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七の王国  作者: 毎留
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第三章 王女の旅立ち(4)

 それから一週間が過ぎた。

 窓の外に見えるもみじの木は朱色の葉をまとい、秋の彩りを見せていた。部屋の中に吹き込んでくる空気はわずかな寒気を帯び、着替え中のティーナに身震いをさせる。

「姫様、大丈夫ですか?」

 女官のネイネが心配そうに尋ねると、ティーナが微笑んだ。

「ええ、大丈夫よ。少し風が冷たかっただけ」

 今日はレッディード王国の国王ダッセル・ディルマーとの婚儀のため、ティーナ王女がこの国を旅立つ日であった。

 宝玉で彩られた豪奢な正装用のティアラ、金の糸で鮮やかな刺繍ししゅうを編みこんだ純白のドレス、古代ネリシア王国の文字で祝福の言葉が刻まれた純金のブレスレッド、そして王国のイメージカラーである緑色のスカーフをまとったティーナの姿は、名だたる名匠めいしょうたちが魂をこめて作り上げた、いかなる芸術作品よりも美しかった。

「姫様、お綺麗ですわ」ネイネが寂しそうに笑う。

「ネイネが衣装を見繕ってくれたおかげよ」

「もったいないお言葉です」

 ネイネはティーナの胸の内を思い、涙がこぼれそうになった。

 六年前にグリンピア王国の宝であった聖剣を奪ったレッディード王国。その敵とも言うべき国との戦争を避けるため、相手国の国王との結婚を承諾した十八歳のティーナ王女にいかほどの覚悟があったか、想像にかたくない。

「でも、本当によろしかったのですか? あのラックとジールという二人に護衛を頼んでいれば心強いし、道中の気もまぎれたでしょうに」

「そうね、あの二人とはもっと違う話をしてみたかった。今とは別の出会い方をしていたら、友達になれたかもしれないって感じたの。私にはナノしか友達がいないし」

 ティーナ姫はそっとしゃがみ込み、足元にすり寄る黒猫のナノの背中をなでた。

「だからこれで良かったの。危険な目にあわせたくなかったから」

「危険な目だなんて、そんな……」

 さみしげに笑うネイネに、ティーナはかぶりを振った。そしてかたわらにあった一冊の古ぼけた絵本を手にとった。「天空の神殿」というタイトルで、ティーナが幼い頃にネイネが膝の上で幾度となく読んであげた本だった。

「ネイネ、ありがとう。これまで十七年間、本当にお世話になったわ」

 その言葉に、ネイネは涙がこぼれるのも忘れ、はっとして顔を上げた。

「え、十七年間?」

 十八歳のティーナ姫がなぜこんなことをいうのだろう?

「本当はね、私ぜんぶ知っているの。私はノキリの村に生まれた孤児のシーナよ。今から十七年前、国王と王妃の本当の娘であったティーナ王女が病気で亡くなった。でもまだダン王子が生まれる前で、王国の跡継ぎになるかもしれない王女の死を、国民に公表できなかった。だから王女とよく似ていた私を、王室はひそかに養子として迎え入れた」

「そんな、まさか……」

 ネイネはショックのあまり、へなへなと座り込んだ。

「でも国王陛下ご夫妻は、私を本当の娘のようにかわいがり、育ててくださったわ。だから、今度は私が恩返しをする番なの。さあ、行きましょう。晴れの舞台に涙は似合わないわ」

 ティーナ、いやシーナは努めて明るい笑顔を作りながら、ネイネを抱き起こした。

 なんて強い子なんだろう。シーナがこの王宮にやってきてから十七年間、ずっと侍女として仕えてきたのに、私はまだこの子のことを全然分かっていなかった。

 ネイネはそう心の中でつぶやいた。そしてシーナに向けて深々と一礼をすると、涙を拭きながらその顔を上げる。

「はい、姫様。私はこれまであなたにお仕えできたことを誇りに思います」

「私こそネイネにはお世話になってばかりだったわ。これ、私が出発した後で読んでね」

 シーナは笑顔のまま、ネイネに一通の封書を差しだした。ネイネはしゃがみこみ、自分の頭より高い位置でそれを受け取る。そして愛おしそうな仕草で懐にしまってから、部屋の扉に歩みより、静かに開け放った。

 部屋を出る間際に黒猫のナノが駆け寄り、姫に抱きあげられるのが見えた。



 ティーナ姫の部屋は国王一家が暮らす建物の二階にあり、そこから王宮の中央広間までは一本の長い廊下が伸びていた。向かって左手には採光のための窓があり、右手には一定の間隔で正装した女官たちが並んでいる。

 シーナはその歩き慣れた廊下をゆっくりと歩いていった。こうしてネイネと一緒にこの廊下を歩くのも最後になるのかと思うと、感傷がこみあげてくる。思わず涙がこぼれそうになり、奥歯をかみしめた。女官たちはシーナが通り過ぎると順番に深く頭を下げていく。どうしても笑顔をつくることができない彼女にとって、そのありふれた儀礼がとてもありがたかった。

 中央広間まで進むと、そこでは大臣ら文官と兵士たちが待ち受けていた。やはりシーナが通り過ぎると順番に深く頭を下げていく。

 そこで彼女はふと右手にある地下室への入り口に目をやった。この王国が誕生した頃からあったとされ、その後幾度もの増改築の際にも、手つかずのまま残されていた。固く閉ざされた扉の上には、王族とごく一部の者しか読めない古代ネリシア語の文字でこう記されている。


1999年7の月

空から恐怖の大王が来るだろう

アンゴルモアの大王を蘇らせ

マルスの前後に首尾よく支配するために


 そして扉の右隣には、やはり古代ネリシア語で注意書きが添えられていた。

「この先、グリンピア王家最後の一人となった者以外、立ち入りを禁ずる」

 今年はグリンピア王国歴で528年になる。1999年と言えば、まだ遠い未来のことだ。本日をもってグリンピア王室から籍をぬく彼女が、この先にあるものを知ることはないだろう。

 シーナは視線を前方に戻し、そこにそびえる巨大な扉を見すえた。その扉の向こうには生まれ育った祖国との別れ、そして異国の地で人質になる未来が待っていた。

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