第六章 神々の姿(2)
その二年後、十七歳の時にリューイは王都バイシャに戻った。当時、王国きっての軍師と言われた「白髪のハシム」に弟子入りするためである。ハシムはその二つ名の通り、真っ白な髪と皮膚を持つ色素欠乏症の男であり、長時間日光に当たることができなかった。そのため農業にも軍役にも従事できなかったが、かわりに優れた頭脳を持っていた。当時すでに五十歳を過ぎており、男性の平均寿命を超えたことで、ようやく後世に自分の知恵を残すため弟子を取る気になったらしい。
ハシムの弟子を志願する者は優に百名を超えたが、その中で二人だけがハシムに認められ、弟子入りを許された。そして意気揚々とハシムの館に出向いた日、初めて出会ったのがもう一人の弟子カプリーだった。当時十六歳の彼女は物静かで朴訥とした印象だった。女性としては身長があるが、金髪で目鼻立ちの整った顔に純朴な笑みを浮かべ、好感の持てる少女だった。今にして思えば、リューイは淡い恋心を抱いていたのかもしれない。
だがリューイが持てあます大剣を楽々と使いこなし、軍略においても決して引けを取らないその実力を知るにつれ、カプリーは恋の対象からライバルへと変わっていった。ハプスの村で感じたあの無力感を乗り越えるため、誰にも負けるわけにはいかなかった。
「リューイはいつも真剣だし、軍師としての才は負けを認めるしかないよ」とカプリーが軽口をたたく一方で、リューイもまた彼女の才を認めていた。その点で二人は良きライバルと言ってよかった。だがリューイはまれにハプスの村で見た惨劇を思い出し、激情をほとばしらせることがあった。ハシムはいち早くそれを見抜き、リューイに平静を保つ方法を教え、人間関係においてある程度の距離を置き、自分自身を客観的に見つめるように指導した。それからしばらくしてリューイの第一人称は「私」になり、誰に対しても態度を変えず丁寧語で話すようになった。
リューイとカプリーが出会ってから八年の歳月が流れた。グリンピア王国暦523年、リューイ二十五歳、カプリー二十四歳の冬である。
イエローサ王国の先代スイカ女王が崩御し、現在のシシカ女王が即位した。わがままで猜疑心の強い新女王は贅を好み、自分に意見する者たちを次々に更迭していった。グリンピアやレッディードから高価な品を買いあさって国富を流出させ、王宮を増築して国家予算を食いつぶした。やがて財政困難に陥ると国民への課税を強化した。砂漠の多い南方の地では飢饉が訪れ、一揆や反乱が起きるようになった。
「もう我慢ならん。あの女王はいったい何を考えているのだ」
ハシムが席を外し、リューイと二人きりになった場でカプリーが感情を爆発させた。この雄々しい口調もハシムの指導によるものである。かつて色素欠病症であることに悩み、劣等感を募らせたハシムは、その実力をもって周りの信頼を勝ち得てきた。だからこそ純朴で素直な少女だったカプリー自分の意見が軽視されがちな軍部の風潮に苦しんでいた時、女性としては不似合いな強い口調で相手の先入観念を崩し、予断なくその実力を見せつけるべきだという一風変わった助言をしたのである。
「静かに。どこかで間者に聞かれていたら大変なことになります」
リューイがたしなめたが、カプリーは語勢を落とさない。
「あいつはイエローサ王国史上、最低の女王だ」
「言葉が過ぎますよ。私も女王陛下の行動を完全に支持するわけではありません。しかし知の女神メルネ様と歴代女王が統治することで、他国からの侵略を防ぎ、国家の安寧をもたらしてきたことも事実です。この体制に異を唱えても、国が乱れ、他国に侵略の余地を与え、民が苦しむだけです」
リューイはイギス王子の冷徹な瞳を思い出した。国の内乱は衰退をもたらし、あの赤いトラがイエローサの領土を蹂躙する隙を与える。
「だからと言って、民が苦しむこの現状に見て見ぬふりをしろというのか? 私の故郷は王国南部にある貧しい農村だ。その村人たちが私をハシム先生の弟子にするため、さまざまな村の義務を免除し、自分たちの食い扶持から食料を回し、最大限の協力をしてくれた。私はその恩に報いなければならないのだ。それにそもそも国家の安寧を保つだけなら知の女神メルネ様の存在だけで十分だ。シシカ女王は必要ない」
「カプリー、冷静になりなさい。一時の激情に身を任せても大局を見失うだけです」
「お前が言う大局とは現状維持のことか? シシカ女王が傍若無人にふるまい、民が苦しむ現状に見て見ぬふりをしろということか?」
「誰もそんなことは言っていません。ただ現状維持という苦しい選択肢を捨てれば、状況が今より良くなるという保証はどこにないのですよ。内乱の隙に乗じてレッディード軍が攻め入り、今よりさらに苦しい未来が待っているかもしれません」
「その時は私たちが先頭に立ってレッディード軍を追い払おう。そのためにハシム先生から兵法を学んでいるのだ」
「内乱の後では国力が衰退しています。今の兵力を維持することはできません。そのような状況をみずから招こうとするのは自殺行為に過ぎませんよ」
そんなことになれば、またハプスの村のような悲劇をもたらすことになってしまう。もう二度とあのような惨事は見たくない。それこそが、リューイが兵法を志した最大の理由であり、彼の正義だった。これだけは相手がカプリーといえど譲ることはできない。
そしてリューイの抱く正義は、みずからを支援してくれた故郷の村を守るというカプリーの正義とは決して相容れぬものだった。
「交渉決裂だな。できればお前には私たちに加担してもらいたかったが、仕方あるまい」
目をそらすカプリーに対し、リューイは感情を押し殺して別れの礼をした。それはかつて同じ志を持っていた二人が相容れぬ正義を抱き、別々の道を歩むことを決意した瞬間だった。




