Decisive battle.1
姫騎士ネルケは、静かに精神統一をしていた。ありとあらゆる文献を調べつくし、装備を整え――対魔王に向けての準備は整った。魔王の魅了への対抗策も万全だ。必ずや兄を、魔王の手から救いだしてみせる……。
「……ネルケ様。兵が整いました」
「ご苦労」
やってきた部下に労いの言葉をかけると、ここに集った兵たちを眺める。国中から魔王を倒すべく集まってくれた勇敢なる騎士たち。彼女の愛しき民たちである。
ネルケはすう、と息を吸い――全ての兵に向かい宣言した。
「……集いし騎士諸君よ……これより、魔王討伐作戦を実行する! 恐ろしき魔物の手から我が国を、そして我が兄を救い出すべく、どうか協力してほしい……!! 私も諸君らと共に戦おう、勝利を我が手に掴むのだ!!」
うおおお、と、響く民の声が、彼女に勇気を与えてくれた。
今回の作戦、宣戦布告なしの奇襲、というのは彼女の騎士道に反したが――そうでもしなければ兄を取り戻すことはできないとの決断だった。これだけの数の兵がいれば、敵がこちらの動きを察知してさえいなければ、国境を破りそのまま魔王城まで一気に突き進むことも容易いだろう。
ネルケは、集まった全ての兵と自身に対して転移魔法をしかけ――国境の村、ドライツェンへと向かった。
*
『……魔王様!ヴァーイス軍の姿を確認……国境の門が突破されました!敵の数はこちらの兵とほぼ同数とみられます』
通信用の水晶から、伝令兵の連絡が入る。魔王城の中、玉座で待ち構えるクインスは、魔王らしくニヤリと口角を上げた。
「……やっと来たか。応戦しろ。ただし事前に言った通り、勇者は相手にするなよ……奴はヴィンデの獲物だ」
『はっ。皆、心得ております』
「ヴィンデ。おまえもも準備はいいな?」
『……いつでも。必要とあらば出撃できる』
「上出来だ」
恋人たちは、水晶越しに互いの姿を確認し微笑む。
シュバルツェン側の作戦は単純明快――奇襲を悟られているとも知らずのこのこやってきたヴァーイス軍を袋叩きにする。そもそも地の利はシュバルツェンにある上、戦争では防衛側が有利なのは常のこと。ただひとつ問題があるとすれば、すべてをひっくり返しかねない存在――勇者だろう。
勇者ネルケの実力は恐ろしい。剣技、魔法、体術、全てにおいてヴァーイスでもトップクラスな上に、『勇者』は魔王の攻撃か、寿命でしか絶命することのない存在。並大抵の魔物では太刀打ちできない。彼女一人で数十人の魔物を相手取るのも容易いだろう。
そこでクインスが考えだした作戦は、彼女ただ一人を自らの元におびき寄せることだった。
他の邪魔な一般兵どもは配下の魔物に任せていればいいが、勇者だけはどうしても魔王自ら手を下す必要がある。逆に言えば、勇者さえ死ねば人間に希望は無くなるのだ。
大多数の一般兵は集った魔物兵たちに任せ、ヴィンデが囮となり、勇者を戦線から引き剥がしクインスの元へ連れてくる。ついでに勇者を疲弊させることができれば最高、といった寸法だ。
正直に言えばヴィンデは、この作戦に不安があった。クインスが己の実力を認めてこの役割を託してくれたことも、他の者ではできない役割なのもわかっている。だが……本当にそれだけなのだろうか。クインスには他にも意図があるのではないかと、勘ぐってしまう。
(……それに、もし万が一僕がしくじって、ネルケに捕まってしまったら……)
仮にそんな事態になれば、ヴィンデにかかった魅了は解けてしまう。魅了が解けたとき、己の心がどうなるのか。もしこの恋が冷めてしまったら。それを思うと、彼は恐ろしくて恐ろしくて仕方なかった。
無論、もしものことがあればすぐ駆けつけるとクインスも言っていたし、そんなヘマを己がするはずもないと信じている。信じている、の、だが……。
「……胸騒ぎがする」
「死の王子殿? なにか申したか?」
共に身を潜めていた、いかにも古参といった様子の獣人の男がヴィンデに声をかける。
「……いや、なんでもない」
その言葉にはっとし、息を吸いこみ集中し直す。ネルケを視認した時が行動の時だ。今は、目の前の作戦に集中しなければ……。
ヴィンデの纏う空気が、瞳が、鋭くなっていった。 それはさながら――狂戦士。ぎらついた、魔物のようなオーラだった。
*
「くっ……、どういうことだ!?何故、待ち伏せされている……!?」
困惑の悲鳴をあげながら、ネルケは敵兵を斬り倒してゆく。数多の兵の先陣をきり、突入してきた彼女だったが、想定外の事態に相当焦っているようだった。
「勇者様!! 如何いたしましょう!?」
混乱した兵たちの声が聞こえてくる。ネルケは一瞬、息を呑むも、いつものような落ち着いた声で指示を出す。
「……決して引くな!! こうなれば正攻法だ……力で押せ、突っ切るぞ!!」
「はい……!!」
とはいったものの、ヴァーイス軍と魔王軍との戦力はほぼ拮抗している。押されることはないが、押すこともできない。ネルケがいるぶんだけ、若干はヴァーイス軍が有利に見えたが――しかしそれも数の差によりなんともいえない状況だ。
「……魔力をけちっている場合ではなさそうだな……、魔法は魔王戦までとっておきたかったが仕方がない。私が活路を開く!! 皆のもの、着いてこい!!」
ネルケが叫び、敵を一斉に凪ぎ払おうと魔法の詠唱をはじめた。――その瞬間。
「――そうはさせん!!」
「!?」
声が響いたかと思えば、ネルケに向かい飛んでくる雷撃波。咄嗟に飛び退いてよけたものの、詠唱は止まってしまう。
「何奴だ!?」
「……元気そうだな、ネルケ」
「っ!?」
その声に――そして、雷撃の根源から現れた姿に、ネルケをはじめとした人間たちは固まる。そこにいたのは、ヴァーイスの軍服と同じデザインの――しかし魔王軍の象徴である漆黒に染められた軍服を着た、ヴィンデだったからだ。
「に、兄……さん……!?」
「おい、あれ……」
「……ヴィンデ様……だよな……?」
動揺しきった人間を、すかさず、魔物達が攻撃する。戦場の狂乱。ネルケを除いた人間たちは、無理矢理に戦いに引き戻されていく。
「……魔王様はおまえの命をご所望だ……ついてきてもらおう」
「!? に、兄さ……ッ、なにを……!」
ヴィンデが呪文を唱えると、すかさず、転移の魔方陣が発動する。光が飛び散り、二人は一瞬にしてワープしていた。
二人が飛んだ先は魔王城の中庭……戦闘演習にも使われている場所だった。
「……兄さん……、これは、どういうことです……? なんなのですかその格好は!? 悪い冗談は止してください……!!」
「冗談? まさか」
震えるネルケに見せつけるように、挑発するように。ヴィンデは笑って見せる。
「この軍服は魔王様が僕のためにお作りくださったモノ……はじめて彼が僕に与えてくれたモノだ。美しいだろう?」
「っ……!!」
ぎりりと唇を噛み締めるネルケ。
「魔王様は僕に愛を与えてくれた……僕のチカラを心から望んでくれた。あの方こそ我が真の主。僕の尽くすべき相手なのだよ」
「何故……、何故なのです、兄さん!!」
必死に叫ぶネルケの姿に、心が揺れないわけではない。大事な妹であり、かつての主君といってもいい存在。彼女を傷つけることに、殺すことに、躊躇いがないわけではなかった。けれど。
(……なにを今更迷っている。クインスに全てを話した時点で、決めたではないか……。僕の心は永遠に奴のもの。奴と共に在るのだと)
沸き上がる罪悪感を噛み殺すと、クインスの命令を、最愛なる魔王の姿を思い出す。愛しい人。彼のためならば世界中の全てを敵に回しても構わない、その思いに嘘偽りはない。
「……ヴァーイスの軍服などよりも、こちらの方が僕にはよく似合う。闇、黒、魔の色……愛しき魔王様の色……」
「兄さん!! 目を覚ましてください兄さん、貴方はッ、貴方は魔王に誑かされているだけなのです!!」
「誑かす? ……違うな。彼は教えてくれただけだ。僕の真の生き方をな!!」
言うと同時に、ヴィンデは魔力弾を解き放つ。雪崩のように襲いかかるそれを、ネルケは、防護魔法で乗り切った。
「兄さん!! 話を聞いてください……、私は貴方と戦いたくはない!!」
「ならば死ぬか? ……ああ残念、勇者は魔王でなくては殺せないのだったか」
守るだけのネルケに対して、ヴィンデは躊躇いなく攻撃を続けていく。魔力弾を打つ合間に拳銃を構え、容赦なく打ち続ける。
(……全てはクインスのため。ネルケは敵だ、僕はクインスを選んだのだから――。)
心のどこかにあるわだかまりを振り払うように、ヴィンデの攻撃は激しくなっていく。
「くっ……、なぜ、なぜこのようなことをするのですか……!?」
「……おまえが魔王様の敵で、僕の敵だからだ!!」
「私は貴方の敵ではありません、真の敵は魔王です!! 奴さえ倒せば全てが元通り、平和が訪れるのです!! 兄さん……!!」
ネルケが必死に説得の声を上げる。
(……魔王を倒す。元通り。平和……)
その言葉が、ヴィンデの中でリフレインする。
魔王。彼の唯一愛した男。唯一彼を愛してくれる男。そんな彼が死んで手にはいるのは、地獄のような『元通り』の日々と、そして誰とも知らない誰かの『平和』だけ……。
「……平和? そんなくだらないもののためにおまえは彼を……クインスを殺そうと言うのか」
口から出た声は、思った以上に冷たかった。
「当たり前ではないですか……、なにをおっしゃるのです!?」
「……ふざけるな」
ヴィンデの中で、なにかが壊れる音がした。
ふざけるなふざけるなふざけるな。平和だと? そんなつまらない、無価値なものよりも、クインスの命の方が尊いに決まっている。僕の愛しい男。最愛なる魔王様。彼の命が、そんなくだらない理由で奪われていいはずがない……。
苛立ち。憎しみ。怒り。負の感情が止めどなく溢れ、彼の全身に満ち溢れる。
奪わせない、絶対にこいつには奪わせない。クインスは――あの男の全ては、僕のものなのだから――。
「おまえに僕達の邪魔はさせない」
「っ!? に、兄さ……」
「ようやく掴んだ僕の幸せを!! おまえなどに、壊させはしない……!!」
先程までとは比べ物にならないほどのエネルギーが、禍々しい魔力が、ヴィンデを包んでいた。それは人よりもむしろ魔物に近いオーラ。彼が力を込めれば、どす黒い魔力弾がネルケを襲う。
「……僕はおまえに常に奪われてきた!! 師も、友も、両親でさえもが、おまえに全ての愛を向け、僕を忌み嫌い遠ざけた……!!」
「!!」
「それでも僕はおまえにすがり、頼り、ヴァーイスの陰として生きるより他になかった!! 惨めだったよ……、年齢を重ねれば重ねるほどに、おまえは皆に愛される王へと近づき、僕はどんどん殺した相手の血で汚れていく!!」
止むことのない魔力弾の雨。ネルケはバリアーを張り、どうにか耐えているが、それもそろそろ限界だろう――僅かにヒビが入っている。
「魔王は……クインスは、はじめてありのままの僕を愛してくれたのだ。血に汚れきったこの手をむしろ愛しいとさえ言ってくれる、戦場を欲する僕の修羅を、それも含めて僕なのだと言ってくれる。クインスは僕の唯一……最愛なる男……」
ヴィンデがネルケを睨み付ける。同時に、魔力が更に増幅し――攻撃の勢いも増す。ぱりん、と音を立て、バリアーが砕け散った。
「……おまえは僕から、愛しい人さえもを奪っていくというのか? そんなに僕が嫌いか、憎いのか!? 邪魔をするな……ッ、ようやく手に入れた幸せなのだ!!!!」
「がっ……、ぁあああああ!?」
「消えろ……ッ、消えろ消えろ消えろ!!!!」
ヴィンデの攻撃が容赦なく突き刺さる。もはや彼女は無抵抗だ。
(……兄さん……、まさか、心のうちではそんなことを……思って……?)
勇者、そして姫騎士とはいえネルケも17の娘。慕っていた兄からの言葉は衝撃だった。
(嘘だ……こんなの、魔王の洗脳のせいに決まっている、兄さんが、こんな、ああ、でも……私は……)
魔王の攻撃でしか死ぬことのできない勇者にとって、相手が魔王でない限り、どんな攻撃も致命傷にはならない。痛みやダメージは常人と同じように蓄積されるが、その回復速度が尋常ではないのだ。
とはいえ、攻撃を受け続ければダメージにはなるし、後々の魔王との戦闘に響いてしまう。勇者としては今すぐ抗い、ヴィンデの攻撃から逃れるべきことも理解していた。
(……動け、動くのだ……、私は勇者だ、兄さんは魔王に操られているにすぎない……。魔王を倒し、兄さんを救うことこそ私の役目……)
「……目障りだ……、消え失せろ!!!!」
ヴィンデは、禍々しい魔力を帯びた剣を召喚し、身動きもとれずにいるネルケに向かい駆けていく……。