Act.4-01
「……ふあ……、朝か……」
窓越しに差し込む朝日に、目を開ける。目の前にあるのは黒い壁と、ドアと、調度品。窓から漏れる光を除けば、黒一色な世界。この不気味な部屋も少し見慣れてきた。
昨日着たのと同じような、動きやすい服装(昨夜、夕食と一緒に大量に運ばれてきた)に着替えていると、ドアを鳴らす音がした。
「朝食を持ってきたわ」
「あ……ああ」
ドアを開け、側近から食事を受け取る。今日はほんの少し豪華で、パンだけでなくサラダもついていた。
「魔王様が、調子が良いなら試合がしたいっておっしゃってた」
「……僕が魔王に関わってはまずいのではなかったのか」
「んー……思ってたより魔王様が重症みたいだから、やっぱ昨日の話はナシ、ね」
「はぁ!?」
思わず、僕が声を上げれば、女は顔をしかめて溜息をついた。
「仕方ないでしょう、あの方がアンタと会いたいって言うんだもの。魔王様の意思が最優先よ」
「……そうか」
言ってから、思った以上に嬉しげな声が出たことに驚く。別に嬉しいことなどない、はず、だろう。魔王と好きに会っていいと言われた。ただ、それだけのこと。たったそれだけなのに。何故。
「動きやすい格好して、屋上で待ってなさい。魔王様もじきに向かわれるわ」
「わ、わかった」
反射的に頷いてから、しまったと思う。いくら練習試合のようなものとはいえど、魔王と戦うことになるなど! ……はたして、許されることなのだろうか。
焦ると同時に、しかし、無性に胸が高鳴る。高ぶる気持ちを抑えられない。こんなこと、思ってはいけないとわかっているのに。
「……こんな感情気のせいだ、気のせいでなくてはいけないのだ……」
気付けば、自分に言い聞かせるようにして、小さく言葉を呟いていた。
「――待たせたな、ヴィンデ」
「あ……いや、僕も、今来たばかりだ」
階段を駆け登ってきた魔王は、普段よりもだいぶ軽装だった。薄手のブラウスに膝丈のズボン。胸元から鎖骨がチラついている。……寒くはないのだろうか?
「……ふ、ならばよかった。準備は大丈夫か?必要な武器があれば貸し出すが」
「先程、あの女から借りたから問題ない」
「ふふっ……用意がいいな」
優しく微笑まれ、どうにもどぎまぎしてしまう。
「ひ、暇だったからな! 支度をする時間が有り余っていたから入念に準備をしただけであって、別に貴様と早く戦いたくて用意していたとかそういう訳では……」
「……私と、戦いたいと思っていてくれたのか!?」
ぱぁあと瞳を輝かす魔王。か、可愛い……って何を考えているのだ僕は!
「だっ、だから違うと言っているだろう!?」
「ふふふ……そう照れるな。私も、おまえと戦いたくてウズウズしていたぞ? 昨夜ローゼから『死の王子』がおまえだったと聞いてな。楽しみでなかなか眠れなかったのだ」
……え?
一瞬、聞き違いかとも思い固まった。まさかそんな。こいつ、今……『死の王子』が僕だと昨夜聞いたと言ったか!?
「なっ……、貴様、僕がそうだと知らなかったのか!?」
「ああ、すまなかった」
しれっと詫びる姿に苛立つと同時に――納得にも近い諦めと落胆に襲われる。こいつが僕に関わってきたのは、単に、死の王子だと知らなかったからではないのか? ああきっとそうだ、そうに決まっている。戦場でしか生きられない人殺しに、好意を抱く者など、いるはずもない。
「っ――、軽蔑、しただろう」
「……何がだ?」
「僕のことを、だ」
自然と自嘲めいた笑みが出た。
「魔物からはもとより、同胞からも忌み嫌われてきた男だぞ? 『死の王子』の話自体は知っているんだろう」
「……何を軽蔑することがある。おまえの力を周囲が畏怖し、避けてきただけのことだろう?」
「命令されれば味方殺しも厭わないような奴を、嫌わない理由がないと思うが」
「時には同胞に制裁を与えるのも必要なことだ」
「……自分は僕に殺されないから、他人ごとでいられるのか?」
「あいにく、同情や哀れみの心は持ち合わせていなくてな」
信じたくない、信じては駄目だと思うのに。魔王の言葉に溺れてしまいたくなる。
奴はそっと僕に近付き、わざわざ屈んで僕と目を合わせて、言う。
「……ヴィンデ。言ったろう、私は、おまえの戦う姿に惚れたのだと」
「…………」
「例え他人がなんと言おうが、私にはおまえが必要なのだ。あまり、自分を卑下するな……おまえは強く、美しい」
やめろ。やめろやめろやめろ。
心拍数が異常に上がる。苦しくて苦しくて仕方ない。勘違い、してしまいそうだ。
「……おまえが必要なのは、僕の力……だろう……?」
絞り出した声は震えていた。
「僕自身に好意があるわけではないのだろう……、勘違いさせるような言動は、やめろ……!」
どうして僕はこんな事を言っている。どうしてこんな気持ちになる? 勘違いしたくなるなんて、まるで――僕の方が奴に惹かれているみたいだ。そんなこと、ありえるはずがないのに。
じわり、と、何故か視界が涙で滲んだ。
「……勘違い、だと?」
魔王の、困惑したような声が響く。
「ああそうだ……っ、僕の力が要るならばいっそ、道具のように扱ってくれればいいものを……!」
「そんなことを言うな!!」
唸るような声に、思わず、身を震わせて黙り込む。見れば魔王は俯き、落ち着かない様子で視線をさ迷わせていた。
「ま、魔王……?」
「……ヴィンデ、私は……」
怖ず怖ずと、魔王の視線が上げられた。しっかりと目を見据えられて、逃げられなくなる。
「わ、私は……っ、その、おまえが……、好きなのだッ……!」
「――え?」
「すき……好き、だ、愛している……。私は、一人の男として、おまえに……ひ、惹かれて、いる……」
段々と小さくなる声。ほんのり赤く染まった頬。……今、こいつは何と言った?唐突すぎる展開に脳がついていかない。
「……初めは確かに力目当てだった、人間とは思えぬ戦いぶりに惹かれた」
「ま、まお、う」
「戦争を起こしたのも、姫を攫おうとしたのも、おまえの戦う姿を――実力を見てみたかったからに他ならない」
なにかに追い立てられるように、まくし立てられる言葉。僕はただ、呆然と聞いていた。
「おまえが妹を溺愛していると噂に聞き、期待してはいたが……本当に来てくれるだなんて。運命だ、と……思った」
背丈も体格も僕より立派な彼が、小さく声を震わせて、顔を真っ赤にしながら言う。僕の為に。僕への言葉を。
僕よりも強く、逞しいはずの姿は、なんだかとてもいじらしく見えた。
「たった数日だが、共に過ごし、言葉を交わして……益々おまえに惚れていった。生意気な態度も、照れた顔も、素直でない所も。全てが愛おしくて仕方ない」
「っ……!!」
「……知れば知るほどに、よりおまえに近付きたくなる。新しい表情が見たくなる。できるなら……おまえの笑顔を見たい。それを私に、向けてほしい」
向けられた視線は真剣すぎて、なにも返せなくなってしまう。金縛りにあったようだ。
「おまえが苦しんでいるなら助けになりたい。愛してくれとは言わん、ただ……側にいてくれれば十分だ」
嘘だと思いたいのに思えない。彼を信じたいのに信じられない。ああ頭の中はぐちゃぐちゃだ。
「……愛しているのだ……、ヴィンデ……」
赤。彼の目だ。とても鮮やかで美しい赤。乱雑に散らばった思考の中で、唯一、その赤だけが僕を支配する。燃え盛る炎のような。闇を引き連れた夕焼けのような。いや違う――もっと美しく原初的な、なにかのような。そんな、赤色。
「……戦おう」
気付けば、なんの答えにもならない言葉が出ていた。
「戦おう、ここで」
「……ヴィンデ?」
「今を逃したらもう駄目な気がするのだ」
何が駄目なのか、なんて、自分でもわからない。今でなくてはいけない気がした。
「僕との練習試合……受けてくれるな?」
優しくナイフを突き付けて聞けば、魔王は、小さく微笑んで。
「……ああ、喜んで」
互いに闘戯場の端まで移動すると、魔王が、手袋を取った。
「……今から私が指を鳴らすと、魔力弾が打ち上げられる。そいつが弾けた瞬間、試合開始だ。いいか?」
「ああ」
奴は仰々しい仕種で手を掲げ、パチリ、と指を鳴らす。瞬間、小さな赤黒いエネルギー弾が発生する。それはふわふわと天に上り、僕らの頭上まで来て――弾けた。
素早く腰に手をかけ、銃を抜く。魔王はこちらへ走って来る。狙いを定め、数発撃ち込む。奴は悠々と銃弾をかわし、飛び上がる。
「くっ……」
「どうしたヴィンデ、本気を出さないか!」
バサリ。魔王の翼が広げられた。漆黒の烏のようなそれは光り輝き、羽一枚一枚が、魔力弾へと姿を変える。
「準備運動の時間は無いぞ!」
翼が大きく羽ばたき、無数の光弾が僕を襲う。攻撃を避けながら走る。……が、このままでは壁に追い詰められるだろう。
予想通り……いや予想以上の動きだった。とてもじゃないが、遠距離戦では勝ち目がない。こちらの飛び道具では、奴の速さに追いつけない。まずは、接近戦に持ち込まなくては。
「はぁああああ……っ!!」
僕を追い込もうと、攻撃の手が強まった。勢いを増す魔力弾。どうにか猛攻を逃れつつ、右手の銃を戻し、同時に左手でナイフを取り出す。
「……はっ!」
左手に軽く魔力を込めると、光弾を切り裂いた。次の攻撃が来る前に飛び込み、奴の近くへ駆け寄る。
「ふっ……なかなかやるではないか!」
先程よりも大きめな攻撃。そのぶん、発動までの時間は長い。かわすことは容易い。ナイフはそのままに、右手で銃を取り出しながら、一気に奴の足元まで行く。狙うは羽だ。まずは、奴を地面に引きずり落とす!
「くらえッ!!」
まずは第一撃。奴が攻撃を放った瞬間を狙い、ナイフを投げる。避けられることは想定済みだ。魔法でガードするのは間に合わなかったのだろう、予想通り、奴は身をよじってかわそうとする。空中で突然体勢を変えれば、当然、バランスは崩れる。魔王ともあれば一瞬で持ち直すが、一瞬あれば十分。
奴の元にナイフが届く前に、逃げる方向目掛けて銃弾を放った。
「くぅっ……!」
魔王は慌てて羽の向きを変え、ギリギリでかわす。本来ならここで仕留めるつもりだったが、そう上手くはいかないようだ。
――まあ、奴がよろけただけでも、十二分に好機はある!
「僕の攻撃から逃れられると思うな!!」
叫びながら、翼の部分――それも避けづらそうな場所だけを狙って連射する。魔法を使わせる暇は与えない。ガードされたらそれで終わりだ。
「ぐっ……、くそッ!!」
不足げな声を上げながらも紙一重で銃弾をかわしている姿に、敵ながら感嘆する。
だが、こうも無茶な方向転換を続けながら飛んでいては、体力消費は激しいはず。実際、奴は数度よろめいているし、こちらが放つ銃弾に意識が集中しているのは間違いないだろう。
「……まずは、その邪魔くさい羽をもぎ取ってやろう!」
「っ……、できるものならな!」
付け根を狙い撃った弾丸を、奴は更に羽ばたき舞い上がり、かわす。
――まずは、一撃。
「ぁ゛がッ…………!!」
どさり。奴の背後から左翼に突き刺さるナイフ。……そう、僕が最初に放ったものだ。
「簡易的な追尾魔法だが……使いようによってはなんとかなるものだな」
「ぐ……、随分と、小癪な真似をしてくれるな……!」
片翼を失い、既に降下し始めている奴は、口調とは裏腹に楽しげな笑みを見せた。つくづく変わった男だ。練習試合とは名ばかりの、この、本気の戦いを、心の底から楽しんでいる。そんな印象を受ける。
「生憎、僕には翼がないからな。空中戦では貴様に分がありすぎる」
そう返して、奴の右翼も羽ばたけなくなる程度に撃ち抜いておく。念の為、というやつだ。
「ぐっ!!」
宙に舞う奴の赤。美しい。魔王の血。
奴は、一気に地面へと落ちていく。
「……っ、ああ……」
思わず感嘆の声が漏れた。嗚呼。なんて、なんて美しい姿だろう。なんて綺麗な血の色をしているのだろう?
もっと見たい。もっと、もっと戦いたい――。
熱に浮されたように手が動き、魔王の身体が地に叩きつけられる瞬間、銃を撃った。
「……ぐぅッ!!」
しかし奴は、素早く受け身をとって着地しながら、僕の攻撃を避ける。弱々しく羽ばたいた翼が体内に収納された。
「……流石は魔王、なかなかやるな」
込み上げる笑み。高まる興奮。魔王に駆け寄りながら、袖口に仕込んだナイフを滑らせて投げ込む。
「くっ……、」
奴は両手を前に出し、バリアーを張る。
「……おまえこそ、な!!」
バッと右手が掲げられた瞬間、ナイフとバリアーが砕け散った。さらに魔王は何か呟くと、その手に、黒光りする大剣を召喚した。
「はぁあッ!!」
手慣らしのように、軽く一振りしただけで、衝撃波が巻き起こる。身を屈めどうにか耐え抜いた。
「さぁヴィンデ、おまえの本気をもっと見せてみろ!!」
高らかに笑う魔王を見据えて、腰のホルダーからナイフを数本引き抜き、投げつけた。同時に僕は駆け出すと、奴の懐目掛け突進する。
魔力を込めたナイフは僕の手足も同然。念じれば四方に飛び散り、魔王を完全に包囲する。
「ふん……この程度!」
しかし、魔王は素早かった。大剣を振り回すと、衝撃波が巻き起こる。呆気なく地にたたき付けられたナイフ。
「構わないっ、そっちは囮だ!」
衝撃波を避け、奴の目の前まで一気に飛んだ。短剣を構え、その胸に突き刺そうとした瞬間――
「……甘いな」
魔王に首を掴まれた。
「っ……!」
「吹き飛べ!!」
手を離された、かと思えば、目の前で凄まじい爆発。
「ぐ、ぁあああ……!?」
勢いよく飛ばされ、地面にたたき付けられた。
「っ……、ぐ……」
……強い。流石は魔王、そう簡単には倒せない。こんな戦いは何時以来だろうか。僕を恐れない敵は。僕と対等、いやそれ以上の敵は。……僕が、自分だけの為に戦う敵は。
「似たような手が二度も通ずるとでも思ったか。私も随分ナメられたものだな」
ニヤリと笑った、強者の顔。背筋にぞくりと震えが走る。決して不快ではない、むしろ快感を伴う、甘い痺れ。
「おまえはそんなものではないはずだぞ、ヴィンデ!!」
「……ふふっ、随分と買いかぶってくれるじゃないか」
このままずっと、奴と戦っていたい。全て忘れて。ただ本能の赴くままに。
「ではその期待に応えてやろう!!」
僕は魔力を一気に集中させた。
同時に起きる爆発。源は先程落とされたナイフだ。辺りが煙に包まれる。
「けほっ……、煙幕か?小賢しい!」
魔王の声がしたかと思えば、切り裂かれる煙。巻き起こる旋風。あの大剣で凪払ったらしい。
――僕は、その刃の目の前にいた。身をのけ反らせ、あと数センチのところで刃を交わして。
「なっ……!?」
突然の事に、奴の動きが一瞬固まる。その瞬間を狙い、ナイフを投げた。
「かはッ……!」
鈍い音を立て、突き刺さる刃。奴の身体から力が抜けた。大剣が落ちて来る前に奪い取り、遠くの方へ放り投げる。
「ああ……、良い表情だ……」
僕はそっと、刺さったナイフに手をかけ――ゆっくりと引き抜いた。
ぬちゃり、と響く、なまめかしい音。刃越しに伝わる肉の感触。周囲に飛び散る彼の赤。言いようもない恍惚。全身を震わせるほどの快感。この瞬間は最高だ。最高に興奮する。いつだって。
「ッ、く……、ヴィンデ……、」
息を荒くし僕を見上げる瞳。紅だ。あの紅が僕を見つめている。まるで縋るように。涙で色を滲ませて。
その姿に異常なほど、身体が熱くなる。興奮は振り切れ、心地好い破滅的な衝動が襲い来る。
「……魔王……、」
「ぐ……っ、」
興奮のままに、指先で傷口をなぞり――そのまま軽く突っ込んでみる。
「っ゛――!」
ぐちゃぐちゃと中を掻き回せば、歪む顔。漏れる悲鳴。ああ、なんて美しい!
そっと指を抜けば、ぼとりぼとりと血が垂れた。引き寄せられるように、そこに口づけ、血を啜る。
……甘い。
「っ……ぁ、は、ヴィンデ……」
切なげな声で呼ばれ、益々興奮は煽られた。吸血鬼になったかのように、僕は、ひたすら魔王の血を嘗める。その場には吐息だけが響いていた。