初めてのカレー
目の前に差し出された皿には、白い粒がたくさんに、茶色いペーストのようなものがかかったものだった。
現代社会に生きているものなら、カレーライスなど珍しいものではなかったが、ニーズヘッグにはそれが大変珍しく映っていた。
「ふむ、じゃあ早速……」
「あああ! ストップ! ストップ!」
ニーズヘッグはカレーライスが装ってある皿を持つと、皿ごと口へと運ぼうとした。
そんなことをされてはたまらんと、桐太は慌ててニーズヘッグを止める。
「なにさ、なんで我が食べるのを邪魔する」
「あんたがなんでも食べるのはわかったけど、それは皿ごと食べるんじゃなくて、これで皿の上のをすくって食べるんだよ」
桐太はそう言って、銀のスプーンをニーズヘッグへと差し出した。
ニーズヘッグはそんなちまちましたことは煩わしいと思ったが、仕方なしにとスプーンを受け取った。
「あ、スプーンは食うなよ」
「言われんでも食べんわ!……多分」
桐太の釘刺しに、ニーズヘッグは強気に返事をした。
そしてようやく、ニーズヘッグはカレーライスを口へと運ぶ。皿の上に乗ったそれを、かっこむように口の中へと運んでいく。そして口の中で咀嚼する。この身体になってから食事をするのに咀嚼が必要になったが、腹が満たせればいいニーズヘッグはあまり気にしてはいなかった。
ここでまた、ニーズヘッグのことを話しておこう。
ニーズヘッグは邪龍だ。邪龍だが、その身体の構造は蛇に近い。
蛇の舌は、臭いの元となる成分を嗅ぎ分ける、人間でいう鼻の機能を有している。そのため味覚は発達していない。そのうえ、食事といえば咀嚼するのではなく、丸呑みをするのだ。
ニーズヘッグも蛇よりは発達しているが、それと同じく食事といえば丸呑みだ。ただ、その規模はもはや災害レベルだが。
ニーズヘッグにとって食事は作業だ。食べたものを味わうなどということはなく、ただその腹を満たせればよかった。もっとも、満たされたことなど過去に一度もなかったが。
そんな彼女がいきなり人間と同じ舌を得て、レトルトとはいえ香辛料のたっぷり入ったカレーを食べたらどうなるか。
「〜〜〜!?!?!?!?!?!?」
答えは明白だった。
今まで碌に「味」というもの感じたことがないニーズヘッグは、その辛さに悶絶していた。
涙目になりながら、けれど一度口の中に入れたものを出すのは彼女のポリシーに反するのか咀嚼は続けたままだ。
その様子を、ギョッとしながらも冷静に見ていた桐太は1.5リットルのペットボトルのお茶とコップを用意していた。
桐太がまず1人分コップにお茶を注ぎ終えると、持っていたペットボトルをひったくられた。
ニーズヘッグはひったくったペットボトルをそのまま口へと運び、そしてペットボトルごとお茶は彼女の腹の中へと吸い込まれてしまった。
これには桐太も唖然としていた。
「なんなのだなんなのだなんなのだ! 貴様毒でも皿に盛っていたのか!」
「いや……そんなことはしてないけど……」
「じゃあなんで口の中がピリピリするのだ!?」
まるで駄々っ子のように、ニーズヘッグは桐太に対して攻め立てた。
それに対して、桐太はどうしたものかと困惑していた。
なにせ桐太がニーズヘッグに出したのは、実家の母が仕送りに間違って送った甘口のレトルトカレーだったからだ。オーブントースターを食べる化け物が、甘口のカレーで涙目になっているのは、なんだか面白くも感じていた。
「もしかして……こういう辛い料理は初めてだった?」
桐太は笑いそうになるのを必死で堪えながら、ニーズヘッグにそう尋ねた。
「辛い? このピリピリが辛いというものなのか。元の身体よりも口の中が敏感だ。食べにくいったらありゃしない」
そう言いながらも、もう慣れてしまったのかチロチロと舌で皿のカレーを舐め、その度に「辛いっ」と騒ぐニーズヘッグ。
「ところでもうないのか? こんなんじゃ全然足りないぞ」
「はいはい、わかりましたよ」
こうなることをなんとなく予想していた桐太は、ニーズヘッグから皿を取り上げるとお代わりを用意するために台所へと向かっていった。
皿を取られたニーズヘッグは、スプーンを舐め続けてお代わりが来るのを待っていた。