Decisive battle.3
「ぁ゛ッ……、あ゛ぁあああああ!?!?」
全身に電流が走るほどの痛み。衝撃。靄が晴れていくような感覚。勇者の魔力は、ヴィンデにかかった全てのクインスの魔法を打ち消し、消し去り、その魔力の魅了さえをも解いていく。
一瞬、がくりと、ヴィンデの体から力が抜けた。
「兄さん!?」
「ヴィンデ!!」
勇者と魔王の声が重なる。それが聞こえているのか、いないのか――ふらつきながら、どうにかヴィンデが起き上がった。
「兄さん……! 大丈夫ですか、兄さん……!」
「……ああ。ありがとう、ネルケ……」
彼は優しく、ネルケに手をさしのべ、彼女を抱き起こす。……これでいいのだ。これこそ、あるべき姿なのだから。クインスは、切なげに二人を見つめていた。
「よかった……正気に戻られたのですね」
「……ああ」
微笑むネルケに肩を貸し、二人は、魔王に対峙するように立ち上がる。
「さあ兄さん、共に戦いましょう……我が国の為、魔王を倒し平和を取り戻すために」
「…………」
「……兄さん?」
ネルケが怪訝そうに、ヴィンデの顔を覗きこんだ。その瞬間――。
――ぐさっ、どさっ、と。立て続けに、二つの鈍い音。
「……くっ、ふふ、あっははははは!!!!」
ヴィンデの持つナイフが、ネルケの心臓に深々と突き刺さっていた。
「…………!?」
この事態には、さすがの魔王も呆然としている。
「ぇ……? な……ん、で? にい、さ……」
「ふふ……ふふふ。ありがとうネルケ……おまえのおかげで目が覚めたよ」
ヴィンデが乱暴にナイフを引き抜く。赤がそこらじゅうに飛び散って、傷口からどくどくと溢れ出す。
「……気分はどうだ、偽善者よ? くくっ……、散々なことを言ってくれたじゃあないか。だがこれではっきりしたな。おまえの望む『兄さん』は幻想だ……これが僕の本心、本性。ようやく気付くことができた」
「……うそ……だ……、こん、な……」
「クインス」
ヴィンデはネルケの存在を無視して、恋人に向かう。
「!!」
「クインス…………、ああ、我が魔王、ああ……」
恍惚とした顔で、血濡れた手を彼の頬へと伸ばす。クインスは呆然と立ち尽くすだけ。
「……ヴィン、デ……、ッ、どうして……!?」
「どうして、だと? 決まっているだろう……貴様を愛しているからだ」
「……え?」
クインスの赤い瞳が、戸惑いに大きく揺れ動いた。
「……聞こえなかったのか。愛しているのだと言っている」
「…………嘘だ、だって、おまえの魅了は」
「無論、解けているさ。貴様にかけられた魅了も……そして勇者の魅了も。今の僕は完全なる正気だ」
勇者の魅了。その言葉に、ネルケはぴくりと体を震わせた。
「……まだわからないのか、クインス。僕は心から貴様を愛している……全てを捨て、貴様だけの従僕となることを望む。貴様の愛の全てを望む」
甘い声で囁かれた言葉。彼は、うっそりと微笑んで――。
「僕は……貴様が欲しいのだ」
「っ!!」
ぎゅっと、クインスの手を握る。
「…………わ、私でいい、のか……?」
魔王は巨体を震わせ、紅の瞳を涙で濡らし、恥じらいで顔を真っ赤に染めて。消え入りそうな声で問いかける。
「……貴様が良い。貴様しかいないのだ。クインス。僕の、最愛なる魔王……」
「ヴィンデ……」
見つめあう二人。恐る恐る、クインスが身をかがめて瞳を閉じる。言葉なく口づけをねだる姿にクスリと笑い、ヴィンデは、彼の頭に腕を回すとキスをする――。
「――なぜ、ですか……!?」
恋人たちの時間を遮るように、ネルケが、悲痛な叫び声をあげた。
「兄さん……兄さん、わたし、は、あなたを助けたかっただけなのに……。そんな。間違っていた、と、いうのですか……わたしは……!!」
取り乱す彼女を、ヴィンデは煩わしいとでも言いたげに見遣る。名残惜しげに唇を離して、そして、ネルケと向き合い言い放った。
「……ネルケ。おまえには確かに感謝している……忌み嫌われてきた僕を、唯一、拒絶しないでいてくれたこと……それが例えおまえのエゴによるものだったとしても」
その瞳は、驚くほど冷たい色をしていた。
「……ヴィンデ?」
心配げに魔王が声をかける。彼を安心させるように微笑み、ヴィンデは言う。
「大丈夫だ。ただ、その、少しだけ……あいつと話す時間をくれまいか。ケリをつけたいことがある」
「あ、ああ……構わないが」
「……ありがとう」
ネルケはと言えば、思いもよらない兄からの言葉に相当動揺しているようだった。
「な……なにをおっしゃるのです、兄さん……?そんな、エゴ、などでは、」
「エゴだろう? 王となるおまえは、理想の騎士の体現であるおまえは、何者に対しても慈悲深くなければならなかった……、例えそれが薄気味悪い実兄でもな」
「わ、私、は……そのようなことは思っておりません!! ただ……ただ、兄さんを、妹としてお慕いして……!」
「ならば同情か? 全てにおいて妹であるおまえに劣る僕を、陰では嘲笑い、疎んでいたのだろう?」
「ち、違います!! どうしてそのようなことをおっしゃるのですか……!?」
ネルケの問いかけに、ヴィンデは、冷たくせせら笑うだけ。
「……誤魔化しても無駄だ。僕は覚えている……、思い出したんだ。あの日。まだ僕たちが幼い頃、賊に襲われた日のことを」
「!!」
「僕たちは捕らわれ、おまえが、賊の一人に淫らな行為を強要されそうになった時――」
*
稽古の帰り道。いつも通りに談笑しながら帰るヴィンデたちの元に、三人の男たちが襲い掛かる。
『――動くんじゃねえ!! 下手に抵抗したら、命はねぇぞ!?』
『わ、わたしになにをするき……、ひぃッ!?』
『ボーズはそこで、大事な妹が犯されるとこを見てるんだな!』
身代金目当ての誘拐犯は、ヴィンデにナイフを突きつけて脅し、暴れるネルケを取り押さえ、まだ幼い彼女に手をだそうとした。
このままでは大事な妹が、神聖なる騎士である彼女が汚される。その危機感は、ヴィンデの中の修羅を目覚めさせるには十分だった。
隙を突き、自らを取り押さえる男を木刀で凪ぎ払い。賊の持っていたナイフを奪い取り、奴等に向かい突き刺し、引き抜く。
『ふ……は、はは……!』
飛び散る赤。赤。赤。赤。
『あ……アニキぃ!! あ、あいつ……っ、死んで……!?』
『ひ、ひぃいいっ……!! な……、なんなんだよ、あのガキ……!?』
『……にい、さま……?』
一度目覚めた修羅は止まらない、トランス状態となったヴィンデは、男たちの息の根を完全に止めるまで、止まることはなかった。
血溜まりの中、狂気を瞳に宿し、ヴィンデは佇む。
『……ネルケ、』
返り血を浴びた顔で、彼は、微笑む。
『もう、大丈夫だ。悪者は全部僕がやっつけた……帰ろう?』
『…………』
『どうしたんだ、ネルケ?』
『……やっ……、』
幼い彼女は、怯えた瞳でふるふると首を横に振る。
『こわい……』
『え?』
『にいさま、こ、こわいよ……!! やっ……こないで……!!』
明確な拒絶と、恐怖。震えながらネルケは気絶する。
『え……、ネルケ、なんで……?』
彼女に駆け寄ったそのとき、彼ははじめて、己の周りの血溜まりに気付いた。
『……これ、は……いったい……?』
足元に倒れる妹を助け起こそうと手を伸ばし――。
『ぁ……、あ、ぁあ……』
彼の手に握られた、真っ赤に染まったナイフを知覚する。瞬間、戻ってくる理性。
『ぁ゛……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁああ……!?』
僕が殺した。あの男たちを。見るも無惨な死体に変えた。これは罪だ、いけないことだ、だからネルケにも拒絶されたのだ。僕は血濡れた、おぞましい存在……。ヴィンデの思考も壊れていく。
この事件の日を境にして、彼は、騎士を目指すことをあきらめた。自ら血を求め、戦場を求めるようになった。『どうせ僕は、罪人なのだから』と……。