第九章 イギスの過去(4)
それは今から十八年前、グリンピア王国暦にして510年のことである。レッディード王国の南に位置するランデルマードの裕福な一族であるコラウニー家に生まれたパーガスは当時十一歳であった。
その日、パーガスは父バイドに連れられてレッディード王国の王都パルタスへと来ていた。そこはグリンピア王国の交易都市ビャンマ以上に堅牢な外壁によって囲まれた要塞都市であり、真紅の甲冑に身を包んだ兵士たちが一糸乱れぬ美しい所作で行進しながら、パーガスとすれ違っていく。一方、それを遠巻きに眺める群集の目には羨望と畏怖が入り混じっていた。
パーガスはその様子を好奇の目で見ながら、並んで歩くバイドに話しかけた。すでに二人は王城の前に差しかかっている。
「父上、王都にはとてもたくさんの兵士がいるんだね」
「そうだな。元々、この王国の開祖リューネ・ディルマー王は武術の達人だった。それもあって建国当時から我が国は軍備に力を入れてきたのだ」
「それなら父上が時々話をしてくれる漆黒の破壊神が蘇ったとしても、心配ないね」
「いや、きっとわが国の全兵力を持ってしても、漆黒の破壊神には敵うまい。なにしろ、奴はかつてこの地上に君臨した強大な古代ネリシア王国を滅ぼしているのだ。だからこそグリンピア王国暦500年を越えた今、その復活に備えて準備を始めなければならないのだ」
「それは聖剣とペンダントの話?」
「その通りだ。今日はそれを私から国王陛下に直々にお伝えするためにやって来た。だがこの話は陛下にしか言わないつもりだから、お前はそうやって無用心に人前でこの話をするなよ」
バイドが低い声でたしなめると、パーガスはしゅんとなってうなだれた。その時、二人の前に一人の兵士が立ちはだかる。
「ここは国王陛下の居城だ。身元の分からぬ人間を入れるわけには行かない」
ふと気付くと、そこは王城を取り囲む堀にかかる橋の上だった。堀はなみなみと水をたたえ、そこを悠然と泳ぐサメの背びれが見える。橋から足をすべられたら、すぐにその餌食になってしまうだろう。そして正面には王城の正門が見えた。赤土で塗り固めた城壁に銅でできた巨大な城門がはめこまれ、そこには二匹の竜が彫られている。その姿は躍動感にあふれ、今にも襲いかかってきそうであった。
「私はランデルマードに住むバイド・コラウニーだ。今日の午後、国王陛下に謁見するために来た」
バイドは堀のサメと正門の竜と武装した兵士に取り囲まれながらもまったく動じることなく、身分を証明する書類を兵士に示した。
「これは失礼しました。どうぞお通り下さい」
兵士の態度が変わり、直立の姿勢をとってバイドに敬礼した。そして後ろを振り返ると、そこに立つ兵士に対し巨大な門戸を開けるよう指示を出した。
ギギギギ……という鈍い音を立て、巨大な銅の門が開き始めた。バイドはそれを見ながら悠然と門の奥へ歩いていく。パーガスは少し戸惑いながらもその後を追った。
城門の奥には、上下左右を赤土の壁で覆われた巨大な通路が3プレトロン(89.4メートル)ほどの長さにわたって続いていた。通路の両脇には兵士たちの休憩所があり、多くの兵士たちが剣を磨いたり雑談したりしながら思い思いの時を過ごしている。そこを抜けると急に景色が開け、広大な敷地に人工池や庭園が広がり、やはり赤土で作られた建物が散在していた。それらには幾何学的な紋様が描かれており、とりわけ正面に見える国王の執務室の壁には美しい模様が彫られている。
バイドは人工池のそばで遊ぶ二人の少年を見つけ、彼らに向かって恭しく一礼をした。パーガスもとりあえず父親に習って彼らに一礼する。
「あのお二人はラドル・ディルマー国王のご子息で、長男のイギス王子と次男のダッセル王子だ。イギス王子はお前と同い年で、ダッセル王子は三歳年下のはずだ」
バイドは小声でパーガスに二人を紹介した。イギス王子はラドル国王の長男とのことであり、恐らく次期国王の座に最も近い人物であろう。
「おい、お前。剣闘技は得意か?」
パーガスが腰に剣を下げていることに気付いたイギス王子が声をかけてきた。自分と同い年の少年が王宮内で帯刀していることに、興味を示したのだろう。
「はい、それなりに」パーガスは恐る恐る答えた。
「お前の父はこれから国王陛下と謁見するのだろう。その間、俺と試合をしてみないか?」
それを聞いたバイドがパーガスの背中を押してくる。
「光栄なことだ。ぜひお願いしなさい。くれぐれも失礼のないようにな」
「でも……」
パーガスは焦って父親のほうに振り返った。パーガスが本気を出せば、王子に怪我をさせてしまうかもしれない。
「大丈夫だ、本気を出しなさい。それがイギス王子に敬意を示すことになる」
バイドはパーガスの気持ちを見透かしてそう言った。パーガスは黙ってうなずいてから、バイドに手を振り、イギスとダッセルの元へと走っていく。バイドはその姿を見届けると、正面に建つ国王の執務室へと歩き出した。
「お前、名を何と言う?」
駆け寄ってきたパーガスにイギスが質問した。
「はい、ランデルマードに住むパーガス・コラウニーです」
「そうか、俺はイギスだ」
「お会いできて光栄です、イギス王子」
パーガスは右手を自分の胸に当て、右膝をついて従順の意を示した。だがそれを見たイギスが精悍な顔をしかめる。
「その呼ばれ方は嫌いだ、イギスでいい」
「はい、ではイギス」
パーガスはやや戸惑いながら、その名を呼んだ。それと同時にその横に立つもう一人の王子が不愉快そうな声を上げる。
「お前、俺には挨拶しないのか?」
「あ、すみません、ダッセル」
パーガスが兄に習って弟の名も呼び捨てにしたところ、ダッセルは顔を真っ赤にして怒りを爆発させた。
「バカ野郎、俺のことはダッセル王子様と呼べ!」
「あ、はい、失礼しました。ダッセル王子様」
パーガスは二人の真逆の反応に戸惑いながら、ただひたすらに頭を下げた。
まったく王子風を吹かせないドライなイギス王子と、威張りたくて仕方がないダッセル王子。この性格の違いを分かっておかなければ、また余計な怒りを買ってしまうだろう。パーガスはそう肝に銘じた。
だがそれと同時に、二人のうちイギスのほうが兄でよかったと心の底から思った。ダッセルが将来王になる姿など、想像したくもないからだ。
「頭を下げるのはもういいから、早く準備をしろ」
イギスの声が聞こえた。パーガスが顔を上げると、イギスは近くにあった防具を身につけ始めている。パーガスもあわてて近くにあった防具を身につけ始めた。
「用意はできたか?」
イギスが先の丸くなった練習用の剣を抜いた。
「はい」
パーガスもややあわてながら準備を済ませ、練習用の剣を抜く。バイドは本気を出していいと言っていたが、それでも心のどこかに躊躇があった。イギス王子に怪我をさせたくはない。
そんなことを考えているうちに、イギスが一気に間合いを詰めてきた。
速い!
カン、カン! 二人の剣がぶつかると同時に、実戦用の剣とは異なるやや軽い音が響く。
パーガスは思いもよらぬ猛攻に戸惑いながら、後ろに引いて間合いを取った。イギス相手に手を抜く必要など、最初からまったくなかった。むしろ全力を出しても勝てそうにない。
ならば。
今後はパーガスのほうからイギスに切りかかった。二人の間で激しい斬撃の応酬が続く。やはりパーガスが劣勢であることに変わりはないが、それでも不思議な喜びがこみ上げるのを抑えることはできなかった。
キイン! というひときわ高い音があたりに響き、パーガスの持つ剣がイギスの斬撃によって弾き飛ばされる。
「参りました」
パーガスはイギスに向かって頭を下げた。
「楽しかったぞ、パーガス。俺は来年からパルタス王立学院に入学するんだ。お前も一緒に入らないか?」
イギスは防具を取りながら、パーガスに話しかけてきた。自分の同級生になるように誘ってくれているのだ。それはこのドライな王子にとって、最大限の友情表現に他ならなかった。
「はい、ぜひ!」
パーガスもまた、この日イギスと出会えたことを心から嬉しく思えた。
その時、どこかから小石が飛んできてパーガスの背中に当たる。振り返るとそこにはダッセル王子の姿があった。
「やーい、負けやがった。弱虫め」
意地悪そうにはやしたてるダッセルの姿を見ながら、イギスのほうが兄でよかったと再び思った。
それから七年の歳月が流れた。グリンピア王国暦517年、二人は十八歳になっていた。
十二歳で共にパルタス王立学院に入学したパーガスとイギスは、六年の時を同級生として過ごし、親交を深めていた。多くの同級生たちに自分の立場を明かすことを良しとしないイギスは、イエローサ王国出身である母親の姓ダンサンを名乗っていた。一方、ダッセルの母はこのレッディード王国の貴族の生まれであり、イギスとは異母兄弟であった。ダッセルもこのパルタス王立学院に入学していたが、王族の姓ディルマーをそのまま名乗り、王子として傍若無人に振舞う噂は三学年上のイギスたちの耳にも入っていた。
その日は天気もよく、学院の中庭に初夏の心地よい風が吹いていた。木々の緑はその色合いを深め、芝生の絨毯も厚みを増していた。
もうすぐ夏が来る。そうしたらパーガスやイギスはこのパルタス王立学院を卒業し、それぞれの道を進むことになるだろう。
二人は一つのベンチに少し離れて座り、それぞれの思いを胸に中庭の景色を見ながら押し黙っていた。その前日、ラドル国王から全国民に対して行われた通知が、二人の胸に重くのしかかっていた。
「次期国王にダッセル王子を推挙する」
パーガスにとっては思いもよらない通知であったが、その理由はしごく単純なものだった。ラドル国王が、次期国王に他国の血が混じってはいけないという純血主義にこだわったからである。しかしそもそもイギス王子の存在を知らない多くの国民は、それをごく当たり前の発表として受け止め、世間では特に話題に上ることもなかった。
「なんでよりによってあんな奴が次期国王なんだ」
先に口を開いたのはパーガスである。その言葉の端には悔しさがにじみ出ていた。イギスが鋭い口調でそれをたしなめた。
「よせ。もし他の者の耳に入れば、ただではすまんぞ」
「お前は悔しくはない……」
そう言いかけたパーガスは、イギスが握りしめる右手から血が滴り落ちるのを見て言葉を失った。もちろん一番悔しいのはイギスに違いない。母親の生まれ故に、あんな虚栄とわがままの塊のような腹違いの弟に、王位を譲ることになったのだから。
「すまなかった。お前はこれからどうするつもりだ?」
「これまでも王子という身分を隠し、イギス・ダンサンとして生きてきたんだ。その生き方が変わるわけじゃない」イギスは感情を押し殺した低い声で言った。
「俺は軍に入隊し、特殊部隊赤いトラに配属される。そこでこれからも剣の腕を磨いていくつもりだ。そしてロイズ・ハイモンドに雪辱を果たしてやる」
ロイズ・ハイモンドとは、グリンピア王国の名高い剣士である。三年に一度、同国で行われる剣闘技大会で過去二回の優勝経験を持ち、昨年は外国からの招待枠で出場したイギスを準々決勝で破っていた。
国王という地位を目の前で逃したイギスは、ただ誰よりも強くあることだけを心の拠り所にするしかなかった。
「そうだな、お前ならきっと誰よりも強くなれるさ」
それはパーガスの本心から出た言葉であったが、イギスはそんな慰めなど求めてはいなかった。
「お前はこれからどうするんだ?」
イギスの問いに、パーガスは自嘲気味に答えた。
「ランデルマードに戻って、親父の事業を手伝うことになっている」
「これからはお互い別々の道を行くことになるな」
「そうだな」
一抹の寂しさを胸に、パーガスは空を見上げた。そしてふとイギスのほうに振り返る。
「これからも俺はお前の友でありたい」
「当たり前だろう」
ようやくイギスがわずかな笑みを浮かべた。
パーガスが右腕をイギスに向けて差し出すと、イギスも自分の右腕を差し出してパーガスと交差させる。
「テラノム・サーサスール」
固い友情を誓いあう二人を、初夏の太陽が暖かく包んでいた。




