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最愛なる魔王様  作者: 嶋 紀之


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2/22

Act.1-01

 我が祖国ヴァーイスは、恐ろしき魔物達が住まう隣国・シュバルツェンに追い詰められていた。奴らの手にかかれば人の命など、いとも容易く消し去られてしまうだろう。

 いや、仮に命は助かったとしても、敗北した我々に待っているのは奴ら魔物の奴隷となる未来だけ。

 そんな危機的状況の中だった。かの国の王――魔王と呼ばれる男が、ヴァーイス王に対しとある提案を出してきたのは。



「……すまない、ヴィンデ兄さん。本来ならばソレは私の役目であろうに」

 哀しみと心配と罪悪感の入り混じった瞳で、我らが勇者にして我が妹――姫騎士ネルケが僕を見上げる。

 なんと優しい子だろうか。おまえのような立派な騎士の兄でいられたことは、僕にとって至上の幸運だろう。

「何を言うか! おまえが気にすることなど一つもない、安心して僕に任せておけ」

「しかし……兄さん!」

「おまえには、魔王を倒すと言う使命がある。それは僕の、そしてヴァーイス国民の悲願。そうだろう?」

 笑ってみせれば、彼女もまた、泣きそうな顔で笑顔をみせる。……そうだ。騎士たるもの、人前で涙は見せてはならない。それでこそ我が勇者だ、我が最愛の妹にして我が唯一の主だ。

「おまえが使命を果たす為、僕は行くのだ。僕が行けば奴らは侵攻の手を緩めるはず。そのうちに、おまえが、魔王を」

「わかっております!! わかって……いるのだ、頭では。貴方以外、私の代わりの贄となれる人間がいないことくらい。勇者の私が死んではならないことくらい」

 ああ、不甲斐ない兄ですまなかった。本当ならば、勇者たるおまえにそんな顔、させてはならないのに。僕はおまえを苦しませてばかりいる。

「……ならば胸を張れ。勇者よ。僕は――いや、私は」

 深く息を吸い込み、必死で練習してきた女声を使い、僕は言う。僕の大切な妹に。

「私は……『姫』としての役割を果たすまで。貴方様は貴方様の、『勇者』であり『王子』である役割を、果たしてください」

「兄さん……!」

「私は妹で、貴方が兄。贄に捧げられるのは姫である私。……ね?」

 我が国の姫であり、神に選ばれし勇者として覚醒した僕の妹。幸いにも彼女が勇者だと知るのは一部の王族のみ。かの魔王は、ヴァーイスへの侵攻をやめる代わりに、姫を生贄に差し出せと言ってきた。だから。

「……勇者であるおまえを守る為に、僕はおまえとなる。それが我が国の……皆の決定だ」

 兄であり、王子である僕と、姫である彼女が入れ代わる。

 すぐにばれてしまうやもしれない、危険な賭けなのはわかっていた。少しの時間稼ぎで構わないのだ。あと一週間もすれば、彼女のための装備が完成する。そうすれば妹が魔王を倒してくれるだろう。

 その間の時間稼ぎになれればいい。僕の命などどうでもいい。我が祖国の勝利の為ならば。


「ッ、申し訳ありません……兄さん。すぐに助けに向かいますから。貴方に囮役を任せる、不甲斐ない私をお許しください」

「……僕のことなぞ気にするな。おまえは、魔王を倒すことだけを考えてくれれば良いのだよ。僕はおまえの騎士なのだから、おまえを守るため散れれば本望だ」

「いいえ……いいえ! 家族一人守れずして何が勇者か、何が王か!! 必ず助けに参ります。神に誓って。ですから兄さんもどうか……ご武運を」

 少女らしいたおやかさと、戦士としての逞しさを併せ持った指が僕の手を包む。同時になにかを手渡されたことに気がついた。

「……退魔の指輪です。魔王相手にどこまで通用するかはわかりませんが……私の魔力を込めてあります。きっと、兄さんの身をお守りできるかと」

「ネルケ……すまない。恩に着る」

 手渡された指輪を嵌めれば、自然と、勇気が湧いてくるような気がした。彼女のためならば、僕は――死ぬことすらも怖くはないのだ。





 シンプルだが豪華な装飾を施された、漆黒の馬車に揺られ、僕はヴァーイスの地をあとにした。出迎えに現れたのは魔王の側近だと言う女。変身しているのか、そういった種族なのかはわからないが、見た目には人間とそう大差のない容姿をしていた。豊満な体つきに白い肌、真紅の髪、妖艶で美しい女だったがどうにも作り物めいていて不気味に感じる。彼女はローゼ、と名乗っていた。

「初めてお目にかかるわねぇ、人間のプリンセス。どうぞよろしく」

「……よろしく、お願い致します」

 魔王直属の部下、の肩書の割には華やかと言うか、派手で砕けたふるまいの――とても軍属とは思えない、城勤めよりも酒場のほうが似合いそうな雰囲気の女だった。しかも贄の娘に対して『よろしく』などと。ふざけた真似を。

 苛立ちを隠し、怯えた風を装いつつ返せば、女はクスクスと笑う。

「そんなに緊張しないでよ、別にとって喰いやしないわ」

「……」

「まあ、怖がる気持ちもわからなくもないわ。魔王様ってけっこう優しいヒトだから、あんたが思ってるような扱いはされないはずよ」

 下手なことは言えないので、尚も黙っていると、女は優美な笑みを浮かべて囁く。

「……大丈夫よ。もしも魔王様に酷いコトされそうになったら、あたしが助けてあげてもいいんだから……ね?」

 ……油断させ、味方につける作戦なのか?だがそうはいかんぞ、化け物め。

「お気持ちは、ありがたく頂戴致します。けれど結構です。私は、魔王様の贄として参ったのですから」

 国の民と妹の為、僕は命を捨てる覚悟できたのだ。我々人間は、決しておまえ達に屈したわけではない。そんな思いを込めて女を見遣れば、奴はまたクスクス笑っていた。

「贄、ねえ。そんな悪趣味なモノのつもりはないと思うわよ、あの方には」

「……なんですって?」

 贄ではない?ならば魔王は僕に、姫に、何をさせようと言うのだろうか。



 結局、ローゼとかいう魔物の女からは、魔王の目的について聞き出すことができなかった。ひたすらに黒い城――魔王城を、奴に案内されながら歩く。

 ……外観も内装も黒一色とは、気味の悪い場所だ。だが、僕が死ぬには相応しい場所かもしれないな。王子でありながら妹に負け、彼女――つまりは勇者、或いは姫の影として生きている、惨めな男である僕には。ああ我が妹ネルケよ。僕の代わりに生きてくれ。情けない兄を許しておくれ。

「ごめんなさいねぇ、無駄に長い廊下で。疲れたでしょう? 魔王様はその扉の先にいらっしゃるわ」

「…………」

 妙に気さくなこの女魔物に、なんと返してよいやら迷う。とりあえず、黙っていることにした。

 眼前に広がる、大きな赤い扉。重々しい空気を放っている。

「……さあ、どうぞ?」

「…………はい」

 そっと、扉の金具に手をかける。重い扉を押していく。ギギィ……と、鈍い音がして、扉が開いた。そこには。

「ッ――!?」

 一目見ただけで背筋が凍るような、凄まじいプレッシャーを放つ男が立っていた。

 逞しい、筋肉質な身体。二メートルはあるであろう巨体。背中からは鳥のような、黒い翼が生えている。漆黒の髪をオールバックにし、重厚なマントを身につけていた。彼が纏う雰囲気の、なんと恐ろしく美しいことか!

「これが……『魔王』……」

「魔王様、ヴァーイスの姫君をお連れしましたわ」

 側近の声に、彼はゆったりと振り向いた。かちりと目が合う。赤い瞳が、僕を射抜いた。

「っ……!」

「……待ちわびたぞ、姫君」

 くつくつ笑う男に、妙な懐かしさを覚える。まるで遠い昔からの知り合いに出会ったような。不思議と心が暖かくなるような。

 ……いや、こんなものはただのまやかしだ。奴に術でもかけられたかもしれん。努めて冷静に、理性を保ちつつ、僕は言う。

「お待たせして申し訳ございません。お会いできて光栄です、魔王陛下」

「……世辞なら結構。おまえを呼び付けたのは私だ。どんな態度をとろうが約束を違えたりはせん」

 僕は魔王と睨み合った。真正面から目を合わせられると、奴の紅に嫌でも意識がいく。落ち着かない。

 慌てて、こほんと咳ばらいをして、一礼する。

「……申し遅れました。ネルケと申します」

「クインスだ。役職でも名前でも、好きなように呼ぶがいい」

 低く美しい声が、僕の脳を揺さぶる。憎き魔王の声だと言うのに、その音は奇妙な心地好ささえ感じさせる。……やはり、何か術をかけられたのかもしれん。

 まあ、それでも構わないだろう。どうせあと一週間の我慢だ。ネルケが――勇者が、魔王を倒す準備をするまで、なんとかごまかせば良い話なのだから。





 僕に宛がわれた部屋は、魔王の寝室の隣にある広い部屋だった。天蓋つきの豪華なベッドをはじめ、様々な調度品が並んでいる。

「……まるで客人のような扱いですね」

 厭味の意味を込めて側近に言ってやれば、女は小さく微笑んでいた。

「客人? まさか。あんたはもう、魔王様の家族同然なんだから」

「それは……ペット、という意味ですか?」

「あはははっ! ……お嬢ちゃん、相当ヒネてるわねぇ」

 耐え切れない、と言った様子で彼女は吹き出す。がさつな様子はやはり、王の側近とは思えない。魔物とはこんなものなのだろうか。

「そんなに斜に構えなくたっていいでしょう? 魔王様はあんたを手元に置いとけりゃあそれで良いみたいだし」

「……夜伽の相手でもすれば良いのですか?」

「夜伽ィ? 安心なさいな、それだけは天地がひっくり返ってもあり得ないわよ。だってあんた女でしょう?」

「なっ――!? まさか、あの噂は本当だった……?」

 あけすけな物言いに、思わず、驚愕の声が漏れてしまう。

 『女との夜伽ができない』と聞いて脳裏によぎったのは、どこからともなく囁かれていた噂――魔王は男の身でありながら男を愛する者だ、という話だ。我が祖国で信奉される神の教えでは、同じ性に生まれた者同士がまぐわうことは、罪業のひとつに数えられている。

 僕の表情をちらりと見て、魔王側近は、瞳に僅かな侮蔑を滲ませた。

「あら。その表情だと、ひょっとしてもう知っていて?」

「……噂では、聞いたことがあります。まさか事実、なのですか? 一国の王が、血を紡がねばならぬ立場の者が、男同士の淫蕩に耽るなど……そんなことが、あり得るわけ……!」

「ハッ。本当、人間って愚かよねえ。生まれついての愛を他人が管理できるとでも? その自分たちは正しいって思い込んでるカオ……腹立たしいわ」

 ぞっとするほど冷たい瞳で睨みつけられ、思わず身構える。できるだけ揉め事を起こさず、替え玉としての役割に徹しなければならないとわかっていたが、気を抜けばこちらが殺られかねない気迫がそこにはあった。


「…………」

「……なぁんて、少し、脅しが強かったかしら?」

 しばらくのあいだ無言でいると、ふっと、彼女の視線が軽くなる。先程までの殺伐とした空気は霧散し、当初の印象通りの、掴みどころのなく軽薄そうな女がそこにいるだけだ。……なんとも、やりづらい。

「私は、人間どものやり方は気に食わないけれど、だからって意味もなくあんたを傷つけるほど愚かではなくってよ? ……それに、歴代魔王様方の放蕩ぶりが正しいことかと言われると……それはそれでどうかと思うしね」

「…………」

 どういうことだろうか。気にはなるが、下手に敵に付け入る隙を与えてはならないと無反応を貫けば、観念したようなため息が返ってきた。

「……やあね、そんな怖いカオしないでよ。わかったわかった……ここいらで退散するわよ。またあとでね」

 ああ――できればもう会いたくない。あの女とは絶対的に相性が悪い、そんな気がする。





「……はあ、」

 側近の女が立ち去ったのを確認してから、僕はベッドに座りこむ。

 ――それにしても疲れた。ケバケバしいうえに不躾で、とにかく価値観の合わない女だということはよくわかった。

 改めて、僕に宛がわれた部屋をじっくり見回す。壁も調度品も黒一色でなんとも気味が悪い。室内をぐるりと見渡して、改めて手元に目線を戻し、枕元に折り畳まれた衣服があるのに気がついた。

「ん……? これは……ッ!!」

 手にとり、広げてみて愕然とする。嘘だ。どうしてこんなものがここにある!?


「軍服……だと……」

 それは我が祖国の国防軍の隊服――それも僕が着ていたものとまったく同じデザインの、しかし、祖国では見たこともない色をしたモノだった。本物ならば純白であるはずなのに、禍々しい漆黒に染められている。

 白とは我が祖国、ヴァーイスの象徴色。聖なる色として信仰されてきたものだ。対して黒とは魔物たち、シュバルツェンの象徴とされ、衣服としてあしらわれることはまず滅多にない。わざわざ黒い布で仕立てたのか、はたまた、どこかから手に入れたものを染め直したのかはわからないが――我が国への侮辱であり、僕への辱めであるのだけは間違いなかろう。


 ……これは、着ろという意味なのか。そもそも何故、こんなものを着せようとする? たしかにネルケも軍人だが、男女で隊服の形は異なっている。姫騎士として名高いネルケが、ロングドレスのように長い裾をはためかせ戦う姿は、恐らく魔物の間でも有名なはずだ。まさか、既に僕の正体は見抜かれているというのか。

「っ……………」

 僕はまじまじと、その丈の短い軍服を見つめる。魔王の狙いはわからない。ヴァーイスの軍服を染め直したのだとすれば、単に、男物しか手に入らなかったのかもしれない。きっとそうだ、それだけだ。事前に準備されていたのだから。

 ヴァーイス騎士の象徴たる隊服を、わざわざ黒に染めたのは――僕はもう魔王の所有物であると、自由のない捕虜なのだというアピールだろう。なるほど、ネルケの噂を聞き、勇敢な姫騎士の心を折りにきたというわけか。

「……そのつもりならば、乗ってやろう……!」

 僕の仕事はただ一つ、奴らの目を僕に向けさせ、本物のネルケから意識を逸らすこと。僕が偽物だと気付かれぬよう振る舞うことだ。向こうがネルケを知っているのなら、彼女のやりそうなことを真似るまで。

 僕は意を決して、その、ふざけた軍服へと着替えることにした。

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