Decisive battle.4
「……ネルケ。おまえは覚えていたのだろう? あの事件のこと、あのとき僕が犯した罪、そして……おまえが僕を拒絶したことも」
「…………」
「……だがおまえは全て忘れたふりをした。それどころか、魔法で僕の記憶を一部弄って、おまえが僕を拒絶したことをなかったことにした。まあ、おまえが黙っていてくれたおかげで、あの事件は通り魔の仕業ということになり……おかげで僕も今日まで生き延びれたわけだがな」
皮肉たっぷりのヴィンデの言葉に、ネルケは静かに頷くだけだ。
「……思い、出したのですね……」
「おまえが僕に優しくしていたのも、部下として僕を手元に置いていたのも、監視のためでもあったのだろう? 僕があの記憶を、はじめて僕を拒絶した人間がおまえだということを思い出さないために」
「…………」
「……図星か」
冷たい声と視線。思わず、ネルケは声を上げる。
「……兄さん、すみません兄さん、私は、私は……!」
彼女の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「……ええ、そうです確かに、あのとき私は怖かった。貴方に怯えていた。そして、あなたを拒否した私に、いつか報復をするのではないかと恐れていた……だから貴方の記憶を消したのです」
それはまるで懺悔のように。勇者とは思えない落ち着きのなさで、彼女は言う。
「けれど、貴方を妹としてお慕いしていたのも事実です。私にはない強さをもつ兄さんが、恐ろしくもあり、羨ましかった。騎士として、一人の武人として、貴方の強さを尊敬していた!!それは確かに事実なのです!!」
「……ふっ、綺麗事を。尊敬だと? 僕を飼い犬にしていたくせによく言うな」
「そのようなつもりは……!!」
「自分より強い者を服従させるのはさぞかし気分が良かっただろうな?」
ヴィンデが卑屈な笑みを見せる。
「だが僕がおまえに従っていたのは、全て、勇者の魅了の力にすぎない。おまえもわかっているだろう? 勇者は魔王と対になる存在、その能力もまた鏡写し……勇者の魔力は魔王と同じく、側にいる者の心を囚うチカラを持っている」
「…………そんなことまで、ご存知、なのですか……」
「クインスにかけられた魅了を解かないためにと、魔王城の資料を漁りまくったからな」
淡々と、ヴィンデは言葉を続ける。
「勇者も魔王も、覚醒する以前にもそのチカラの片鱗は見せるという……僕がおまえに従っていたのは、勇者の魔力がそうさせたにすぎない。心の奥ではずっとおまえを恨んできた……おまえさえいなければ、皆は僕を見てくれたかもしれないのに、とな」
「…………」
「……残念だよ、ネルケ。おまえは僕の自慢の妹であり、主として認めたはずの人間だった。その正体が、僕の力に怯えるただの小娘だったとはな」
ネルケは黙りこんでしまい、答えない。
「なあ……どうだ、ネルケよ? 死ぬ前に兄に裏切られた気持ちは? おまえの恐怖が現実となった気持ちは?? 僕が受けた苦しみはこんなものではない……僕から幸せを奪ったおまえには、たっぷりと苦しんでから死んでもらわねば困るのだ」
「………………」
彼女はしばらく迷っていたが、やがて、おずおずと口を開く。
「……私は勇者。本来ならば、国を裏切り魔に堕ちた貴方を殺し、そして魔王を倒すのが私のなすべきことなのでしょう」
「ああそうだな、だがおまえは手負いで、しかも魔王に囚われの身。どうだ? 悔しいか?」
「……いいえ。何故ならば私は……私は。迷っているのです。勇者としてはあるまじきことですが……私は、私の死で貴方が幸せになるのならば……それもひとつの罪滅ぼしではないかとさえ思うのです」
震える声だったが、そこに、先程までの焦りや迷いはない。覚悟を決めた声だった。
「ずっと……ずっと、後悔してきました。あの日兄さんを拒絶してしまったこと、それをなかったことにしたこと。全てはあの日の私が弱かったから。だからこそ、あれ以来私は女を捨て、騎士として強さを追い求めた……それすらも兄さんを傷つけてしまったのかもしれませんが」
「……今さら何を言っている?」
「私が死んで、貴方の気が晴れるなら。それもいいのかもしれません。……悔しいけれど、貴方のことはそこの男に任せれば、何ら問題なさそうだ」
ネルケは、優しい顔で魔王に微笑む。
「兄さんがこの国へ向かわされたのは私のせいだ、軍の決定に背く勇気のなかった、そして兄さんの申し出を断れなかった私の弱さが招いたことだ。だからこそ魔王に望まぬことを強要されているならば、私が兄さんを救わねばならないと……その一心でここまできた。だがそれは勘違いだったらしい」
その表情には、どこか清々しささえ見てとれた。
「……正直に言おう。私は、わからなくなってしまったんだ……。我が国を思えば、この命に代えてでも魔王を倒さねばならんと思うのに。魔王の隣に立つ兄さんの幸せそうな姿を見て……私は……、」
ふっと、ネルケがクインスを見遣る。
「……魔王よ。貴殿への、そして兄さんと貴殿との関係への暴言、詫びさせてくれ。なにも知らずに無礼なことを言ってすまなかった。どうか……兄さんを頼む」
「…………」
クインスはなにも答えない。
「……さあ、殺すなら殺せ。いたぶるならいたぶれ。私も騎士の端くれ、無様な抵抗はよそうではないか。この命が、兄さんの幸せの糧となるのなら……それもまた一興。こんな形でしか、罪滅ぼしができないが……」
「……ふざけるなッッ!!」
ヴィンデがヒステリックな声をあげた。
「なにが罪滅ぼしだ、死んでもいいだと? ふざけるな……っ、いい加減にしろ、偽善者!! 僕に満足に復讐すらさせないつもりか!?」
「……すみません、兄さん……。私は、ただ、貴方の幸せを願うだけです……。愚鈍なこの頭では、どうすれば兄さんのためになるのか、わからないのです」
「黙れッ、黙れ黙れ黙れ……!! おまえのそういうところが嫌なんだ!!! ……クインス、さっさとこの女を殺してくれ、目障りで目障りで仕方ない!!!」
「……まあ待て、ヴィンデ」
取り乱すヴィンデに、魔王は静かに声をかける。
「せっかく捕らえた勇者だ……有用に使わねばならんだろう?この小娘の使い道を考えていたのだが」
「……?」
「例えこの女を殺しても、すぐに新たなる勇者が生まれるだけ……。それではいつまで経ってもキリがない。戦争は好きだが……しかし、だらだらと兵を消耗するだけの泥仕合はあまり好きではなくてな」
ニィ、と、彼は禍々しい笑みを見せる。
「こやつを人質とすれば、ヴァーイスの人間どもはいとも簡単に降伏するだろう……。なにせ勇者であり、次期国王だからな」
「なっ……! 貴様、ネルケを生かすつもりなのか……!?」
こくりと頷き、クインスはネルケに向かい問いかけた。
「勇者よ。ヴィンデの幸せが望みなのだろう? ならば貴様も国を捨てろ、大人しく私に従え。貴様の命を奪うより、そちらの方が面白そうだ……」
「…………勇者である私に、国を裏切れと言うのか!? いっそ殺してくれた方がましではないか!?」
「そうだ。死は苦痛と未来とを引き換えに、永遠の安らぎを得る……。それでは面白くないだろう?」
「……そんな、わ、私……は……」
ネルケは黙りこみ、しばらく、落ち着きのない様子で目線を泳がす。相当迷っているのは見てとれた。
辺りを静寂が支配する。
数分の後、彼女が震える声で紡ぎだしたのは――懺悔の言葉。
「……ああ。お許しください神様。父様。母様。私を慕う全ての民よ……、騎士として未熟な私を、どうか笑ってくれ」
祈るように呟いた後、彼女は、まっすぐに魔王の瞳を見据える。その顔にもう迷いはなかった。
「…………魔王殿。貴殿の申し出、受け入れよう……。私は勇者であることを捨てる、ただ兄さんの、ヴィンデ=ブルレムの妹として、兄さんが選んだ男である貴殿に従おう」
「……ほう」
「私の存在、私の名前……好きに使うがいい。それで兄さんが幸せになるというのなら。私は……私は、喜んで国賊に堕ちようではないか」
凛とした声。表情。どこか吹っ切れたような、清々しささえ纏っている。
「う……嘘、だ、どうして……何故だ、ネルケ!? どうしてそこまでする……っ、僕を馬鹿にしているのか!? それともまたクインスを騙すつもりか!?」
動揺するヴィンデに、彼女は優しく微笑んで見せる。
「……信じていただけないのも仕方ない、しかし……私は。民よりも兄さんを選ぶ、弱い勇者なのです。私は兄さんが思うような、立派な人間ではありません。……ただの弱い小娘です」
「………………、」
きっぱりと言いきるネルケに、ヴィンデは言葉を失ってしまう。
「……くくっ、成る程、ただの小娘と思っていたが……なかなか立派な戦士ではないか。面白い」
クインスは愉しげに呟くと、ネルケを拘束する鎖を掴む。
「……では勇者よ。ついてきてもらうぞ……貴様の国の兵たちに、ヴァーイスの完全降伏を告げよ。貴様の身柄は、今後も人質として我が城で預かる……また奇襲などされては敵わんからな」
「……わかった。我が国は、貴国の要求を全て呑もう……」
ネルケは静かに頷き、従うだけ。二人の足元に移動用の魔方陣が光る。
ふと、思い出したようにクインスが振り返った。
「……ヴィンデ」
「!!」
「ご苦労だった。おまえの功績、褒めてつかわそう。おかげでだいぶ愉快なことになりそうだ」
「……そんな。僕は与えられた役目をこなしたまでだ、」
「そして……私を選んでくれて、有り難う」
照れ臭げな笑顔に、ヴィンデの心も熱くなる。
「……こちらこそ、だ。僕を愛してくれてありがとう……クインス……」
恋人たちは甘く見つめあう。
「…………この件が片付いたら、婚姻の儀をあげよう、ヴィンデ。我が花婿になってほしい」
「な、こ、婚姻!? 花、婿……だと……っ!??」
動揺するヴィンデの姿に、クスリと微笑みながら。クインスは戦場へと姿を消した。
*
――勇者、ネルケ=ブルレムの宣言により、ヴァーイスは無条件降伏を受け入れた。かの国はシュバルツェンの半植民地状態となり、勇者であり第一王女であるネルケと第一王子ヴィンデの両名を魔王に人質としてとられたため、もはや人間たちには反抗の気力も残されてはいなかった。
こうして、かの戦争は一旦幕を閉じ、シュバルツェンにはつかの間の平和が訪れた……。




