ニーズヘッグはひどく無知だった
桐太は困惑していた。いや、混乱といったほうが正しいだろう。
目の前でオーブントースターを食べたこの少女が、まだ何か食べたいといっている。
この時に桐太が最初に思い浮かんだのは、「殺される!?」である。まぁ、そう思うなというほうが難しいのだけれど。
「えと、それはどういう……」
「何度も言わせるな。我は食い物のある場所に連れて行けと言っている」
ニーズヘッグは桐太の質問を遮り、仁王立ちでジロリと睨みつける。
桐太はこの時、もちろん恐怖を覚えていたがそれは半分だけで、もう半分は別のことを考えていた。
(この子すっぽんぽんなんだけど!?)
暗がりのせいか、オーブントースターを食べるというありえない現象のインパクトのせいか。
今更ながらに恐怖と同じくらい、裸の女の子を見て恥ずかしいという気持ちがあった。
「とりあえず先にこれ着て!」
桐太は着ていた上着をニーズヘッグへと差し出した。もちろんニーズヘッグの身体を見ないよう、目をそらしたままだ。
しかし当のニーズヘッグはといえば、差し出された上着を見て首を傾げていた。
(んんん?……あぁ、今は我も人の姿だった。人とは、服を着ないとダメなのか)
ニーズヘッグは今まで腹を満たすことしか考えていなかったため、大変常識が欠落していた。もっとも、強大な力を持つ邪龍に人の常識が必要なのかと問われれば別に必要はないのかもしれないが。
それでも、他の邪龍と呼ばれる存在でもそのぐらいは知っている。しかし、ニーズヘッグはひどく無知だった。
「おい人間」
「な、何!?」
「これは、どうやって着るのだ?」
ニーズヘッグは、ひどく無知だった。
ーーーーーー
桐太はどうにかニーズヘッグに服を着せーーもちろん身体はなるべく見ないようにーー自分の家へと連れて帰った。ニーズヘッグはうまく歩くことができなかったので、桐太に抱きかかえられながらだった。
(邪龍と呼ばれていた我が、人間に抱きかかえられるなんてな)
ニーズヘッグは、元は巨大な蛇だ。蛇には当然足はない。人の姿などとったことのないニーズヘッグにとって、二足歩行はなかなかに難しいことだった。
相変わらずニーズヘッグの腹はきゅるきゅるとなり続けているが、不思議とそれは気にならなかった。
腹を空かせてはその感情のままに全てを食べ尽くしたニーズヘッグだったが、今はそうはしなかった。うっかり目の前のテーブルを食べそうにもなったが、どうにかそれも我慢した。
小柄な少女の姿になっていたとはいえ、自分を抱きかかえるものなど1人としていなかった。それどころか、自分に触れるものすらいなかった。話しかけてくる邪龍もいたが、それも少し空いた距離からで、そいつにも空腹の苛立ちのまま接していたものだ。
だからだろうか。今調理をしている人間が、物珍しくなって、せっかくだから作ったものを食ってやろう。などと、ニーズヘッグにしては珍しく寛大な気持ちになっていた。
その調理をしている人間の方は気が気でなかったが。
(なんでこんなことに……というか、これでどうにかなるかなぁ……)
桐太は連れてきたことを非常に後悔した。
歩けないとわかった時点で逃げ出せばよかったじゃないか! などと、もう何十回も考えていた。
(けど……ほっとけないよなぁ……)
残念なほどにお人好しな桐太に、そんなことができるわけもないのだが。
グツグツと湯が沸き、電子レンジからチンと音がする。レンジから取り出したパックのご飯を皿に盛り、沸いた湯で温めたレトルトカレーをかければあっという間にカレーライスの完成である。
これは桐太が料理ができないというわけではなく、むしろ体力の限界だった桐太がここまでできたことを褒めて欲しいぐらいだ。
盛り付けたそれらをニーズヘッグの待つテーブルへと運ぶ。テーブルの上が少し片付いた気がするが、どこにどう片付けたのか、桐太は考えるのを放棄した。
「ほら、これ食ったら十分だろ」
ニーズヘッグは、差し出されたカレーに興味津々のようだった。