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七の王国  作者: 毎留
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第七章 永い眠り(1)

 視界は砂嵐によって閉ざされていた。

 春の訪れを告げるこの時期、メーヤルの塔をようするこの地域では強い季節風が吹きあれる。それは砂漠をおおう乾砂を巻き上げ、人々の視界を奪うのが常だった。はるか上空まで巻き上げられた乾砂は太陽の光を遮蔽しゃへいし、大地へと降り注ぐ光と熱を和らげていた。

 十六歳のルサンヌ・ヤンバルトは砂漠の東にある市場で買った野菜を背中に背負い、母と二人で暮らすオアシスの自宅へと歩を進めていた。ヤクの皮をなめして作った帽子で耳元まで隠し、そこに貴重な絹の布を結わえて顔の前で固定し、目や口に砂が入りこむのを防ぐ。それは砂漠地方ならではの生活の知恵だった。

 その年――グリンピア王国248年、オアシスに暮らす民にとって生活のかてである家畜たちの間で謎の疫病えきびょうがはやった。ルサンヌの家でも飼っていた羊の半数が衰弱死してしまい、父が遺してくれた幾ばくかの貯えを切り崩すことで、辛うじて日々の糧を得ていた。ルサンヌの父は昨年、遠い北方の地での戦に駆り出され、そこで戦士していた。

「ふう、もうすぐ到着ね」

 ルサンヌは空腹や悲しみを紛らわすかのようにわざと明るい声を出し、目の前にそびえるメーヤルの塔を見上げた。3プレトロン(88.4メートル)はあろうかというその塔は古代ネリシア王国の時代からそびえ建っており、高度な建築技術が使われたとされている。その外壁は灰白色でゴマのように黒い粒が入った花崗かこう岩でおおわれており、地上を一周しても入り口は見当たらなかった。上部には円盤状に膨れ上がった部分があり、無数の柱によって支えられていた。そこまで登れば何らかの居住スペースがあるのかもしれない。だがそれはグリンピア王国の法律によって禁止されていたし、そもそも何の腹の足しにもならない冒険心を抱くほど、人々の暮らしは豊かではない。

 ルサンヌにとって、メーヤルの塔は砂漠の中で自宅の位置を示す灯台の代わりでしかなかった。

 自宅では母が雑穀と野菜、そして小麦で作ったクスクスと呼ばれる料理を用意して待ってくれているはずだ。砂地に足をとられて体力を奪われ、両足が普段の何割増しかで重かったが、ルサンヌは再び正面を見すえて歩き出した。

 やっとの思いでたどり着いたオアシスにも砂嵐が吹き荒れ、石を敷きつめられた広場が砂に埋もれかけていた。通常、このような日はオアシスの住人達も自宅にこもり、人の気配を捨て去った廃墟のような装いになる。だがその日、広場の片隅には若草色の甲冑をまとった兵士たちの姿があり、家の入口で住人と押し問答をしていた。それはこのオアシスを取りまとめる町長の家であり、ルサンヌより一つ年上で、現在はメーヤルの塔の隣に建つミシラルド修道院で修道女をしているリファ・セイザールの実家でもある。

「待ってください。今年は家畜たちが疫病にかかったせいで、このオアシスの住人はみな日々のかてにも苦しんでいる状況なのです。納税はもう少し延期してもらえないでしょうか?」

 リファの父親でもある町長の懇願する声が聞こえてきた。

「ダメだ、ダメだ。昨年もこのオアシスは納税が未達だったのだ。このあたりの収税を任される我々も中央に目をつけられており、今日こそは力ずくでもノルマを達成するためにこうして兵士たちを連れてきたのだぞ。恨むなら、昨年も納税を怠った自分たちを恨むのだな」

 一方の官吏かんりは威圧的な態度でそれを突っぱねる。

「いや、でも、しかし……」

 町長が口ごもったその時、ルサンヌは一人の兵士と目が合った。

「そこにいるのはこのオアシスの者か?」

 兵士に問いただされ、ルサンヌは黙ってうなずいた。

「どうせお前の家も納税を怠っているのであろう。ちょうどいい。見せしめに、そのかごの荷をもらっていくぞ」

 その言葉と同時に、ルサンヌは両脇を兵士たちに固められ、背中のかごから雑穀としなびた野菜を奪われた。その中身を見て、兵士たちは一瞬だけ失望と困惑の表情を浮かべるが、すぐにルサンヌを突き放した

「あとでお前の家にも税の取り立てに行く。もう帰っていいぞ」

 ルサンヌは尻もちをついたまま兵士たちを睨みつける。だが、ここで歯向かっても意味のないことは承知していた。

「はい」

 唇をかみしめて立ち上がった。しかしクスクスを用意して待ってくれている母のもとへ手ぶらで帰ることもできない。母はきっと市場で買ってきたばかりの食材を奪われたことより、ルサンヌがそのような目に逢わされたことを悲しむだろう。そしてルサンヌは母を悲しませたくはなかった。

 家に帰ることのできないその足は、いつしかミシラルド修道院へと向かっていた。



 赤レンガ造りの修道院が砂嵐のなかに霞んでいた。

 グリンピア王国建国後まもなく建てられたその建物は、豊穣の女神マイヤに祈りをささげる敬虔けいけんな信者たちの寄付、そして中央政府からの補助金によって建立されたと言われている。

 この王国の人間はみな同じ神に祈りをささげる同じ国民のはずなのに、どうしてこのように乱暴なことが行われ、私のように悲しむ人間が生まれるのだろう?

 そんなことを考えていると、砂嵐がルサンヌの目を直撃した。痛くて思わず涙が出る。

 やっとの思いで修道院の正面にたどり着き、表扉の隣に作られた小さな入り口から中に入った。そこには礼拝所があり、正面の祭壇に向かってたくさんの椅子が置かれ、彫刻で美しい紋様の描かれた壁がドーム型の天井を支えていた。正面には祭壇があり、緑色のローブをまとって背中の羽を広げる女神マイヤの姿が描かれている。その向かって右下には身長5プース(150センチ)弱の少女をあしらった白い石像があり、その背中にはやはり白く大きな羽が生えていた。

「ルサンヌじゃない、こんな時間にどうしたの?」

 少女像に供物くもつを捧げていた修道女が振り返った。村長の娘、リファ・セイザールである。そのダークブラウンの瞳がまっすぐにルサンヌを見つめていた。

「もしかして泣いているの?」

「ううん、そんなこと……」

 そう言いかけて、ルサンヌは初めて自分の頬を涙が伝っていることに気付いた。そして更なる涙が止まらなくなる。

 リファが駆け寄り、砂まみれのルサンヌをそっと抱きしめてくれた。しかしすぐ余計な詰問きつもんを始めるようなことはしない。リファは聡明で優しく、まっすぐで誇り高い人間だった。

「温かいオリーブ茶を持ってくるから待っていて」

 ルサンヌが落ち着くのを待って、リファは礼拝堂の奥へと姿を消した。広い礼拝堂で一人きりになり、ようやくあたりに冷気が立ちこめていることに気付く。

 目の前にある少女像は、改めて見ると不思議な姿をしていた。耳元に星型のイヤリングがあり、胸元には複雑な意匠いしょうのアクセサリーをしている。スカーフを羽織り、細い両足がミニスカートとヒールの高いブーツの間からのぞいている。

 言い伝えでは女神マイヤの従者の像だとされていたが、その名前は不明であり、いつからそこにあるのかも分かっていなかった。

「マイヤ様は優しい豊穣の女神のはずなのに、どうしてこのオアシスにやってくるグリンピア兵たちは高圧的で乱暴なんだろうね」

 ルサンヌが語りかけると、白い像が一瞬だけ光を帯びた。目をこすってみたが、像は元通りである。

「あなたがもし本物の女の子なら、あなたは私たちの友達になってくれるの? それとも私たちを支配するの?」

 その声に反応するかのように、像は再び光を帯びた。そして次第に黄色を基調とした色彩をまとい始める。

「はぁ、やっと元に戻れたよぉ」

 像はいつしか本物の少女になり、膝をついて荒い息をたて始めた。

「もうぜぇったいに許さないんだからぁ。今に見ていなさいよぉ、陛下の計画を成就してさぁ――」

「あの、あなたは誰?」

 ルサンヌはつい先ほどまで白い石像だった少女に語りかけた。きっと年齢はルサンヌより下だろう。十四、五歳といったところか?

「あ、ごめんねぇ、ルサンヌ。私の名前はメルネだよぉ」

「どうして私の名前を知っているの?」

「え? ……だってぇ、さっきリファがルサンヌって呼んでいたしぃ。それにルサンヌはこれまでに二百三十二回もぉ、この礼拝堂に来ているよねぇ」

「そうだったかな?」

 もしかしたらそのくらいの回数になるのかもしれないが、きちんと数えたことはなかった。

「私ねぇ、石像の姿でもさぁ、ちゃんと周りの様子を見聞きしていたんだよぉ」

「そうなの?」

 ルサンヌが興味津々《きょうみしんしん》でメルネと名乗る少女に近づいた時、背後から小さな悲鳴が聞こえた。

「誰、その子?」

 声の主はリファである。その両手には湯気を立てる二つのカップがあった。

「あ、リファが戻ってきたぁ。いつもありがとねぇ、石像だった私の掃除をしてくれてぇ」

 メルネは大きく両手を振りながら、リファに近づいて行く。

「あなた、まさかあの石像の女の子なの?」

 リファは信じられないといった表情で、石像があった場所、メルネ、ルサンヌの顔を順に見た。

「うん、信じられないけど本当よ。私の目の前で、あの石像がこの子になったの」

 ルサンヌが説明すると、リファは両手のカップを近くの棚に置いて深々と頭を下げた。

「では、あなたは女神マイヤ様の従者の方ですね」

「うん、まあ従者のようなぁ、仲間のようなぁ、そんな感じぃ。名前はメルネって言うんだよぉ」

 メルネは両手を前に差しのべ、背中の羽を開いて見せた。白く立派な羽がさわやかな羽音を立てる。

「よろしく、メルネちゃん」

 ルサンヌが自分の右手を差し出そうとするのを、リファにとめられた。

「ダメよ、ルサンヌ。女神マイヤ様の仲間だという方に、ちゃん付けなんて失礼でしょ」

「んー、でも私はその呼ばれ方ぁ、気に入ったよぉ」

「いえ、そんな訳には参りません。私は女神メルネ様と呼ばせていただきます」

「だったらぁリファにはそう呼んでもらうねぇ」

「はい、承知いたしました」

 リファが左膝をつき、右手を胸に当てて頭を下げた。そこに扉の開く音が聞こえ、年老いた修道女が入ってくる。

「まあ、ルサンヌ、来ていたのね」

「はい、修道院長様。お邪魔しております」

「この時期、まだ礼拝堂の中は寒いでしょう。談話室に来てもいいのよ」

「でも……」

 ルサンヌはメルネのいた場所を見た。そこには静謐せいひつな空間だけがあり、メルネはいつの間にか石像の姿になって元の場所に戻っていた。ぽかんと口を開けるルサンヌの隣で、リファも驚いているのが見て取れる。

「その場所が好きなら別に構いませんよ。でも風邪をひかないように気をつけなさい」

 修道院長はにこやかな笑顔で扉の向こうへと消えた。ルサンヌはそれを見届けてから、リファと目を合わせる。

「あの石像、さっきは動いていたよね?」

「うん、私も見た」

「そうだよぉ、動いていたよぉ。でもさぁ、自分の意思で石像の姿になることもできるんだよぉ」

 再び少女の姿に戻ったメルネが、さも当然のように会話に入ってきた。その間が妙におかしくて、二人がどちらからともなく笑いだす。

 これがルサンヌにとって、知の女神メルネとの最初の出会いだった。

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