みんな、ありがとう」
ラックが仲間たちに感謝しつつ、再び剣を構えた。
「レイリア、大きくなったな」
イギスはほぼ七年ぶりに間近で会う娘に一瞬だけ父親の顔を見せた。
「テミーシャ、すまない。俺とあいつはこれから決着をつける。せめてレイリアにはこの姿を見せないでくれ」
覚悟を秘めたその横顔を見て、テミーシャが小さくうなずいた。そしてレイリアを抱きかかえ、その目を右手で覆いながらその場を離れていく。
「待たせたな、ラック。そろそろ決着をつけようか」
イギスは利き足である右足を一歩後ろに引き、右手で剣を構え、左手を前方に大きく伸ばした。トルネード・ロールを全力で放つ時の構えである。
そしてラックもまた同じ構えを取った。
王城の中庭に広がる雪原に一瞬の静寂が訪れる。
誰もが息を呑み、両者の戦いを見守っていた。空気の壁の向こうで重力に押しつぶされていたダッセルまでもが黙りこみ、二人の勝負を凝視している。
二人が戦う大儀などない。しかし長年の因縁を乗り越え、両者ともに勝利を渇望していた――ただそれだけだった。
「フレイム・ドラゴン!」
「トルネード・ロール!」
二人の声が重なり、巨大な竜巻と炎のドラゴンが激しくぶつかり合う。荒々しく猛る両者が熱風を生み出し、その場の雪を一瞬にして溶かした。




