第七章 永い眠り(2)
その日以降、ルサンヌは毎日のようにミシラルド修道院を訪れるようになった。
彼女が訪れるのはリファ以外の修道女たちが礼拝堂からいなくなる時間であり、ルサンヌとリファの二人だけになると、メルネは石像から少女の姿へと変わり、いろいろな話をしてくれた。
空はなぜ青いのか。
海はなぜ青いのか。
太陽はなぜ東から上って西に沈むのか。
メルネは驚くほど博学であり、さまざまな知識をルサンヌとリファに授けてくれた。
光の進む速さはチーターが走る速度の百万倍だとか、チーターがもっと速く走ればその体重は増えるとか、夜空に輝く星にたどり着くには光の速さでも何百何千年もかかるとか、中にはルサンヌにとって難解な話もいくつかあった。それでも舌足らずな少女が話す内容の論旨は明確であり、すとんと腑に落ちることが多かった。
聡明なリファはルサンヌよりも呑みこみが早く、メルネとの質疑応答でルサンヌが一人取り残されることも珍しくなかった。そのたびにルサンヌはリファとメルネに敬意を抱き、自分ではどうあってもこの二人に敵わないと認める一方で、二人が自分の友達でいてくれることに感謝していた。
そんなある日のこと。
三人でいつものように語りあっていると、不意に礼拝堂の表扉を激しく打ちつける音が聞こえ、それからしばらくして十人ほどの兵士たちが入ってきた。その先頭には先日の官吏が立っている。明らかに友好的ではない、高圧的な行為だった。
それを見たメルネがとっさに背中の羽を隠した。三人は固唾をのんで、兵士たちの出方をうかがう。
「修道院長はいるか?」
官吏が叫んだ。奥のほうからパタパタとせわしい足音が聞こえてくる。
「はい、何用でしょう」
白髪の混じる修道院長が姿を見せた。
「ここは女神マイヤ様を祀るミシラルド修道院で間違いないな?」
「はい、左様です」
「これまでこの修道院に税を課すことはなかったが、今年から寄付金の三割を税として課すことになった。帳簿を見せてくれ」
「なぜ突然そのようなことに?」
「先日、新しく着任した私の判断だ。これまでこのオアシスでは収税がなかなか思うようにいかなかったが、その一因として、この修道院がオアシスの各家庭から寄付金を集め、それを再び還元することで課税逃れをしているという疑いがかかっている」
「いえ、それは誤解でございます。喜捨はあくまでオアシスの住人たちによる自発的なものですし、生活に困窮する者があれば皆で助け合う。ただそれだけでございます」
「ふん、認めたな。結果的に寄付金を払う余力のある者たちが税を逃れ、このオアシス全体からの税収が減っている。その元凶がこの修道院なのだな」
「あ、いえ、そんな……」
修道院長は口元に手を当てたまま絶句した。
「よし、今から帳簿をあらためる。修道院の者たちは一歩も動くな」
官吏の声を皮切りに、グリンピア兵たちが礼拝堂の奥にある修道女たちの居住空間へと踏みこんでいく。それを立ちふさぐ形になった修道院長が、兵士の一人につき飛ばされて倒れた。
「少し待ってください」
礼拝堂に若い女の声が響いた。声の主はリファである。修道院長に駆け寄り、助け起こしながら言葉を続ける。
「この修道院が収税されないことは中央政府との取り決めだったはずです。あなたがこの地方の官吏であっても、その一存で覆して良いのでしょうか?」
「うるさい、私が決めたことだ。そして今この場で、私に対して意見できる者はいないはずだ」
「官吏殿とは言え、一個人がルールをねじ曲げることはできないはずです。もしそんなことが許されるなら、この国は法治国家とは言えません」
「ええい、黙れ。だれかその修道女を縛りあげて猿ぐつわをしろ。ただし怪我はさせるなよ。あとあと面倒なことになる」
官吏に言われ、数人の兵士たちがリファにつかみかかった。リファは最初の一人をかわして首元に手刀を入れるが、すぐに他の兵士たちに捕まり、縛り上げられてしまう。
「ふん、手間取ったな。それでは今から帳簿の検分を始める」
兵士たちが奥の居住空間へと踏みこんでいくのが見えた。リファは後ろ手を縛られて床に転がったまま、もがき声をあげている。居住空間からは修道女たちの叫び声と兵士たちの怒号が聞こえ、何かが倒れる音がした。しばらくして、兵士たちがいくつかの品々を抱えて礼拝堂に戻ってきた。
「官吏殿、帳簿と金庫、それに金目の物を差し押さえました」
「よし、今日はここまでにするぞ。帳簿の内容次第では追加徴税があるかもしれない。追って沙汰を伝えるから待っているように」
官吏と兵士たちは正面の出入り口に向かおうとするが、そこに黄色い服を着た少女が立っているのを見て足を止めた。
「なんだ、小娘、邪魔をするな」
「嫌だよぉ、リファをいじめる奴らはこの私が許さないんだからぁ」
「ふん、どう許さないというのだ」官吏が鼻で笑う。
「教えてもいいけどさぁ、今日ここにはあんたたちだけで来たのかなぁ? 外に仲間はいないよねぇ?」
「当たり前だろう。修道院の帳簿を検分するのにわざわざ大軍を率いてくるはずがない」
「それを聞いて安心したよぉ」
メルネが不敵な笑みを浮かべた。同時にその背中から白く美しい羽根が現れ、上空へと飛翔する。そしてこぶしを握った状態で両腕を胸の前で向き合わせ、かき混ぜるようにグルグルと回した。
「私のデルタイを見せてあげるぅ。それぇ、ホッピング・ボム!」
メルネが右手、左手の順に前方へと突き出しながら掌を開くと、兵士たちの目の前に二つの黒い玉が浮かび上がった。それらはバリバリと放電音をあげながら次第に大きくなり、後ずさりする兵士たちの眼の前ではじけた。礼拝堂に爆風が起き、視界が煙で閉ざされる。
「女神はねぇ、マイヤ様一人じゃないんだよぉ。私を怒らせると怖いよぉ」
メルネが上空からにらみを利かせると、兵士たちは怯えたような声を上げて一目散に逃げだした。最後に残された官吏は忌々しげにメルネを睨みつけてから、兵士たちの後を追う。ルサンヌはそれを見届けてからリファのもとに駆けより、両手をしばる紐と猿ぐつわを外した。
「ありがとう、ルサンヌ」
「ううん、私は怖くて何もできなった。あの兵士たちに歯向かって、しかも言い負かすなんて、やっぱりリファは凄いよ」
「買いかぶりすぎよ、私なんて全然たいしたことないんだから。本当に凄いのはあのお方……」
リファが見つめる先には、羽を隠して微笑みかけるメルネの姿があった。
「メルネ様、とても聡明で万物を知り、強大なデルタイを使い、その背中に美しい羽根を持つ女神さま。私はあなたに帰依いたします」
「うーん、そうだねぇ。私と一緒にグリンピア王国に対抗できる新しい国を作ろうよぉ。私はリファが治める国だったら守護してもいいよぉ。さっきの奴らみたいに勝手に法をねじ曲げる人間が現れないようにぃ、厳格な法が統治する砂漠の王国なんてどうかなぁ?」
「はい、それでこの地方に暮らす人々がグリンピア王国の地方官吏に苦しめられることがなくなるなら」
リファは左膝を床に着き、右手を胸に当てて頭を下げた。
「他の人たちはぁ?」
メルネが礼拝堂を見渡した。他の修道女たちはひそひそと何かを話し合っていたが、修道院長がリファの隣でメルネに向けて頭を下げると、空気が変わった。
「私も帰依いたします」
「あ、私もです」
「新しい女神さまに帰依します」
修道女たちの帰依はさざ波となって広がり、いつしか礼拝堂にいるすべての修道女がメルネに頭を下げていた。
こうして初代女王リファ・セイザールは知の女神メルネに帰依し、イエローサ王国が誕生した。時にグリンピア王国歴248年、イエローサ王国歴元年のことであった。




