第九章 イギスの過去(5)
パーガスは寂しげな顔で、イギスとの思い出を語り終えた。
「イギスは私の友であり、そして憧れの人物だった。私はあいつが国王になったこの国を見てみたかったのだ。しかし実際にはあのダッセルが国王になり、執拗なまでに軍備に力を注ぎこみ始めた。その結果、今やこの国の民はみな疲れきっている。一方、イギスはその驚くべき剣の腕でみるみる頭角を現し、四年後の521年には赤いトラの隊長にまで上りつめた。もちろん赤いトラの内部ではイギスの出自は公然の秘密だが、そんなことはお構いなしに、あいつは実力だけで隊長に推挙された。でもそこで何があったのか、あいつは感情もプライドも捨ててダッセルのあやつり人形になってしまったのだ」
ラックはそれを黙って聞いていた。イギスは隊長になった翌年の522年、イギス率いるレッディード王国の赤いトラは、グリンピア王国の国中が浮かれる豊穣祭の夜を狙って、王宮の宝物庫に眠る聖剣とペンダントを奪いに来た。そしてその時にラックの父ロイズは剣闘技大会以来六年ぶりにイギスと対戦し、イギスのデルタイで命を落としたのである。
「今の私にはもう、あいつが聖剣を手に漆黒の破壊神と戦う姿など想像できない。だから私自身があいつに代わって聖剣を復活させようと考えた。でも君に勝負を挑み、敗北してようやく分かったよ。我が一族は君に希望を託すために、五百年以上もの間、そのペンダントを守り抜いてきたのだとな。君ならイギスが持つ三個のペンダントと聖剣を取り戻し、聖剣を復活させることもできるだろう。そしていつの日か復活するに違いない漆黒の破壊神と闘ってほしい。それから……」
パーガスの言葉を、ラックがさえぎった。
「パーガスさん、悪いけどそこまで俺に期待しないで下さい。元々俺は剣士としてイギスに勝ちたい、そしてグリンピア王国の人間としてこの国に奪われた聖剣を取り戻したい、ただそれだけのためにここまで来ました。それがフレイム・ドラゴンの使い手として剣士カシウスの再来のようにまつり上げられ、漆黒の破壊神が復活するという話も出てきて、正直なところ戸惑っています。あなたの期待は俺にとって重荷なんです」
かつて女神マイヤから聖剣にまつわる話を聞いたときは、純粋に高揚感を覚えたものである。しかしあとから冷静になって考えれば、それだけでは済まないことも想像がついた。時にはそれが精神的な負担に思えることさえあった。
「そうか、それはすまなかったな。もともと聖剣を復活させる話も、漆黒の破壊神が蘇るという話も、我が一族の言い伝えに過ぎない。それを君に一方的に背負わせることはできないだろう。でも一つだけ覚えておいてくれないか? イギスは感情表現の苦手な奴ではあるが、決して感情のないあやつり人形ではなかった。私はこれ以上、あいつが堕ちていく姿を見たくはない」
パーガスは沈痛な面持ちで、ラックから視線をそらした。
「実は六年前、赤いトラがグリンピア王国から聖剣とペンダントを奪取したあの日、私もカシウスの城下町にいた。ロイズ・ハイモンドとイギスとの戦いも遠くから見ていたよ」
「え?」ラックの表情が硬くなる。
「だから君がイギスを憎んでも無理はないと思っている」
「……たしかに憎くないといったら嘘になります。でもあの時、イギスは聖剣をかけて、父は自分の命をかけて、真剣勝負に臨みました。だからその二人の誇りを汚す真似はしたくないし、俺はその思いを拠りどころにしてイギスと戦うつもりです」
その言葉を聞いたパーガスの表情が少しだけ明るくなった。
「そうか、君と出会えて良かったよ。あのロイズ・ハイモンドの息子でフレイム・ドラゴンの使い手は、やはりその名に恥じぬ誇り高き剣士だった。最初から私ごときが敵う相手ではなかったな」
「いや、恐らく一ヶ月前までの俺ならあなたに勝てなかったと思います」
ラックは本当のことを口にしただけだが、パーガスは社交辞令と受け取ったらしい。その言葉には反応せず、シーナのほうに向き直った。
「ところであなたは、行方不明になっているグリンピア王国のティーナ王女だろう?」
「いえ、私は……」
シーナは突然の指摘に驚いて、しどろもどろになる。
「最初に会ったときから、六年前に豊穣祭で見かけたときの面影が残っていると感じていたが、あなたが古代ネリシア語を読めることを知って、それを確信した。それならあなたがイギスの王位継承権に関心を示したのもうなずける。イギスの件で分かるように、この国では他国出身の母親から生まれた王子は王位継承権を持たないのだ。だからダッセル王があなたを妃に迎え入れようとしたのも、両国の血を引く子供に王位を譲り、両国の和睦を図ろうとしたものではない。ただ単にあなたを人質として利用しようとしただけなのだ。あなたはそれを知りたかったのだろう?」
どうやらこの男はすべてお見通しだったらしい。シーナはそれ以上無理に隠そうとせず、黙ってうなずいた。
その一部始終を、パーガス配下の二人の兵士たちが遠巻きに見つめていた。
その晩、ラックたちはパーガスの好意に甘えて彼の家に泊まることにした。
ここはレッディード王国。もはやティーナ王女と四個のペンダントを持つフレイム・ドラゴンの使い手は、いつどこで捕まったり敵襲にあったりしても不思議ではない土地である。加えてスリや泥棒の多いところでもあり、パーガスとの戦いを終えた時にはすでに陽も沈みかけていた。このランデルマードの町で見知らぬ宿を探すよりも、パーガスの家に泊まるほうが安全だろうという結論になった。
ラックたちに色々な情報とペンダントをくれたパーガスなら信用できると思ったし、万が一この男がラックたちを裏切って夜襲をかけるつもりなら、町内のどの宿に泊まってもすぐにその居場所を割り出してしまうだろう。その場合でも少数の兵士ですぐ取り囲める小さな宿よりは、パーガスの大きな屋敷のほうが逃げ場も多いはずである。
夕食はパーガス一家と共にとることになり、パーガスはラックたちのために獲れたての鹿肉を使ったジビエ料理と鳥の丸焼きを用意してくれた。それを、紅茶を飲んだときと同じ要領で、パーガスたちが先に食べるのを見てからラックたちが食べる。これは上流階級の者があまり面識のない客人を招くときの風習として広まっており、パーガスたちも特に気分を害するでもなくそれに応じてくれた。
そして深夜。
ラックはなかなか寝付くことができず、部屋を出て屋敷の庭に出ていた。冬の到来も近い北国の澄んだ空気の中、満天の星空がその輝きを競いあっている。北の空に浮かぶキリン座と、それを取り囲むように位置するネコ座、スクーター座、灯台座がすぐ見て取れた。スクーターとは何なのかラックはよく知らないが、昔からそのように呼ばれていた。
冷たい風の吹きつける寂しげな音がラックの鼓膜を揺らし、その体温を奪い去っていく。しかしこれまでのことを思い起こすと不思議な高揚を感じ、なかなか星空の元を立ち去る気になれなかった。
どれだけ時間が過ぎただろうか?
不意にガサッという音が背後から聞こえ、ラックは我に返った。振り返るとそこにはシーナの姿があった。暗闇にまぎれて分かりにくいが、その両腕には黒猫のナノが抱かれている。
「どうしたの? そんなところで?」
シーナが穏やかな声で語りかけてきた。
「シーナこそ風邪を引くぞ」
ラックは気の利いた言葉をかけようとしたが思いつかず、つい小うるさい言葉を返してしまった。
「ありがとう、大丈夫よ。この付近の動物たちから少し情報収集をしていたの。私にできることはそれしかないから」
「私にできること、か。そう言えば俺にできることって何だろう? 俺はまだ分かっていない気がするんだ」
「それは私も同じよ。私だって自分に何ができるのか、すべて分かっているわけじゃないわ。でも今の自分にもできることを一つ一つ積み重ねていくしかないし、その中で少しずつ分かって来るかもしれないと思っているの」
「そうだな、それが正しいのかもしれない」
ラックの言葉が途切れ、しばしの沈黙が星空のもとで二人を包みこむ。
「あのさ、もし……」
再び口を開いたのはラックだった。
「レッディードのダッセル王がいなくなるか、そうでなくてもティーナ姫との婚姻を諦めさせれば、シーナは元の生活に戻れるのかな?」
「それ、もしかして私の心配をしてくれているの?」
「うん、まあな」
ラックはわざと抑揚のない声を出した。もしそうなればシーナとの冒険も終わり、離れ離れになってしまう。言葉には出せないが、本当はそちらのほうが心配だった。
「ありがとう。でも今さら戻っても色々と人間関係がギクシャクしそうだし、それは考えてないわ。それに私、今みたいな冒険も嫌いじゃないの。ただその行き着く先が分からないだけで」
「そうだな。俺もこの冒険の行き着く先が何なのか、ずっと考えていた。聖剣とか、漆黒の破壊神とか、大昔の言い伝えは本当に成就するのだろうか?」
ラックは再び星空を仰ぎ見た。シーナはその横顔を見ながら、腕に抱いていたナノをそっと地面に下ろす。
「ところでね、ラックに言っておきたいことがあるの」
「何?」
ラックが振り向いた。どこかで何かを期待している自分に気づく。
「ダッセル王との結婚が決まった時、私はすべてに絶望していたわ。それがこうして冒険を続けられるのも、あの時あなたたちが助けに来てくれたおかげだと思うの。ありがとう」
シーナはラックに身を寄せてきた。寒空の下、シーナの体温が伝わってくる。
でもこれはどういうことだろうか? 単なる感謝なのか、それともそれ以上の意味があるのか?
王宮育ちでどこか感性が違うと感じることもあるシーナだけに、ラックはその真意を図りあぐねていた。イエローサ王国で交わしたキスもお守りだと言っていたし、もしかしたら本当にそれ以上の意図はなかったのかもしれない。心のどこかで期待しているだけに、変に誤解したくなかった。だから身動きが取れなかった。
長く短い時間が静かに過ぎ去り、シーナの体がラックから離れるのを感じた。
「私、そろそろ自分の部屋に戻るから……。おやすみなさい」
その言葉でラックは我に返った。目の前には、ナノを抱き上げ、いつもと変わらぬ笑顔で小さく手を振るシーナの姿がある。
「おやすみ」と言いかけて、自分にはまだシーナに伝えていない言葉があることに気づいた。星明りの中、シーナの姿が次第に小さくなっていく。
「あのさ、シーナ。俺、君のことが好きだ」
ラックは精いっぱいの声を絞り出した。それは彼にとってその日一番の大勝負だった。昼間の決闘ですら、この大一番の前ではかすんでしまう。
シーナの足が止まり、ゆっくりと振り返った。だがそのシルエットがおぼろげに見えるだけで、表情までは分からない。
「ありがとう。私もラックのことが好きよ」
シーナの声は明るく、そして大きく手を振っていた。ラックも両手を大きく振ってそれに応える。
二人はお互いの顔すら分からない距離でしばらく向かい合っていたが、やがてどちらからともなくその場を立ち去った。ラックにはもう一度シーナに歩みよるだけの心の準備ができていなかったし、もしかしたらそれはシーナも同じだったのかもしれない。
冷気を含んだ風が足元の草を揺らし、遠くから木々の葉がふれあう音が聞こえた。満天の星空はその輝きを増すばかりである。
先ほどまで感じていた肌寒さを、今はもうすっかり忘れていた。




