第五章 戒律の王国(5)
その日の夕方、ラックはメーヤルの塔があるオアシスへと来ていた。
砂漠の大海に浮かぶ孤島のようなこのオアシスには、地下水路が張り巡らされ、ブドウの木がたくさん植えられている。四角い民族帽をかぶった男性がロバに荷車を引かせ、ラックの横を通り過ぎていった。
オアシスの南東にそびえる、灰白色でゴマのように黒い粒が入った花崗岩で作られた塔の高さは3プレトロン(88.4メートル)以上ある。その西隣に建っているのが、赤いレンガで作られた巨大なミシラルド修道院だ。ここでイエローサ王国の初代女王リファ・セイザールは王国の守護神である知の女神メルネに帰依したとされている。四方の壁には天然の絵の具で描かれた巨大な絵が描かれていた。背中に羽の生えた美しい女性に多くの人たちがひざまずく構図のようだが、長い歳月を日差しと黄砂にさらされ、劣化が著しい。
祈りの時刻を伝える鐘が鳴った。人々がメーヤルの塔に向かってひざまずき、こぶしを握ったまま両腕を胸の前で向き合わせ、かき混ぜるようにグルグルと回した後、右手、左手の順に前方へと突き出しながら掌を開く儀礼の踊りを踊り始める。
ラックはリューイに指定されたとおり、メーヤルの塔の南に立つレンガ造りの三階建ての建物へと入っていった。中では、やはりリューイや兵士たちが外の人たちと同じように儀礼の踊りを踊っていた。実際のところ、屋内でリューイや兵士たちが一様に真顔で踊っている様は滑稽である。そしてその横には、椅子に腰を下ろしているシーナがいた。その元気そうな顔を見て、ラックの緊張が少しほぐれる。
「やっと来ましたね」
一連の祈りを終えたリューイが立ち上がり、ラックに歩みよった。一方のラックはその場から一歩も動かない。
「リューイさん、最初にこれだけは言っておくよ。さっきの取引には応じるし、そうすれば一緒に戦うことになるんだろうけど、俺は山賊たちにシーナを襲わせたあなたに心を許すつもりはないんだ。だからあなたを上官とは思わないし、敬語で話すつもりもない」
「そこまで言うならご自由にどうぞ。ただし戦場で一人だけ命令系統に背けば、命を落とす危険が高まります。一人だけとんがっていれば、味方から見捨てられます。あなたの決断は、あなた自身を危険にさらすものだと理解しておきなさい」
その言葉にラックがひるむが、今さら手のひらを返してすり寄るつもりもなかった。
「……分かった」
「よろしい。ではあなたに我々の状況を説明しましょう。もともとイエローサ王国が位置する西方には砂漠が多く、やせた土地が広がり、あまり人が住みつかない辺境の地として放置されていました。しかしグリンピア王国歴248年、砂漠のオアシスに建てられたこのミシラルド修道院の修道女だったリファ・セイザールが、知の女神メルネに帰依してイエローサ王国を建国し、初代女王に即位しました。以来、この国は法と戒律が支配する女王陛下の国として、民は禁欲的な生活を送り、グリンピアやレッディードからの侵攻を防いできたのです。砂漠の国と言っても、南方では乾燥に適した穀物が栽培されており、北方ではそれなりに雨量があるので豊かな森もあります。女神メルネからの啓示により、羊肉を食べることは禁止されていますが、ラクダや牛、鶏なども飼育されています。建国当時から農民に課される税率は20%と決められており、民たちは何とか生活できていました。しかし五年前、国の財政難を憂いたシシカ女王によってその税率が一気に40%へと引き上げられました。それ以来、比較的貧しい南方の地では、反乱や蜂起が起きるようになりました。そのうちのひとつ、祖国解放軍と名乗る一派が次第に勢力を伸ばし、王国の反覆を企てて、政府軍との間で大規模な争いが起きるようになったのです。そして今、彼らはこの王国の象徴とされるメーヤルの塔を目指して北上しつつあります」
ここまではラックも知っている話がほとんどだった。
「ご存知かもしれませんが、メーヤルの塔は今も女神メルネが住まう聖なる塔なのです。シシカ女王陛下も王国の聖地を奪取されることを恐れ、私にここを守るように厳命を下されました。私が得た情報では、明後日の朝に祖国解放軍の者たちがこの塔の奪取に向けて戦を仕掛けてくるというのです。今日、私が国境付近にいたのもその準備のためでした」
「それで俺にその大軍と戦えと?」
「いいえ。あなたにはただ一人、敵軍の大将カプリー・リスロードを食い止めてもらえれば十分です」
「そいつは強いのか?」
「私と共に兵法を学んだ仲間です。剣の腕も知力も大変優れていました。そしてカプリーもデルタイの使い手です」
「一体、どんなデルタイなんだ?」
「あなたにヒントをあげましょう。デルタイとは何らかの感情の高ぶりによって覚醒するもの。そしてデルタイの性質は本人の性格や考え方を反映することが多いのです」
それを聞いて、ラックは六年前のことを思い出した。彼のフレイム・ドラゴンは、目の前で父ロイズがイギス・ダンサンに倒された時に覚醒した。そう言えばシーナも王宮で孤独な生活を送る毎日の中で黒猫のナノと出会い、話をしたいと思ったときにそのデルタイに目覚めたと言っていた。ジールのアース・インパルスはラックとの厳しい修行、そして本気の喧嘩の中で獲得したものだし、ノクトのグラビティ・クラッシュは村をイギスたちに襲われた時に覚醒している。
「フレイム・ドラゴンを使うあなたは基本的に激情家だが、一度に複数のドラゴンを放つなど小手先の技も多少は使えるようですね。それに対してアース・インパルスを使うあなたの相棒は一本気。私たちのティーナ王女暗殺計画をどこからか盗み聞きした元王女様は、寂しがり屋か、噂好きか、どちらかではないですか?」
なるほど、少し当たっている気もする。
「それなら、リューイさん。相手に幻を見せるあなたは他人をだますのが好きってところか?」
ラックが鎌をかけると、リューイの顔が険しくなった。
「……少しおしゃべりがすぎました。好きに考えてください」
「そうするよ」
リューイに一矢報いた気がして、ラックの顔が少しだけほころぶ。
「ところでカプリーのデルタイについて詳しく教えて欲しいんだ」
「それが最近覚醒したようで、我々もその能力についてはよく分からないのです」
「冗談じゃない。俺にそんな奴の相手をさせるつもりか?」
「デルタイを持たない一般兵や、自分のデルタイをカプリーに知られている私では、なおさら勝ち目はありません。だからこそ、こうしてあなたに協力してもらうことになったのです」
その表現だと聞こえは良いが、ラックの実感とはだいぶ異なる。
「俺は無理やり引きこまれたと思ったけどね。というか、もしかして国境での出来事も俺たちの弱みを握るための罠だったりして?」
ふとそんな考えが脳裏をよぎった。ラックにはこの男の謀略の底が見えない。この男ならやりかねない気がした。
「お褒めいただいてうれしいのですが、それは買いかぶりすぎですよ」
「いや、褒めてねーし」
「あの場であなた方が騒ぎを起こし、たまたまそこに私が居合わせた。単なる幸運です」
「なるほどね、ようやく状況が分かってきたよ」
ラックは不満そうな顔のまま、うなずいた。やはりこのリューイと言う男は相当頭が切れるようだ。仮にあの場に居合わせたのが偶然だとしたら、騒ぎを収め、こうしてラックを自軍に引き入れるまでの流れをそこで瞬時に計算したことになる。ハプスの村に関する情報も握られたままだし、現状でこの男に逆らうことはできなかった。
「気の迷いは弱さにつながります。あなたに助太刀を頼んだ以上、こちらの事情を知ってもらわねばなりません」
リューイが微笑んだ。だがそれすらも、今のラックには懐柔のための演技に思えてしまう。
「分かったよ。でも俺が請け負うのは明後日の朝、カプリーという男をこの塔に近づけさせないことだけ。そうしたらシーナを釈放して、俺たちをハプスの村に案内してくれる。それで間違いないな?」
「いいでしょう。しかし一つだけ訂正させてください」
リューイは女神メルネを祀る祭壇を仰ぎ見た。
「カプリーは女性です」




