最終章 約束の大地(1)
「相打ちか?」
ジールが呆然とつぶやいた。
「いえ、ラプラスは石像の姿で生き残ったけど、ラックは完全に消えてしまった。だからラックが負けたのよ」
シーナがその言葉を正す。
ソドとメルネに続いてラプラスまでもが休眠状態に入った今、アンゴルモア星人たちを故郷からこの星へと呼びよせる巨大な黒い霧を作り出せる者はいない。しかしいずれラプラスたちは蘇る。結局のところ剣士カシウスはその身を犠牲にしてラプラスを何百年かのあいだ封印し、問題を先送りにしたに過ぎなかった。
きっとシーナの知っている歴史でも、アンゴルモアの大王ラプラスはネリシア王国歴1999年までのあいだ休眠状態になり、ラックは命を落としたのだろう。一人残されたマイヤは故郷の星に帰ることもできず、ラプラス復活までの刻をこの惑星アララトで過ごすことになった。そしてこの星で暮らす地球人とのあいだで休戦協定を結び、グリンピア王国の女神マイヤとして迎え入れられた。その際、マイヤの過去を隠し、国民たちを抑えつけることで情報統制をおこなったのがグラビティ・クラッシュというデルタイを持っていた初代国王カーウィン、つまりソリナ王女からネシリア王国のカーウィン王子という立場を委譲されたノクトである。剣士カシウスは漆黒の破壊神を倒して平和をもたらした英雄として称えられたが、その後の消息が後世に語り継がれることはなかった。
だとすればあの時シーナが精神を操られ、ラックを傷つけてまでアルマニオンを手に入れたことに何の意味があったのだろうか?
結局、今の状態はシーナが知っている歴史と大きな違いはない。
そう思ってマイヤの横顔を見ると、その顔色は優れなかった。
「これはもしかして……ラプラス陛下が負けたの?」
「え?」
マイヤの予想外の言葉に、シーナは自分の耳を疑った。
「ねえ、あなたたち。あなたたちは全員デルタイの使い手だと言っていたわね。それは今でも使えるの?」
「使えると思いますが……」
シーナは近くにいた黒猫のナノを見た。普段ならその言葉が頭の中に流れ込んでくるはずだが、何も聞こえてはこない。
「ナノの言葉が聞こえない? ねえ、お願いだから何か言ってよ」
そう懇願したが、ナノは「ニャー」というネコ本来の鳴き声をあげるだけだった。
「私のプロテクト・ウィルも使えません」
ルサンヌが虚空に向けて両腕を伸ばしたが、舞い落ちる雪が障壁に遮られる気配はない。
「俺のグラビティ・クラッシュも使えないよ」
「俺もだ。アース・インパルスが使えなくなっている」
ノクトとジールも声を上げた。相手に自白させるデルタイを持つキャランは改めて確認しなかったが、きっと使えなくなっているに違いない。
「マイヤ様、私たちはなぜ急にデルタイを使えなくなったのですか?」
シーナが質問した。
「もともとデルタイとは私たちアンゴルモア星人に与えられた能力で、地球人には使うことができないもの。でもこの星にやって来た私たちはスーパーストリング砲の威力を見せつけられ、セルナを奪われた。だからそれ以上の犠牲が出ないように、遠大な計画を実行に移したわ。今の時代と私たちにとって都合の良い未来、具体的にはネリシア王国歴で1375年、1907年、1999年という三つの時代を結ぶ黒い霧を作り出し、それによって未来を特定の歴史へと誘導しようとした。多分そこで起きる未来の出来事については、今の私よりもあなたたちのほうが詳しいでしょう。でもきっと私たちは故郷に残されたアンゴルモア星人たちをこの星に導くことに成功したはず。それだけは間違いないわ」
シーナはその言葉に黙ってうなずいた。
「ただ、この計画を実行したことで私たちは歴史の自由度を奪ってしまった。その結果、これら三つの年代では不確定性原理におけるエネルギー変動値が大きくなり、それによってあなたたち地球人の中からもデルタイの使い手が現れた。だからあなたたちがデルタイを使えたとすれば、それに目覚めたのは三つの年代のどれかに近い時期のはず」
そう言われて、シーナたちはお互いの顔を見合わせた。たしかにデルタイの使い手たちはその三つの時代に集中して現れている。
「でも先ほどの戦いでラプラス陛下は予想以上のダメージを負ってしまった。おそらく千年近くは白い石像の姿で過ごされることになるはず。そして陛下のデルタイで作り出された三つの時代を結ぶ黒い霧までもが消えてしまった。だから歴史は元の自由度を取り戻し、あなたたち地球人はデルタイを使えなくなったのでしょう」
「それなら僕たちは、1999年7月にアンゴルモアの大王ラプラスが蘇るという未来を回避できたのか?」
キャランが興奮気味に言う。
「ええ、恐らくそうでしょうね。ラプラス陛下が蘇られるのは早くても2300年以降になるはずだから」
「そうか、やったぞ。ついに僕たちはあの未来から逃れることができたんだ」
キャランが一瞬だけ浮かれるが、暗い表情のマイヤとシーナを見てすぐに自重した。
「あ、いや、何でもない」
マイヤはそんなキャランに取り合わず、シーナに質問を投げかけた。
「ところであなたたちはこれからどうするつもりなの? ここはあなたたちの住んでいる島から二万スタディオン(3600キロ)以上離れた雪の大地なのよ」
「それは……」
「マイヤ殿、その件なら心配はいらない。私がここに持っている七個のペンダントは微弱なクォーク線を発している。だからそれを探知してもうすぐシガイレーたちが迎えに来てくれるはずだ。私は寒さと疲労で限界に近いが、あと少しなら辛抱できる」
ソリナ王女がオリハルコンのはめ込まれた七個のペンダントを取り出した。それを見てシーナがあることを思いつく。
「ソリナ王女、それを今ここで私たちに一つずつ譲ってください」
「いや、これは我が王国の大事な宝であって……」
「俺からも頼むよ。俺が知っている歴史ではそうしたはずなんだ」
ノクトからの頼みに、ソリナは白い息を大きく吐いた。
「仕方ない」
そう言って、ノクト、シーナ、ルサンヌ、ジール、キャランの順に一個ずつ手渡していく。自分の懐にも一個をしまい、最後の一個を再びシーナに差し出した。
「これはラック殿の分だ。それで良いのであろう?」
「はい」
シーナは寂しげに笑いながらそれを受け取り、先ほどの自分の分をマイヤに差し出した。
「マイヤ様、ぜひこれを預かってください」
その意外な申し出に、マイヤは戸惑いの表情を浮かべる。しかしシーナは意に介した様子もなく、言葉を続けた。
「テラノム・サーサスール。これは私たちが仲間である証です。これを五百年間、マイヤ様に預けます」
「でも五百年が過ぎる頃にはあなたはもう生きていないでしょう?」
「いいえ、きっと大丈夫です。グリンピア王国歴510年だから……ネリシア王国歴1889年、私はノキリの村で生まれてくると思います。だからそれまでのあいだ、このペンダントを預かって下さい。そしてもしそこで私を見つけたら、私の友達になってください。私の名前はシーナ・ユモイニーです」
「どうしてそんなことを?」
いぶかしむマイヤに、シーナが笑顔で答えた。
「アンゴルモア星人のマイヤ様ともう一度会って、友達になりたいからです」
本当は悲しくて涙がこぼれそうであったが、精一杯笑おうと心に決めていた。
「友達に……」
マイヤは少しだけためらってからシーナのペンダントを受け取った。そしてそれを自分の首元にある装飾品に取りつけ、シーナに見せる。
「とても素敵。よく似合っていますよ、マイヤ様。でもそれを貸し出すのは五百年間だけですからね。約束ですよ。必ず私を見つけて返してください」
シーナが涙声で念を押すと、マイヤが微笑んだ。それはシーナがグリンピア王国の豊穣祭で見た、優しい女神マイヤの笑顔そのものだった。