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Act.3-01

 優しい声に呼ばれた、気がした。深く響き渡るような甘い声。それに引き寄せられるかのように、微睡みから意識が浮上する。……暖かい日差しを感じた。

「む……?」

 半ば反射的に瞼を開ける。……と、眼前に広がっていたのは、僕の思考が及ぶ範囲を遥かに凌駕した光景だった。

「…………、」

 呆れ?困惑?混乱?どれも当てはまるし、どれも違うような気がする。なんとも言えない気分になり、言葉がでてこない。

 なぜ――なぜ、僕の隣に全裸の魔王がいるのだ!?

 とりあえず落ち着け僕。なぜこのような事態になっているのだ。たしか昨夜は、不本意ながら奴と共に食事をするはめになり、奴が持ち出してきた酒を無理矢理飲まされ――魔王はかなり酒癖が悪かった――それから、どうなった?

「……記憶がない、だと……?」

 どうしよう。本当にどうしよう。も、もしやこの男と共に、一夜の過ちを犯してしまったのか!?

「そ、それだけはない、断じてない。絶対にない。ありえてたまるか……」

 僕は昨夜着ていたドレスのままだったし、体のどこかが痛いとか、そういった形跡もない。だからきっと大丈夫なはず。大丈夫であってくれ。では何故こいつが僕の隣で眠っているのだという疑問が生じるが、それは本人を起こして問い詰めてやればいいことだ。

「……おい、早く起きろ」

 試しにゆさゆさ揺すってみるが、無反応。

「いつまで寝ているのだ――と言うか、何故僕の隣で寝ているのだ!」

 もう少し強く揺さぶってみても変化はない。くっ、腹立たしいほどに呑気な顔だ!寝首をかかれるという発想がないのか、僕には負けないと思っているのか……どちらにせよ舐められたものだな。

 実際問題、魔王の命を奪えるのは勇者だけとはいえ、傷を負わせるくらいは誰だって可能だというのに。

 ――そこまで考えて、ふと、この男の身体に傷をつけたらどうなるだろうかと夢想した。

 がっしりとしていて、だが引き締まった、男らしい肉体。戦闘で使う必要最低限の筋肉しかつけていないのだろう。もし、ここにナイフを突き立てたら。思い切り深く刺して、引き抜いたら。きっと色白な肌に赤い血は、よく映える――。

 ごくりと、喉がなった。

 見れば昨夜の食事のトレイは、まだ残っていた。食事用の小型ナイフでも、使いようによっては十分に武器として使えるはず……。熱に浮かされたように、そこに引き寄せられるように、ベッドを離れようとして。

「……ヴィンデ」

「ッ!?」

 ドレスの裾を掴まれた。

 慌てて振り向けば、魔王は相変わらず寝ていたが――どうやら、寝ぼけて僕の服を掴んだらしい。名を呼ばれたのも、寝言、だろうか。

 ほっとため息をつくと同時に、ゆっくりと思考が冷え切って来る。……冷静に考えれば、今ここで魔王を攻撃するのはまずいかもしれないな。僕はあくまで、ネルケが来るまでの時間稼ぎ。勇者が動き出していることを悟られないようにするのが僕の役目。魔王と戦うなど、以っての外で。

「……いい加減に起きろ、魔王」

 僕は捕虜として、不自然ではない程度にここで生活する。それがきっと一番の得策なのだろう。なぜだか、少し悲しくなった。








 思いつく限りの手を使い魔王を起こし続けたが、結局目覚めず。諦めて、備え付けのバスルームでシャワーを浴びて戻ってくると、奴はようやく起き上がっていた。

 流石にもう服を着ていたが、上はシャツを羽織っただけだし髪型はすっかり崩れているしで、だいぶ印象が違って見える。憂いを帯びた瞳は気怠げでありながら、妙な美しさを感じさせる――男の色気というやつかもしれない。

 奴はこちらに気がつくと、ニヤリと小さく微笑んだ。

「おお、早いな」

「……なっ、なにが『早いな』だ!何故僕の隣で寝ていた、昨夜いったいなにがあった!?」

 奴の態度に苛立ち怒鳴れば、真顔で答えられる。

「すまん……私もサッパリと記憶が抜け落ちていてな」

「なんだと!?」

「大方、酔い潰れて脱いだだけだろう。ローゼ曰く、私は酔うと色々とふっ切れてしまって危険らしいからな」

「…………」

 当人の記憶が飛んでいる、だなんて。これでは何があったかわからない……と言うか、本当になにかの間違いが起きたのではないかと不安になる。今ばかりは、魔王の言葉が真実であることを願おう。

「……ああ、そうだヴィンデ。シャワーを借りても構わんか?」

「貴様の城だろう、勝手にすればいい……僕はここに軟禁されている囚人にすぎない」

 なぜ、僕に確認をとろうとするのか。いっそ横暴な態度でいてくれれば、敵対心を燃やしやすいのに。

 こちらの様子を伺うでもなく、自分のやり方を押し付けてくるでもなく。奴はただ自分本意に行動して、その上で僕の意思を問うてくる。それが気持ち悪くて、落ち着かなくて、けれど居心地がいいから困るのだ。

「……そうか」

 ほら、まただ。僕の一挙一動に反応して、喜んだり悲しんだり。想われているのではないかと、錯覚しそうになる。

 嬉しいだなんてありえないのに。魔王に惹かれるだなんて、あってはならないことだというのに。誰かに愛される資格は、僕にはないのに。

 魔王はしばらく僕を見て、何かを考えていたようだが――ふいに、ぽつりと呟きを漏らした。

「……そうだな、こんな部屋に篭りっきりでは疲れるだろう。よし、城を案内してやる」

「え?」

「私がシャワーを浴びている間に、身支度を整えておけ」

 あまりに唐突で、一方的な提案。咄嗟に断る理由も思いつかず、頷いてしまった。

「では少し待っていろ。……それから、血のついた服のまま歩き回るのはどうかと思うぞ。先日やった服が気に食わんというなら、別のものを用意させよう」

「あ、ああ」

 僕の返答もろくに聞かず、奴はバスルームへと向かっていった。








「では、早速我が城を案内してやろう。どこから見たい?」

「……特には」

 僕は魔王から渡された衣服――シンプルかつ動きやすい、グレーのシャツとパンツに着替え、奴と共に部屋を出た。

 どこを見たい、と聞かれてもな。さしてこの城に興味はなかった――と言うか、ここにいるのはネルケが現れるまでの僅かな期間なのだから。わざわざ知る必要はない、知りたくない、と思っていた。

「ふ、つれない奴だな。どうせこれからずっとこの城で暮らすのだ。知っておいて損はなかろうに」

「…………」

 微笑みながら言う魔王を見て、妙な罪悪感を感じてしまう。敵を欺くのは当然のことなのに……。沸き上がる奇妙な感傷から目を背けるようにして、僕は努めて平然とした声を出す。

「……そもそも、この城に何があるのか僕は知らない。貴様が連れて行きたい場所から回ればいいだろう」

「む……そうか?ならば、そうさせてもらうが」

 いちいち僕に確認をとるな、という言葉は、言っても面倒になる気がしたので胸のうちに閉じ込めておくことにした。



 まず、最初に連れて行かれたのは書庫だった。小さな室内を埋め尽くすほどの書物に、僕はただ言葉を失った。

 そこには歴代魔王の手記や歴史書、武器や魔法の研究書などの、いかにも魔王城らしいものもあれば、文学小説と思しきもの、それに何故か裁縫や料理に関する本までが立ち並んでいる。驚くべきは、それらの三分の一ほどが、我が祖国ヴァーイスで出版されたものだったことだ。ヴァーイスでは検閲に引っ掛かり絶版となってしまった、それなりに有名だった恋愛小説も、レシピ本に混じり置いてある。しかも初版だった。

「……これが出版されたのは、数十年前だろう?どうやって手に入れたのだ」

 当時は――と言うか、基本的にヴァーイスとシュバルツェンは、戦争中でなくとも水面下では敵対状態にある。特に、ここ五十年ほどの間は、いつ戦争が起きるかもわからないギリギリの状態が続いていたのだ。

 魔王に問えば、奴はしれっとした態度で答える。

「普通に、ヴァーイスに行って買ってきただけだが」

「貴様自身がか!?」

「ああ、そうだ」

 ……魔王の侵入を許すとは、当時の警備はどうなっていたのだ。そんな僕の心を読んだかのように、奴は笑って言う。

「勇者でもない人間が、私の魔法を完全に防げる訳がないだろう?あの程度の警備、少し催眠魔法をかければ一発だ」

「国境の門番は国内屈指の魔法使いだったはずだぞ、それをたった一人で……!?」

「魔王の名は伊達ではない、ということだ。闇を掻き消すのは聖なる光、光を奪うのは大いなる闇だけ――有名な話だろう」

 それは、勇者と魔王に関する伝承の一つだった。

「……いくら魔法耐性があったとしても、勇者でなければ、貴様の魔法には敵わないと?」

「まあ……そういうことだ」

 ――衝撃、だった。僕は……いや僕らは魔王を甘く見すぎていたかもしれない。実際、完璧だと思っていた警備は、あっさりこいつに破られてしまっていたわけだから。

 魔王は黙って小説を手に取ると、ぱらぱらめくりながらこちらを見た。

「……おまえは、この本を読んだことがあるか?」

「え?あ、いや……」

「では、話の中身を聞いたことは?」

「………………」

「ふふ、そんなくだらないものに興味はない、という顔だな」

 わかっているならそんな話題を振るな。反論するより先に、奴が口を開く。

「食わず嫌いは良くないぞ、これは名作だ。この作家の本にハズレはない」

「……恋愛小説など、女子供の読むものだろうが。案外女々しいのだな」

「そういう文句は読んでから言え。とても――とても美しい物語だ」

 そう言うと魔王は、僕の手に本を押し付けてきた。

「だから、僕はこんなものに興味は……」

「興味はなくとも、暇潰しにはなるだろう?読んでみたら面白い、なんてこともあるかもしれん」

 なんだか、やけにしつこいな。どういうつもりだ?

 ……はっ、まさかある種のアピールなのか!?こいつは同性愛者な上にどうやら僕をそういう対象としているらしいし、ありえない話ではない。かもしれない。

 僕が小説を読み終わり返したところで、愛の告白でもするつもりではなかろうか。『ヴィンデ、私はおまえとこの小説のように愛し合いたいのだ』なんて……。

 いやいやいやない。落ち着け僕。冷静になれ。こいつがそんな気障ったらしいことをするようには見えない。

 どうせ告白してくるなら、きっと直球で告げてくるだろう。例えば、真っすぐ目を見て『愛している』だとか――って、なにを想像しているんだ僕は。頼むから落ち着いてくれ自分自身。

 どうにも思考が浮ついてしまっている。らしくない。今日の僕はなんだかおかしい。

 そうだ、そもそもの問題は、何故こいつがやたらこの本を薦めてくるのかということなのだ。

「……なぜ、僕にこれを押し付ける?」

「ローゼは淫魔のくせに、根っからの恋愛嫌いだからな……。話題を振れる相手がおらんのだ」

 ……え?

「それだけ……か?」

「それだけだが?」

「……そ、そうか……」

 なんだか、深読みした僕が馬鹿みたいではないか!要は恋愛小説について語らう仲間が欲しいだけか!?なんだその年頃の女性のようなお花畑思考は!魔王としてどうなのだ。

「貴様には、魔王らしくあろうという意識はないのか……」

 呆れ半分、戸惑い半分で言えば、若干むっとした表情が返ってくる。

「おまえもローゼと同じことを言うのだな。……別に、魔王らしくなくともかまわんだろう。好きなものは好きなのだから」

 顔を背けながら言った態度は、拗ねているようにも見えて可愛い。不覚にも胸がキュンとした。


 ……って、おい待て自分。相手は魔王だぞ。身長2メートル越えでガタイも良くて男前で翼が生えていておっさんで、しかも、魔王だぞ。それのどこが可愛いというのだ!?なんだったんだ、今の胸のざわめきは!??

「……やはり、今日の僕はおかしい……!」

「ん?何か言ったか」

「きっ貴様には関係ないだろう!!ここはもうわかったからさっさと次の場所を案内しろ!」

 ああ駄目だ。なぜこんなに意識してしまうのだ。この男が可愛いわけがない、むしろ男前と言うか、かっこいいと言うか……って、それはそれでどうなんだ自分!確かに顔立ちこそ色男ではあるが、相手は魔物だぞ!魔王だぞ!?

 そんな僕の混乱は、幸いなことに奴には気付かれなかったようだ。

「……もういいのか?次は……そうだな、大浴場でも見るか」

 動揺を悟られたくなくて、僕は慌てて頷いたのだった。


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