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超法規SP  作者: 小田雄二
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日本でこんなことは、起こりえる

 1章

 

 西郷誠は、後輩の岡崎晋吾と東京に出張してレンタカーを借り、深夜をドライヴして不審なトラックを探していた。今日で三日目になるのだが、望む成果はまだ無い。

 暑かった夏もようやく峠をこえて、朝晩が涼しくなってきた頃だ。Y県では稲穂が延びてきたのが見え、虫の声などが聞こえてくるのに、都内ではそんな風情は見られない。その代りに街を行く人々の服装を見れば季節の移り変わりが見てとれるのだろう。

 車を運転して街を流し、気になったトラックを追尾して、ナンバーを調べて身元を携帯電話とノートパソコンを駆使して確認し、問題なければ次を探す。そういったまるで雲をつかむような行為を繰り返していた。

 彼らは期待する収穫がなければ、午前四時頃にはホテルに戻って報告書を作成しY県のSP本部に電子メールで送り、軽い食事の後シャワーを浴びて眠る。目覚めると体調と身支度を整えて、午後六時頃に打ち合わせや食事をして午後七時頃には再びレンタカーで街に出るのだ。二人はこれを任務として続けていた。

 不審なトラックといっても、整備不良、過積載、速度違反や駐車違反などの交通規則違反が対象ではない。そういったものは警察の守備範囲だ。彼らが探しているのは、むしろ一見なんの変哲もない、街に溶け込んで走行していて目立たない、それでいてナンバープレートが偽造だったり、所属がデタラメだったりするトラックだ。

「あーあ、今日も何も無いんですかね 」岡崎はコンビニで買ってきたおにぎりを頬張りながら溜め息まじりに言った。

「さあな、油断禁物だよ。御前はよく食うな 」運転席の西郷は軽く笑いながら返した。

「だって、せっかく東京に来たっていうのに単調な毎日で大した収穫もないし、これぐらいしか楽しみないんですもん。東京はもっと楽しいとこだと思ったんすけどねぇ…… 」

「ははは、そうか、本当はえらい楽しいところなんだけどな。ま、若いうちはなんでもいっぱい食うといい、だけど水分は控えめにしとけよ。小便が近くなるからな 」

「了解。でも今度イイとこ連れてって下さいよー先輩 」岡崎は敬礼の真似ごとをして人懐こい笑顔を見せた。

 時間は午前一時過ぎ、二人は今世田谷の住宅街に車を停めて周囲を窺っている。ここは思いのほか坂が多く緑が豊かで、塀で囲まれた屋敷が並んでいて不気味なくらい静かだ。それに秋の気配を感じさせる虫の音が、小さく聞こえてくる。

 今回の二人の任務は、怒髪天と称する組織が東京で起こしている連続殺人事件に関する調査だ。Y県の組織であるSPが東京の事件に関わることになった経緯は複雑であったが、二人は命令を受けた以上、この組織について何か掴んで帰りたいと望んでいた。しかしそんな中、二人はパトロール中の警察官・稲葉良彦巡査に職務質問を受けてしまう。

 西郷はバックミラーに映ったポリスカーに気付いてはいたが、実際に巡査が降りて来たのを確認した時には軽く舌打ちをした。この可能性があるから深夜の住宅街は避けていたのだが、上司である城之内の指示に従ったのが運のつきだ。西郷は車内で岡崎に口だけを小さく動かして、「警官が来た。大人しくして身元以外は黙秘だ 」と指示した。

 稲葉巡査が爽やかな笑顔で車に近づいてきて、運転席の西郷にドア越しに話しかけた。

「こんばんは、ST署です。二三質問があるので、御協力下さい 」

 稲葉巡査は西郷と目が合った瞬間、この男は只者ではないと直感した。西郷はここで怪しまれてはたまらないと極力笑顔を見せて対応したのだが無駄だった。

 運転免許証の提示を求められて、Y県から来たと知られた。職業を訊かれて県庁職員と答えて名刺を出した。出張で都内のTホテルに滞在していると答えた。深夜にここにいる理由を訊かれて、守秘義務で答えられないと言うと、彼は確認するからそのまま動かないでと言い残して、車から離れてポリスカーに戻って相棒と確認作業を始めた。

 隙といえば隙だ。しかしここで逃げると、彼らは地獄の底まで追いかけてくるだろう。西郷は岡崎に、「私に任せろ 」と呟いて稲葉巡査の指示に従って待つことにした。

 ほどなく稲葉巡査が相棒を連れて再びやって来て、免許証の確認がとれたが、一応車内を調べさせてくれと言ってきた。穏やかな言い方だが、断わればややこしくなるので、西郷は仕方がないと笑顔をつくって承諾し、岡崎と車を降りて調べてもらった。優秀な警察官である稲葉は、相棒に二人を見張らせて慣れた手際で車内を調べ始めた。

 車のナンバープレートが『わ』で、物入れの中の書類から、レンタカーであることが確定した。記載事項に不審はない。座席の下、シートの隙間、ポケットの中とくまなく探したが、怪しい物は出てこなかった。トランクの中にキャディバッグが二つあったが、これ自体は怪しい物ではない。 稲葉巡査は、彼らを不審な人物とは思っていなかった。二人の落ち着いた挙動や、目の底知れぬ光をみて、何か武術をやっていると察することができた。県庁職員というのも本当だろうと思わせる公務員として通じるものを感じていた。しかし、そんな彼らが深夜の高級住宅地の一角にいるという理由を知りたいのだ。

「御協力有難うございました。不審な物はありませんでしたが、最後に一応このキャディバッグの中を見せていただけませんか? 」

 稲葉はそう言って西郷の目の動きを見て、動揺や狼狽の色をうかがった。西郷は既に覚悟しているので、「びっくりしないで下さいよ 」とことわってからキャディバッグのジッパーを開いて中の物を稲葉巡査に見せると、忠告を受けたにも拘らず稲葉巡査は動揺した。

「どうしてこんな物を持っているんですか 」

 中には稲葉が見たこともない自動小銃が、埃避けの大き目のジップロックに入っていた。

「落ち着いて下さい。これは国産の八九式小銃です。それから弾倉と弾薬、そして手榴弾が三個あります。もう一つのキャディバッグの中身も同じ装備です 」

 西郷は冷静に稲葉巡査と相棒に説明した。

「銃所持許可証を持っていますか? 」

「いや、あいにく持っていない 」

「Y県ではこんな銃器を持っていてもいいんですか。でも西郷さん、これは東京では違法なので逮捕になります。暴れないで下さいね 」

「わかりました。暴れません 」

 稲葉はすぐにデジタル無線で応援を呼び、やがてポリスカーの数が五台になって、西郷と岡崎とレンタカーは、ST署へ連行されてしまった。しかしこのゴタゴタの間に、西郷は自分のアンテナにかかった深夜の住宅地を静かに通り過ぎて行く不審なトラックを見逃さなかった。東京の爽やかで勤勉な巡査のおかげで、そのトラックを追うことも出来ず、西郷は再び舌打ちをした。一瞬彼らを無視して追跡しようかと考えたが、瞬時に打ち消した……。警官たちは誰もあのトラックに注意を払わなかった。西郷がトラックを睨んでいると、稲葉巡査が声をかけた。

「あのトラックがどうかしましたか 」

「こんな深夜に、トラックが走っていても気にならないのですか 」

「この不景気ですからね、夜逃げかもしれません。しかし我々にとってはあなたの方がよっぽど気になるのです 」

 稲葉巡査が真剣な顔で答えると、西郷は小さく頭を振った。やれやれ、こんな調子だから……と口にしかけたがやめた。

 午前二時半過ぎ、西郷と岡崎はST署の取調べ室で別々に事情聴取を受けていた。身体検査を拒否する代わりに身に付けている物を全部出して見せると、取調官は息をのんだ。携帯電話と財布は普通としても、S&W357マグナム6インチ銃と弾薬、手裏剣が五本出てきたのだから無理もない。

「あんたらが、偽りのないY県庁職員であることはわかった。しかしそれなら銃刀法ってものがあるのは知ってるだろう。それにキャディバッグからは自動小銃と実弾、手榴弾まで出てきたのだ。東京で一体何をやらかしに来たのか説明してくれんか―― 」

 西郷も岡崎も、まるで犯罪者扱いされている状況に困惑した。事情を説明したところで、何も知らない彼らは到底信用してはくれないだろう。であれば今は苦労して誤解を解こうなどとせずに、夜が明けてから責任ある人物が来るまで黙秘する方を二人とも選んだ。

 人はこれまでに身につけた知識や経験にもとづいて目の前の物事に対処するが、屈強な身体に落ち着いた物腰の二人を前にして、これまでありとあらゆる犯罪者を見てきた取調官達は、犯罪者の匂いを感じ取ることができずに困惑した。警察として一番訊きたい事情を守秘義務の美名で伏されては、この二人をどう処置してよいのかわからなかった。

「……私の上司に電話してもいいですか 」

 西郷は黙秘と自分で決めたものの、時間の流れがひどく遅く感じられて、そうそうに根負けし、取調官に許可を得てから机の上にある携帯電話に手を伸ばして電話した。

「――私(城之内)だ。何かやらかしたのか 」

 深夜でなかなか出なかったが、自分の上司の第一声がこれだ。

「まだ何もしていませんよ。実は御指示の通りに世田谷の住宅街を内偵していたら、警官に職質されましてね。装備を見つけられて今ST署で事情を訊かれているところです。やはり地元警察の協力を得た方が良いと思われますが…… 」

 西郷は声を抑えたつもりだったが、怒気が城之内に伝わったようだ。

「わかった。公安を通して協力を要請するとしよう。といっても朝になってしまうな。

そもそも協力を求めてきたのはあちらさんだ。多分公安から通達が行ってなかったのだろう。今夜はついてなかったな、悪かった。朝になったら公安の伊東課長に話をつけるよ。それと、ついでだから今訊いておこう。今日は何か収穫はあったのか? 」

 西郷は城之内が素直に詫びたので少し気がすみ、口調を和らげた。

「ええ、職質の最中に午前二時頃に、怪しいトラックを見かけましたよ。連中は世田谷の住宅街のどこかで犯行に及んだかもしれません。調べさせた方が良いと思います 」

「そうか、そりゃこっちにしちゃ好都合だ。他に目撃者はいるのか? 」

「稲葉という警官が見ています。あれが気にならないかってきいたら、今は我々に興味津々だと答えました。なかなか面白い男です 」

「朝になったら、その話も付け加えるとしよう。有難う。このことは必ず報告書ファイルにしてメールしてくれ 」

「本当は職質を振り切って追跡したかったところです 」

「いやいや、それをやらなかったところにも礼を言うよ。さすがは西郷だ。今夜はもう帰っていいよ。そこにいる担当官と代わってくれ、私が説明する。そしてST署の署長に電話して、そこの担当官に連絡させて開放させるよ。その方がスムーズなはずだ。そして今日も通常通り内偵を頼む 」

「わかりました。助かります。何しろ余計なことで疲れました 」

「わかったわかった。東京のST署だな、一五分以内だ、約束する。だからその間、くれぐれも面倒を起こさんでくれよ 」

「了解しました。御願いします 」と言って西郷は取調官に一瞥をくれて携帯電話を渡した。

 取調官は西郷の自信に満ちた目を見て困惑したが、携帯電話を右手で受け取ると約三分で事情を聞き。その後に取調官の携帯電話が鳴った。電話の主は署長からだった。取調官は直立して電話を受けた後、西郷に愛想笑いを浮かべた。

 そして二人は、キャディバッグの装備は不問でようやく解放されることになり、没収されていた八九式小銃を手馴れた手付きで点検し、弾薬と手榴弾をチェックすると安心したように息をつき、深々と一礼して押収されていたレンタカーでホテルに戻った。

 それから二人は、この一寸した事件を肴にホテルの部屋でビールをひっかけた。西郷が、職質をしている巡査の背中を静かに通り過ぎたトラックが気になったと言うと、岡崎も夜なのにサングラスにマスクをつけているのは妙だと同意した。ナンバーを記憶しているが、偽装かもしれない。職質は余計だったが、もしかすると例の怒髪天が天誅をやった後かもしれないと話をまとめてから、シャワーを浴びてぐっすりと眠った。

 目覚めると午後四時過ぎで、いつもの様にルームサービスで自分にとっての朝食を取り寄せて食べていると、城之内から電話が鳴り、自分と岡崎が眠っている間に行われた会議で決まったことを伝えてくれた。もちろん岡崎も部屋は別だが同時に聞いている。

① 昨夜公安の伊東課長に事情を話すと、朝一でST署に乗り込み、怒髪天事件の捜査にY県のSPに協力を要請したことを通達した更に都内全署に通知を徹底。

② 昨夜ST署に連行された二人は、SPのエージェントで西郷・岡崎である事の周知。今後の活動で無用なトラブルを避ける為にST署から篠田警部を常時同行させる。

③ 西郷が不審なトラックを見たという証言から、新たな事件が発生した可能性があるので、連絡が取れなくなった家を捜索中である。尚ナンバーは偽造と判明。

 西郷は展開の速さに驚いてみせて礼を言い、以下のように進言した。

① ST署の篠田警部が同行するのなら、岡崎をY県に戻して欲しい。SPは人手が足りないので、内偵は私だけで十分である。

② 自分達に職質をかけた稲葉巡査もつけて欲しい。彼の勘の良さが必要である点と、我々の顔を覚えられたのでこちら側につけておきたい。

という意向を伝えると、城之内は了承して電話を切った。

 それから朝食を続けながら新聞を読み、TVやインターネットでニュースを見ていると、ホテルのフロントから、篠田様が一階のラウンジに御見えになっております。と連絡があった。西郷は先ほど聞いたことだが、それは朝の会議での決定事項で世の中はそれから半日以上進んでいるのだ。一五分後に行くとフロントに答えた。岡崎に電話してみると、今日の新幹線で帰る事になったと嬉しそうだった。やはり東京は空気が悪いしゴチャゴチャしていてどうも性に合わないとこぼした。西郷は苦笑しながら、今篠田警部が下に来ているから十五分後にスーツに着替えて、一階のラウンジで落ち合おうと伝えた。

 身支度を手早く整え一階ラウンジに行ったが、それらしい人物が見当たらなかったのでフロントに呼び出してもらうと、篠田警部は四十歳位の華奢な女性であったので、二人はまさかと顔を見合わせた。三人は型通りの初対面の挨拶と自己紹介を交わしてラウンジのテーブルにつき、コーヒーとチーズケーキを注文した。ホテルといっても国内屈指の一流ホテルのTホテルだ。一切の失礼はなく、もてなしは快適である。

 西郷は、篠田警部が女性であることは失礼になるかもしれなかったので口にしなかった。身長は150あるかないか、黒いダークスーツに白いブラウスと黒いヒール。黒く染めたストレートな髪、薄化粧につり上がり気味の大きな目、発する言葉は簡潔にして爽やか、ハキハキとした大きな声。岡崎は、そんなに声はらなくても聞こえますと言いたげだった。

 篠田警部は今日行われた会議に出ていたので、その場の模様をもっと詳しく話してくれた。二人は既に概要を城之内から電話で聞いていたので、なるほどと相槌をうった。そして岡崎はY県に戻り、篠田警部が西郷に同行し、若い稲葉巡査がメンバーに加わるのだ。

 篠田警部は、噂に聞いていたY県の組織SPに興味を持った。彼女の目には西郷は以下の様に映った。身長は185センチ位、ガッチリした体躯に窮屈そうな吊るしの安スーツ、清潔感はあるがセンスは並。それに警察では考えられない武器を携行し、装備と呼んでいる。大人しく人あたりが良さそうに見えるが、それは見せかけで常にさり気なく周囲を警戒し、身のこなしは軽く隙が無い。

 篠田警部が西郷にSPとは何かと問うと、簡単に言えば泥棒を捕まえるのがおまわりさん(警察)なら、SPは泥棒が起きない様にするのが主な任務だと答えた。篠田警部はおまわりさんと言われて馬鹿にされたと思い少しムッとし、それが殺人なら?と言うと、殺人でも詐欺でも同じだと答えた。

 警察は事件を認知してから動き出し、容疑者を捕まえて評価されるが、SPは事件が起きないことが評価されるのだ。警察官である篠田は、それを聞いて釈然としない違和感を覚えた。犯罪が起こる前に動くなんて警察ではありえない。だからそれを補完する為にSPが創設されたというのか。

 犯罪は、加害者と被害者がいる。警察は日々厖大に通報される犯罪を捜査によって証拠を集めて加害者を被疑者として特定・逮捕して解決としている。勿論それで終わりではなく、法にもとづいた司法手続きは検察・裁判・求刑・結審と延々と続くのだが、警察の職務としては被疑者逮捕で終わりである。

 しかしそれだけでは、一時壊れた治安を修復したにすぎない。しかも検挙率が四十%を割っている今、本当に警察の活動だけで社会の治安を維持しているといえるのだろうか。この問題を根本的に解決するには、理念と政治が必要になる。治安を維持する為に理念が政治を動かし、実験的にY県にSPが創設されたのである。

 SPエージェントである西郷がいくら説明したところで、警察官の篠田警部が納得することはないだろう。SPの活動は、警察では違法行為だからだ。西暦2000年以降に、警察ではない組織がY県の治安を守っているという現実が受け入れられないのだ。

 東京で生まれ育ち、今も暮らしている篠田から見れば、Y県は遠い地方都市で人口が少ないから事件が少ないと、思いがちだが、実際はSPの活動が事件の発生を抑えているのかもしれないと認識した。

 今度は西郷が、篠田警部に怒髪天についてどれくらい知っているのか尋ねた。篠田は昨日の今日なので殆ど知らないが、新聞や報道で知った程度では大がかりな殺人マニアグループね。相当手強そうだわ。と見解を述べると、西郷はその意見に同意しながらも、説明を付け加えた。

① 事前に調べて独自の基準で標的を定めている。

② 標的宅のセキュリティシステムを掻い潜って侵入。(事前に対策を練っている)

③ 標的に家族全員(ペット含む)が殺害される光景を見せてから最後に標的を殺害。その様子を撮影してネット動画サイトに公開する。標的の家族が別居している場合は、同じ日に殺害。怒髪天はその行為を天誅と主張している。

④ 現場を去る時は爆弾を仕掛け、関係者や警察官などが集まったところで爆発させて、証拠を吹き飛ばすと同時に二次被害を発生させる。

⑤ これまでに事件が発覚したのは二件だが、発覚してから怒髪天として犯行声明を出し、標的の悪事を暴露して、天誅の正当性を主張する。

⑥ 犯行声明の内容は裏がとれて、デタラメではない事がわかっている。標的は悪徳で有名な人物。

⑦ これまでにどれ位やったのか、そしてこれからどれ位やるのか不明。

⑧ 一連の事件で怒髪天が世間の耳目を集めて、怒髪天をかたって悪事をはたらく亜種が発生している。

 これらが今のところの怒髪天に関する情報だ。無論警察は毎日必死に捜査しているが、有力な手掛かりや証言は出ていない。篠田警部は西郷の話を聞きながら考えを巡らせ、

「……ちゃんと調べてから標的を決めて、誰にも見つからずに忍び込んで殺害した上に爆弾仕掛けて帰るわけ?かなり大掛かりな組織よね、きっと 」

「多分 」

「それに発覚した後に犯行声明と映像を出すというのは、斬奸状のつもりかしら、まるで義賊気取りだわ。そこでSPさんはどんな捜査をしてらしたの? 」

 篠田警部の声には多少皮肉がこめられていたが、西郷は気にかけずに、「これ以上はここでは話せない。後で…… 」と言って濁し「そして岡崎は今日Y県へ、帰る 」と言うと、岡崎は、御先に失礼しますと笑った。

 こうしてSPと篠田警部の初ミーティングは和やかに終了し、岡崎は東京駅に向かった。西郷は勘定をルームチャージのサインで済ませ、篠田警部とレンタカーで初秋の夜の街へ繰り出した。東京ではインフルエンザが流行しているということで、マスクをつけた人を多く見かけていたが、篠田警部もつけているので西郷も面白がってマスクを買ってつけた。篠田警部は西郷が警察官ではないので、西郷さんと呼ぶことにし、西郷は年上の篠田警部に敬意を表し、警部と呼ぶことにした。今夜もラジオのニュースを聞きながら都内で何千・何万と行き交うトラックを眺め、空調機がついたトラックを重点的に調べた。

 篠田警部はこの日は常勤と夜勤となるのだが、徹夜は慣れていると言い、張り切って西郷をサポートした。食事休憩は午後十時頃から約一時間あるので、篠田警部はファミレスを希望したのだが、西郷は拒否した。たとえ食事休憩中であっても、車を眺めながら必要ならすぐにでも追跡できる状態を保っていたいと主張したのだ。彼女は、せめて食事時間くらいゆっくり食べたいと思ったが、今日のところは西郷にあわせることにして二人はコンビニに入った。

 篠田警部は弁当と御茶を買うついでに用をたしたが、西郷は用をたした後、カロリーメイトと水を少しだけ飲んで済ませた。不思議に思った篠田警部が理由を訊くと、以前に腹を撃たれて非常に苦しんだ経験から、勤務中は飲食を控えているのだと答えた。

 彼女は率直に驚いた。自分自身、これまでに銃撃された経験は無いし、都内でもあまり聞いたことがないからだ。なのにそれをさらりと言うからには、Y県では特異なことではないのだろう。Y県の治安維持活動は、それだけ危険が伴っているのだろうと察した。

 篠田警部は警察が日本の治安を守っていると自負しているが、西郷と話をする内に、Y県で実際発生している事件の情報が意図的に伏せられているような気がして、違和感を覚えた。事件報道がないからといって事件が無い=平和というわけではないのだ。

 今回の怒髪天事件が、総務省と公安がSPに協力を要請した以上、これまでの事件捜査とは一線を画すことになると理解出来た。この夜は、西郷と篠田警部のコンビ初仕事であったが、怪しいトラックは発見できずに夜が明けた。西郷は篠田警部を自宅に送り届けてからTホテルに帰った。お互いプロなので、これからもうまくやっていけそうだという感触を持った。


 2章


 その日の夕方、西郷が指名した若い巡査、稲葉良彦の合流が許可されて、篠田警部と共にTホテルのラウンジにやってきた。稲葉は身長175センチ位、痩せ型で真新しいスーツが初々しい印象を与えた。彼の真面目で正義感が強そうな顔つきを西郷は気に入っていた。挨拶が済むと、まだ若い稲葉は人懐こい笑顔を見せた。怒髪天事件で西郷に指名されたことが嬉しいらしい。しかしその顔色は嬉しさの中に少し翳りがあった。

 というのもこの日、世田谷の住宅地の一角で爆発事件が発生したのだ。西郷が不審なトラックを目撃したという情報を元に、警察が連絡の取れなくなった家がないか捜査した結果、老人介護サービス全国展開している会社社長宅が浮かび上がり、介護会社の専務と警官一名、それに爆発物処理班五名が同行して家の中に入ったところ、家族全員の頭部がダイニングテーブルに並べてあった。驚いて鑑識や応援を呼んでいるところに爆発があった。遺体があった部屋が吹き飛び、警官と専務が即死、装備をつけた爆発物処理班の二名は無事だったが三名が負傷した。

 夜勤明けの篠田警部は電話で呼び起こされて会議と捜査に加わり、これに稲葉も加わっていたのだが、西郷は警察官ではないので呼ばれることはなかった。これについては契約なので、悪びれることはない。夜の昼もなく働かされては身体が持たない。

 西郷は午後三時頃ホテルで目覚めてから、午後のTVワイドショーで事件を知った。午前十時頃に爆発があって、怒髪天の犯行声明があった。被害者は大手介護サービス会社「マハコム」の社長とその家族六人とペットだった。怒髪天が公開したCGと合成音声による犯行声明の一部を見て、西郷は苦虫を噛み潰した。

(以下怒髪天声明の抜粋)

「我らは怒髪天。マハコム社社長 五島智雄とその家族に天誅を下した。表向きはクリーンなイメージを保ちながら、実態は社員を酷使し介護はおざなり、そして政府から多額の補助金を得ていた。このような悪徳な企業の代表に我々は死を与えた―― 」

 西郷は怒髪天の身勝手な声明を聞きながら、あの夜目撃した怪しいトラックの残像を思い出していた。トラックのジュラルミン製の囲い台には空調機が付いていた。あれなら大人が十人は乗っていられるだろう。運転席には二人、夜なのにサングラスとマスクをつけていた。あの時稲葉が、自分じゃなくあのトラックに職質をしていれば何か掴めていたかもしれないと悔いは残るが、今となっては仕方がない……。

 怒髪天の犯行声明は、これまでのマハコム社の所業を細かに説明し、社会問題にまで発展した経緯を語り、罪に対する罰がどれほどつりあわないかを強調して天誅を下した正当性を主張していた……。

 西郷は怒髪天の声明を思い出しながらコーヒーを飲むと、稲葉がおずおずと話し始めた。それを聞いて、彼の顔が翳っていた理由がわかった。そのことについて話す稲葉の声は沈んでいた。殺害された社長宅に入った警官は稲葉の同僚で、現場で即死したのだそうだ。自分が今回捜査に加わっていなければ、おそらく現場に入ったのは自分で、死んでいたかもしれないと西郷に告げた。西郷と稲葉はお互いの目を見ていた。

「そうだったのか……。それは気の毒にな。やれやれ、なんてこった。

 私は君よりも少しばかり出会いも別れも多く経験している。亡くなった同僚の供養は十分にしてやるといい。それは君と同僚のためだ。今回のことについて、君がそのように考えて気が落ちるのもわかるが、こうして新しいスーツを着て、新しい舞台にいることも又事実だ。私は君に可能性を感じて、あえてチームに加えてもらったのだ。そのことで君が命を拾い、同僚が死んだと考えるのも道理だが、一方で、今回のことで新しい舞台で結果を出してもらいたいという期待を背負っているという道理もある。

 つまり、過去の事実はやり直しのきかないものだが、事実に対する君の考え方一つで君の気持ちは色々に変化するということだ。気が落ちたままで仕事をすると、良い結果はまず出ない。すると辛い結果が続いて行く先は暗い未来につながっていくのだ。

 よく泣きっ面に蜂なんていうだろう。あれは結構良い教訓でね、何かあって泣いていて、気が落ちたままでいると、もっと辛い目(未来)に会うということだ。結局は自分の気の持ちようでやることなすことが変ってきて、おのずと結果も良くも悪くもなっていくということなのだ。それは未来につながってゆく。

 今の辛い気持ちを、なんとか私との出会いで乗り越えてもらって、これから良い結果を出していこうじゃないか。私はそう願うよ 」

 西郷の言葉は稲葉の心に一つ一つ沁み込んでいった。自分が生き、同僚が死んだのは事実。これは目の前の西郷が自分に期待をかけて抜擢してくれた故に生じたことだ。自分にとっては命拾いした幸運だが、同僚にとっては突然の不幸。自分はこれに動揺していた。しかしこのままでは、西郷の期待に応えることができない。ならば死んだ同僚の供養をしよう。そしてけじめをつけよう。そして気を持ち直して同僚の分まで仕事に励み、怒髪天を捕まえて仇をとってやろう。という気持ちが湧いてきた。そう考えると気持ちが軽くなってきた。それどころかやる気が出てきた。その変化は、稲葉の目をみればわかった。もはや翳りは吹き飛び、若者らしい力がキラキラと放射されてきた。

「西郷さんの言葉、よくわかりました。なにか救われた気分です。有難うございました 」

「いやいや、それは君次第だから、これからだよ。大事なのは今だし、一緒に良い結果を出して良い未来にしようよ 」と西郷は頼もしい笑顔で言った。

 篠田警部はこのやりとりを眩しそうに見ていた。久々に見た素晴らしい光景だ。もしも自分であったら、このように若者を励ますことができたであろうか。否である。自分の方が先に稲葉に接しており、彼が気を落としているのは気づいていた。それなのに自分ときたら、ありきたりの慰めを言った後はとりあうことはなかった。

 自分のやることなすことで未来が良くも悪くもなるというのは、至極当たり前のことである。しかし西郷のような男に面と向かって言われると、胸にドキリとしたインパクトを感じる。西郷がいつも冷静で体調を整えているのは、プロとしての自覚と姿勢だと思っていたが、おそらく良い未来を願って今ベストをつくそう、そして良い結果を出そうとしているのだろう。そう考えると、西郷の考えかたや行動に俄然興味が湧いてきた。

 西郷はラウンジで何気なくコーヒーを飲みながら、あっさりと稲葉の気持ちを変えた。篠田警部は西郷の指導力が意外であり、それを羨ましく思った。これが稲葉にとって良い影響を与えたのは間違いない。これがきっと捜査に良い結果をもたらしてくれるような気がした。稲葉に笑顔が戻り、三人の雑談が盛り上がったところで散会となり、稲葉は帰宅して西郷と篠田警部はレンタカーで東京の街に出た。

篠田警部は西郷を見直したことを言おうとしたが、その前に西郷が城之内に電話をかけてしまったので言いそびれてしまった。

「――私(城之内)だ。何かやらかしたのか 」

 自分が電話をすると、彼の第一声はいつもこうだ。と、西郷は苦笑した。

「西郷です。今車の中からです。ハンズフリー通話なので、違反の心配はありません。篠田警部も一緒です 」

「そうか、それで? 」

「今日世田谷で爆発事件があったそうですね。連中の犯行声明をTVニュースで見ました。やはりあのトラックが犯行グループをどこかに移送しているところだったと考えます 」

「君としてはそう考えたいところだろう。だが我々はまんまと天誅とやらを実現させて、トラックを見逃してしまった。おまけに爆破事件で死傷者付きだ 」

「まったくです。いいわけもありません 」

「連中(怒髪天)が被害者を惨殺している動画データがあるが、見るか 」

「結構です。前に見た事があるし、気分が悪くなるので見たくありません 」

「そうか、常勤ではその事後処理と目撃者の洗い出しをやったが、今のところ有力な手掛かりはまだない。まったくいいようにやられているよ 」

「ええ、そうですね。しかし必ず尻尾を掴んでみせますよ 」

 西郷は、静かな闘志を言葉に込めた。

「その言葉が聞きたかった。ところで篠田警部と話がしたい。篠田警部 」

 篠田警部は急に呼ばれて驚いたが、落ち着いた張りのある声で返事をした。

「篠田です。こんばんは 」

「こんばんは、御疲れ様です。どうですか、西郷の働きぶりは? 」

 篠田警部は少し考えるような素振りで、横目で西郷を見ると、こう答えておいた。

「……そうですね、まだよくわかりませんが、やや勘に頼る捜査をしているように見えます。しかし、事件の性格上そのような要素も必要と思います。従って適切。穏やかな方で一緒にいても疲れません。先ほども落ち込んだ若い警察官のやる気を出させたりして、とても良い方だと思います 」

 城之内はそれを聞いて、ほうほうと森のフクロウのような声を発した。これによって、篠田警部が西郷をそのように見ていると二人にわかった。

「彼は警察官ではないので、扱いにくいかもしれませんが、有能だと思いますのでうまく使ってやって下さい 」

「こちらこそ」篠田警部が返すと、西郷が本題に入った。

「私は疑問に思っているのですが、どうして警察は事件後の爆発の度に犠牲者を出すのでしょう。今回も又犠牲者が出ました。そろそろ不用意に現場に入るのを控えた方がよいと思うのです。例えば連絡不通の家に入るときは、爆発物処理班の要請を義務付けるとか、できないものでしょうか 」

「なるほど、君の疑問はもっともだ。しかし今回も爆発物処理班を呼んでいたのだよ。問題は、爆発のタイミングだそうだ。君は捜査会議に出ていないから知らないだろうが、連中が仕掛けているものはいずれもプラスチック爆弾だ。

 実は科警研(科学捜査研究所)も驚いていたのだが、起爆の仕組みが尋常ではないそうだ。例えばドアを開けたら起爆スウィッチが入るとか、時限式とかそんな単純なものではないらしい。科警研の報告によると、爆弾には小型カメラとマイコンが付いていて、部屋に入ってきた人数を数え、部屋の人数が最大になったところで爆発する仕掛けだったそうだ。だから人が部屋に入ってもすぐには爆発しない。それで油断を誘い、部屋に来た人数をカウントして、一人でも犠牲者を多く出そうとする意図が伺えるそうだ。それに爆発物処理班の防爆装備に対抗するためか爆弾の威力が強くなっているらしい。つまり連中は最後まで一人でも多く殺そうとしているわけだ。最高、いや最悪の捜査妨害なのだよ 」

 城之内の説明を聞いていた西郷と篠田警部は、怒髪天の酷さに言葉を失った。標的と家族を惨殺するばかりか、後から来る警察にも犠牲をしいるための仕掛けをするとは……。しかし城之内も西郷は屈しない。逆に闘志が湧いてくる。だからSPの出番なのだ。

「それでは人ではなく、ロボットを使うのはどうです?連中が犠牲者狙いなら、もう爆破させたらどうでしょうか 」

 思わず熱くなった西郷に、城之内は少し笑ってしまったようだ。

「これ以上犠牲者を出したくないという君の思いはわかった。私も同感だ。早速公安を通して通達させよう。これは私見だが、警察はまだ通常の連続殺人事件と思っていて、ついいつも通りに現場に入ってしまうのではないかな。とにかくこの通達の徹底で今後の犠牲者は防げるはずだ 」

「御理解ありがとうございます。これ以上犠牲者を出したくないという一念であって他意はありません。 警察は連中を単なる犯罪者グループと見ているようですが、これほど巧妙にやられると、世間では徐々に連中を賛美する者が出てきているようです。それが危険だと思うのです 」

 今はインターネットで、怒髪天についてあらゆる意見や考えが、その真偽、深さの度合いが一緒くたになっている状況を誰でもいつでも発言し又閲覧できる。かつて被害者にひどい目にあって恨んでいた人々が、連中を支持して正に天誅を下してくれた。と溜飲を下げるのならまだしも、全く関係のない人々が興味本位で面白がって煽るような意見を乗せるのはどうだろう。勿論良識的な意見を寄せる人もいるのだが、やはり社会(都内)を恐怖に陥れている組織を義賊として受けとめている人がいるのを不安視した。

こんな状況では、人々が連中を庇って警察に有力な情報が入ってこないのも頷けるが、西郷も一緒に頷いている場合ではない。何とか怒髪天に関する有力な情報を掴まなくてはならないから、西郷は自分なりの考えで内偵を行っているのだ。

 怒髪天が公開している標的・家族惨殺映像には、大体五六人の覆面をつけたグループが映っていた。連中が静かに怪しまれずに移動可能なのは、トラックかワンボックスに乗って移動しているのではないか。それにコンビニや宅配便や引越し業社等のカムフラージュを施していれば、深夜に走っていても、怪しまれる確率は低いのではないかと仮説を立てた。そこで事件の目撃情報や証言が乏しい今、都内のトラック一台一台を調べる訳にはいかないから、勘を頼りに調べる方法が良いと思ってやっているのだ。

 城之内は西郷の意見に再び同意した。世間で有名な奸物を殺害した上で公開することを繰り返し、警察が逮捕できないとなれば、警察を非難する人やそれを痛快に思う人が出てきてもおかしくない。又怒髪天を名乗り悪事を働く所謂亜種も増えている。

 城之内と西郷の電話のやりとりを聞いていた篠田警部は、警察批判をされていると思い、黙っていられなくなって警察の立場で事態の説明を始めた。しかしSPのエージェントの二人が怒髪天について検討している中で、それを語ったところでどうなるものでもなかった。篠田警部が途中で空しくなってやめてしまったので、城之内は話を切り上げ、今後犠牲者を出さない具体的な提案を警察側に提案することを約束して電話を切った。

 長い会話だったのかもしれないが、案外短かったのかもしれない。答えの出ない空しい議論とはそういうもので、疲労感が車内の二人の肩にずしりとのしかかった。西郷はそれでも車を走らせながら不審トラックの捜索を続けていた。このまま黙って夜が明けても西郷は問題なかったが、篠田警部の胸の中にはもやもやが溜まっており、黙っていられなくなった。彼女は気分を変えようとラジオをつけた。深夜放送の番組は、リスナーから届いた恋愛についての悩みを誰もが納得するかたちで解説してくれるというものだった。

 この夜は、リスナーの女子高生がサッカー部の先輩に憧れていて、何とか彼に近づきたいという想いを述べていた。しかしそのきっかけがつかめない。どのようにして自分の想いを伝えればよいかわからないというのが悩みの一つだった。そしてその先輩がどんなに素晴らしい人であるかを述べてリスナーの関心を高めさせていた。

 それについて他のリスナーがどう思ったか、自分だったらこうするなどの意見がメールで寄せられてDJがそれを読み上げて議論が膨らんでゆく。時計をみるともう十一時を過ぎていた。西郷はそれを聞き流して不審なトラックを探していた。ふと助手席を見ると篠田警部はラジオの議論に耳を尖らせて聞き入っていた。そして時々、そうねぇ、とか、しっかりしなさいなどと言って見ず知らずの女子高生の相談相手になっていた。

 そして西郷に男性としての意見を聞いてきたのには少々驚いた。今は勤務中なのでそれどころではないのだ。これまでそんなことはなかっただけに城之内との電話連絡が何か影響したのだろうか、西郷は今勤務中だから、あまりラジオに傾注しないように窘めた。すると、西郷のあてのない不審なトラック探しが勤務といえるのかと言い返してきた。

 彼女は西郷の勘に頼ったこの方法がはじめから気に入らなかった。やはりここは情報屋から情報を仕入れたり、現場から何か証拠を見つけたりして、そこから犯人に迫っていく方が論理的だと言った。しかし犯人はもう怒髪天とわかっている。この組織の尻尾を掴む良い方法が欲しいのだ。警部がいう手法は昼間に大勢でやっている。だから私はこの方法をとっているのだと説明すると、だったら怒髪天が次に標的にしそうな人物を探し出して網を張ったらどうかと言った。

 西郷は東京に来る前に、今は悪辣な人物を糾弾するために個人情報付きで公開するサイトが幾つもあって、それを参考にして捜査をすればいいと提案していた。それでその様な捜査も昼間にやっている。怒髪天が公表した天誅事件は今回で三件、その中で暴露サイトが悪徳と糾弾していた人物が一人いた。ということは怒髪天が独自に調べて天誅の標的を定めているということになり、このサイトは怒髪天との関連を裏付けるものにはならなかった。現実にサイトの運営者を調べたが、怒髪天との関連はまったくなかった。それに自分の任務は夜の内偵だから、それはやらないときっぱり言うと、彼女は、納得はしていなかったが、理解はしてくれたようだった。

 夜にこんな成果の期待できない仕事に長時間立場の違う二人で過ごしていると、ついつまらないことで衝突が生じるのかもしれない。しかし西郷は諦めたりはしない。怒髪天の犯行グループは天から舞い降りることはない、地から湧いてくるわけでもない。必ず夜に誰にも怪しまれない移動手段があるはずなのだ。それをつきとめることこそがこの内偵なのだ。たとえそれが頼りない夜回りであっても、いつか本当に不審なトラックにあたるかもしれない。あたらないかもしれない。西郷と城之内はあたるとかけているのだ。この方針にそったもっと有効な方法が他にあれば幾らでも言ってくれ。それ以外はこの車内では駆逐されるべきだ。警察ではこんなやりかたは非難されるのかもしれないが、SPが警察と同じことをしても仕方がないではないか。西郷は冷静に諭すように自分の信念を篠田警部に語り続けた。篠田警部はしばらく考えていたが、漸く納得してくれた。

 こうして車内は久し振りに又友好的な空気に変った。それは篠田警部が真剣に西郷の話を聞き、考えてくれたからである。だから結論が出て納得できたのだ。篠田警部は、西郷の一貫した強い姿勢に内心感心していた。自分は警察が批判されていると思い込み、警察官として西郷の方針を批判して否定したのに、西郷はそれに激することなく冷静に対応してくれて、結局は意固地になっていた自分を納得させてくれたのだ。このような経験は初めてであった。

 それにSPの城之内と西郷の上下の関係も不思議といえばそうである。城之内は、警察の捜査にTV会議で出席しているのを見たことがあるが、上質なスーツに身を包み、優しそうな風貌でSPの代表としての凛とした姿勢を見せて、忌憚の無い意見を述べる優秀な人物という印象を皆に与えていた。しかし西郷との電話のやりとりを聞く限りは、西郷に対して高圧的なところはまったくなく、西郷も上司である城之内に自由に話をした。そして城之内は話を良く聞いて、筋が通って納得すれば承認した。更に常に西郷の活動や生活に不都合がないように配慮する姿勢が見えた。

 それともう一つ驚いたのは、警察との捜査会議の上では、現場で爆発があり犠牲者が出たことが報告されたが、西郷のようにこれ以上の犠牲者を出さないようにするにはどうしたらよいかと提案する警察官はいなかったことだ。それぞれが熱心に会議に参加していたのだが、そのことに対策を講じようという者はいなかった。参加していた篠田警部でさえも気の毒には思ったが、その先への発言には至らなかった。城之内でさえ、このことについては言及しなかったというのに……。

ところが西郷は会議に参加していなかったにもかかわらず、犠牲者が出たという情報を得てから直ぐに城之内に電話して提案したのだ。おそらく西郷が会議に参加していたら躊躇なく、そういった趣旨の発言をしていたことだろう。

 そしてそれを聞いた城之内は西郷の意見を電話で了承したのだから、おそらく翌日の会議で発言するだろう。篠田警部にとってこの二人は、警察組織にはいないタイプの人間という印象を強く受けた。

篠田警部はあらためてSPのエージェントである西郷に興味が湧いてきて、個人的なことも知りたくなった。西郷は注意深く状況を見ながらも、篠田警部の話し相手になった。

「西郷さんは、奥さんいますよね 」

「いる 」

「お子さんは? 」

「小学五年の娘と三歳の息子です 」

「写真見せて下さらない? 」

「写真は持っていません。画像データもです 」

「あらどうして? 」

「こんな仕事をしていると、持っていると色々と危ないからです。警部は独身でしょう? 」

「どうしてわかったの? 」

「なんというか、仕事にかけている感じがするのです 」篠田警部は少し間をおいて、「そうかもしれないわね、今は恋人もいないわ 」と本当のことを言った。

「……Y県はまだまだ田舎でね、早く結婚して子供をたくさん持つことが家の繁栄になると思っている人が多いのです。若い頃はそれがウザかったですが、今では人の自然な道として同意します。今ではもっと欲しいくらいです 」

 西郷は子供の話をする時は顔がゆるむ。篠田警部はそのギャップを見るのが楽しくなった。そして率直に羨ましいと思った。自分にも結婚願望があり、将来結婚して母になる希望を捨ててはいない。過去に結婚の機会は幾度かあったが、色々あって仕事に生きると決めたのだ。その結果、警部に昇進してますます成果を求められる立場になって、結婚は一層遠のいたと思っている。これまで恋愛・結婚について多くの人から色々な事を言われたが、心に響くものはなかった。

 今恋人がいないのは本当だ。自分にだって性欲はあるし、年齢を考えると恋人の一人も欲しい気持ちは強いほうだ。しかし同じ男と長続きしたことがない。これは自分だけではどうにもならず、ふったりふられてきたのだ。多分自分を押し通してしまう傾向の性格が相手を遠ざけてしまうのだろうか?などなどそれらを考え始めると、本当にどうしたらよいのかわからなくなってしまうのだった。

「……ごめんなさいね、自分から話ふっといて、私の方が答えにくくなっちゃった。仕事しましょ仕事 」

「してますよ。警部、前のトラックに近づくからナンバーを控えて照合して下さい 」

「どうしたの? 」

「あのトラックが気になる。他に比べて用心深く走っている 」

「只今模範運転中、お先にどうぞってステッカー貼って名前まで表示してるじゃない」「勘ですよ、ダメもとで調べて下さい 」

「はいはい。これで何度目の勘なのかしらね…… 」

 篠田警部は携帯電話をかけてトラックのナンバーを照合してもらい、八王子の運送会社のトラックである事が確認された。西郷はそれを聞くと、一度トラックを追い越してバックミラーに映るトラックの運転席と助手席の人物を確認した。男二人で、白いマスクを着けていた。前に世田谷で見かけたものとは違うようだが、西郷のアンテナは“怪しい”と反応していた。

「篠田警部、あのトラックがどうも気になるので八王子の運送会社に行ってみましょう。あの運転手は故意に顔を隠している感じがするのです 」

「了解です。でもそんなに怪しい感じはしないんですけど…… 」

 西郷は今回の事件について、未だに有力な手掛かりが乏しいのは、犯人は警察官が見て怪しいと思わない人物のグループではないかと考えていたので、篠田警部の意見は少し後押しになった。


3章


 西郷はレンタカーのナビシステムを使って最短コースを辿り、八王子の工業団地の一角にある小さな運送会社の正面門前に一度車を停めた。それからゆっくりと運送会社の周りを回って観察した。警備員はいないものの、百五十坪程の四角い周囲を高さ約三メートルの壁で囲い、正門のところに監視カメラを設置していた。この壁は後から施工したらしくまだ新しい。頑丈な鉄扉の隙間からわずかに見える建物は明りがついていたが、人がいるかどうかはわからない。不審なところは見えないが運送会社の規模にしては、警備と防御が厳重に見える。

 時刻は午前一時過ぎ、西郷は車を正門付近で監視カメラの死角を選んで停めた。周りは既に車の往来はなくひっそりとしており、虫の音が静寂を際立たせていた。篠田警部がこの運送会社をノートPCでインターネット検索すると、会社のホームページがあったので、それを読んでいた。資本金は五千万円で従業員は九名の零細企業だ。それでこの頑丈な壁と監視カメラは、不自然だと言って珍しく西郷と意見が合った。

 西郷は正門前に車を停めると、軽く背伸びをした。

「西郷さん、これからどうするつもりなの? 」

「そうですね。例のトラックが戻ってくるのを、ここで待つとするかな 」

「戻ってきたら職務質問でもするつもり?それだったらあたしがやるわ 」

「是非御願いします。それと、あの会社に電話してみて下さい、中に人がいるのか確かめたいのです 」

 篠田警部は承知して電話をかけた。もし出たら間違い電話とわびて切ればよい。結果は誰も電話に出ることはなく合成音声の案内で、メッセージ録音モードになった。

 しかし西郷には、あの建物が無人とは思えなかった。人の気配がするのだ。とすれば、社員は監視カメラでこちらを見ながら、息を潜めてトラックが戻るのを待っていることになる。そう考えると、この運送会社がますます怪しく不気味に思えた。

「西郷さんがここまで追いかけてきたのは初めてね。その根拠を教えて下さらない? 」

「そんな、根拠というほどのものはないですよ。ただおかしいなという感じが拭えず逆に増したから、それを確かめたいというだけです 」

 西郷がそう言ってはにかんだ笑顔を浮かべると、篠田警部は彼の目を見て微笑んだ。彼の自信のようなものが小さく見えた気がしたのだ。だが彼女は、本当は全部西郷の妄想かもしれない。そう、この暗闇の中で、穏やかに聞こえるコウロギの音が気分を静めてくれる空間では、ぜんぜんピンとこないのだ。ロマンチックといえなくもない。篠田警部はY県からやって来たこのミステリアスな紳士と、もっと私的な会話をしてみたいと思っていたが、それがとてもかなわないほどに西郷は緊張の糸を張っていた。

 西郷は車のドアロックを確認し、エンジンをかけたまま窓を少しあけ、ラジオを切って耳に神経を集中させた。彼は聴力が優れていて、音を感じ取ることを得意としていた。はじめはコウロギなどの虫の音が聞こえたが、それを無視して神経を集中させた。そうしていると、虫の音以外に色々な音が聞こえてきた。エンジンの音、遠くの方で車やトラックがこちらに近づきそうで遠のく音、隣の篠田警部の息づかい、そして自分の心臓の鼓動。

 それから二十分ほどが過ぎた。例のトラックが帰ってきてもよさそうな時間だが、西郷の鋭い聴覚は、運送会社の方からドアが静かにゆっくりと開閉する音を聞きとった。やはり社員はいたのだ。しかし普通ならすぐさま聞こえるはずの足音が聞こえてこない。なぜ社員はドアの音をひかえ、足音を抑えるのか。やがて人の足音が僅かに聞き取れたが、それは小さくトツトツと不規則だった。そしてその音はこちらに確実に近づいてくる。

「篠田警部、監視カメラがあるので顔と身体を動かさないで聞いて下さい 」

西郷は前を向いたまま、篠田警部に小声で言った。

「えっなに? 」

「どうやらあの建物には人がいて、監視カメラで我々を見ています。死角を選んで車を停めたのですが、近頃のは性能良いし他の位置にもカメラがありますからね、そして人が静かにこちらに近づいて今、あそこの壁に隠れて息を潜めています 」

「嘘、あたし何も聞こえなかったわ 」

「私には聞こえていました。もうこれは勘ではありません。今はまるで、我々に襲いかかるタイミングをはかっているようです 」

「……わ、わかったわ。とにかく、お、落ち着かなければ、ね 」

 篠田警部は、西郷の真剣な顔と声に恐怖を感じ、息が荒くなり、体中がガタガタと震えがきたのを必死でおさえた。緊迫した時間というものは、長く冷たく感じるものだ。西郷はそれを全身で引き受けて、両耳に神経を集中させていた。

 ズザッという音と共に正門鉄扉の小扉が急に開き、人影が飛び出してきた。西郷は男の右手に拳銃が握られているのを確認した瞬間、「来た。伏せろ! 」と叫ぶと座席シートを後に倒し、車のライトをハイビームにして、ギアをバックに入れてアクセルを踏み込んだ。

人影は170センチ位の男で、いきなり発砲してきたが、レンタカーの反応は意外に速く、タイヤがキュキャキャッと音を立てて急速でバックし、男との距離をあけてくれた。男は走って追いかけながら撃ってきた。

 男が放った初弾は運転席ドアの窓ガラスを貫通したが、西郷が素早くシートを後ろに倒したので空を切り、左後ろのシートにめり込んだ。次弾は右ドアを貫通して角度を変え、西郷の右脇腹に食い込んだ。三弾は車の左前、四五弾は右フロントガラスに穴をあけ、砕けたガラス破片が威力を持って西郷の身体に降りかかってきた。男はなおも撃ってくる。

 西郷は仰向け状態のまま、顔を振ってガラスの破片を払うついでに助手席に目をやると、篠田警部がシート下の足を伸ばすところに小さく丸くなって顔を伏せていた。続けざまの銃声と弾がどこかに着弾して貫通する衝撃波に、ビクッビクッと体を反応させていた。

 西郷が「手を伸ばしてハンドルを固定して」と頼むと、篠田警部は言われた通りにそのままの状態から両手を伸ばして、しっかりハンドルを握ってくれた。さいわいなことに直線の二車線道路で障害物はないので、男との距離は十五メートル位になっていた。

 西郷はオート・パワー・ウィンドウのスウィッチを入れて両側の窓を全開にすると、右手を左の懐に入れてS&W357マグナム6インチ銃を抜きながら撃鉄を起こした。ライトをハイビームにしているので、こちらからは相手の姿がよく見える状態で、頭部に狙いを定めた。距離が約二十メートルになった時、両目と銃のリアサイトとフロントサイト、そして男の頭部が一致した瞬間に引き金を引いた。「パッグォーン」と大きな銃声とともに車内に閃光が走り、弾は男の額に当たって仰向けに飛んだ。

 西郷は更にダブルアクションで二発速射した。篠田警部は車内で生じたとんでもない銃声と鋭い衝撃波に驚いて、思わずハンドルを握った両腕に力を込めた。すると高速でバックしていた車が大きくバランスを崩して激しく蛇行を始めた。さすがに慌てた西郷がブレーキをかけて銃を懐におさめてハンドルを握ったが既に遅く、車はひっくり返って二回転して漸く止まった。

 西郷は轟音と共に転がる車の中で、寝そべった状態で体を固定していない篠田警部を引き寄せて抱いて守り、せめて車輪が下にくるように身体を動かして車の重心を移動させた。車が車輪を下に停止すると、篠田警部はパニックに陥ってガタガタと震えていた。

「警部、どこか痛いところはないですか 」

「ええ、大丈夫よ、西郷さん顔から血が出てるわ、キャー、ギャー 」

「ガラスの破片で少し切っただけで大丈夫です。落ち着いて、落ち着け!深呼吸! 」

 そう言われた篠田警部は、西郷の上で抱かれたままで荒く深呼吸すると、状態は少し治まった。西郷は優しく篠田警部の体を助手席に移してやると、後に手を伸ばしてキャディバッグを引っ張り出し、中から八九式小銃と手榴弾を取り出した。

「敵の二次攻撃の前に、これから反撃に出ます 」

「ええ?あたしが応援を呼ぶから、やめときなさいよ 」

「応援は是非呼んで下さい。でも私は行きます。銃を持っていますか 」

「持ってないわ。あなた無許可で発砲してどういうつもり。これは大問題になるわよ 」

 ボコボコになった車の中で、手早く小銃に実弾を薬室に送り込み、弾倉や手榴弾をポケットに入れながら篠田警部の言葉を聞いた西郷は、彼女の顔を見て目を丸くして言った。

「御言葉ですが、私が撃たなければ我々は死んでいたのですよ。それに私は警察官ではない。死ぬのは御免です。今はこの場を切り抜けるのが最優先です。私は行くのでこれしかありませんが、持っていて下さい 」

 西郷は左懐から自分のS&W357マグナムを抜き出して補弾すると、篠田警部に銃把を向けて差し出した。篠田警部は初めての銃撃にひどく混乱していた。大きな銃声がするたびに、銃弾が飛んできて、足から頭を貫く鋭い衝撃波が襲いかかり、もしも弾が自分の体に当たっていたらと思うと、恐怖でゾクゾクと悪寒が走り、再びガタガタと震えがきた。

 しかしそれを救ってくれたのが目の前の西郷。彼がいなければ自分は死んでいた。今は非常事態、それにまだ終っていない。どうする。どうすればいい。篠田警部は警察官としてあるべき姿を何度も自問していた。

 もしも西郷が警察官であったら、あのように反撃することなく自分たちはとっくに死んでいたかもしれない。しかし、あのトラックを追ってここにはこなかったはずだ。今夜も収穫無しということで無事に終っていたことだろう。しかしそんな平凡な夜を上層部は一日だって望んではいない。だからY県からわざわざSPエージェントを呼んだのだ。篠田警部は、ここで警察とSPの違いがわかった気がした。

「ごめんなさい。あたし気が動転していて、でも銃はいらないわ。あたしも一緒に行く、怖いのよ、一人にしないで 」

 篠田警部はそう言いながらポケットからハンカチを出し、血と汗に塗れた自分の顔を優しく拭いてくれた。西郷は判断に困ったが「わかりました。私についてきて下さい 」と勢いで言ってしまった。本当は足でまといだが、仕方がない。右の脇腹が痛んだが、プロテクターを着けていたので助かった。右ドアを貫通して威力を損ねたとはいえ、9ミリ弾はプロテクターに食い込んで止まってくれたが、それでも激しい衝撃と痛みが走った。

 篠田警部は西郷の左手をしっかり握りながら、携帯電話で110番通報して状況を小声で説明し、最寄りの警察署から至急の応援を要請してくれた。西郷は周囲に誰もいないことを確認してから堅くなった車のドアを蹴り開け、運送会社の正門に向かって彼女と歩き始めた。さいわいの月明りで周囲を視認できたので、西郷は右手に小銃を持ち、周囲と壁の上も警戒しながら歩いた。反撃の気配はまだない。途中、西郷が撃った男が倒れているのが見えたので用心深く近づくと、彼女は両手を合わせてから、白手袋をつけて状態を確認し始めた。西郷は早く中に突っ込みたかったが、ここは警察に協力する必要を認めて、周囲を警戒して彼女を見守った。

「……三人もいたから三発撃ったのね。この人は額に弾を受けて即死。この人は弾が喉にあたって出血して呼吸不全。この人は左胸を撃たれている。全員の死亡を確認しました 」

 篠田警部は簡易的に検分しながら、西郷の冷静且つ迅速な危険回避行動と正確な射撃能力に感心していた。自分は相手が三人もいたとはまったく知らなかったが、遺体は車から約二十メートル離れたところに一体、更に十メートル先の運送会社の正門付近に二体あった。西郷は周囲を警戒しながらも、銃撃してきた男達の人相を見て内心驚いていた。端的にいえば、とてもこんなことをしそうもない普通の人々の顔と身なりだったのだ。しかも道端に転がっている拳銃をみると、シグ・ザウエル P226 9ミリ ではないか。一般サラリーマンや従業員にしか見えない男たちが、こんな高価で高性能の自動拳銃で襲ってくるとは、日本の治安はどうなっているのかと文句を言いたくなった。

 西郷はこの組織は手強いと感じた。まだ怒髪天と関係があるという確証はないが、今東京でこれほどのことをしでかす組織は他に思いつかない。しかも用意は周到で資金も豊富にあるようだ。死んだ男の射撃の腕は大したことはなかったが、多少の訓練を積んでいたことはわかった。一発も撃てず終いだった二人にしても、ここで死なずに生きていたら、どこで何をやらかしていたかと思うとゾッとする……。

 西郷が壁を背にして篠田警部の後ろで周囲を警戒していると、運送会社の敷地内からトラックのエンジンがかかる音を察知した。反射的に動いて正門鉄扉の小扉から入って動きだそうとするトラックを探した。耳の良い自分を欺くとは、よほど音を忍ばせたとみえる。四角い建物下の駐車スペースに停めてあった三台並んだトラックの内の一台が急発進して一目散に裏門に向かっていた。運転手は音を節約するためにドアを開けたままエンジンをかけて、動き出してからドアを閉めた。

 西郷はそのトラックを逃すまいと、腰を低くして走りながら八九式小銃を三点制限点射で撃った。パパパッ、パパパッというけたたましい銃声の連続で、5.56mm弾をトラックの左前輪と後輪、更に右側にまわりこんでトラックの右の前後輪に集中させると、タイヤのゴム部分はたちまちに吹き飛び、ホイールは火花を散らして停止した。

「もう逃げられんぞ、両手を挙げてトラックを降りろ! 」

 弾倉内の三十発中二十七発を撃った西郷は、三発を残して予備弾倉に交換し、右の運転席に後ろから近づいて、良く通る声で叫んだ。ここでどこからも弾が飛んでこないということは、もう敵は他にいないと判断した。

 西郷は小銃を構えながら移動して運転席を確認した。トラックにはシートベルトをかけた二人の男が座っており、それぞれ白いマスクに細型のサングラスをかけていたが、何も持っていない手を四本西郷に見せていた。運送会社の作業服を着た格好で歳は二十代中頃という感じで、人相はどちらかというと良いほうだ。髪は染めておらず短く刈り込まれ清潔感がある。それが西郷を少し戸惑わせた。

「エンジンを止めろ。ゆっくりだ…… 」

 野生の虎が獲物に襲いかかる直前のように、カッと見開いた西郷の眼力に圧された運転手は素直に従い、右手をゆっくりおろしてエンジンを止めた。その途端、車内の下から上へ炎が勢いよく噴き出して二人に襲いかかった。悲鳴をあげて炎を避けてドアを開けようとするが、ロックが固定されていて開かない。肩にかかったシートベルトをくぐるようにして逃げようとしたが腰ががっちり固定されてどうしようもない。二人ともマスクとサングラスをかなぐり捨てて必死で炎から逃れようとするが、激しく燃えるゼリー状のものが下からマグマのように噴射されてきて、二人の身体にまとわりつき、あっという間に火だるまになった。二人とも必死の形相で、熱い、助けてくれ、と悲鳴をあげた。

 それを見て驚いた西郷は、小銃についたストラップをくるりとまわし小銃を背後にさげ、運転席側のドアノブを引いたが開かない。何度もガチャガチャする内にドアが灼熱化して触れていられなくなった。ならばと銃床で窓を叩き割ると、燃える右手が悲鳴とともに突き出されたと同時に新鮮な空気が車内に入り込み、ゴォーという音と共に炎の勢いが更に強くなってしまった。西郷は上着を脱いで助けを求めて突き出された腕に捲きつけて火を消してやった。そのまま身体を引っ張り出してやろうとしたが、焼けた皮膚や肉が剥けてしまいそうなのでやめた。

 次に西郷は建物下の駐車スペースに走り、消火器を探すと一つあったのでそれをひっつかんで炎上するトラックに戻り、運転席に消化剤を噴射してようやく炎を消しとめることが出来たが、二人は既に黒こげになって死んでいた。自分では最善の措置をとったつもりだったが、火の手がはやく間に合わなかった。西郷はここでがっくりと肩を落とし、顔の血と汗をシャツの袖で拭った。

 その光景の一部始終を後から見ていた篠田警部が「西郷さん 」と声をかけて近寄った。火と煙は鎮まってきたが、トラック周辺にはイカが焦げたような悪臭に顔をしかめた。

「西郷さん、泣いてるの? 」

「……はい 」

「どうして…… 」

「まさか火が出るとは予想できませんでした。手を尽くしたのですが、二人を助けることが出来ませんでした。私には彼らが犯罪者にはとても見えず、必死に助けを求めるようすに無条件で助けようとしました。まさか身体の自由を奪われて焼かれるとは、熱かったろう。苦しかったろう。そして組織に見捨てられて、悲しかったろう。悔しかったろう。そう思うと、かわいそうでね…… 」と呟くように言うと、目を閉じて黙祷した。

 篠田警部にとって西郷の涙が意外だった。自分は過去に仕事で最後に涙を流したのはいつのことだったかも思い出せないくらいだ。警察官になって最初の頃は涙を流したことはあった。しかしキャリアを重ねるにつれて、どんな事件を担当しても涙は出なくなった。もはや涙は枯れたのかもしれない、それとも慣れてしまったのかもしれない。

 篠田警部は西郷のキャリアをあまり知らないが、まさかここで涙を流すとは、と思いながら西郷の横で両手を合わせた。

「篠田警部、我々はとんでもない組織を相手にしています。この二人はおそらく口封じのために焼かれたのです 」と西郷が小声で言った。

「まさか、そんなスパイ映画みたいなことなんてあるわけないじゃない 」

「いいですか、決して後ろを振り返らずにじっとしたまま聞いて下さい。

 事実だけ言います。我々は今も監視されています。あんなにタイミングよく火災を起こす為には、私がトラックを制圧した後、後の建物についている監視カメラの映像を組織の別の者がずっと見ていて、遠隔操作でドアをロックし火炎を放射するタイミングを狙っていたのです。目的は口封じ。他に考えられません 」

「えっ、それじゃ建物にはまだ誰かいるってこと? 」

「いいえ。あの建物にはもう誰もいません。気配でわかるのです。それに監視カメラの映像は、インターネットとPCを使えば離れていても見ることが可能です 」

 西郷は振り返って小銃を構えると、これを最初にやっていたらと悔やみながら可動式の監視カメラに狙いをつけて発砲して破壊した。篠田警部は西郷の動作を見て事前に両耳を手で塞いでしゃがんでいた。それでも銃声と衝撃波は彼女を貫いた。彼女はそれが過ぎ去ると立ち上がって西郷に言った。

「そんな……そんな組織なんて聞いたことないわ 」

「それは、自分が聞いたことがなければ、ないと言っているのですか。

これは現実です。この組織が怒髪天とつながりがあるかどうかは、まだわかりません。しかし彼らは、我々が張り込んで監視しているだけで、いきなり殺しにきたんですよ。それで返り討ちにあうと今度は逃走です。それも失敗すると口封じです。彼らはそれらを可能にするために必要なものを事前に備えていたのです。

 そして人です。死んだ男達は、私が見たところ普通の人でした。やくざでも訓練を積んだ戦闘員にも見えませんでした。意外でしたが、普段は働いたり学校に行ったりする、普通に生活している匂いしかしない人です。彼らはただ利用されていただけだと思います。

 私はこんな人が他にも都内に大勢いる気がします。普通の人が、組織の必要に応じて直ぐに協力してくれる体制ができているとでもいいましょうか。

 私は、この組織が怒髪天とつながっていて欲しいと思いました。というのは、もし怒髪天とは無関係で、このような組織が別にあるとしたら、東京はこいつらに乗っ取られますよ 」

「なんですって…… 」

 篠田警部は、西郷の所見を聞いて驚くと同時に恐ろしくなった。自分の常識をはるかに超えた組織が都内に根をはり、何かをしようとしている。西郷は東京が乗っ取られると言ったが、そんな確証はどこにもない。思い過ごしに決まっている。しかし、その言葉には腹にズシリとくる説得力があった。

 やがて遠くの方から微かにポリスカーと救急車のサイレンが聞こえてきた。それはこちらに向かってきているようだ。そして篠田警部の携帯電話が鳴った。自動車警ら隊からだった。要領良く状況とここの住所を伝えると電話を切り、「あたし、自ら隊の誘導に行きます 」と西郷に告げると、正門の外に出ようとした時、西郷が声をかけた。

「まだ油断出来ません。おそらく二階が事務所でしょうが、爆弾が仕掛けてあるかもしれませんから、爆発物処理班が来るまで二階の事務所には入らせない方がいいでしょう 」

篠田警部は肯いて、運送会社の正門を出て行った。


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