第三章 王女の旅立ち(2)
天井の高い豪奢な部屋に、さまざまな調度品が置かれていた。重厚な木製の本棚、足の部分に龍の彫刻が施された大理石のテーブル、バッファローの革を使ったソファー、ガラス細工の見事なシャンデリア。壁に飾られた絵画には、ラックが見たことのない美しい景色が描かれている。
「やばい、緊張してきた」
にわか仕立ての上着を着せられたラックは、落ち着きのない様子で部屋の片隅に立っていた。その横にはジールの姿も見える。こちらもサイズの合わない上着を着て、居心地が悪そうだ。
「くれぐれも国王陛下には失礼のないようにな。俺が頭を下げたらお前たちも頭を下げろ。俺が膝をついたらお前たちもつけ。王宮での儀礼をすべて教えている時間はないから、俺の行動をよく見て、真似をしろ」
ガイルが念を押した。王国の兵士であることを示す若草色の制服を身にまとい、直立不動の姿勢をとっていたが、視線だけは落ち着きなくあたりをさまよっている。
ここは控えの間と呼ばれており、目の前にある重厚な扉の向こうには玉座へと続く謁見の間がある。扉の両脇には、ガイルと同じ若草色の制服を着用し、帯刀した兵士たちが立っていた。
「あのさ、ガイルさん、俺は何かしゃべったほうが良いのかな」
ラックが質問すると、「訊かれたことだけ答えろ。それ以外は一切話すな」というガイルの低い声が返ってきた。
その時、小さなくぐり戸を抜けて一人の兵士が現れ、扉の両脇に立つ兵士たちに手で合図をした。
「今から謁見が始まる。三人とも扉の前に並びなさい」
両脇の兵士たちが重厚な扉を開けると、1プレトロン(29.8メートル)はあろうかという長い絨毯がまっすぐに伸びていた。両側には一定間隔で衛兵が立っている。
その彼方には宝玉に彩られた壮麗な玉座が二つあり、タイラー・マハイラ王とノリア王妃が座っていた。その両脇には十八歳のティーナ王女と、世継ぎで十三歳のダン王子が立っている。グリンピア王国を統べるマハイラ王家の一家四人だ。こうして面と向かうと、その雰囲気に圧倒された。
だがラックにはそれ以上にティーナ姫の表情が気になっていた。先ほどの感情をあらわに泣き濡らした顔とは違い、取りつくろった笑顔でほほ笑んでいる。額には華美な装飾を排したシンプルなティアラが輝き、胸元のペンダントには炎のように燦然と輝く金属がはめ込まれていた。幾何学的模様の折り込まれたドレスをまとい、その姿には抑えられた上品さがある。
ティーナ姫は御前に進み出る三人を穏やかな目で見つめていたが、ラックと視線があうと驚いた顔で右手の人差し指を口元にもっていき、首を横に振った。それは「黙っていてほしい」という意味のゼスチャーである。きっと先ほど身分を隠して市中を歩いていて、ラックたちと出会った件だろう。
ラックはティーナ姫の目を見つめたまま、他の人には気づかれないように小さくうなずいた。
先頭を歩くガイルは絨毯を途中まで歩くと、そこで腰にさしていた剣を置いて左膝を地面につき、頭を下げた。ラックとジールは帯刀していなかったが、ガイルと同じように右膝を地面につけて頭を下げる。
「第三旅団副団長、ガイル・シモリス。ただいま参上しました」
「ガイルよ、よく来てくれたな」
そう語りかけるタイラー王の声は、威厳と寛容に満ちていた。
「私の後ろが弟のジールと、その友人のラックでございます。ご存知かもしれませんが、ラックはロイズ・ハイモンド氏の子息です」
「そうか、二人とも歓迎するぞ。顔を上げよ」
その言葉に、ラックとジールは顔を上げた。ラックの視線が無意識のうちにティーナ姫へと引きよせられる。六年前に豊穣祭で見かけた緊張した面持ちの少女。身分を隠して市中の散策を楽しみ、その邪魔をされると感情をあらわにした美しい女。人質同然の結婚を受け入れながら、すべての感情を高貴なベールに覆い隠してほほ笑む王女。それらすべてが目の前にいるティーナ姫の姿だった。
「ラックよ」
国王の呼びかけに、ラックは我に返った。
「王国の開祖カーウィン王が、グリンピア王国の建国を宣言したのが王国暦元年。その五年前、カーウィン王と共に漆黒の破壊神を倒したとされる伝説の剣士カシウスのことは知っているな?」
「はい、存じております」
「カシウスはその剣の先から炎の形をしたドラゴンを生み出すという不思議なデルタイを持っていた。歴史上、このデルタイを使ったのは後にも先にもカシウスだけとされている。お前はそのデルタイを使えるらしいな」
「その通りでございます」
この言葉づかいで間違っていないよな、という一抹の不安がよぎる。
「そして、ジール」
「は、はい」
ジールの声は緊張して上ずっていた。
「お前も地面を伝う不思議なデルタイを持っているそうだな」
タイラー王の言葉に、ラックとジールは顔を見合わせた。二人だけの秘密だったはずが、いつのまにかデームスから国王にまで伝わっていたらしい。
「はい」
少し間をおいてから、ジールが答えた。
「実はそのデルタイを見こんで、二人に頼みたいことがあるのだが」
「何でしょうか」
ラックが王に質問した。
「ここにいるティーナが近く結婚する。相手はレッディード王国のダッセル・ディルマー王だ」
ティーナ姫の顔から笑みが消えた。そこには悲壮なまでの凛とした覚悟が感じられる。
「ここからレッディードの王都パルタスまでは遠い。お前たちに護衛として付き添ってもらえたらとても心強いのだが、考えてはもらえないだろうか。もちろんラックが赤いトラのイギスから狙われていることは知っている。パルタスまでとは言わない。レッディードとの国境までで十分だ。どうか娘を思うバカな父親の願いを聞き入れてほしい」
「陛下、恐れながら私は反対です。護衛ならば、正規の訓練を受けた兵士だけで固めたほうが統率も取れましょう」
玉座の手前に控える初老の男が声を上げた。
「ニキムよ、国務大臣であるそなたの言うことはもっともだが、ここは父である私の気持ちをおもんばかってくれ」
「……は、承知しました」
二キムと呼ばれた男が慇懃な態度で頭を下げる。
「ところでラック、ジール」
「はい」二人が同時に返事をした。
「お前たちにもいろいろと都合があるだろう。今すぐ返事をしなくて良いから、前向きに考えてくれ」
タイラー王は話を終えると玉座から立ち上がり、奥の扉へと消えていった。ノリア王妃とダン王子がそれに続く。残されたティーナ姫は少し困ったような表情を浮かべてから、ラックたちと目を合わさずにその場を立ち去った。
「はあ、緊張したぜ」
王宮の出口へと向かう廊下を歩きながら、ジールがつぶやいた。
「俺もだ。思っていた以上に空気が張りつめていた」
ラックも相槌を打つ。ガイルは二人と別れ、今ごろ王宮内にある別の場所で会議に参加しているはずだ。
「ジール、あの話どうする?」
「ティーナ王女の護衛の話か。王国の兵士を目指す者として最高に名誉なことじゃないか」
「でもな、俺はあの結婚話自体が納得できない」
「お前が納得する、しないという話じゃないだろ」
「それはそうだけど、王国の宝であった聖剣を奪った国の王と結婚して、人質代わりになるわけだろ? しかもその相手とこれまで会ったこともないなんてな。それに俺、あの国は嫌いなんだ」
「だからお前が私情をはさむ問題じゃねえって。まあ、おれも本心は同じだけどな」
「はあ」
ラックがため息をついたところで、背後から声がかかった。
「ラック殿とジール殿ですね?」
振り返ると、そこには中年の女性が立っていた。この王宮に仕える女官の姿をしている。
「ティーナ王女が改めて二人に会いたいとおっしゃられています。来ていただけますね」
ラックとジールは顔を見合わせると、小さくうなずいた。