第十章 パルタスの決戦(1)
翌朝、ラックたちはパーガスの屋敷を後にした。だがその時にはすでにパーガスは外出して不在だった。
「夫が皆さんによろしくと言っていました」
パーガスの妻リネは、三歳になる長男と一緒にラックたちを見送ってくれた。
シーナが馬舎の馬から聞いた話では、パーガスはその日の早朝に旅支度をして愛馬と共に北方へと旅立ったという。そしてパーガス家に仕える兵士の一人もその後しばらくして、やはり北へと旅立っていった。
ここから北に行けば、レッディード王国の王都パルタスがある。
「もう一度、直接会ってお礼を言いたかったのに、急用でもできたんだろうか?」
残念そうに首をかしげるラックのそばで、シーナは一人だけ神妙な顔をしていた。実は馬たちの話から、パーガスが早朝に旅立った理由についておよそ想像がついていたが、それを皆に話しても良いのか迷っていた。
ランデルマードの町から王都パルタスまでは、馬を走らせれば一日で着く。その日、空は曇り、気温は前日よりもかなり下がっていた。粉雪が舞い落ちるレッディード王国髄一の幹線道を、パーガスを乗せた馬が走り去っていった。そしてそれから遅れること三十分、前日パーガスとラックの試合の一部始終を見届けた兵士の一人が、やはり馬を駆って北の方へと消えていく。
道路の両側には小さな商店が軒を連ねているが、その店頭に並ぶ商品はあまり多くない。一人の老婆が上着を羽織って店番をしていたが、寒さのせいか人の往来は普段以上に少なかった。老婆の眼前にはうっすらと雪化粧を済ませた往来があり、そこに馬蹄の跡がくっきりと残っていた。
その日、王都パルタスには例年より早い初雪が降っていた。しんしんと降りつもる雪はすべての音を吸収し、屋内からそれを見守る人間を静寂の世界へといざなう。いつもなら聞こえてくるはずの兵士たちが練習する掛け声も、その日ばかりは聞こえてこなかった。雪囲いをする者たちのために、練習を早々に打ち切ったからである。背中を丸めながら自宅へと急ぐ兵士たちが、窓の外を通り過ぎていった。
暖炉の火が時々パチパチという音を上げる。それがこの部屋で聞こえる音のすべてだった。
イギスは肘掛け椅子に座って読書をしていたが、ドアをノックする音で我に返った。
「何の用だ?」
扉の外まで聞こえるように声を張り上げる。すると若い兵士が部屋に入ってきて、気の重くなる一言を告げた。
「隊長、国王陛下がお呼びです」
「そうか、すぐに行くと伝えてくれ」
「承知しました」
兵士が扉を閉めて出て行くのを見届けてから、イギスは左隣にあった書籍棚を力任せに叩いた。激しい音と共に棚が揺れ、何冊かの本が床に落ちてくる。
「ダッセルめ、今度は何をさせようというのだ」
その表情からは明らかな憎悪が見て取れた。しかし彼にはダッセルに逆らえない理由があった。イギスは憮然とした表情で立ち上がると、腹違いの弟で現在のレッディード国王であるダッセルがいる国王の間へと向かった。途中すれ違う兵士たちがイギスの表情に驚き、そそくさと端に寄って道を譲る。しかしイギスはそれを気にするでもなく、足早に歩を進めていった。
窓の外では相変わらず雪が降っていた。国王の間へと続く扉にたどり着いたイギスは、兵士たちが扉を開けようとするのを待たず、それを思いきり右足で蹴りつけた。大きな音を立て、大きく分厚い扉が普段よりも勢いよく開く。
まっすぐに伸びている赤絨毯の先で、ダッセルが驚いて玉座から腰を浮かすのが見えた。イギスはそれを一瞥してから絨毯の中ほどまで歩み寄り、右膝をついて従順の意を示す。
「国王陛下、お待たせしました。イギス・ダンサン、ここに」
「イギス、待っていたぞ。実はお前に頼みたいことがあるのだ」
ダッセルもイギスが自分に抱く感情は知っていたが、とりあえず反抗の意がないことを知り、再び玉座に深く腰を下ろした。
「何でしょうか?」
イギスが感情のこもらない声で質問する。
「以前、お前が取り逃したフレイム・ドラゴンの使い手ラック・ハイモンドが、残り四個のペンダントを持ってティーナ姫と共にこのパルタスに向かっているという情報が入った」
「それはどこからの情報ですか?」
「この者がすべて話してくれた」
ダッセルは右前方を指さした。その指し示す先、ちょうどイギスの左に位置する場所に一人の兵士が立っている。それは前日、ランデルマードから王都パルタスに向けて馬を駆っていた兵士だった。兵士はイギスに向かって敬礼をしてから報告を始める。
「イギス殿、お初にお目にかかります。私はランデルマードのコラウニー家に仕える者です。一昨日、コラウニー家にラック・ハイモンドを含む五人の旅の者が立ち寄りました。そこで我が主パーガス殿とラックが試合をすることになり、私もその現場に立ちあったのです。結果はパーガス殿の完敗で、パーガス殿はラックにご自身が持つペンダントを譲り渡しました。その時の話では、ラックはあと三個でペンダントをすべて揃えるところまで来ており、一緒にいた若い女性が実はティーナ姫だというのです」
兵士はすべてを打ち明けた。しかしイギスの知るパーガスなら、そんなことをダッセルに報告するためにわざわざ使いをよこすはずがない。つまりこの兵士はダッセルに取り入ろうとして、パーガスを裏切ったのだ。
イギスは目の前の兵士に強い嫌悪を抱きつつも、一つだけ腑に落ちない点があった。
「両者が戦って、パーガスが負けただと?」
「はい、パーガス殿のウォーター・イーグルの威力はイギス殿もよくご承知かと思います。私も最初はパーガス殿が負けるなどありえないと思っておりました。しかしラックはパーガス殿の技をすべて軽やかにかわし、それを圧倒する威力のフレイム・ドラゴンを、わざとパーガス殿を避けて放ったのです。巨木を倒したウォーター・イーグルと、視界の彼方まで地面をえぐり取ったフレイム・ドラゴン。両者の威力の差は一目瞭然でした」
「それは本当か?」
イギスは兵士の報告に驚き、つい余計な質問をしてしまった。わざわざランデルマードからここまで密告にやってきた者が、そんなことで嘘をつくはずもない。
「もちろんです」
兵士はいたって真面目な顔で答えた。もちろん本当なのだろう。
ここ何年かは疎遠になってしまったが、パルタス王立学院を卒業した後もイギスとパーガスの間には親交があり、何度かデルタイを用いた試合をしたことがあった。二人のデルタイが目覚めたのは奇しくも同じ日であった。そう、イギスの父でもある先代レッディード国王ラドル・ディルマーが、ダッセルを自分の後継として指名したあの日である。風と水でそれぞれ属性は違うが、悔しさのあまり攻撃的な本能が高ぶって生み出されたデルタイである点は共通していた。
だからこそパーガスのデルタイを知るイギスには、グリンピア王国で二回戦ったことのあるラックのデルタイがそれに勝るとは到底信じられなかった。しかし兵士の話では、ラックの放ったフレイム・ドラゴンは視界の彼方まで地面をえぐり取ったという。そうであれば、ラックのフレイム・ドラゴンはこの一ヶ月ほどの短い間に驚くべき進化を遂げたことになる。
ダッセルの話など聞くまでもない。もう一度ラックと戦い、彼の持つ四つのペンダントを奪えと言うのだろう。だがそんな命令など抜きにして、久しぶりにイギスの剣士としての本能がうずいた。
「イギス、お前にはラックを倒し、奴の持つ四個のペンダントを奪って欲しいのだ」
ダッセルは予想通りつまらぬ台詞を吐いた。しかしその意図するところはイギスにとっても待ち望んでいたものである。
「承知しました」
イギスは久しぶりに――いや、初めてダッセルの命令を快く受け入れた。




