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超法規SP  作者: 小田雄二
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本当にあった戦後革命運動

7章


 西郷は蒲団の中で右脇腹を上にして、背中を丸めて眠っていた。この姿勢を見つけたおかげで、右の脇腹はさほど痛むことはなく非常に助かった。何か夢を見たのかもしれない。彼は急にまっさかさまに落ちる感覚に襲われた。とにかくどんどん落ちていく感覚のまま、どすんと地面にぶつかったところで目覚めた。そこは蒲団の中だった。彼はとっさに受け身をとろうとして身体を動かすと、ビクッと反応して右脇腹に激痛が走り悶絶した。それで篠田警部宅で眠っていたのだと自覚した。じっとしてやるせない痛みをやり過ごすと、なにかすごく楽しい夢を見た気がしたのだが、現実を思い出したかわりに夢の中身をすっかり忘れたが、何か大きく心が満たされたような満足感でいっぱいだった。西郷はまだ目を開けなかった。開けてしまうと、この満ち足りた気分も消えてしまいそうだからだ。

 そこへ、遠くの方から女の声が聞こえてきた。その声は二人か三人で、楽しそうに何か話をしていたかと思うと、急に何か怒ったような口調に変わり、喧嘩になるのかなと思うと、又笑い出すというものだった。西郷はこれもまだ夢の続きなのではないかと訝ったが、枕下にしのばせたS&Wに右手を伸ばしてその固い感触を確かめると、急に現実というものを掴んだ気がして、目を開けて起き上がった。外を見ると、もう夜になっていた。腕時計をつけて時刻を確認すると、午後八時十三分。十分に眠った後なので立ち上がると身体が少々ふらついたが、かまわず客間を出て声のする方に歩いていった。明りがついている扉を開けると、そこは六畳ほどの洋間で篠田警部の父親の隆之が老眼鏡をかけて新聞を読んでいた。西郷の顔を見ると、まるで古い戦友に対面したかのような笑顔を見せた。

「こんばんは 」

「おお、漸く眼が覚めたか、どうですか具合は? 」

「ええ、ぐっすり寝ました。こんなに深く眠ったのは久しぶりです。おかげで大分よくなりましたよ 」と軽く背伸びをして見せたが、脇腹が痛んで苦く笑った。

「それは良かった。母さん。西郷君が起きてきたから、食事の準備を 」と声をかけると、母親の千鶴子がやってきた。笑顔を浮かべて同じように身体の具合を心配してくれ、真新しい大きいサイズの下着と、ゆったりとした部屋着の上下を渡してくれた。西郷が寝ている間に買って来てくれたのだそうだ。

「城之内さんという方から電話があってね、目が覚めたら、いつでもかまわないから連絡して欲しいと託ったよ 」

 隆之は律儀に起き抜けの西郷に伝えると、西郷は礼を言ってトイレで長い小用を足した。尿の色は濃い茶色で思わず顔を顰める。それから寝室に戻り、新しい下着を着けた。驚いたことにそれはサイズがぴったりで、カルバンクラインのシルク製のビキニだった。それに部屋着の上下と靴下は、紺色のユニクロ製で、大きな身体をゆったりと包んでくれた。次に敷布団に胡座をかいて携帯電話で城之内にかけた。やらかしてしまった後の城之内の第一声は、一体なんと言うのだろうと気になったが、実際は、具合はどうだ?で意外に普通であった。西郷は右脇腹を除けば、さほどのことはないと答えた。城之内は、それは良かったと引き取り、西郷が現場を離れてからの状況をかいつまんで説明を始めた。西郷は神経を集中して聞き入った。その中で、お前(西郷)は内偵任務終了で数日後には帰ることになった。という言葉に、漸く帰れると笑みを浮かべた。それまでの情報は、西郷の想定の域を出ていなかったので、ほとんど心が動くことはなかったのだが、内偵任務終了の言葉は率直に嬉しかった。帰任までどうする?と城之内に訊かれて、明日は病院で脇腹を診てもらい、明後日で体調を整え明々後日に帰ると伝えて了承された。そして城之内は、御前が篠田家を出るまで公安から私服の者が警護についているはずだから、くれぐれも逆襲しないようにと説明を受けたので、西郷は承知して笑った。

「ありがたいですね。私が外出したら尾行つくのでしょうか 」

「当然だ。尾行じゃない、警護だよ。まるでVIPの様にね 」

「それじゃあ病院で優先の手続きをとってもらえないかな 」

「おいおい、そりゃムチャってもんだ 」

「ジョークですよ。ところで私の後任はあるのですか?それとも手を引くのですか? 」

「いや、撤収は無い。後任は決定している 」

「誰ですか? 」

「等々力班の千葉秀樹だ 」

 西郷はそれを聞いて言葉を失った。なぜ千葉を東京にやるのかわからなかった。はっきり言えることは、千葉というエージェントは、東京には劇薬だということだ。西郷がそれは決定事項かと確認すると、城之内は幾分不服そうに、そうだと答えた。

「城之内さん、悪いことは言いません。是非再考を願い出て下さい。彼が優れたエージェントであることは認めます。しかし東京では警察も住人も皆温和で平和に暮らしているのです。そんなところに千葉を投入すれば、大変なことになるでしょう。知事は怒髪天を壊滅させるつもりなのですか 」

「私も知事に同じ様なことを言った気がするな。それで知事は何と言ったと思う?怒髪天などとっとと炙り出して終らせろ。ときた。正直私も東京都民と怒髪天には同情するよ 」

 その言葉は冗談とも本音ともつかなかった。西郷は少し間をおいて、東京で千葉と引継ぎが終るまでは帰らないと城之内に告げた。千葉が東京で活動すれば、いったいどんなことになってしまうのかを真剣に憂慮しての進言だ。

「それはありがたいことだが、家族は大丈夫なのか 」

「勿論キツイですが、知事がどうしても千葉を派遣するなら、必要な措置だと思います。等々力さんにもできるだけ早く千葉を派遣するようにと伝えて下さい 」

 家族思いの君がそこまで決意しているのならと城之内は感動を抑えながら、間違いなく等々力に伝える。と言って電話を切った。

 西郷は千葉という名に覚えた胸騒ぎを鎮めて次は自宅に電話すると、聞き慣れた妻の声が聞こえた。もしもし俺、と言うと、妻はもう具合はいいの?と訊いてきてくれた。久し振りに妻の柔らかい声を聞くと、思わず両目から涙がこぼれた。気持ちはまるであたたかい羽毛に包まっているような気分になる。妻は城之内から概要を聞いていて、八王子事件のことは知っており、それでも特に心配しているような気配はなかった。彼女は自分の夫は不死身だと思っているらしい。

 西郷はその信頼を裏切ることのないよう日々心がけている。それはこれからもだ。お互いの近況を伝え合っている時も、涙を流しているのを気づかれないようにしていたのだが、時々鼻をスンスン言わせているのを、妻は聞こえないふりをして元気づけてくれた。妻として夫を支え、気丈に家と子供を守り、夫の帰りをじっと待つことになんの疑問も持たない妻が、たまらなく愛おしかった。西郷はあまり自宅に電話もメールもしないタイプだ。すれば帰りたくなるからだ。そんな西郷が、事情があって暫く帰れない、と言わなければならないのは辛かった。それをなかなか言い出せない西郷を、妻の方が察して話を出し、もう暫く帰れないことをやっと伝えることができた。西郷が電話を切ったのが午後九時を少しまわったところで、身に付けていたものとキャディバッグの中身を点検して異常がないことを確認すると、灯りを消して再び洋間の方へ向かった。

 扉を開けると、見知らぬ女がソファに座ってテレビを見ていた。瞬間二人は目が合った。年は二十代後半か三十代前半で、寛げる部屋着を着ているところをみると、篠田警部の妹ではないかと推察した。

こんばんは、西郷と言います。と頭を下げると、女はまるで遠くから訪れてきた親戚を初めて見るような興味と親しさが混じった顔をして、こんばんはと挨拶を返し、「御母さん、お姉ちゃん、西郷さん来たわよ 」と大きな声で言ったので、やはり警部の妹だったのかと納得した。

 ほどなく篠田警部と母親が台所から入ってくると、篠田警部はまるで別人のように生き生きとした笑顔で、「こんばんは、おはようかな。ぐっすり眠れた?傷の具合はどう? 」と矢継ぎ早に訊いてきた。彼女は紺色でソフトな生地の膝上のスカートに上は大きめの淡いピンク色のシャツを着ていた。二人はしっかりと目を合わせ、互いの状態を確認しあった。彼が見たところ、彼女はいつもの状態を取り戻してくれたようだ。西郷は嬉しくなって自然な笑顔で、「ええ、ぐっすり眠れました。脇腹が少し痛みますがね」と答えた。彼女は、「まあ 」と安堵と心配が混ざった表情を浮かべながら、西郷の身体を上から下にじっと眺めて、「その部屋着と下着はあたしの見立てよ 」と言った。西郷は皮肉のない表情で、「サイズはピッタリで快適です。ありがとう 」と礼を言った。

 ここで篠田警部こと篠田小百合は、西郷に最も近しい一家の代表として家族を紹介した。父の隆之、母の千鶴子、妹の麗子。それから小百合と麗子の間に弟が一人いて、結婚して家を出ているということだった。職業は皆警察官といういわゆる警察一家で、背筋に一本筋が通っていながらの朗らかな笑顔で西郷を迎えてくれた。年齢については一切触れないのが彼女らしい。主の隆之は嬉しそうな顔で西郷に「大分腹が減っただろう。今日はすき焼きだから、大いにやってくれ 」と笑うと更に場の空気が和み、西郷は洋間の隣のダイニングキッチンに案内されて席についた。

 そこは西郷にはいささか小さく、家の者には十分な大きさのテーブルとイスがあり、中央にはすき焼きの用意ができていた。主の隆之がリビング側に座り、その向かいが西郷、西郷の右隣は小百合がいて左の角に麗子が座った。

「さあさあ、まずはおビールで乾杯ね 」と、小百合はこれまで彼が見たことがない上等な笑顔で彼の瞳をちらりと見てコップにビールを注いだ。全員にビールがわたり、隆之が「それでは、小百合の無事を祝って、乾杯! 」と発すると、全員が乾杯と言ってコップを合わせてそのおめでたいビールを飲んだ。西郷は、この家族は、主を中心にして実にまとまりがいいなと思いながら、機嫌良くビールを飲み干した。思えば事件以降何も口にしておらず、半日近く眠っていたのだ。生ビールの炭酸とキレのある苦味と程よいアルコールが、胃と頭を完全に起こしてくれたようだ。

 乾杯の後、麗子が「いえーい 」と発して軽く手を叩きながら場を少々盛り上げると、主が西郷にビールを注いで、再び感謝の思いを述べて彼の活躍を称えて持ち上げた。当の小百合も感謝の礼を述べたが、あまり深いところに踏み込んでほしくなさそうだった。西郷は「いただきます 」と言ってから喉を鳴らして再び一気に飲み干した。篠田家の人々は、こんなに美味そうにビールを飲む人をはじめて見たようにその様子に見とれた。実はコップの大きさが西郷には小さいので、すぐにビールが消えてなくなるのだ。

 当の西郷はそんなことは気にも留めずに、すき焼きが煮え始めるのを見てから周囲を見回し、「私は本当にお腹が空いていたんですね。ビール飲んで漸く気が付きました。いやー立派な肉と新鮮な野菜の色彩や、肉とネギと割り下が絡まった香りが食欲をそそります 」と屈託のない笑顔を振りまいた。

 母親の千鶴子が、「そんなに喜んでくれたら、こっちまで嬉しくなりますわ。遠慮なく召し上がってくださいね 」と言って台所に向かった。西郷は流れるような動作で隆之のコップにビールを注いだ。主はそれを嬉しそうにグイグイと飲み干すと、「今夜は楽しい酒になりそうだ。盛大にいこうじゃないか 」と焼酎の瓶を取り出して笑った。

「ねえねえ、やっぱり似てるわぁ、ねぇ 」と小百合の妹の麗子が西郷の顔を見つめてから小百合に言うと、「でしょう 」と笑った。西郷が何かに似ているらしいので、「誰かに似ているのですか 」と尋ねると、麗子が「虎よ 」と答えた。思わず「人間じゃないんだ 」と言うと、小百合は笑いながら、「あたしはね、昔から人を動物に例えるのが得意なの、それで西郷さんを動物に例えると虎みたいだって麗子に言ってあったのよ 」

「そう、お姉ちゃんね、西郷さんのことをあたしにたくさん話すのよ。それで実際どんな人なのかすごく興味があったのよね 」と悪戯っ子のように瞳を輝かせて西郷を見た。

「虎ですか。言われたことないですね。実は鑑識の金本さんには、優男だなんて言われましてね。これもはじめてでしたね。まぁ、ナマケモノとかじゃなくてよかったですよ。本当は怠け者なんですけどね 」と西郷が取り留めもなく、ぼそぼそと言うところが可笑しいらしく、二人姉妹は高い声で笑った。そこに隆之が、「そう言われれば、確かに虎に似ているな。ナマケモノの類じゃないね 」と西郷の軽口を生真面目に同意した。

「そうでしょうか 」

「うむ。娘から話を聞いておって実際にお会いしたのが今朝だが、第一印象で強い力を感じたね。俺もこれまでありとあらゆる人間の顔を見てきたが、君の目は、武道か何かで道を見つけてきた者の目だな。だから落ち着いていて迷いがない、それでいて、いざ動けば迅速で、さっと目的を達成する感じがする 」

「お父さんもわかるの? 」

「そりゃわかるさ。要するに只者ではないということだ。だから虎に似ていると聞いても全然違和感はないね 」

「そのおかげで、夜回りの際に警官に職質されましたよ 」西郷は冗談めかして言った。

「たしかに、警官が夜に君を見たら、声をかけたくなるだろうね 」と二人は笑った。

 小百合は西郷と父親が和やかに会話しているのを嬉しそうに聞きながら、そろそろ煮えてきた牛肉や豆腐、ねぎ、白滝などをバランスよくよそって西郷に差し出した。彼は礼を言ってキチンと両手を合わせ「いただきます 」と言って箸をとった。篠田家の人々は、Y県からやってきた男の清々しい所作に心を洗われていた。

「キチンといただきますっていう人久々に見たわ。なんだか気持ちのいいものね 」麗子がまるで今気が付いたようにつぶやいた。小百合もそれに同意した。

「東京ではなんというのですか 」と問うと、一家が少しばつの悪い笑いになる。

「お前達も小さい頃は、大きな声で言ってたものだぞ 」主は昔を思い出すように目を細めてしみじみと言った。

「えー、逆にいつから言わなくなったんだろう。あたしもやろうっと 」小百合は子供のように主に向かって両手を合わせて「いただきます 」と言うと、妹の麗子もそれに続いた。主は満足そうにビールを飲んだ。母も「あら珍しい 」と笑った。

「見たかい西郷君。これが我が家の現状だよ 」と苦笑いを浮かべた。

「ビバ東京。今日の警部はなかなか気が利いてますよ 」と西郷は笑った。

「ちょっと、ここはあたしのうちなのよ。警部はやめて 」

「はいはい。ところで麗子さんは、やはりあの女優の大原麗子からつけたんですか? 」

「そうだよ。俺は吉永小百合と大原麗子が好きなのだ 」主は赤ら顔で言った。

「わかりました。ビバさゆりさん、ビバれいこさんに乾杯だ!それでは息子さんは高倉健の健ですね 」

「はっはっ残念だな。男はやっぱり裕次郎(石原)だろう 」

「なるほど。ビバ裕次郎! 」西郷は明るく右手のコップを軽く上げてビールを飲み干すと篠田家は再び虎に似た大男がつくりだす軽妙な雰囲気に包まれた。そしていよいよすき焼き退治に取り掛かる。

 甘辛い醤油ベースの割り下があたたまり、牛肉やネギが煮えて醸し出す匂いは、彼の食欲を躍り上がらせた。さっそく肉を溶き卵にサッと絡めて大きな口を開けて頬張る。その途端、黄身のほのかな甘味の奥に潜んでいた肉の脂と甘味が炸裂し、軽く噛むだけで旨みが広がり、飲み込むと割り下の絶妙な味加減と風味がスッと鼻に突き抜けていった。

「うまい!私はこんなに美味しいすき焼きを食べたことがありません。ありがとうございます 」と西郷は深く味わいながら、感謝の気持ちを表した。

「わかるかい?嬉しいねぇ。そいつは米沢牛のロースだよ。さあ、もっとじゃんじゃん食ってくれ。鹿児島出身と聞いてたから、あえて北の牛を選んだのだ 」隆之はそう言うと自分も肉を頬張って満足そうに顔をほころばせる。

「本当ですか。やっぱり東京はなんでも揃うんですね。さすがは日本の首都だ。うん 」

 それを聞いて二人姉妹が「なんだか調子がいい人ね 」とけらけら笑う。そして各々米沢牛を頬張り、「うまあい!あたし達だってこんな美味しいお肉食べたことない 」と目を丸くして抗議すると、温かい空気が部屋を包んだ。

 西郷には不思議であったが、誰も八王子事件について口にする者はいなかった。あまりに生々しいからだろうか、それとも小百合が無事に戻れば何も言うことはないのだろうか、みんな事件などなかったかのように食べて飲んで、会話を楽しんでいる。やがて彼の食欲が落ち着いてきたので、主と西郷はビールから焼酎に切り替え、少し落ち着いた話を始めた。それとなく西郷の素性を尋ね、西郷はそれに素直に、「生まれも育ちも鹿児島で、地元のR高校を出た後は、国立HB大学法学部に進んだので、東京は初めてではない 」と答えた。小百合は、それであまり訛りがなく、東京に土地勘があったのねと納得した。

 大学を卒業後は、地元に戻って鹿児島県警の警察官となり、その後にSPにスカウトされたのだ。主は西郷が、警察官の経験があり鹿児島県出身と知ると、満足と親しみが混じり、焼酎をちびちび飲み、すき焼きの残りをつつきながら、昔の話を始めた。警察の祖と言われる薩摩藩出身の川路利吉の名前を出すと、二人は意気投合した。二人姉妹にとってこの話は、何度も聞いたことがあるらしく、「又始まったよ」ぐらいの反応だったが、西郷には純粋に新鮮なもので、耳を大きくして聞き入る価値のあるものだった。小百合は一瞬でその気配を察知すると、ちゃちゃを入れるのをやめて西郷の隣で慎ましく拝聴の姿勢をつくった。麗子は専ら西郷と姉・小百合の表情を観察する方に興味があるようであった。

 主はこの光景に少し驚いた様子だったが、西郷と娘たちの為に嬉しそうに話を続けた。話題は日本の戦後犯罪史と警察官・篠田隆之の武勇伝という形となり、昭和三十八年の吉展ちゃん誘拐殺人事件や、昭和四十三年の三億円事件が話題に上った。それぞれが体験と記憶に基づいた構成で物語が展開し、慣れた口調で講釈師が演目を語るように、姿の見えない犯人を地道な捜査で追い詰めていく迫真のドキュメンタリーのようで、西郷は胸を躍らせて聞き入った。

 聞き込み捜査では本当に靴底が減ったとか、金がなくて暑い時は、水に砂糖と塩を少量溶かして飲んだ。張り込みの時は交代で近所の家に頼んで用を足した。たまの休みは酒と麻雀・競馬に明け暮れ、家族には随分迷惑をかけたと頭を下げ、母と姉妹はなにを今さらという表情で許した。

 西郷もそれらの事件は、本や記録映像で大筋は知っていたが、そこには記されていない生のエピソードが網羅されていて、「誠に貴重なお話で、是非明日の自分に生かしたい 」と頭を下げ、いつの間にか焼酎から変わった熱燗の徳利をつまんで、主に酌をしてから、小百合が酌をした杯を煽った。すき焼きはいつの間にかしめのうどんになり、その後はじゃがいもを入れて肉じゃがに変わっていた。西郷の食欲は衰えることなく、味のしみこんだうどんにサッと一味をふって豪快にずずっとやり、よく噛んで味わい、その歯ごたえとのど越しを楽しんだ。その顔を見つめていた小百合が、「西郷さんてよく飲むし、食べるのね。気持ちが良いくらいよ。いつもはね、この肉じゃがは明日のおかずになるの 」と又酒を注いだ。

 主はしみじみとした顔で「君に会えて、今日は本当に良い酒だ 」と盃をあおった。酒が喉を潤し、ごくりと音を立てて喉仏が上下した。一九七〇年生まれの西郷は、自分が生まれる前の日本は、二〇〇〇年の今とは全然違うと再認識し、興味が湧いてもっと話を聞かせて下さいとせがんだ。


8章


 主はそれこそ小躍りしそうな勢いで、それではこれはどうだとばかりに、昭和四十七年二月のあさま山荘事件を語り始めた。それは、武装した連合赤軍のメンバー五人が人質をとり、十日間発砲しながらあさま山荘に立てこもった事件である。死亡者三名、負傷者二十七名を出したその経緯、酷寒の中放水や鉄球をぶつけて攻撃した様子、その模様が実況中継で全国にテレビ放送され、世間の最大の関心事だったこと。更に犯人グループを逮捕し、人質一名を救出して事件が収束した後の取り調べにおいて、仲間十二人をリンチして殺害し、土中に埋めていたことがわかり、世間をもう一度驚かせたことなどを、身振り手振りを交えて話してくれた。それが非常にわかりやすかったおかげで、およそ三十年の時を超えて西郷も又、驚いた。今では現役のSPエージェントである西郷にとって、それなりの経験と実績を積んだ身としては、奇異に聞こえることばかりであった。

 連合赤軍てなに?なぜあさま山荘に立てこもる?機動隊が取り囲んで、催涙ガスや放水攻撃は理解できるが、なぜ鉄球?なぜ生中継公開?なぜ仲間をリンチで殺害?西郷はこれまで、この事件の名前を聞いたことがあるくらいで詳しいことは知らなかったので、頭に浮かんだ数多くのハテナを次々主に尋ねないわけにはいかなかった。

 主にとってこれは予想外のことだったようで、酒で喉を湿らせ、記憶を辿りながら事件の背景や顛末をまるで情景を眺めるようにして考えをまとめた。今まで話してきた相手は昭和三、四十年代の時代を知っている者ばかりで、疑問を差し挟む者はいなかったのだが、今夜の相手はまだ三十歳、何も知らないのも無理はない。主は時の流れと世代の隔たりを静かに実感し、今彼に話しておかないと、一生後悔するかもしれないと思い、これは自分の見解だとして語り始めた。

 連合赤軍は、革命で日本の社会を共産化しようと活動した若者達のグループで、彼らはもともと赤軍派と京浜安保共闘という別々の組織であったが、赤軍派が活動資金を得るために銀行強盗を繰り返して金を得て、京浜安保共闘は銃砲店を襲撃して武器を手にして逃げ回っている内に合体した。それから北群馬・榛名山などにベースをつくって潜伏していたが、追われて逃げるうちに見つけたあさま山荘に押し入り、そこにたまたま管理人の妻がいたから人質にして籠城したという、まったく計画性も確たる目的もない事件だった。

 彼らは何も要求することなく、散弾銃やライフルを撃ちまくって、死傷者が多数出たものだから、応戦せざるをえない。しかし射殺でもしたら、神格化され、後に続く者がでるかもしれないから厳に禁じられた。だから弱らせてやれと電気を止め、騒音や放水・催涙ガスで責めた。それでも投降しないから、母親を呼んで説得させた。彼らはその悲痛な声を聞いて、たまらなくなってやめさせようと発砲してきた。この膠着状態を打開すべく、モンケンという鉄球をクレーンで吊って、それをぶつけて階段を破壊して夜に突入し、全員逮捕した。この鉄球作戦は確か佐々木淳行警視正の立案だったと記憶している。

 彼らが仲間をリンチして十二人を殺害し埋めた件は、後に山岳ベース事件と呼ばれるようになった。殺されたのは男が八人、女が四人、内一人は妊娠八か月だった。はじめは男十九人、女十人の計二十九人だったが、人里離れた山中で不自由な潜伏生活をおくる内に疑心暗鬼になり、総括という名のリンチで一人、又一人と殺害して十七人になった。

 主はここまで話したところで、一息ついて、西郷に酒を注いだ。

「今の君からすれば、わけのわからない事件だろう。だけどな、どんな事件だって三十年もたてばそうなるさ。しかしあの事件は、当時としては本当に熱い事件だった 」

「……そうでしょうね。革命を起こして日本を共産化するなんて、今では当時の熱も匂いも消えて、ただ荒唐無稽の感です。私が大学生のころは、革命など全く思いつきもしませんでした。わずか二十九人で銃をとって革命だなんて……到底無理でしょう。ただ、彼らは本気だったんだろうなと思います。十二人の殺害はその証拠でしょう。客観的にみれば、革命も仲間の殺害も山荘立て籠もりも無茶苦茶です。

 しかし、今起きている事件だって解決して三十年もたてば、きっと同じような感じになるのでしょうね。私も三十年後は、若い者にこうして話をしているのかもしれません 」

「粋なことを言ってくれるねえ。そう考えると、感慨深いものだな。俺も若い頃は先輩から随分昔話をされたものだ。もっとも戦争の話が多かったけどな…… 」主は西郷の顔を、まるで盆栽を品定めするようにまじまじと見た。自分を真っ直ぐに見ている虎のような目をした精悍な男を忘れたくないと思ったし、いつまでも自分を憶えていてほしいと思ったのだ。

「君には、なんだか人にもっと話をしたいと思わせる不思議なものがあるね。こんな気持ちになったのは初めてだよ。普通の奴ならとっくに飽きているころなのにさ 」

「そんな、お父さんのお話が上手で、実に興味深いからですよ 」西郷が何気なく発した「お父さん」という言葉に、小百合が敏感に反応して今度は小百合が彼の顔を見つめた。麗子などは、「あら、それじゃあたしこれから御義兄さんと呼ばなくちゃ 」と言った。

「いえいえ、あれはとっさに出たもので何とお呼びするべきかわからず……特に深い意味はありません 」と弁解したが、主も小百合も麗子もまんざらではなさそうだった。

「わかっているよ、そんなことは。今宵は実に愉快な気分だ。すまないが、年寄りの思い出話にもう少しつきあってくれないか? 」

「はい、もちろん喜んで 」西郷は無邪気に笑って杯をあおった。主はさすがに少し疲れがでたように一息つき、声を抑えて話を始めた。それはまるで、とっておきの愛おしいアルバムを、そっと見せてくれるような感じがした。


「あさま山荘事件が発生した背景には、戦後日本の世相と一九六〇年と七〇年の日米安保闘争、そして学生運動が密接に絡んでいる。昭和二十年、日本は戦争に負けて東京はアメリカさんに一面焼け野原にされた。たくさんの人が死んだ。生き残った人の暮らしも経済もズタズタになって、みんな途方にくれたんだよ。これからどうしよう、どうやって生きていこうってね。勿論俺は当時八歳だったから、そんなことは考えなかった。とにかく母と兄とでガラクタ集めて小屋つくって、空きっ腹かかえて食い物にありつくのに必死だった。その時の闇市は嬉しかったもんだ。なにかを煮るいい匂いがしてよ。みんなと同じように俺も食いたいが、食えない。金がなかったからね、だから食えない。簡単な理屈は残酷だ。では盗むか?そんな度胸はなかったし、みんな大人で体が大きくて、大勢で同じように飢えて目をぎらぎらさせながらごった煮を貪り食っているのだ。うまくいくとは到底思えない。ではどうする。俺は毎日食い物を捜し歩いて、生ゴミのかけらを口にして、いい匂いに誘われて、ついそこにやってきてしまう。だけど金はない。うっとうしいからあっちへいけ!と追い払われても、漂ういい匂いのせいで足が勝手に向かうのだ。

 そして黙って大人が貪り食うさまを見つめる。又余計に腹が減る。俺はたまらず、お腹が空いて仕方ないから、何か食わしておくれよと泣いたのさ。そしたら一人のおじさんが、ほれと食い終わった鉄兜鍋を放ってくれたんだ。箸で掴んで食えるもんなんてありゃしない、俺は行儀なんて二の次で、まだ子供で小さかったから鍋に顔を突っこんで、ペロペロとつるっつるになるまで舐めまくったね。あれは糊みたいにどろどろとしていて、塩気や旨みが温さとまじり合ってうまかった。大人たちはその様が面白いと言って次々と鍋を放ってくれてさ、それを五~六個も平らげると、空腹はどこかに行ってくれたんだ。それで、せめてもの御礼のつもりで鍋をせっせと洗ってやったんだ。そしたらね、翌日には噛んで味わえるエビのかけらや飯粒が少し残ってたんだ。つまりもらえる食い物が少しずつましになってきたんだな。そして水洗いした後、髭面のおやっさんが、明日も又来なって言ってくれたんだよ。あんときゃ嬉しくて涙がでたよ。

 それからMPミリタリーポリスのアメリカ人だ。奴らはジープでやってくると、子供の俺たちにチョコレートやガムをばらまいてくれたんだ。だから俺は、アメリカ軍やMPを少しも憎いとは思わなかったよ。大人たちは眉をひそめたがね。そんなこと知るもんかってんだ。だって恩は恩だろう。西郷君、自分が子供で、そんな環境に放り込まれたらどうする?俺はそうやって生き延びたのさ。

 俺の子供のころの話はこれくらいにしておくとして、日本は戦争に負けたのだ。だから勝った方は、日本をどうしようと自由だ。天皇陛下を処刑することだってできたし、連合国のアメリカ、ソ連、中国、イギリスで日本を分割統治する案だって実際あったのだ。だけど、ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官は、大日本帝国陸海軍を解体し、国体護持を認め、分割統治を退けてくれたのだ。これについては色々言うやつもいるが、御の字だと思うよ。戦後処理に働いた日本人は偉いと今でも思うね。もしもあの時陛下が処刑でもされていたらと思うとゾッとする。それは日本にいたアメリカ人も同じ思いがしたはずだ。もしもあの時、陛下を処刑などしたら、マッカーサーだろうがなんだろうが、皆殺しになっていただろうね。その後のことなんか関係ない。たとえどんなにひどい報復を受けて国が滅んだとしても、あの当時の日本人ならやっただろうね。アメリカさんは日本人のそういうところを理解していて、それがああいった措置に何かしら影響したのではないかと思うよ。そうじゃなきゃ沖縄戦の時に、まるで湾を取り囲むほどの物凄い数の艦船を投入したりするもんか。死してなお、アメリカさんに恐怖を与え、北海道ではソ連の侵入を防いでくれたんだ。日本の軍人さんはよく戦ってくれたと、俺は思うな。

 それからの日本はガラリと変わった。母は小さいながらも清潔な食堂をはじめて、毎日小銭を稼ぐようになった。俺は相変わらずその残飯を食わされたけど、街をうろつくこともなくなって、毎日学校へ行くようになった。先生と教科書が変わったのにすぐに気がついたよ。俺からすれば良くなったな。大人たちは仕事が舞い込んできたようで、ホイきたとばかりに働いたもんさ。後でわかったことだが、アメリカさんが朝鮮戦争をやってくれたおかげで、とんでもない量の仕事が舞い込んできたそうで、そりゃもう戦争特需ってやつで被害・リスクゼロで、働いたらその分儲かるんだから、昼も夜も休みも働いて金をつかんで大人も子供も大喜びさ。相変わらず貧乏だったが、それはみんな同じさ。俺もとりあえず飯の心配がなくなって、勉強して職を得て働いて金を稼ごう、そしたら自由で楽しく暮らせるという希望みたいなものが胸の底から湧いてきたのを憶えている。

 学校給食が始まって、脱脂粉乳やコッペパンがまずいとか言ってるやつがいたが、俺に言わせりゃ贅沢ってもんだぜ。俺なんてごった煮の残り汁舐めてきたんだぜ。ごった煮ってのは、MPさんの食べ残しを鍋にごちゃまぜにして煮たものだったそうだ。つまり俺はMPさんの残り物のそのまたかすで食いつないだんだ。それを給食がまずいだのなんだのって、それが敗戦国民のガキの言うことかってんだ。しかし一方では、ベビーブームとやらで子供がやたらと増えてきて、御近所さんがあちこちで子らの面倒なんか見てやってさ、毎日色々あって楽しかったな。

 つまりさ、俺が言いたいのは、日本が降参するまでぶっ壊したのがアメリカさんなら、日本が立ち上がるのに手を貸してくれたのもアメリカさんだったってことだよ。それについちゃ、やっぱり色々言うやつがいるけどさ、まったく素直に恩に感じないもんかね。

 戦時中は、だんだん余裕がなくなって追い詰められ、母ちゃんの顔も厳しくなって嫌だったし、負けてよかったって生き残った大人がいっぱい言ってたよ。俺は、負けて良かったって何だよ、強烈に憧れてた大日本帝国陸海軍をアメリカさんにぶっ潰されて良かったのかよ、と複雑な気分だった。

 もしあの時、ソ連さんや中国さんに日本が分割占領されてたら、今頃どうなってたか。そりゃ左翼は喜んだかもしらんが、そいつらだってすぐに粛清されたさ。そんで俺たちゃ奴隷の身分で平等だよ。そしたらお前達だってきっといないんだから。それになんのかんのって共産主義の親玉のソ連さんは一九九一年に崩壊したじゃないか。まぁそうやって、色々言える世の中が良いもんだよって話さ。

 さて、そうやって日本が自立して経済成長を始めると、大人は働いて衣食住が足りてくる。懐に余裕が出てきて、子供を増やして教育を受けさせてやれる。あの頃の大人って人情にあつく、子供が好きでよく可愛がってくれたな。勿論全ての大人がそうだったというつもりはないが、少なくとも俺のまわりの大人たちはそうだった。全然知らない子でも面倒を見てくれて、頭を撫でてがんばれって笑って言ってくれた。ふざけて酒をちょっと飲ませては喜んでいたよ。他愛もないことだが今にして思えば、あの人たちはきっと死体をいっぱい見過ぎたんだよ。辛くて悲しくて悔しい思いをし過ぎたんだよ。だから反動で思わず子供を可愛がり期待する。実の親子とくりゃなおさらだ。子供も一生懸命勉強して賢くなる。そうくりゃ当然将来を期待する。なんというか、あの頃に日本の高度経済成長の下準備ができていたような気がするな。

 だけどさ、朝鮮戦争がさっさと終わって今度は目に見えない敵、不景気ってやつが来たんだよ。それで街に失業者が溢れてさ、金が無くて食えない大人が現れたんだ。だけどさ、あの頃ってみんな優しくってね、つけで飲み食いさせたり、大家さんも家賃を待ってくれたりしてたんだ。その時池田さんが所得倍増の旗を掲げて、減税やって、自動車や家電をつくる企業を支援したんだ。すると大きな設備投資をやって大きな工場をばんばんつくって失業者を一気に雇ったんだ。それからは一気に景気が回復した。これは人口ボーナスといって日本の総人口の内で労働者層が最も多い時代で、それは消費者層が最も多い時代でもあったんだ。つまりみんなが一生懸命働いて金を貯めて欲しい物、あの頃は三種の神器といって、たしか白黒テレビに洗濯機に冷蔵庫だったな、それを月賦で買っていったおかげで景気が良くなっていったんだ。それを使って生活が楽になる。それならますます仕事に身が入るし、色々楽しいこともできた。結婚して子供つくって家庭を守って遊ぶ。それがあの頃の人生を謳歌し、幸せを感じるってことだったんじゃないかな。

 だけど中には何をやってもダメな人が出てきたんだ。仕事はあったはずなのに理屈をこねて働かない。障害があって働けない人が出てきた。今までみんな貧しく平等だったのに、みんなが少しずつ小奇麗になっていくのに彼らだけが特に目立ちだした。ここで貧富の差が出てきたんだ。今でいうホームレスは、髪がぼさぼさ、髭はぼうぼう、ぼろを身にまとい体は汚れて異臭がして、うつろな目をして路地に座り込んでた。俺もかわいそうに思ったが、どうしようもなかった。あんなふうにはなりたくないと痛切に思った。素晴らしい世の中になったその反面、嫌な世の中になったもんだとも思ったよ。昭和三十年、俺は高校を卒業して、警察官になった。

 その頃から、学生運動がしばしば騒ぎを起こしていた。当時抗議デモは、民主的な活動としてある程度世の中で認知されていたんだ。騒ぎのネタは山ほどあった。貧富の格差や学費値上げ反対、反戦・差別問題とかね。当時の大学生はエリートで、よく勉強して社会の矛盾や歪みに着目して、それを正そうと声を上げてさ、中には俺も頷けるものがあったな。だけどさ、それをやったからって実際何かが変わるものではなかった。警察としては被害が出てはいけないので規制するしかない。しかし学生さん達はどうやら、世の中が変わらないのは、自分達の活動が足りないからだと思い込んだようだ。デモの人数は日に日に増えて過激になっていった。極め付けは昭和三十五年、岸総理の日米安保条約の強行採決だろうな。あれで反対デモの規模は全国レベルに達して社会現象になった。忘れられないのが、反対派十一万人が国会議事堂を取り囲み、八千人が国会に乱入しようとして警官隊と衝突し、樺美智子さんという東大生が死んでしまった。あれは双方とも、いや世間に大きな衝撃を与えた。結局誰が彼女を殺したのかわからず、デモ隊は彼女の大きな写真を掲げて象徴的なものになった。

 当時の日本にはもう軍は無い、対外的に見れば丸腰だ。それでもどこからも侵略されなかったのは、米軍がそのまま駐留していたからに他ならないんだよ。昭和二十六年の安保条約締結の時に、吉田首相が、防衛はアメリカさんに任せ、日本は経済復興に専念すると聞いたおぼえがある。しかしそこには、米軍が日本を守るとは明文化されていなかったんだ。昭和三十三年、その条約の改正案を持って岸さんらが渡米して調印して帰ってきた。政府としては防衛上はっきりさせたいところだったのだろう。再軍備が許されないのなら、日本を守る手段は今後もアメリカさんにお願いするのは、自然だろうと思うんだけどな。ところが、この政府判断に猛反発したのが社会党だった。日本がアメリカの戦争に巻き込まれるとか、条約は米軍兵士の犯罪を日本の司法が及ばないのは不平等と喧伝し、又米軍兵士による犯罪が頻発して、警察が捜査できない事態が世論の怒りに火を注いで支持を得て国会は紛糾したが、結局強行採決。そして学生さん達は、貧富の格差というものは様々な悲劇を生む、みんなで共産主義を学んで、理想郷をつくろうじゃないかというロマンを持った。これで多くの学生さんたちは、日本をもっと良くしようと、共産主義を一生懸命勉強し、共産主義こそが最良と信じるにいたった。後は安保反対デモが全国に広がり、学生デモは過激化して樺さんが亡くなるなどしたことで、岸内閣が総辞職した。安保は阻止できなかったが、内閣を解散させた意義は大きいと、大きな勝利感と達成感を味わった。その後は所謂六〇年安保闘争は急速に萎んでいった。

 しかし、日本共産化の革命ロマンの方は、これで終わってなかった。当時の俺から見れば、戦後復興で一つにまとまっていた日本人がどんどん違う方向に分裂していった感じがしたものだ。共産主義の誘惑とでもいうのか、自由と平和と平等を求めて、自分たちの闘争によって地上の理想郷を築く。というロマンは、後の学生さん達に連綿と引き継がれていったのだ。学生さんの中でも過激派とか色々枝分かれして複雑化し、その監視は公安が担当していた。もはや六十年代にみられた牧歌的な風情はなくなって、相手が学生さんだからと油断すれば、こっちがやられかねない凶暴性を持った集団になっていたんだ。

 それでも昭和三十九年の東京オリンピックは嬉しかったし、国をあげて盛り上がり日本もここまで来たかと感動した。その前後からの日本の経済成長は目に見えるほど凄かった。皆若くて元気で、エネルギーにあふれて自由に青春を謳歌していた。東京の街はあちこちで工事していて、今度は何ができるんだろうとワクワクしたものだよ。毎日事件は多発したが、俺はやりがいを持って取り組んだ。そんな中で、当時の大人、所謂権力者や大学の教授の不正が報道されて、世論の支持もあって学生さんのデモが再び増えてきた。早稲田、慶応大学で紛争が起こり、全国規模で紛争が起こったが、昭和四十四年の東大安田講堂事件はまさかと思ったよ。街でもあちこちで騒ぎがあって、新宿騒乱の時は、機動隊だけでは足りずに俺も鎮圧に駆り出された。当時流行っていたマルクス主義の本を買って読んでみたけど、さっぱりわからなかったが、わかっている奴に聞いてみると、彼らはこういう本を読んで日本を共産化すれば、日本は良くなると固く信じていて、その為には革命が必要で、それを実現するための活動は、どんなことでも、犯罪であってもやっていいんだと、つまり、この十年で彼らの理論はそこまで飛躍していたんだ。

 一九七〇年に自動延長される安保条約の反対やベトナム戦争反対、成田空港闘争など凄まじい数のデモが起こり、学生さんは大勢でヘルメットとタオルで顔を隠しゲバ棒と火炎瓶で本気で突っこんでくるものだから、機動隊や警察に死傷者が出はじめて、それでも反撃は厳に禁じられた。その時はその真意がわからなかったが、今ではわかるよ。これは犯罪とは違うんだ。何と言えばいいんだろう。つまり現体制を打破してでも、もっと新しくて良い国にしようという意識に満ちたエネルギーが、現実の暴力の波となって、それを規制しようとする我々に真っ向から襲い掛かってくる感じだった。そこだけをみれば、どちらが善でどちらが悪だかわかりゃしない。日頃相手をしている窃盗や強盗や殺しなどの剥き出しの欲望から出てきた犯罪とは全く別の、もっと純粋で崇高な、あるいは幼稚で未完成な、そして狂気を感じた。だからどこか憎めなかった。徒党がなんだ、ゲバ棒がなんだ、火炎瓶がなんだ、我々はお前らの挑戦を正面から受けて鎮圧し、社会の壁というものを、そして大人と子供の格の違いを思い知らせて軌道修正させるのだ。もしもあの時、鎮圧に重火器の使用を認められたとしても、機動隊はそれを使わなかっただろう。使えば虐殺できるからすぐに鎮圧はできる。しかし悲惨な結果に事態は怨嗟が入りこんで更に悪化しただろう。俺は当時の上層部の判断と指揮は妥当だったと思うよ。まっそんな彼らも大学を卒業すれば、別人のように立派な社会人になっていったのだから、おかしな話だよね。当時はそれが大学生の通過儀式のようになっていたんだ。だから絶対に大怪我をさせたり、死なせてはならなかったというわけだ。

 しかし連合赤軍の場合は度が過ぎた。彼らは毛沢東を支持して、日本を共産化するために革命を起こすという野望を持っていた。だが、もう彼らは大学生ではない。テロリストと呼んでもいいだろう。日本が共産主義になれば、人々は貧富の格差が無くなって皆幸せになる。つまり自分達は理想郷をつくろうとしている革命戦士であると考えていた。革命戦士であるから、今の社会からみれば反社会分子である。だから活動には様々な苦難があるだろう。それらに打ち勝つためには、心身を鍛えて強くならなくちゃいけない。だから実際に軍事訓練と称して、人里離れた山中にこもって共同生活しながら隊列を組んで行進し、銃を構えて発射訓練などをやっていた。更に革命という大きな事業を成し遂げるためには、同志の結束を固く維持し、全員が非情にならなくてはいけない。それを実現するために常にメンバー同士が監視し合って批判し合い、自己批判といってみんなの前で反省を促したのだ。ところが徐々に暴力を容認するようになり、批判の理由もただのいいがかりになり、自己批判は更にエスカレートして総括という集団リンチになって繰り返されたのだ。しかも全員で人を殴り殺したのだから、共犯の負い目が各々を縛り、次は自分かもしれないという恐怖があって、もうだれも止めようと言えない。結局警察に指名手配されて逃げるうちにあさま山荘事件を起こしたというわけだ。この一件で世論も大学生たちも学生運動とか革命熱は一気に冷めた。そりゃそうだろう。革命だか何だかしらんが滅茶苦茶だもんな。とにかくみんな熱病から冷めたようにおとなしくなったので、ほっとしたのを憶えているよ。

 西郷君、今の君には、あの時代は全国で大学生が徒党を組んで、ほとんど毎日どこかで暴れまわっていて、それを世間と警察・機動隊が許容していたという構図を聞くと、おかしいと思うかもしれないね。でもそれは本当だったんだ。俺もこうして思い出してみると、それは、戦争で生き残った日本人が、みんな心のどこかでつながっていて、戦後に生まれた子供を愛した。愛されて期待された子供は、それに応えようと必死で勉学や運動に励んで日本の未来を真剣に考え、更に生きるということを考え、どう生きれば良いのかを探り求めながら必死にもがいていた。大人たちはそれを目の当たりにして、それを受け入れたような感じがするんだな。

 その後もテロ事件は頻発したが、もう世間の支持を得ることはなく、ただの凶悪犯罪として、我々も捜査がやりやすくなった。しかし日本赤軍が国外で色々テロをやった時は、日本政府は超法規的措置をとって、全くの無力を対外的に晒したのは知っているね。今ではそんなことはないと断言できるが、もう日本人であんなことをしでかすやつはいなくなった。たしかに平成になってオウム事件があって、対応が後手後手だというやつもいるが、それはきっと国民をギチギチに監視して管理する国が、どんなに恐ろしくつまらないか。きっとあの憲兵時代を知らないのさ。

 なんにせよ俺は、あさま山荘事件と山岳ベース事件ほど心の芯から震えた事件はなかったな。色々な出来事があったけど、みんなが関心を持って笑ったり泣いたりして心に焼きけた時代で、あれは忘れることなどできないんだよ。だからこそ俺は、彼らのことを思うと、どこかで嬉しくもあり悲しく、わかってやりたいができない、どうしようもなくせつない気持ちになって震えてくるんだよ…… 」

 主はそう言うと俯いた。その姿は西郷には、急に小さく萎んでしまったように見えた。彼は話にのめり込んでいたので、少しも長いと思わなかったが、時計は午前一時過ぎをさしていて、横にいたはずの麗子は、いつの間にかいなくなっていた。隣の小百合はむしろ主の身体を気遣っているようだった。

「お父さん、大丈夫?もう寝たら?飲み過ぎたんじゃないの?」と主の妻が心配そうに背中を優しくさすった。主はそれで目覚めたように顔を上げ、西郷を見てにっこりと笑った。

「随分と長い話になってしまったね。つきあってくれてどうもありがとう。俺は君のような男に話をすることができて、本当に嬉しいんだよ。母さん。水をくれ」

 主はコップの水をごくごくと喉を鳴らして飲み干した。

「……まるで壮大な時間旅行をしたようです。お父さんの話を聞くごとに、その光景がありありと想像できたし、時々前に見ていた記録映像なんかを思い出しながらですね、あの事件はもともと奇妙だと思っていましたが、お父さんのお話には説得力があって時代の背景まで理解することができました。非常にためになりました。

 私は、理想郷を夢想して実現を目指すことは悪くないと思います。明治維新だって革命だといえるし、そこには封建制度の反発や理想実現の野望があったと思います。学生運動が社会現象になって国会に十一万人が集結した目的がもしも革命であったら、成功の可能性がありましたね。しかしあくまでもそれは安保反対の抗議デモで、革命ではなかったのですね。その後に生まれた私は勿論どんな社会であっても、受け入れて生きるしかありませんが、あっそうか、それ以前に生まれてなかったかもしれないのですね。そう考えると、感慨深いものです。

 三十年後に私がその時の若者にどんな話をしてやれるのか想像もつきませんが、今がどんな時代だったかを語れるようにしておきたいと思います。正直こんなに凄いお話を聞けるとは思っていませんでした。素晴らしいですお父さん。ビバお父さんです。そしてビバ昔の日本です 」

 西郷は素直に感服して杯を上げた。三十歳の西郷では、まだものごとを俯瞰して見る力は備わっていない。彼は主の話を聞くうちに、それをまるで秘術のように感じとり、それについても感動していた。長女の小百合もこんなにまとめて話を聞いたのは初めてだと、父を見直したようだった。主はことのほか上機嫌で、何か眩しいものでもみるように二人の話を聞いていた。

「泣かせることを言ってくれるじゃないか。嬉しいねえ……。ああ、俺は君に話をして、わかってもらえて、何かすっきりしたよ。それも君が鋭い質問をしてくれたおかげだよ。あの時代を生きた者の一人として、思いだすままに語っただけだ。最後にもう一回言わせてくれ、娘を助けてくれて、本当にありがとう…… 」

 西郷が話をまだ聞きたがっている様子を察知した主の妻は、彼が調子にのって次の話を始める前に、もう床についたらどうかと促した。主は、歳はとりたくないものだな。さすがに疲れてきたので、そろそろ先に休ませてもらうよ。と同意しテーブルに大きな名残の塊をおいたまま洗面所に向かっていった。

 西郷は主に「今日は本当にごちそうさまでした 」と丁重に礼を述べて、その小さな背中を見送りながらも、まだ主の話の余韻に浸っていた。戦中戦後の日本人が一つにまとまっていたとすれば、その中心は天皇だったのだろうか?そして一九六〇~七〇年頃から次第に分裂していったという。それは戦後生まれの子供が成長し、自由と青春を謳歌して結婚して子供をもうけたころだ。その時代の象徴的な出来事が学生運動であれば、それを全国の大人たちがハラハラしながら見守るために全国生中継するのはしごく当然だったことだろう。そして一九八〇~九〇年、その子供が成長して子供をもうけたころの二〇〇〇年の日本人はどうだろう?西郷は、バラバラという印象が自然に頭に浮かんだ。天皇は存在しているが象徴だ。

 そして人々は一つになるどころか、自由はより尊重されて幅が広がり、他人に迷惑をかけなければよいという曖昧な倫理観で、みんなが好き勝手に生きている。なによりも甘やかされて育ってきたために、精神的に大人になれていない感じがするのだ。生まれたからには、当たり前に歳をかさねて身体は成長し老化していくのだが、精神の方が、年相応に成長していない感じがしていた。少なくとも自分は七〇年代の人のように熱く生きる人を見たことがない……。勿論自分だって偉そうなことを言えはしない。

 やがて洗面所の方でごそごしと歯を磨く音がわずかにしてきたので、三人は安心したように少し声を落として話し始めた。小百合は父の子供の頃の話を聞いたのは初めてだという。確かに娘には面と向かっては話しづらいことだったかもしれない。彼女の言葉の端々には、父への敬慕の情がうかがえる。西郷が、お父さんはまったく素晴らしい方だと言うと、二人とも嬉しそうな表情になった。ここは主中心の父系の家なのだ。千鶴子は、台所で洗いものをしながら、お父さんは西郷さんをよほど気に入ったようだと言った。確かに近頃の人にはない落ち着きと、黙っていても底知れない力を感じる。それでいて話せばユーモアみたいなものがあって面白いと柔らかく西郷を評した。父は仕事に誇りを持って働いて、多くの部下に慕われて部下を連れてきてはにぎやかに騒ぐ夜が何度もあったそうだ。お中元やお歳暮も毎年山ほど届いて、年賀状も沢山来ていたが、律儀にすべてに礼状を欠かさない人だった。ところが、定年が近づくにつれてその数がどんどん減っていき、定年の送別パーティーを最後に、全部なくなったのだそうだ。その時の父の寂しそうな姿を見るのが辛かった。と小百合はしみじみと語った。

 それを聞いてしんみりする西郷。古い時計のカッチカッチという音が、今更のように聞こえてきて侘しさが増す。それが彼にはたまらなかった。

「何をおっしゃる小百合さん。人の世とはそんなものですよ。お父さんはまだ熱いです。その素晴らしさは初対面の私でもわかります」

 小百合はむきになった酔っ払いを見て微笑んだ。

「そうじゃないのよ、そんな寂しそうだったお父さんだけに、今日のはしゃぎようが嬉しかったってこと」と酒臭い虎男を窘めた。虎男は、なんだそうだったんですかと屈託なく笑った。

 小百合の母は、さすがに眠くなったと言って後の片づけを娘に頼み、ささっと寝室に引っ込んでいった。急に二人きりになってしまい、ダイニングキッチンが妙にしんとし、少し居心地が悪くなってきた。妹の麗子は翌日も仕事があるので、とっくに寝てしまったのだそうだ。小百合は、酔いさましに何か飲む?といって立ち上がり。コーヒーを淹れた。

「西郷さん。あの時はあたしを助けてくれて、本当にありがとうございました 」

 小百合はコーヒーにスティックシュガーとミルクをつけて西郷に差し出しながら、心をこめて頭を下げた。

「いいんですよ。そんなあらたまって、照れるじゃないですか。こちらこそ、最高のすき焼きと旨い酒をご馳走様でした 」と返した。

「そうね、柄じゃないかもね。だけどね、ベッドで目が覚めたとき、本当にそう思ったのよ。ああ、あたし助かったんだって、よかったって。あの時は本当に怖かったわ。死ぬのかとか嫌だとか、そんなこと考える暇もなしに襲われたんですものね。実はあなたが眠っている間に、母には全部話したの。そしたら母が言ったの、無事に助かってよかったね。生きててよかったねって、そしてこのことは、もう忘れなさいって 」


9章


 それから三日後の午後。西郷は府中市にある警視庁警察学校の地下射撃場に立っていた。公安の伊東課長から依頼され、篠田警部と稲葉巡査にSPスタイルの射撃のコーチをするためだ。自分にはそんな資格はないと断ったのだが、八王子事件後の怒髪天の捜査に携わる警察官は拳銃の携帯が義務付けられたことで、警察の射撃訓練では不十分だから頼むと上司の城之内を通して頼まれては、もう断ることを諦めたのだ。

 この日の西郷の服装は、見違えるほどに洗練されていた。大柄な彼の身体をスタイリッシュに包んだブルックス・ブラザーズの艶のある濃いグレーのスーツは、本人も驚くほど似合っていた。今はジャケットを脱いで、淡いブルーに細い白のストライプのシャツを見せている。少し緩めた海老茶色のネクタイには、ライオンを模った丹念な刺繍が細かくいくつもほどこされ、左脇の焦げ茶色の革ホルスターには357マグナムが収まっている。引き締まった精悍な顔につけたガーゴイルのサングラスが、西郷が放つ凄みをうまく隠してくれている。このスタイルは篠田警部の見立てで、楽しそうにあれこれと西郷に着替えをさせて最終的に決めたものだ。

 彼女はすき焼きパーティーの翌日、西郷が荷物をまとめてタクシーに乗り込んで病院(中野の警察病院)に行くのに付き添い、右の肋骨一本にひびが入っていることがわかり、しばらくすればなおるだろうと痛み止めの薬をもらった。事件で使い物にならなくなったスーツと靴を処分して、銀座で新しいものを買うのに付き合ってくれたのだ。それから東京駅近くのNレンタカーで、事件の詳細を説明して事故車を弁償して新しいレンタカーを借り、Tホテルに戻ってレストランで食事をした。その翌日も二人で、八王子事件で亡くなった警察官の告別式に参列した。西郷は篠田警部の顔の強張りを見て、再び自責の念に駆られるのではないかと危惧し、「あなたのせいではない、誰もあなたを責めたりしない、心配せずにしっかり弔いましょう 」と説得すると、意外なほど素直にしたがってくれた。西郷は、もしかするとこの人は、暗示にかかりやすい体質ではないかと思った。

 その翌日は彼女の案内で、東京見物を楽しんだ。平日はどこもそれほど混んでいなかったので、西郷は東京ならではの景色を見て、美味しい料理と酒を堪能した。彼女は警部の立場を忘れたかのように、まるで恋人とのデートのようにめかし込み、明るく気さくに振る舞い、若い女性のようにはしゃいで西郷を驚かせた。実際その時の彼女を見れば、容姿は三十代で精神年齢は二十代だった。全くどうしてこんなチャーミングな女性が、四十を過ぎて独身のままなのか不思議に思えたものだ。


 警察学校の地下射撃場は、およそ五十メートルレンジで十レーンほどの規模であった。三人のほかには誰もおらず、久しぶりに会った稲葉巡査は、捜査活動の激務をこなしたおかげか少したくましい顔つきになっていて、西郷にまるで英雄を見るような眼差しを向けている。一方の篠田警部の方は、相変わらずのきつい印象を与えるメイクに上下黒のスーツに白いシャツのポリスカースタイルに身を固めていた。二人が持っている拳銃は、ニューナンブM60 51ミリモデルで、弾丸は先端が丸い38SPスペシャルであった。この拳銃はミネベア社製で、日本の警察官に広く使われているものだ。

 西郷は、軽く挨拶をした後で「もう二人ともプロなのだから、自由に撃って腕前を見せてくれ 」と、傍にあった椅子に腰かけた。まずは篠田警部が緊張の面持ちで、両手で銃を構えた。耳と目を守るプロテクターをつけて慎重に十五メートル先の円形の標的に向かって撃鉄を起こし引き金を引いた。「パンッ」と乾いた銃声で、篠田警部は初弾の後西郷を見た。西郷は座った状態のまま、「続けて 」というジェスチャーをして見せた。彼女は「わかった 」とばかりに頷くと次弾を撃った。又西郷の方を見る。「もっと続けて 」とジェスチャーを送る。漸くそれで残りの三発を撃ち終えた。彼女はまるで大仕事を終えた後ように、ふうと息をついて銃を置き、イアーマフとゴーグルを外すと、頭を振って髪をなびかせた。

 西郷は何も言わずトグルスウィッチを手前に倒して、彼女が穴をあけた紙の標的を取り寄せ、結果を手に取って見た。標的は円形で中心の〇が十点、その外枠が九点という具合に外にいくほど一点ずつ減り、七点圏内までは黒地に白で印刷されていた。六点以降は白地に黒の印刷だ。彼女は五発撃ったのだが、穴は四つ。中心から上の八点圏に一つ。後は七点圏の外にバラバラに散っていた。彼女にしてみれば決して誇れる成績ではないので、もしもこの結果についてひどいことを言われたら、だからあなたにコーチをお願いしたのよ。というつもりでいたが、西郷は何も言わなかった。彼の方でもこの結果は想定の範囲だったのだろう。かわりに彼は、彼女の所属をはじめて尋ねた。そして「生活安全課」という回答に、少なからず驚いた。彼は彼女がどんな仕事をしていたのか全然知らなかったし、気にもしていなかったのだが、それで夜回りの時にラジオの中高生リスナーの言葉に真剣に耳を傾けていたのかと漸く理解した。思わず「最高だ 」と口から漏れる。そんな彼女が何故怒髪天捜査に参画しているのだろうと訝ったが、今更どうでもよいことだ。彼女の前向きな気持ちはわかるが、拳銃など撃つ必要がない仕事なら、このままでいいじゃないかと思う。しかし怒髪天捜査を担当したからには、もう少し射撃のレベルを上げてやるべきなのだろう。このままではいざという時に怖くて、彼女の前に立つことはできない。

 西郷は事前に二人の射撃経験を聞きとっていた。二人とも警察学校以来、訓練は年に一度するかしないか、現場で発砲したことは一度もない。というもので、それならこの結果は納得できた。次に稲葉巡査に撃ってもらった。五発続けてと指示する。彼は真剣そのものといった表情で標的を睨んで撃鉄を起こして撃つシングルアクションで時間をかけて五発撃った。結果は九点圏に一つ、後は七点圏内にすべて中心から右上に四つの穴が空いていた。二人は西郷に何か言って欲しそうだったが、西郷は二人に、標的に距離と自分の氏名と日付を書いてと指示すると、見本を見せると言い、レーンに入り自分の標的を取り付け、トグルスウィッチを外側に倒し距離メーターを見ながら十五メートル先に送り、後ろに下がる様に指示した。

 西郷の全身から異様な気が湧きだす。野生の虎のような目に変わり、自然体から右手で357マグナムをサッと抜くと、ダブルアクションで凄まじい轟音とともに六発撃ち込んで、スピードローダーを使って補弾し、銃をホルスターに収めた。射撃の時間は約五秒。リコイル(反動)は確かに彼の肋骨を震わせたが、射撃に影響するほどではなかった。標的を取り寄せて確認してから二人に見せた。標的の中心に穴が一つ。但し十点から八点圏内に集中して着弾しており、穴が大きく広がっていた。

 篠田警部はそれをまるで珍しい宝石を見るように、稲葉巡査は趣味のNゲージの電車模型を見るような顔をして、もう一つ穴があくほど見入った。稲葉は357マグナムの銃声を初めて聞いた。38口径のニューナンブとは比べものにならない大きさと、鋭い衝撃波が足元から頭に抜けたことに驚いた。目の良い稲葉は、西郷が撃つたびに銃口が火を吹き、弾倉からも閃光がほとばしる凄まじい光景と、フラッシュのように映ったクールそのものの西郷の表情が対照的で、この光景を一生忘れまいと心に焼き付けた。彼はこの人(西郷)はやはり凄いと思った。あんな大きな銃をいとも簡単に扱って、それが全弾命中なんて自分には考えられないことだ。何とかして彼に教えを乞い、こういうふうにうまくなりたいと率直に思った。その思いは篠田警部も同じであるだろう。

 西郷は、自分は射撃を教える資格を持っていない。SPには射撃コーチがいないので、うまく教える自信がないことを伝えた。しかし、少しでも射撃スキルを上げて自分や仲間の身を守ってほしいと、だから射撃コーチというよりは、二人のスキルを上げるために試行錯誤を繰り返していきたいと思う。とはにかみながら話すと、篠田警部は、おとなしい西郷らしいと思った。稲葉巡査は「よろしくお願いします」と素直に頭を下げた。

 西郷は、二人とも銃を抜いてから初弾を撃つまでの時間が長いことを指摘した。

「SPでは実戦的なことを想定するので、相手も銃を持っている中で、そんなに長い時間狙っていると撃たれてしまう。SPでは「抜いて直ぐ撃て、速く撃て、的は外すな」が鉄則です 」

「無茶苦茶ですね 」と警部が言った。西郷も同意したが、我々のボスの言葉ですが、もう一つ「狙って撃つな 」というのがあります。これを聞いた二人は苦笑した。もう無茶苦茶を通り越しているからだ。稲葉が「それでいて、的は外すな 」ですか。と言うと、西郷は「です 」と笑った。しかし稲葉は思い出した。西郷は銃を抜くなり発砲したことを、そして全弾命中だった……とても狙っているようには見えなかった。彼はボスの言葉に従っていたのだと思うと顔が強張った。

 稲葉がその驚きを口にすると、「そのおかげで生き残っていられるようなものです 」と自嘲気味に言った。それは口には出さないが、Y県ではそれほど銃を使用する現場が多くあるということだ。稲葉はそれを悟り、私も西郷さんのようになれるでしょうか?と問いかけた。西郷は驚いたように彼を見て、「君はまだ若い。きっとできるよ。ただ、私のようになっても仕方がない、是非私を超えて下さい 」と笑顔を見せた。稲葉はその言葉にしびれた。身近にこんな言葉をさらりと言ってのける者は一人もいなかった。それだけに彼の言葉は、雷にうたれたような衝撃を受けたのだ。篠田警部は、まるで憧れのスターを目前に身体がふにゃふにゃになってしまったような稲葉と、静かに淡々と語る西郷を交互に見つめ、知らない間に自分もうっとりしていたことに気づいた。

 それから西郷は、射撃が上達するコツを二人に話した。自分も警察官時代にはそのスキルは大したことはなかったが、これを実践することで今につながったと二人の興味をひき、ホワイトボードにさらさらと簡単なニューナンブの絵と標的を描いた。そして稲葉が使った銃の弾倉を開いて五個の空薬莢を抜き取り、安全を確認してから弾倉を閉じ、銃口先端のフロントサイトとリアサイトを指さしながら言った。

「理論的には、自分の目とここ(フロントサイト)とここの窪み(リアサイト ニューナンブの特徴)と的が一致したところでトリガー(引き金)を引けば、弾は直進するので、必ず(的に)当たるものです。勿論こんなに銃身が短いのですから、精密射撃には向きません。せいぜい二十メートルが限度でしょう。それ以上はもう勘と運です。でも十五メートル程度なら、今言った理論で大丈夫です。しかし、それを邪魔する要因があります。その一つが、引き金を引く時の力によって銃口がずれること。手元ではわずかな角度のずれでも、十五メートルの距離では、的から大きく外れてしまうのです。もう一つは、発砲時のリコイル(反動)で銃口が動くこと。それと最後に銃声による心理的ショックによるぶれです。これはわかるよね 」と二人の目を見ると、真剣な顔をして頷いた。

「そこで、これら的を外す要因が、いつも一定であることに着目してください。引き金の重さ、リコイルと銃声の大きさは、同じ銃と弾を使っている場合は同じだね。しかし弾は銃身に沿っていつも真直ぐに飛ぶ。厳密には違うけど、この距離では無視できるでしょう。ということは、射手の調整力によって命中精度を向上させることができるのです。

 ダブルアクションは、シングルよりも引き金は重いですが実戦的です。これからはダブルアクションで銃口がぶれないように真後ろに引くイメージで、素直に引き金を絞ってください。これで当たるならシングルアクションではもっと精密に当たるのです。トレーニングで握力と人差し指の力をつければ、更にぶれを抑えることができます。それから発砲時のリコイルですが、これは銃が弾を前に射出した反動で、撥ねる現象です。それを腕で吸収するのか、身体を使って流すのか、自分で試して合う方を決めて下さい。それから銃声によるぶれですが、これは慣れてください。イアーマフばかりしていては、実戦ではまず役に立ちません。38口径クラスならそれ程のことはないので、どんな音なのか身体に染み込ませて下さい。勿論百発以上撃つのであれば、マフをつけた方がいいと思います。リコイルと銃声は瞬間的なものなので対応が難しいですが、訓練によって多くの人が乗り越えています。以上のことに留意して、常にしっかりと的の中心を目がけて二三発連続で撃つことを繰り返していくと、弾は的のどこかに集まってくるはずです。その結果が十点圏内じゃなくてもいいんです。こうなってくると後はかなり楽です。後はその集まりを小さくするように努力してください。そうですね、十メートルなら三センチ以内にまとめることを目標にしましょう。

 的の中心を狙って撃った結果が、いつも中心から外れたどこかに三センチ以内に集まってきたら、それがまさに射手と銃の癖なのです。それは人それぞれ違うし、調整力によって小さくすることができます。その癖さえわかれば、わざと逆の方向にずらせて撃てば、中心に当たるというわけです。ちょっと見本をお見せしましょう 」

 西郷は、新しい標的を二十メートル先にセットして、稲葉の銃を持った。彼の大きな手が器用に動いて五発の弾を込めて右手で構えると、なんだかおもちゃに見えてくる。二人は西郷の左方向によけて、彼がどんな風に自分たちの銃を撃つのか注目した。

 銃を持った右手をスッと目の位置まで上げると、この小さな銃を試すように引き金を鋭く引いた。「パパパンッ」というけたたましい銃声とともに三発撃つと、静かに銃を置き、標的を引き寄せて三人でそれを見た。中心からやや下の八点圏に穴がつながって空いていた。「これは、私の357マグナムのリコイル処理の癖といった方が妥当でしょう。というのも、357はリコイルが大きいので、あらかじめ銃口をやや下に向けるイメージで撃つ癖がついているのです。これがわかれば、次は、リコイルも銃声も357に比べれば大したことはないので、素直に狙って撃てばよいとわかるのです。

 狙いにそんなに時間をかけてはいけません。もたもたしている間に撃たれますよ。最初の狙いで撃ってください。弾が中心から上下に外れるのは、修正が簡単ですが、左右に散るのは、まだ時間がかかります。それから撃つとき、目をつぶったら絶対に外れます 」西郷が篠田警部を見ると、彼女はぺろりと舌を出した。西郷は保弾しながら話を続けた。

「御存知かもしれませんが、38SPのカートリッジと357のカートリッジは同じですから、357マグナム銃で撃つことができます。しかしその逆はパウダー(火薬)の量があまりにも違うのでニューナンブが壊れて大怪我するから絶対にやらないでください 」

 再び標的を二十メートル先にセットする。西郷の集中が先ほどよりも格段に高いのが二人に伝わった。今度は虎が獲物に襲い掛かる寸前の目だ。右手で銃をスッと上げるとすぐに三連速射。前よりも速くほとんど一発に近い銃声だった。西郷が集中を緩め、銃を置き、的を取り寄せて結果を見る。篠田警部と稲葉は先を争うように頭を突っ込んだ。思わず「完璧 」「凄い 」という言葉が漏れ出るほどの結果だった。十点と九点圏にきれいに集まった穴が空いていた。西郷は合計三枚の標的に、357―十五m、38試射―二十m、38修正後―二十mと書き、それぞれに日付と名前を入れて丸めると、「これを参考にして訓練に励んでください」と篠田警部に手渡した。

「狙っているのに的を外す要因は、引き金の重さとリコイルと銃声が複合していたのですね。それと自分と銃の癖をしっかり見つけます。的確な御指導ありがとうございました 」と稲葉が興奮気味に言った。

「あたし射撃訓練が昔から嫌で仕方なかったけど、あの時教官が西郷さんのように教えてくれてたら、又違ったような気がする。西郷さんはしっかり手本を見せてくれました。それは集中のオンとオフね。そして実戦を想定して訓練しなきゃダメね。あたし、真剣にやるわ 」と篠田警部は覚悟を決めたような口調で言った。

「そこまで理解したら二人とも基本はできているので、きっとそこそこできるようになるはずです。あとは考え方ですね。銃は人殺しの道具だとか、当たり前のことを言ってネガティヴにとらえて忌み嫌う意見がありますが、銃器と弾薬を扱う者は、このような考え方に共鳴してはいけません。

 ナイフはリンゴの皮をむけますが、殺しだってできるのです。つまりナイフは、道具であり武器にもなるのに対し、銃は道具ではなく武器なのです。他の役には立ちません。相手が銃で攻撃してきているのに、銃を非難して、何かの役に立つのでしょうか?今後二人が現場で銃を扱うからには、もう相手と命のやり取りです。勿論そんな理不尽で恐ろしいことは誰だってやりたくありませんが、それが避けられない事態がある現場の中にあっては、必ず相手を倒して切り抜けなければならないのです。

 そして、撃ちあいが始まったら終わりがあります。その時に立っているのは、自分か相手かどちらがいいですか?問うまでもないでしょう。つまりスキルが生死を分けるのです。そんな時に初弾でモタモタしていてもいいのでしょうか?狙ったところに弾がいかないで、相手を倒せるでしょうか?それとも失神さえすれば、全ての危機はどこかにやり過ごせると?あるいは相手がうまく急所を外してくれて、病院のベッドで明日の朝日が迎えられるのでしょうか?そううまくいかないよね。

 誤解を恐れずにはっきり言います。銃は身を守って敵を倒すための武器です。そして生き残るためには、高いスキルが必要だという意識を強く持ってください。銃を持っているだけではだめなのです。高いスキルがあれば、相手の腕や足を撃って確保することもできます。38SP弾は威力が弱いので、反撃の危険がありますがそれは可能です。こういう意識を強く持って訓練を重ねて、銃と自分の癖を見つけてください。そうすれば、狙って撃つなという意味がわかると思います。期待しています 」

 西郷は二人に向かって、自分の思いつくかぎりの言葉で、銃に対する考えを説いた。二人が銃や射撃スキルについて、どのような考えを持っていようと、『必ず生きて帰ってこい!その為には! 』というY県知事の訓辞を自分なりにアレンジしたのだ。二人はそれを聞いて同意してくれたので、西郷は、上司に連絡することがあるので、訓練を続けていてください。と言い残し、硝煙の匂いのする射撃場を出て行った。


 休憩室の自販機でブラックの缶コーヒーを買って椅子に座り、城之内が第一声何と言うのか期待しながら電話をかけた。それは「もう何かしでかしたのか? 」というジョークだった。西郷はこれを聞いて、落語の落ちを得たような気分になってぽっと笑顔になった。そして百人からの警察官に挨拶をして大変だったことや、八王子で襲ってきた三人と焼死した二人について情報提供と似顔絵作成に協力し、捜査の現況を教えてもらったこと。そして篠田警部と稲葉巡査に射撃のコーチをしたことなどを伝えた。城之内が彼らの腕前を尋ねると、これからでしょうと答え、具体的な話は避けた。それより、彼の関心は後任の千葉秀樹がいつ来るのか?ということだった。これについては城之内の歯切れは相変わらず悪かった。勿論千葉は別の任務についていて、彼が拒んでいるわけではないのだが、西郷には、それがもどかしいのだ。

 千葉は現在、鈴木有作知事の命令でY県S市の弱小暴力団である梅木組に出向している。「一年以内に、県内の暴力団組織を、梅木組で統一せよ 」という任務に今年の一月から取り組んでいるので、殆ど県庁舎に顔を出していない。城之内は、千葉の上司である等々力から聞いた話として、西郷に説明した。

「等々力課長からの情報によれば、県内の暴力団統一は、八月に達成したそうだ 」

「本当ですか!あんな弱小暴力団が、どうやって県内統一ができたのですか 」

「詳しい経緯は私も知らんよ。ただ、彼らが本気を出した結果だ 」

 西郷はそれを聞いて、ぞくりとした。いくらなんでも千葉一人の力で、そんな大きなことができるとは思えなかった。知事が発案し、県民に暴力団存続を宣言し、麻薬や薬物に手を出さず、県政に忠実なものだけを生かし、県政に対して害悪しか与えないものは解散させると決めた。その為に、SPが県内全ての暴力団の存在と規模を調べ、組長を呼び出して知事が面談して、存続・解散を決めていったのだ。その中で、梅木組の梅木敏行という男を選んだ。親分としての器が小さく、優れた人物とは到底言えない三十代の貧相な男を県の中心暴力団として、仁侠道の追及と実践。解禁されたギャンブルと風俗ビジネスの仕切りを一手に任せて生きる道を与えた。西郷も任務として暴力団調査に携わったので、そこまでは知っていた。

 わずかな期間で、梅木組が県内を統一したということは、それなりの荒っぽいことを秘密裏に実行したに違いない。西郷はその経緯の詳細を追及することはせずに、今は千葉が一区切りをつけてどうしているのかを尋ねた。

「いや、千葉は遊びには行っていない。彼は今や県内で一番になった梅木と、二番手になった福龍会の大河原と手を組んで、隣のF県の門司の黒潮一家の吸収に成功し、今は戸畑興業というあの辺じゃあ凶悪と恐れられている組織の吸収に乗り出しているのだそうだ 」

「……なんで県外に出るのですか。無茶苦茶じゃないですか 」

「西郷。事態は日々動いているのだよ。Y県は市町村合併政策を拡大してF県と合併交渉に入っている段階なのだ。だから今のうちに暴力団の吸収活動をやっても問題はない。あそこで最大の黒潮一家とはうまく話が進んでいる。あちらさんだって、危険なシャブから手を引いて、確実に儲かるカジノや風俗・ショウビジネスの利権は魅力だからね。しかしそこと対立関係にあって、しばしば抗争事件を起こしている戸畑興業というのが、強硬に敵対しているのだ。そこで、梅木組が戸畑興業を何とかしてくれたら、話はもっとスムーズになるだろうというわけだ。もはや接近することは無茶苦茶な話ではなくなったのだよ。御前ならわかるはずだ 」

 西郷は言葉を失った。西郷がアメリカ人なら、ここで「ジーザス」という言葉でこの間を埋めたことだろう。自分がいないわずかの間に市町村合併が県をまたいで進行しているとは予想もしていなかった。城之内は沈黙の西郷に説明を続けた。

「そういうわけで、千葉は今も忙しいからしばらくそちらに派遣はできないのだ。すまないが、もう少し我慢してくれ 」

「そういうことでしたら、わかりました。それで千葉の健康状態はどうですか 」

「ああ、それは心配には及ばない。元気に暴れまわっていて、等々力さんは火消しに躍起だ。私も彼には同情するよ 」

 それを聞いて西郷には心当たりがあった。暴力団抗争で、派手なカーチェイスと銃撃戦を揉み消して。ただの交通事故として処理したり、実際の死者の数を削って事故死にしたり、千葉の後始末は大変なのだ。それも民間人が巻き込まれていないからこそ成せることだ。西郷がそんなことを思い出して眉間を狭くしていると、城之内がなぞなぞを出してきた。どうやら意見が聞きたいらしい。

「手短に状況だけを言う。御前ならどうするか聞きたい。御前が知事から直々に守れと命令された人物が、ある組織に誘拐されたとする。勿論二十四時間警護ではなく、その人物は宅で寝込みを襲われたのだから、御前の落ち度ではない。しかし御前はその人物を取り戻さなくてはならない。それはわかるな。ほどなく誘拐した組織の頭から電話があった。相手はどこの誰かよく知っている者だった。戸畑興業と思ってくれてもかまわない。

 その内容は、その人物を返して欲しければ、明日午後三時に屋敷に御前一人で来いという。そこは広大な敷地に建坪二百はあろうかという豪邸に三十人からの武装した連中が守っている。噂によれば、拳銃、自動小銃、手榴弾にRPGまで持っているそうだ。御前ならどう対処するか聞きたい…… 」

「それが今の千葉の状況なのですか? 」西郷はまずピンときたことを口に出した。

「否定するつもりはない。余計な説明をする時間が惜しいだけだ。あくまでも御前ならどうするのか聞きたいのだ 」

「わかりました。わざわざ誘拐するからには、よほどのことがないかぎり殺すことはないでしょう。しかし武装した三十人がいるところに一人で来いというからには、私は殺すつもりなのでしょう。従って、私なら一人では行きません。人質救出作戦ということで準備してかかればよいと考えます 」

「そうか。しかし敵はそれを見通して、準備する時間的猶予を与えないために、明日と期限をきったようだ。それから、敵は県内の要人宅を襲った際に、二人のやくざ者を捻り殺している。Y県警が、地元警察に捜査協力を求めたら、証拠に乏しいと拒否された 」

 西郷はそれを聞いて又考えた。さすがに難問だ。人質を返して欲しければ、一人で屋敷に来いと時間指定で要求するということは、人質というよりはSPの影響力を除外したいという意図がうかがえる。西郷は頭をフル回転させた末に答えた。

「それならば、我々でかたをつけなければなりませんね。十人くらいで今夜急襲しましょう。人質が助かる可能性まではわかりませんが、私ならそうします 」西郷がそうきっぱり答えると、城之内は「そうか。わかった 」と無感情に言った。

「……それが今の彼なのですか。教えて下さい 」

「残念だが、そういうことだ。千葉は明日の午後三時に戸畑興業の頭である源田忠治宅に一人で乗り込むと連絡があった 」

「課長!何故千葉一人でやらすのですか。いくらなんでもそれは危険です 」

「久し振りに激したな、西郷。援護は千葉の方から断ってきたのだ。あいつには何か策があるらしい 」

「多勢に無勢です。一対三十では、むざむざ殺されに行くようなものです。まさか、千葉は自分の命と引き換えに、人質を解放させるつもりなのでしょうか 」西郷は自分の考えを進めた先の結論に少し声が震えてしまった。

「まあ、そう決めつけるな 」城之内は西郷の必死さに、少し嬉しそうな声に変わった。

「千葉がそんな殊勝な男とは思えんな。それに冗談めかして等々力さんに邪魔をしないでもらいたい。と言ったそうだ。知事も条件付きで許可なされた。その条件とは、チバ絶対生きて帰ってこい。梅木の代わりなど幾らでもいる。だそうだ。まったくこちらではSP創設以来の大事件が明日ひかえているというわけだよ 」

「だから、こちらに来るのがいつになるやらわからないということですね。自分を殺そうとしている連中三十人の中にたった一人で、どうやって人質を救出するのか。私には、全然わかりません。まったくあいつはバカか天才か悪魔のどれかです。しかしそれでも、あいつならもしかして、と思わせるところがあるんですよね 」

「はははは、なあ、西郷。わしも千葉が具体的に何をやらかそうとしているのか、さっぱりわからんかったんじゃ。あいつはバカで天才で悪魔の合いの子かもしれん。だから御前の意見を聞いてみたかったんよ。今時誰が罠とわかってわざわざ危険を承知で行く奴がおるかよ。わしも御前もみんなも、あいつが何を考えているのかわからんのじゃ。それでいて、あいつならもしかしたらと期待するのは、あいつが並じゃねぇ証拠じゃろう。だれも千葉のような真似はできんで。

 今日決まったことは、千葉が明日午後三時に一人で源田宅に向かい、梅木奪還を試みるということ。それと源田宅の周辺一キロを陸自の特別訓練地域として封鎖してくれることになって、フル装備の攻撃ヘリ・アパッチ一機が上空から睨みをきかせるということだ 」

 西郷は、SP創設以来の大事件に挑む千葉を凄いと素直に思った。聞いただけでは圧倒的に不利な状況で、もしも自分ならば、どうして良いかわからないのだから、当然戸畑の要求通りに一人でいくことは絶対にないだろう。西郷はやくざの世界を全く知らないし、理解もないのだ。やくざの世界は情報が噂として伝わるのが早い。それが嘘なのか真実かというのは、聞く側がどこそこからの話によれば、という出本と話し手の口振りから判断するしかない。何事も情報によって先手を打って機先を制することは戦略的に重要なだけに、噂はとても重要で、その分功罪が常につきまとう。それによって実際に人が動いたり、動かなかったりして事態が日々変わるからだ。やくざ抗争の中で、一人で来いと言ったことを反故にして、危険だからと徒党を組んで今夜中に夜襲をかけたとしたら、たとえ勝ったとしても、この世界では卑怯者の謗りを免れない。それは今後のやくざ界の政治に影響する。早い話が、それでは敵が増えるばかりで、それらと揉めているようではきりがないから、千葉が戸畑の要求通りに一人で行くというのは、やくざ界では正解なのだ。

 不利な状況は誰が見ても明らかなだけに、その注目度は大変に大きく、結果はどうあれ、これだけで十分語り草になるのだ。一方仕掛けた戸畑興業が卑怯と非難されることはない。どこの誰にだって、のっぴきならないやむにやまれぬ苦しい事情はあるのだから、他県から出てきて巧みな根回しの後で、配下になれというのは無茶な話である。戸畑にとっては精一杯の抵抗と理解されているところが、やくざ界の理屈なのだ。

 西郷は予想外の事態になっているSPを知り、さすがにもう自分の後任をはやくしてくれとは言えなくなった。いつも冷静な態度を崩さなかった城之内が、思わずくだけた口調になったことでも、その深刻さが伝わった。西郷は「そちらの事態をよく理解しました。千葉の健闘を心から御祈りします。結果については又明日報せてください 」と言って電話を切った。久しぶりに長電話をしたせいか、耳元が熱くなり、頭の中が揺れているようだった。自分が必死で考えて答が出なかった問題に、あの千葉が明日一人で挑む。微かに胸騒ぎがする。そして千葉の、青空のビーチで、よく冷えた生ビールをがぶ飲みした後のような笑顔を思い出す。あの男が負けるわけがないじゃないか……きっとうまくいくさと思い直し、温くなった缶コーヒーを飲み干した。

「どうしたぁ? 随分深刻な電話だったようだけど 」篠田警部が休憩室に現れて西郷に声をかけた。急に声をかけられて西郷は少し驚いた様子で彼女を見た。

「ええ、うち(SP)でも今大事が起こっていましてね 」と濁した。

「そ、ねえ、今日あたしと稲葉君と北岡刑事部長と一緒に食事しない? 」篠田警部はいつもの強気な顔に、愛想をつけて言った。西郷は急な誘いで、本庁の北岡刑事部長と聞いて驚いたが、断るわけにいかないので応じた。でもあまりシリアスな話はしたくないな。と笑った。篠田警部は、北岡さんは気さくな人だから大丈夫と言い、麗子(妹)もいいかな。と眉毛を若干ハの字にした。彼としてはダメな理由はない。


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