第八章 私たちは仲間だ(3)
それは今から十五年前、グリンピア王国暦513年の春のことである。
当時二十四歳であったフュード・シューネイルは、国内の有志からの寄付や王国からの補助金によって運営する孤児院で働いていた。と言っても、彼の仕事は主に寄付金や予算獲得のための折衝や事務である。
彼の家系は五百年以上続くこのハプス村孤児院を守り続けてきた一族であり、その遠い祖先はあの伝説の剣士カシウスと共に漆黒の破壊神を倒した人物だとされていた。そしてその時代から現在に至るまで、彼の家には二個のペンダントが伝えられてきた。それは一族の中でも秘中の秘とされ、子供たちの中でも一番年長の子供にだけ口伝され、守り継がれてきたものだった。
これと同じペンダントを手に「テラノム・サーサスール」という合言葉を語る人間が現れるまで、ペンダントの存在やそれが聖剣の封印を解く鍵であることを誰にも語ってはいけない。フュード自身も先代の伝承者である母親からそう言われ、固く口止めされていた。
フュード自身はこの小さな村に留まるよりも、王国の聖都バイシャに出て政治や法律について学ぶことを望んでいたのだが、数年前から病気で臥している母親の後を継いで孤児院の運営を任されたこともあり、それは見果てぬ夢となっていた。
そんな彼の一番の理解者は、半年前に聖都バイシャからこの村に赴任した官吏のガイモン・レイレリールと、半年前から孤児院の運営について学びに来たというレッディード王国出身のディンツ・アスロイムの二人であった。
そんなある日のことである。いつものように村の巡回をするガイモンが、フュードに声をかけてきた。
「やあ、おはよう」
「おはようございます。ガイモンさん」
ガイモンはフュードより十歳以上年上である。やや小太りだが温厚そうな人懐っこい笑顔の持ち主であり、ニーシャという世話好きな奥さんと十五歳の息子リューイがいた。
「どうだ、何か困ったことはないか?」
ガイモンはいつもこう言って気遣ってくれた。
「ありがとうございます。おかげさまで何とかやり繰りできていますよ。今年も子供たちに筆記用具くらいは買ってやれそうです」
「そうか、それは良かった。子供たちにはしっかり学ばせてやりたいからな。こちらも今年、何とか去年と同じくらいの予算は取って来れそうだよ」
「さすがガイモンさんだ、助かります。でも巡回も大変でしょう。今朝絞ったばかりのヤギの乳があるけど、飲んでいきませんか?」
「せっかくだけど、私はヤギの乳の臭いがどうも苦手でね」
「それなら今度は別のものを用意しておきます」
「そうか、楽しみにしているよ」
「……あの、ガイモンさん。もし良かったら、今度また我が国の法律について教えて下さい」
「それなら今度の休日にうちに来なさい。イエローサの法律は、知の女神メルネと初代女王リファ・セイザールが起草にかかわったこともあって、三カ国の中でも一番充実し、体系的にもしっかりしていると言われているんだ」
「メルネ様も、リファ女王も、さすがですね」
「そうだな」
ガイモンはフュードに手を振ると、次の巡回先へと向かった。
「ガイモンさんと話していたんですか?」
その声にフュードが振り返ると、首にタオルを巻き、力仕事に精を出していたディンツ・アスロイムが立っていた。ディンツはフュードより二つ年下である。この半年の間、フュードを兄のように慕い、どんな仕事を頼んでも嫌な顔一つせずに手伝ってくれる好青年だった。
なによりもディンツは本当に子供たちが好きな様子で、いつも楽しそうにその遊び相手になっていた。元より幼くして親を亡くし、心に傷を持つ子供たちである。中にはいじめや粗暴な行動に走る子もいたが、ディンツはそのような子供たちとも常に真正面から向き合ってきた。そのひたむきな姿勢に、フュード自身もいつしか厚い信頼を寄せるようになっていた。
「ああ、また今度ガイモンさんの家に行く約束をしたんだ」
「それは良かったですね」
「ディンツ、君が半年前に来てくれて良かった。本当に助けられてばかりだ」
「そんなことないですよ。僕はただ今の仕事を楽しんでいるだけですから。いつかあの子達が立派に育ち、明るい未来を築いていく日が楽しみです」
ディンツが遠い空を見上げた。
「そう言えば、君はいつまでここにいられるんだ?」
「来年にはレッディードで戦争孤児のための新しい孤児院が開く予定なんです。そしたらその運営のために、国に帰ろうと思っています」
「そうか、俺もその時は何らかの力になろう」
「フュードさんにそう言ってもらえると心強いな。フュードさんも何かあったら僕に教えてください。僕たちは仲間です。僕たちの間にはどんな小さな秘め事もなしにしましょう」
「……そうだな」
何かを考えこむフュードを横目で見ながら、ディンツはまた作業に戻っていった。
その夜のことである。
すでに子供たちは寝静まり、あたりは静寂に包まれていた。月明かりと燭台に灯るろうそくの炎がうっすらと部屋の中を照らし出す。フュードは自室の肘掛け椅子に腰掛け、ガイモンから借りた本を読んでいた。本のタイトルは「イエローサ王国の法体系について」である。
そこに扉を叩く音が聞こえた。
「誰だ?」
フュードが答えると同時に扉が開いた。入ってきたのはディンツである。
「ディンツか。どうした?」
「あの、フュードさんに話があって」
ディンツはしどろもどろになりながら下を向いた。
「どうした、何があった?」
フュードは椅子を勧めながら、ディンツに話を続けるように促した。
「実は僕、明日故郷に帰らないといけなくなったんです」
「え、明日だって?」
思わず自分の耳を疑った。昼間は来年までここにいると言っていたのに、どうしてまた急に?
「実は今日の午後、故郷から手紙が届きました」
「それには何が書かれていたんだ?」
「父が体調を崩し、寝こんでしまったらしくて」
「それは心配だな」
「今のところ命に別状はないようですが、父ももう歳です。だからこれを機に、僕がペンダントを受け継ぐことになったんです」
「ペンダント?」フュードの心の中で、その単語が引っかかる。
「はい、フュードさんもグリンピア王国の剣士カシウスの伝説は知っていますよね?」
「もちろんだ」
「実はカシウスにはカーウィン王の他にも仲間がいたそうなんです」
「ふーん、仲間か」
フュードは努めて冷静を装いながらも、心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
「僕の祖先がその一人だったようで、我が家には代々ペンダントが伝えられているんです」
「それは本当か?」その声が上ずる。
「ええ、もちろんですよ。僕とフュードさんの間にはどんな秘め事もなしにしようと約束したじゃないですか」
「……そうだったな」
「そのカシウスの時代から受け継がれるペンダントを受け継ぐのが、今の僕の使命なんです」
「そうか、よく打ち明けてくれた」
「当然ですよ」
「実を言うとな、我が家にも同じ品が受け継がれているんだ」
「え?」
ディンツが驚きの声を上げた。しかしろうそくの灯火の元、その目が鋭く光ったことにフュードは気づかない。
「もしかして、フュードさんの祖先もカシウスの仲間だったとか?」
「そのまさかなんだ」
「詳しく聞かせてもらえませんか?」ディンツが身を乗り出した。
「我が家には二個のペンダントが代々伝えられている」
「それは今どこに?」
「悪いが、それだけは君にも話せない。しかし来たる日のために安全な場所にしまってあるよ」
「来たる日とは何ですか?」
「我が家の古くからの言い伝えでな。いつの日か漆黒の破壊神が蘇ると言われている。そしてそれに対抗する者として、剣士カシウスの遺志を継ぐフレイム・ドラゴンの使い手が現れるはずなのだ。その時、聖剣とその封印を解く七個のペンダントが必要になるというのだ」
「聖剣とその封印を解く七個のペンダント……。そうか、あのペンダントは全部で七個もあったのか。ところでそれがどこにあるのか分かりますか?」
「その前に、君が受け継ぐペンダントは何個あるんだ?」
「え? ……親に確認してみないと分かりませんが、おそらく一個です」
「そして私が二個持っている。残りは四個というこどだな」
「そうなりますね」
「残りの四個は、カーウィン王の末裔であるグリンピア王家と、カシウス自身にゆかりのある者が所有しているようなのだ。私も詳しくは知らないがね」
「それではグリンピア王国の王室は、聖剣の他にそのペンダントも保有しているということですか?」
「おそらくな」
「そうか。世界中に散らばる七個のペンダント、それらを代々守っていくことが僕たちの使命だったんだ」
ディンツは、うんうんと大きくうなずいた。
「ありがとう、フュードさん。大事な話を聞かせてもらって」
「いや、こちらこそ。打ち明けてもらって嬉しかったよ」
「では、おやすみなさい。僕は明日、レッディードに向けて発ちますが、いつかまた会いましょう」
ディンツはそう言い残し、部屋から出ていった。フュードはいまだ冷めやらぬ興奮を胸にその後ろ姿を見送る。窓の外では、漆黒の闇を背にフクロウが鳴き声をあげていた。
その翌日、ディンツはハプスの村にある孤児院を後にした。彼を慕う孤児たちの中には泣きだす子もいたが、それを他の子供たちがなだめ、全員で手を振って彼を見送った。
ディンツが去った後、皆の心の中には空虚な隙間ができていた。
そしてそれからさらに1週間以上が過ぎた、ある日のこと。
ハプスの村の北はずれにある畑にはセイヨウアブラナの花が咲き乱れ、それに隣接する林からは新緑の香りが漂ってきていた。畑の西隣にある草地には、近くの山から切ってきた木材が積み上げられ、フュードを含む数人の村人たちが薪割りをしている。空は青く澄みわたり、春にしては強い午後の日差しが容赦なく彼らに照りつけていた。
「ふう、疲れたな。一休みしようか」
フュードが額の汗をぬぐい、近くの切り株に腰を下ろしたとき、村人の一人が声を上げた。
「おい、あれは何だ?」
その指さす先、北の方角から赤い甲冑を着た一群がこちらに迫ってくるのが見えた。その数、およそ三十人である。その胸当てに描かれたトラの紋様を見た時、フュードの顔色が変わった。
「レッディードの最精鋭部隊、赤いトラだ。みんな、逃げろ!」
フュードはその場にいた皆に向けて声を張り上げると同時に、自らの使命を思い出した。
こうしてはいられない。先祖代々伝わる二つのペンダントを守らなければならないのだ。
「かたまって逃げると危ない。皆バラバラに逃げろ!」
他の村人を逃がすと共に、フュード自身も孤児院に隣接した自宅へと全速力で駆け出した。
後方から放たれた矢がフュードを追い越して前方の木に刺さる。すでに相手もこちらに気づき、攻撃を仕掛けてきたようだ。なぜ彼らが突然こんな小さな村を襲ってきたのかは分からないが、自宅からペンダントを持ち出し、周りの山の中に逃げることがフュードの使命だった。
赤いトラは旅人のふりをして目的地近くまで移動し、そこで設営した後、甲冑姿に着替えて奇襲を仕掛ける少数精鋭の部隊だと聞いたことがある。今なら甲冑を着た彼らより、フュードのほうが俊敏に動けるだろう。とにかく逃げるしかない。ただひたすら走り続けるフュードを、矢の群れが再び追い抜いていく。
ようやく自宅が見えてきたところで、混乱した彼の頭にディンツの顔が浮かんだ。
もし彼がレッディードのスパイだったとしたら……。
半年かけてこの村に溶けこみ、フュードの信頼を勝ち得て、ペンダントのことを聞きだすのが目的だったとしたら……。
しかしフュードは首を横に振ってその想像を打ち消し、屋内へと駆けこんだ。
こういう時のために、ペンダントはすぐ持ち出せる場所に隠してある。フュードは二つのペンダントをわしづかみにすると、すぐに山の中へと駆けこんだ。
小高いところにある人目につかない草むらから村を見下ろすと、すでに多くの村人たちがレッディード軍によって襲われていた。しかし戦いの心得もなく、武器も持たないフュードにはどうすることもできない。
「この村に赤い金属をはめ込んだペンダントを持っている者がいるはずだ。早く出せ」
隊長らしき兵士が、村人たちに向かって大声で叫んでいた。その右横には立派な身なりの十四歳くらいと思われる少年が、そして左横には赤い甲冑を着た若い兵士がいる。その兵士が兜の面をあげるのを見た時、フュードは全身の血液が沸騰するのを感じた。
――ディンツである。
「そんな、まさか……」
フュードは激しく狼狽した。あれほど信頼していたディンツが赤いトラの隊員だったとは、にわかには信じられない。しかしそれが事実だとしたら、彼はハプスの村にあるペンダントのありかや情報などを探るために、半年間もこの村で諜報活動をしていたことになる。
「イギス王子。我が兵の有能な働きぶりをとくとご覧下さい」
隊長が少年に話しかけた。どうやらあのイギスという少年はレッディード王国の王子らしい。フュードはその横顔をどこかで見たことがある気がした。
そう、十六年前にこの近くの村からレッディード王国のラドル・ディルマー王のところへと嫁いだ、ファーラ・ダンサンという女性によく似ていたのである。ファーラの面影を持つ少年は、放火や奪略が繰り広げられる凄惨な現場を顔色一つ変えずにじっと見ていた。
そしてフュードもまた、その現場を見ながら黙って堪えることしかできなかった。言い伝えを破り、彼が持っている二個のペンダントをレッディードに渡したら、より大きな災厄をもたらす気がした。
「すまない、みんな……」
フュードの目から涙がこぼれる。視界がにじむ中、遠くで小さな女の子を抱いた母親がレッディード兵に見つかり、命乞いをするのが見えた。
「助けて。どうかこの子だけでも……」
だがその言葉を言い終える前に、母親の首元に剣が振り下ろされた。地面に放り出された女の子が泣き始める。
フュードは逆上して立ち上がり――二個のペンダントを握りしめたまま、力なくその場に座りこんだ。
「俺には何もできない。でも、すべて俺の責任だ」
自らの無力さを恨み、己の愚かさを悔いた。
その時、突如として向こうの林から百人ほどのイエローサ兵が現れた。リューイの生み出した幻の兵士たちである。彼らは少し高所から赤いトラの隊員たちを見下ろす形で部隊を展開した。それを見た村人たちから歓喜の声が上がる。
「王子が危ない。みな、撤退しろ!」
赤いトラの隊長が叫んだ。その命令を受け、ディンツら兵士たちが撤退を始める。あとに残されたのは、火の手に包まれた無残な村と傷ついた人々の姿だった。




