第五章 戒律の王国(2)
翌日、四人とナノはビャンマの西にあるグリンピア王国とイエローサ王国の国境へと来ていた。
シーナはイエローサ王国の砂漠地域で使われている民族衣装をまとっていた。木綿でできた明るい色の衣装の上に黄色いマントを羽織り、足元に白い麻布を巻いて保護している。そして風通しの良いかぶり物で頭部と顔を覆っていた。砂漠での照り返しと、足元に生息する危険な生物から身を守るために生まれた服装だが、身元を隠したいシーナにとって目元以外がほとんど隠れるこの衣装は都合が良かった。おそらくはセセリアというイエローサ出身の女性の娘だとばれるよりも、グリンピアのティーナ姫だとばれる可能性のほうが高い。だからイエローサ側の衣装をまとったほうが危険は少ないと考えたのである。
目の前には大きなゲートが並び、往来する人々の越境審査が行われている。若草色と黄色、二色の制服を着た審査官が対になってゲートに立ち、そこを起点に旅人たちの長い列ができていた。
その東、グリンピア側にはまだ少し低木が残るが、西のイエローサ側には広大な砂漠が広がり、流砂が紋様を描いていた。国境から20スタディオン(3.6キロ)ほど西に行くとオアシスがあり、豊かな湧水をたたえる池の周りに町が作られている。町の南にある巨大なミシラルド修道院は、多くの修道女たちが暮らしていることで有名だった。イエローサ王国の初代女王リファ・セイザールはここで知の女神メルネに帰依したと言われている。その東隣には3プレトロン(88.4メートル)はあろうかという高い塔がそびえており、それはメーヤルの塔と呼ばれていた。現在、女神メルネは塔の最上階に住んでおり、それゆえこのオアシス都市は王国の聖地とされている。
王国の聖都バイシャは、そこからさらに西へとラクダで一週間ほど旅をしたところにあるレニ湖のほとりに位置していた。初代リファ女王以来、イエローサの王家は女性が家督を継ぐのが慣わしであり、歴代女王は王宮のある聖都バイシャからメーヤルの塔まで、毎年冬に巡礼のため訪れている。
四年前の冬、シーナもグリンピア王国のタイラー王と共に、ミシラルド修道院でイエローサ王国のシシカ・セイザール女王と会談したことがあった。女王はその当時四十代半ばであり、我がままで短気な人物だと言われていた。あのリューイ・レイレリールにティーナ王女殺害を命じたのも、シシカ女王である。
知の女神メルネを戴くこの国は、独自の風習と厳しい戒律でも知られていた。羊肉を食べること、そして異国の者との婚姻が禁じられ、毎日朝と夕方には女神メルネを称える一風変わった踊りを踊るのだ。こぶしを握ったまま両腕を胸の前で向き合わせ、かき混ぜるようにグルグルと回した後、右手、左手の順に前方へと突き出しながら掌を開く。しかしその仕草の意味を知る人間は、イエローサ王国の中でもほとんどいないとされていた。
「私はここに並ぶわ」
シーナは、若草色の制服のグリンピアと黄色い制服のイエローサ、両国ともに年齢の若い審査官がいる列を選び、そこに並んだ。グリンピア王国の審査官は言うに及ばず、イエローサの古参審査官も四年前の訪問時にシーナと会っているかもしれない。だから四年前にはまだ審査官になっていなかったであろう若い審査官のほうが好都合だった。六年前、イギス率いる赤いトラによって聖剣を奪われて以降、豊穣祭にシーナが姿を現す場面はなく、グリンピア側でも若い世代にはそれほど顔を知られていないのも幸いだった。
やがてシーナの順番が回ってくる。
「顔を見せて。出身と名前は?」
審査官の求めに応じ、シーナは緊張しながら顔の覆いを取った。シーナの顔を見た審査官の表情が緩むのを見て、シーナも心の中で安堵する。
大丈夫、ばれていない。
「グリンピア王国、ノキリの村出身のシーナ・ユモイニーです」
「ユモイニー? レッディードに多い苗字だな。イエローサの民族衣装を着ているのはなぜだ?」
審査官がいぶかしげな目でシーナを見た。
「父がレッディードの生まれなんです。この服は砂漠を旅するのに適しているので、途中ビャンマで買ってきました」
「なるほど。少し持ち物を見せてもらうぞ」
「ええ、どうぞ」
シーナが荷物の口を広げて見せると、二人の審査官が交互に覗きこんだ。特に怪しまれるようなものは持っていないはずだ。
「それでは通っていいぞ。イエローサへようこそ」
イエローサ側の審査官が両手を広げて歓迎の仕草をした。
シーナは軽く一礼すると、うつむき加減にその場を通り過ぎ、顔の覆いをした。ノクトも同時に横の列を通り抜けるが、ラックとジールはまだ少し時間がかかりそうだった。
「ふう、良かった」
シーナは大きく息を吐き出し、肩の力を抜いた。そこへ、
「ティーナ姫ではありませんか。ご無事で何よりです」
別のゲートから若草色の制服を着た老齢の審査官が走ってくるのが見えた。その姿を見つめるシーナの視界が暗くなっていく。
審査ゲートの向こう側が騒々しくなり、審査の列に並ぶラックとジールもそれに気づいた。
人垣の間から覗き見ると、イエローサの民族衣装を着たシーナがグリンピアの審査官につかまっている。
「ティーナ姫様、どうして私を無視されるのですか?」
審査官の声が二人のところまで聞こえてきた。周りの人々もティーナ姫という言葉に反応し、野次馬のように集まってくる。
「まずいな、どうやらばれたらしい」ラックが顔をしかめた。
「それにしても空気を読めない審査官だな」ジールも冷たい視線を向ける。
「行方不明のティーナ姫を見つけ出して、自分の手柄にしようと思っているのかもしれないぞ」
「だとしたら、あの審査官、無理やりでもシーナを連れ去るつもりかもな。これはまずいな」
「分かっているさ」
分かってはいたが、まだラックの前では一組の夫婦が審査を受けている最中だった。夫婦は年配の審査官とのんびり談笑している。
「何もこんなときに無駄話をしなくても」
ラックが舌打ちしたが、夫婦の雑談は終わりそうもない。それをうらめしそうに眺めているうちに、シーナは審査官に右手を捕まれ、どこかへ連れて行かれようとしていた。行方不明のティーナ王女、つまりシーナがイエローサ王国の審査官たちの目の前で捕まったら一大事だ。最悪の場合、殺害されるかもしれない。
「ええい、仕方ねえ」
ラックは剣を抜くと、審査場を強行突破した。それを見たイエローサ側の兵士たちも剣を抜き、ラックに向かって来る。剣術だけでまともに戦っては多勢に無勢だ。
「恨みはないんだ、ごめんな。フレイム・ドラゴンズ!」
ラックの剣先から三体の炎のドラゴンが生まれ、その直撃を受けた兵士たちが後ろに吹き飛ばされて尻もちをついた。威力を落とし、コントロール重視で兵士たちの胸当てを狙ったのである。それでも初めて見る不思議な技は、その場にいた一同を驚愕させるのに十分だった。
「シーナ、逃げるぞ」
ラックはシーナに駆け寄り、その腕をつかんで逃げようとした。同時に腕を振り払われた先日の記憶が甦り、ラックの手がためらいで緩むが、シーナの腕は抵抗することなくそのまま引きよせられてきた。
ラックは振り返り、その場の状況を確認した。ノクトはすぐそばにいるが、ジールの姿はまだ向こうのほうだ。四方から数十人近いイエローサの兵士たちに囲まれ、その周囲には数百人の野次馬もいた。逃げ道はない。
「威嚇して道を作るしかないな、フレイム・ドラゴン!」
ラックの放った炎のドラゴンは20プース(6メートル)先の地面を焦がし、そこで火柱を上げた。ざわめきと共に人垣が割れる。
「もう一発だ」
その先にもう一度炎のドラゴンを放ち、シーナの手をとって炎へと駆け出した。
しかし突然炎の中から一人のイエローサ兵が飛び出し、ラックに切りかかってきた。ラックは何とかそれを避けたものの、体勢を大きく崩してしまう。それでも何とか踏みとどまり、兵士に向き直った時、その姿が陽炎のように消えてなくなった。ラックはその光景に見覚えがあった。
「そこまでです。みな、下がりなさい」
やや甲高い男の声が響いた。ラックに近づいてきたのは見覚えのある男――イエローサ王国の軍師リューイ・レイレリールである。
「なぜ、あんたがここに?」
「それはこちらの台詞です。なぜこの国に来たのですか?」
リューイは普段より一オクターブ低い声を出した。
しかし考えてみれば、リューイの言い分のほうがもっともである。イエローサの軍師がこの場にいることよりも、イエローサに狙われているシーナたちがここに来て騒ぎを起こすことのほうがよほどありえない。
「この者たちは私が尋問するので、取調室に連れてきなさい」
「なんだと、そんな勝手なことは許さんぞ!」
シーナを見つけたグリンピアの審査官が色めきだったが、「ここは我が国の領土です。ですが今回は特別にあなたにも立ち会ってもらいましょう」とリューイに言われ、しぶしぶイエローサ側の兵士とともに近くの建物へと入っていった。
いつの間にか、ラックたちを取り囲むイエローサ兵の数は先ほどの倍以上にふくれあがっていた。どう考えてもシーナを連れてこの場を強行突破するのは不可能であり、それならいっそのことリューイの取り調べに応じたほうが望みはあるように思えた。
「仕方ない、ここは従おう」
ラックは剣を捨て、イエローサ兵たちに拘束された。
「シーナ、大丈夫だ。心配するな」
わざとシーナにだけ声をかけたのは、この場にいるジールとノクトを巻きこまないためだった。




