夕焼けのあの日
※ なんちゃって昭和です。
あらすじ・タグにもつけてありますが、一応ご注意ください。
「遅れたな。すまん」
「いえ。……ご好意に乗らせて貰っているだけですもの」
制服の男女が話している。昼過ぎて、そろ日も赤くなるという頃合。手持ち無沙汰、と言った具合で座っていた女生徒がすっくと立ち上がった。対する男生徒は、荷台付きの自転車を押して話していた。
学校帰り、よくある風景と言えば、よくある風景である。だが、この二人の場合は少々、関係が違う。幼馴染だったりはしないし、学校でも特に接点があるわけでもない。そんな仲である為、奇異の視線に晒される事も二人にはしばしばあった。
一種、軍服にも見えるその制服をピッチリと着込み、帽子で顔の印象がわかりずらい男児。しかし、その目はきつく前を見据え、間違えても気弱には見えない。がっちりとした体つき、一般的ではない巨躯が、それをさらに強く醸し出していた。
一方、女生徒の方はどうか。静かな雰囲気の、大和撫子といった風に見える。流れるような黒髪、やや大きな目。それに、ゆるやかな微笑みを浮かべる顔を見れば、まさに美人、と言う風貌である。
それに加えて体の起伏が良く目立ち、男生徒の幾つかの目はそこへ寄っているようだ。しかし、ジロジロと見られるような事はなかった。隣に、すわ用心棒か、と思う程の男児がいるからだろう。事実、彼も多少は睨みを利かせていた。
「それじゃ、行くか」
「……はい」
サッと押していた自転車に跨った男児と、その荷台へ、遠慮がちに女生徒が腰掛けた。ずしりと重くなったようなペダルについて、しかしそれをおくびにもだす事はない。寡黙な男児は、ペダルをこぎ始めた。ゆっくり、ゆっくりと自転車が加速をえて進んで行く。
カラカラと車輪が回転して、通学路を自転車が飛ぶように走り始める。ある程度加速を得れば、男児の力強さにペダルも負けて行く。次第に、風が二人を包み始めた。
夕焼けが、二人の影を濃くする。女生徒はぼんやりと、その影を眺めていた。ふにゃりと長くなった影が、男児と自転車、そして女生徒をはっきり写していて、女生徒はふっと、頬を赤らめた。いうのも野暮な、ちょっとした想像からだ。
そして、「どうした?」という男児の声に、
「いいえ、なんでも。お気になさらず」
と言って、頬をおさえて俯く。「そうか」といって、男児は再び前を向く。男児は、こういった物事の察しがあまり良くない。学校でもその評判は流行っているが、本人にとってはどうでも良い事であった。
学校と家はそれなりに離れているが、男児の軽快なペダル漕ぎで、あっさりとその距離は縮まって行く。女生徒はそれが、酷く頼もしく思えた。
不意に、男児の足がとまる。何かと女生徒がふっと、頭を上げた。気づけば、もう女生徒の家についていた。ぼーっとし過ぎたようだ、と頭を振った女生徒がするりとおりて男児に向かって一礼。模範的な綺麗なお辞儀であった。
一瞬眉を上げた男児は手を軽く振って
「何時もの事だ。気にするな」
と、照れ隠し。グイッと帽子を目深にかぶって、それをごまかした。
ふわりと、花が薫る。そこは、屈強な男児には到底似合わぬ花屋だった。色鮮やかな花々に包まれ、華麗な雰囲気が漂っている。この花屋が、女生徒の家であり、その家族の営む店である。とはいいつつも、彼女の両親は今、出稼ぎでいない。女生徒とその弟、妹を置いていってしまったのだ。
それきり、彼女の両親から連絡はないらしい。それはそれとして、店長代理である彼女を、何故男児が送っているかと言えば、男児もここに用があるからである。
「今日も、一束頼む」
ムスッとしている顔のまま、男児はそう呟いた。男児はここに、花を買いに来ていた。花屋に来ているのだから当たり前と言えば当たり前だが、毎日となれば、そしてこの男児が通うとなれば、明らかに違和感があった。
「はい。今日は、母上への、でしたか?」
「あぁ」
花のような笑みを浮かべて、女生徒が応じる。――男児が買う花は、見舞い用や、飾る為では、ない。男児の買う花は、墓参りの為の花だ。
男児の家族は、既に全員いない。母、父、祖母、祖父、そして兄弟。既に、家族を一緒くたに纏めた墓標以外残っていない。
母は男児を守って焼け死に、父は戦死。祖母は爆弾が直撃して骨の欠片も残らず、祖父と兄弟は塹壕の中で煮え死んだ。そのすべてを見てきた男児に、深い傷を与えながら。戦争は、彼の少なからずやさしい心をズタボロにし、ささくれ立たせるには充分だった。
薄くなってきた爪痕は、しかし男児の心の奥底で染み付いているようであった。それを察している女生徒は、微笑みこそ崩さないが、その奥で、傷だらけの彼の心を見抜いていた。
「新しく花を入荷したんです」、と女生徒が言い、それに男児が「そうなのか」と興味無さげに返す。二人からすれば、何時もの挨拶のようなものであったが、今日に限って様子が違うのに、女生徒は気づいていた。
「何かあったのですか……?」
ふとした拍子に掛けられた声に、男児はム、と唸った。目がしばらく右往左往し、そして再び女生徒の方に焦点を合わせた。その間ずっと、女生徒は男児の顔だけを見ていた。
「もう、ここには来られんかもしれん」
溜め息をつくように、男児はそういって顔を伏せた。その後、ポロポロと断片的に、そうなるまでの過程を女生徒に語っていった。
まだ、戦争――第二次世界大戦、その爪痕が色濃く残る昭和の日。父を戦場でうしない、自分の食い扶持を何とかして稼がねばならない少年たちは、日に日に街に溢れていた。男児もあくせくと働き、その金を貯蓄、生活費、そしておまいりの花代にしていた。
しかし、その波がさらに悪くなるかも、と男児がいう。要するに、働き手が多すぎて、一人一人への賃金の支払いが停滞していたり、金額が下がっていたり。とにかく、彼の男児にとって生きずらくなっていた。
なれば、働く場所を変えるは当然の成り行き。しかし、この街を除くとなれば、近辺の働く場所など反対側の街ぐらいしか残っていない。そして、そちらで働くとなれば――女生徒の花屋に寄れなくなる。
そんな語りを女生徒は、物言わず静かに聴いていた。そして、一言。
「貴方の選択を、私がどうこうする道理もございません」
そういった。聞き様によっては、突き放している様にも聞こえるかも知れない。美人ゆえに、人の断り方を知ったようにも。しかし、そうではない。そうではないのだ。
男児は、二年前から話している身だからこそ、知っていた。彼女なりの、気の使い方であると。人の意見を尊重し、尚且つ絶対に否定しない。しかと立場を弁え、その上でそれに囚われすぎない。そんな女である、と言う事を知っていた。
「そうか」
「そうです」
「……」
「……」
二人の間に、沈黙が下りた。手持ち無沙汰に手を組み、親指を擦り合わせる男児。黙々と、花を選んで花束にして行く女生徒。黄昏はそろそろ空に満ちんとしていた。
花束が完成し、ちょっとした雑談の後、男児がふっと立ち上がった。もう時間だ。何も言う事なく、しかし顔で如実に其れを伝えた男児は、サッととめてあった自転車に跨った。女生徒が、何か思い悩んだ様な顔で彼を見ていた。
グッ、とペダルを踏む彼の足に力が入った。女生徒の重みがない分、その動きは軽やかだった。だが、すぐさま停止する事になる。
「あ、あのっ!」
彼女には珍しい大声で、キィッ! とブレーキが派手な音を立てて自転車を止めた。男児は振り返らずに、「何だ?」と問いかける。
女生徒が大きな息を吸って、覚悟と共に声を発した。
「また……また、いらっしゃってくれますよね?」
振り向かない男児にも、その背を見つめる女生徒にも。お互いの顔は、はっきりわからない。黄昏が二人を包み、隔ててしまったかのような、そんな雰囲気である。だが、その雰囲気は、男児が帽子を被り直した事で壊れる。
「この、しわくちゃのみっともない顔を、少しでもマシにできたら」
目深に帽子を引き下ろしたまま、そっとそういう。男児は今、人には到底見せられぬ顔をしていたからだ。女生徒と同じような顔、といい変えてもいい。お互いがお互いに顔もわからぬのに、二人でその顔を共有していた。
「その時に、また迎えに行く」
そういって、女生徒の言葉を待つことなく。男児は、自転車を走らせて遠ざかっていった。そんな男児の"照れ隠し"をみて、女生徒は静かに微笑んだ。自らの紅くなった頬も隠すように。
夕焼けが、二人を包む。黄昏が二人を繋いでいた。




