第十九章 星に生きる者たち(7)
「え、正義……」シーナは完全にラプラスの言葉に呑まれていた。
「正義とは自らの信じる価値観や信念、そして自分のまわりの人たちを守ろうとする決意のことだ」
ラプラスの言葉に明らかな齟齬はない。シーナにはそう思えた。
「正義とは単一の、そして均一の集団の中でこそ正しく機能する。同じような価値観、同じような能力を持った集団がお互いに協力しようと思う時にこそ最大限の効果を発揮する。しかしその集団自体の存続を脅かす外敵が現れた時、正義という価値観は急に色あせてしまう。自分の価値観、自分のまわりの人たちを守ろうとすれば、それに害をなす別の集団が邪魔になる。そしてその邪魔な集団を排除するための武力を正義の力と呼び、相手の正義を無視することになる。相手に武力を用いることに何の罪悪感も抱かなくなる。正義は勝つだと? 馬鹿なことを言うな。正義とは戦争を始める両者の心の内にあるものだ。この世の中には、基本的に正義対悪の戦いなんてものは存在しない。誰が悪のために自らの命を投げうって戦える? アンゴルモア星人にしろ、地球人にしろ、この宇宙に生まれた知的生命体である限り、そんなことはあり得ない。誰もが正義のために戦う。正義こそがこの世界における戦争の原動力なんだ。自らの正義ばかりを主張し、相手の正義が見えなくなった時に戦争は起きる。そしてその勝者だけが自らの正義を後世に伝える権利を手にする。正義が勝つのではない。勝者が正義になるのでもない。戦争を始める前から両者の心の内に正義があって、負けた側の正義は勝者によって奪い取られる。ただそれだけのことだ」
ラプラスはラックに向き直った。
「ラックとやら、お前はなかなか良さそうな剣を持っているな。ポセイドン様から授けられた知識をアトランティス王国の地球人たちが昇華させて造り出したアルマニオン。かつてメルネはそれを、量子色力学を超越した魔法の金属だと言っていた。どうやら十分に発展した科学技術は魔法のように見えるらしいな」
その冷たい笑みに、ラックの心臓が凍りついた。ネリシア王国歴1999年の世界で見たラプラスの実力、そしてアンゴルモア星人たちによる地球人の一方的な蹂躙の光景が脳裏によみがえる。
「お前は自分の故郷、そして愛する者たちを守りたいか?」
「あ、当たり前だろ」
ラックはそう答えようとするが、うまく言葉にならない。
「それで良い。それを正義と呼ぶ。そして僕には別の正義がある。僕を慕い、祖国アンゴルモアで待っている国民たちを、この光あふれる惑星に導くことだ。でもそれにはお前たち地球人の存在が邪魔になる」
ラプラスは両手を挙げて構える姿勢をとった。
「僕たちはお互いに相いれない正義を持っている。だからこそ命を懸けて戦う必要がある。僕が勝てば、邪魔な地球人を排除してアンゴルモア星人がこの星に入植する。お前が勝てば、アンゴルモア星人がこの星を諦める。本来ならそれで構わないが、お前が勝ってもこの星でアンゴルモア星人と地球人が共存することを保証し、地球人たちがその負担を受け入れる。本当にそれで良いのだな? シーナよ」
「……」
突然質問を振られたシーナが絶句した。これでは自分たちにとって一方的に不利な条件に思える。
「どうした、先ほどのそなたの言葉は嘘だったのか?」
これがラプラスの煽りだということは分かっていた。分かってはいても、とっさに切り返すことができない。
「承知しました」というシーナの言葉に他の六人が息を呑んだ。
「ふふふ、そなたの英断に感謝するぞ。それではお互いの正義のために、命を懸けた戦いを――殺し合いを始めよう」
茫漠とした雪原の中、ラプラスが己の羽を羽ばたかせて飛翔した。白い法衣をまとう少年の彼方に、極彩色のオーロラがたなびいている。
「マイヤが機転を利かせてくれたおかげで、まだどこかに一つスーパーストリング砲が残されているあの場を離れることができた。そして地球人たちの代表者の了解を得て、お前と一対一の戦いに持ちこむことができた。お互いに相容れぬ正義を持つ者同士、僕たちは最初からこうするべきだったんだ」
あくまでも戦いで白黒決着をつけようとするラプラスの言動を見て、シーナはあることに気付いた。自分たちとは立場こそ違うが、目の前にいる少年は紛れもなく誇り高きアンゴルモアの大王である。だとすればラックが勝利し、ラプラスが永いあいだ石像の姿に変えられた場合、自らの言葉を翻して一方的に地球人たちを蹂躙するとは考えにくかった。目の前にいる高邁な精神を持つ少年が、勝手に約束を違えるとは思えなかった。
しかしシーナの知る未来では、ラプラスは石像の姿から戻るや否や、アンゴルモア星人たちを呼び寄せて一方的に地球人を蹂躙している。それはこの場での戦いにラプラスが勝利したことを暗示していた。
つまりシーナが知っている歴史では、ラックはラプラスに敗れたことになる。長期間石像化させるだけのダメージをラプラスに与えたが、それ以上のダメージを負って命を落としたことになる。だからこそ後世の人たちは剣士カシウスの消息を誰も知らなかった――そう考えれば辻褄があってしまう。
しかしその一方で、彼女たちは剣士カシウスの子孫だというノクトと出会った。だとしたらシーナはラックの形見として二個のペンダントを受け取り、生まれ故郷であるノキリの村に一人で移り住んだことになる。そう思うと、無意識のうちに左手を自分の下腹部に当てていた。
もしここでラックが命を落とすことになれば、シーナはきっとノキリの村の石板に「王国暦528年、ラック・ハイモンドがこの地を訪れる。汝、漆黒の破壊神の計画を阻止せよ」と記すことになるのだろう。そこにはこの星に暮らす地球人たちの未来への希望、マイヤたちアンゴルモア星人への複雑な感情、そしてラックへの恋慕の念がこめられているに違いない。
そんなシーナの想いをも載せて、この星に暮らす地球人たちの存亡をかけた戦いが始まろうとしていた。
すでに両者は臨戦態勢に入っている。マイヤが自らの羽で羽ばたきながら、後退するのが見えた。シーナも仲間たちを促しながら、戦いの場から距離を置く。
凍てつくような雪原の中、ラックが構える聖剣の刀身が太陽のように燦然と輝いていた。ラプラスは両手で構えながら、手のひらサイズの黒い霧をいくつも生み出して攻撃に備えていた。
かつてラックは未来の世界でラプラスと対峙した際、オリハルコンの聖剣を黒い霧に呑みこまれてしまったことがある。触れたものを一瞬にして時空の彼方へと飛ばしてしまうその恐ろしい凶器――黒い霧がラックめがけて襲いかかる。
「シャイニング・ドラゴンズ!」
アルマニオンの刀身から生まれた光のドラゴンが命中し、中和されたかのように黒い霧が消滅していく
「なるほど、黒い霧を打ち消す光のドラゴンか。それなら――」
ラプラスが両手を胸の前で激しく動かして、印を結ぶような仕草をとる。するとその周囲に浮かぶ黒い霧が分裂し、その数が増えていく。それらがラックめがけて一斉に襲いかかった。
いかにアルマニオンの力を借りてその潜在能力を開花させているとはいえ、おびただしい数の黒い霧すべてに光のドラゴンを命中させることは難しい。ラックは利き手ではない左手を聖剣の刀身に添え、それを前方に突き出しながら気合いを放った。まばゆい光の障壁がその体を包み込み、そこに触れる黒い霧を次々に打ち消していく。
「今度は俺の番だ」
ラックが利き足である右足を一歩後ろに引き、右手で聖剣を構え、左手を前方に大きく伸ばした。
「シャイニング・ドラゴン!」
荒々しく猛る光のドラゴンがまわりの雪を溶かし、とてつもない熱量を帯びながらラプラスめがけて飛翔する。ラプラスは自分の前に巨大な黒い霧を作り出し、それで光のドラゴンを打ち消した。降りしきる雪の中に、光と闇が溶けていく。
「真逆のデルタイ同士、相手の攻撃を打ち消すばかりで埒が明かないな」
ラプラスは雪原に降り立ち、背中の羽を折りたたんだ。そして自分のそばに黒い霧を作り出し、そこに右手を入れて身の丈ほどもある槍を取り出した。ラプラスが作り出す黒い霧は異なる時空を結びつけるためのものである。それは過去や未来へのタイムトンネルにもなるし、遠く離れた場所に移動するためのゲートにもなる。どこか遠く離れた場所から自分の武器を取り寄せたのであろう。
「行くぞ」
ラプラスは槍を構えたまま、自らの足で間合いを詰めてきた。幼い少年の姿からは想像もつかない俊敏さだ。高速の突きがラックめがけて無数に繰り出される。ラックはそれらを冷静にかわし、受け流していくが、不意に足元から黒い霧が飛び出してきた。とっさに聖剣を振り下ろし、光のドラゴンを地面に向けて放つことで事なきを得る。そこに更なる槍の突きが入る。ラックはバランスを崩しながらもそれをかわしてラプラスの間合いに入り、左手で槍の柄をつかみながら右手の聖剣をラプラスの体に押し当てた。
「シャイニング・ドラゴン!」
十分な体勢ではないが、無理やりに至近距離からのシャイニング・ドラゴンをラプラスめがけて放つ。それと同時にラックの左肩に激痛が走った。ラプラスは後方に吹き飛ばされながらも、自分の持つ槍をラックめがけて投げていた。それが左肩を貫通したのである。
双方ともダメージを負ったが、先にラプラスが立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってきた。一方のラックは左肩に長い槍が貫通したまま、自由に動くことができない。
ここで左肩の槍を抜くために右手を聖剣から離せば、その隙をつかれることになる。かといって肩に刺さった槍をこのままにして戦いを続けることもできない。ラックは一瞬だけ躊躇してから、左手で槍の柄をつかんだ。そして手と肩のあいだにある槍の柄の部分を聖剣で叩き切る。
ラプラスはその一部始終を見ながら、更なる攻撃のために再び黒い霧を作り出していた。ラックが辛うじて立ち上がり、聖剣を構える。
相手の余力を測るかのように、お互いの視線が絡み合った。
「驚いたよ。地球人が僕と対等に渡り合うとは思っていなかった。アルマニオンによって潜在能力を解き放たれると、これほどまでの力を発揮できるのか」
「違うな。それだけじゃねえ。これが正義の力ってやつだ」
ラックは精一杯の啖呵を切るが、その額には玉のような脂汗が浮き出ていた。
「それだけ強い気持ちで守りたい者がいるということか。しかしそれは僕も同じだ。さあ、次の一撃で勝負を決めよう。お互いに小細工をするような余力はもうないはずだ」
ラプラスが両手を前にかざし、黒い霧の錬成を始めた。だがその手は細かく震えており、黒い霧はなかなか大きくなっていかない。
ラックがシャイニング・ドラゴンを放つ構えに入った。だがその足は体重を支えるのがやっとであり、なかなか上体が定まらない。
その時、ラックの瞳にシーナの姿が映った。少し離れた場所からこの戦いを見守るシーナではない。ラプラスが錬成している黒い霧の向こうに、ノキリの村とシーナの姿が見えたのである。
――ああ、そうか。あの黒い霧はどこか遠く離れた場所に俺を連れて行くだけなんだ。
ふと、そんなことを思った。
そして黒い霧の向こうに見えるラプラスの姿が歪んで見えることに気付いた。ラプラスが作る黒い霧はブラックホールに似た特性を備えており、その周辺を通る光を重力で歪めることができる。そんな難しい話をラックが理解していたわけではなかったが、それでもあの黒い霧を使えばシャイニング・ドラゴンの軌道を曲げられるのだと直感した。
「炎のドラゴンを七体同時に放ち、ラプラスを封印した」
そう書かれた碑文をどこかで見た気がする。あれは一体いつのことだったのだろう?
本来、光の属性を持つシャイニング・ドラゴンの軌道を曲げることはできない。だから複数のドラゴンの軌道を曲げて一か所に集約し、ピンポイントでの破壊力を高めるフレイム・ドラゴンズ・クロスのような技は使えないはずだった。
でもあの黒い霧を使えばシャイニング・ドラゴンの軌道を曲げられる。
朦朧とする意識の中、ラプラスが黒い霧の錬成を終え、それをラックに向けて放つのが見えた。その向こうに見えるラプラスの姿が、赤く、巨大化する。重力による光の屈曲と赤方偏移現象だった。
「そこだ!」
ラプラスの胸部が黒い霧の周りで丸い円のように映ったその瞬間、ラックは無意識にデルタイを放っていた。
アルマニオンでできた聖剣アトラスの剣先から、七色の光のドラゴンが生まれる。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。
黒い霧の周囲に放たれた虹色のドラゴンが重力によって軌道を変え、その向こう側にいるラプラスの胸部へと集中した。
「レインボウ・ドラゴンズ・クロス!」
その直撃を受けたラプラスの体が虹色に染まり、やがて光を失っていく。あとに残されたのは少年の形をした白い石像だけである。
そしてラックは黒い霧に呑みこまれ、その姿を消した。