月夜の中で
ひゅうっ、と冷たい風が吹く。寒い季節ではないのだが、夜はさすがに肌寒い。もっとも、ビルの上だなんて高いところに来れば、どんな季節でも風は冷たくなるだろう。
ニーズヘッグはそこで1人空を見上げていた。
異世界とは違う空。元いた世界と違う空。
元々いた世界の方が星空は綺麗だった……のかも、などとニーズヘッグは考えつつも、この世界の星空もそう嫌いではなかった。
下からはネオンの明かりが、上にはほんの少し散りばめられた星空が。
そんなものを見ながら、ニーズヘッグは1人考える。
自分の食欲が、この世界を飲み込んでしまうかもしれない。そう、ファフニールは言っていた。
それは、事実だろう。
なにせ、ニーズヘッグがこの世界に来て最初にやったことは「粗大ゴミを食べる」だ。なんでもいいから腹を満たそうとしていたではないか。
「やっぱり、この世界からいなくなるべきなのか……」
ニーズヘッグはそう独りごちる。
今は桐太の作る食事や、商店街での買い食い、たまにするレストランなんかの外食で満足しているが、それらがなくなってしまったら、この世界の全てを食らってしまうかもしれない。
「お悩みごとかな。君らしくもない」
抑揚のない声が急に聞こえてくる。
ニーズヘッグが振り向くと、ネグリジェを着た女が傍に転がっていた。文字通り、ごろごろと転がっているのである。
「……ツィル?」
「うん。ツィルニトラ。ニーズヘッグ、久しぶり」
ネグリジェを着た女……ツィルニトラはごろごろと転がったまま、眠そうな目をこすりつつ話しかける。
「なんというか、イメージ通りというのか……」
「ファフニールがこっちではこの姿でいろって。どんな姿でも、私は私」
「あぁ、そう……」
ツィルニトラは怠惰の邪龍だ。そもそも、ツィルニトラという龍は存在しない。人々の捏造によって生まれた、存在しないはずの龍。それがツィルニトラだ。
存在していないのだから何もしていない。何もしない。何もしないまま、人々から疎まれる。怠惰の邪龍だ。
「私は何もしない。何もしないのが存在意義。ニーズヘッグはどうするの?」
「我は……」
ツィルニトラの存在意義が何もしないことならば、ニーズヘッグの存在意義とは何か。無論、食べることだ。
食べて、食べて、食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて、全てを喰らい尽くす暴食の邪龍。それがニーズヘッグだ。
それ以外の生き方なんて、知らなかった。
「今まで通りなんでも食べる? だって私たちはそうするしか知らないもの」
邪龍達は自身の吸収した負の感情以外の生き方を知らない。
例えばファフニールは強欲。世界中の宝なんかをただひたすらに集めている。まるでニーズヘッグのためにこの世界にやってきたような振る舞いをしているが、むしろ本命はこの世界の宝物にあるのだろう。
例えばタラスクは色欲。ありとあらゆる女を抱くことしか考えていない色情魔。この世界の女をつまみ食いしにきたのだろう。
「私は何もしない。向こうはうるさいのがいるから、静かそうな世界についてきただけ」
うるさいのとは、憤怒、嫉妬、傲慢の邪龍だろう。あの3龍は負の感情が強すぎて、こちらの世界に来ている4龍のように対話などしそうにない。
もっとも、ニーズヘッグが今のように大人しくなったのはこちらの世界に来てからだったが。
「わからないのなら、元の世界に戻るべきではなくて? 今の貴女なら前よりももう少しは大人しく過ごせるでしょう?」
ツィルニトラは抑揚のない声でそう告げる。
確かに今元の世界に戻っても、世界樹の根を齧って世界中を敵に回すようなことはしないだろう。
けれども、それで本当にいいのだろうか。ニーズヘッグは考えに考え、
「我はーー」




