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「……どういうつもりだ」
「何がだ?」
「なにが、ではない! 今さっきの対応だ!!」
きちんとプライベートなスペース、つまりは魔王の自室に転移したのを確認してから、僕は言った。
「知らなかったぞ、貴様があんな軽薄な男だったとは」
「な、なにを言って……」
「しらばっくれるな!! 他の男に色目など使いおって、僕というものがありながら……!」
「なっ!?」
一瞬、魔王の顔が固まるが、すぐにぱっと赤く染まる。同時に困った様子で眉をひそめ、羞恥と困惑が入り交じった顔で見つめてきた。……やめろ可愛らしいではないか、そんなに僕を惑わせて楽しいか。
躊躇いがちにクインスは言った。
「……妬いて、いるのか? あの程度で?」
「あの程度だと!?」
答えた声があまりに本気で困った……というか些か呆れたようなニュアンスさえ含んでいたものだから、思わず、苛ついて聞き返す。聞き返してから己の愚かさが嫌になる。こいつに当たってなんになると言うのだ。奴の言う通りなのだ、あの程度、なんてことはない。ただ奴が他の男を見つめただけ。仕事のためだ、僕の今後を気遣ってくれたのだ、相手はただの部下じゃあないか。わかってる、わかってるんだ頭では、そんな事……。
「…………僕を庇っての行動だということくらい、理解している。だがしかし……」
「……意外と独占欲が強いな、おまえは」
「当たり前だ!! ……あの男、まんざらでもなさそうだったじゃないか」
からかうように言われ、我慢できずに返していた。
「ふふ」
「っ、なにがおかしい!?」
「いや、なに……妬かれるのも悪い気がしないと思ってな」
クスクスと笑う顔は美しい。……だが、読めない。納得いかない。どうもバカにされているような気がしてならない。子供扱いしおって……クインスのくせに。
そんなことを思っていたのが、伝わったんだろうか? 奴は突然真っ直ぐに、こちらを見た。
「安心しろ」
……ああ、なんて、甘い声。
「私が愛するのはおまえだけだ……他の部下など気にするな」
「……僕には貴様しかいないのだ……、忘れるなよ」
「ああ、よくわかっている……そして私にも必要なのはおまえだけだ」
奴と共に過ごしたこの数日間で、すっかり聞きなれてしまった優しい言葉。もう、この男無しでは生きていけなくなっているのだろう。だってもう僕に逃げる場所はない、自ら望んだのだ、全てを捨てコイツについていく道を……。
クインスを失うくらいなら、家族も、国も捨て去ると。それに未だ迷いがないわけではなかった。けれどもう、今さらあちらには戻れないのだ。僕はネルケを裏切った。そして今、我が祖国と彼女を抹殺するための作戦に、協力しようとしている。魔王と勇者は、魔物と人間は対立しあうもの。どちらかを選べばどちらかが死ぬ。それだけの話、なのだから。
「……ヴィンデ。戦うのが、怖いか?」
ふいに放たれたその言葉は、本当に僕の心を読んだかのようで、慌ててしまう。
「っ、な、なにを言って」
「私は、おまえに苦痛を味わせたくはない……おまえが望むならば作戦から外しても構わんのだぞ」
語る声はどこまでも優しい。甘ったるくて、ぐずぐずに溶けてしまいそうだと思うほどに。
こんなの、僕がもらっていいものではない。
「……僕に、戦うなと言うのか?」
戦うために、殺すために生きてきた、この僕に?
「おまえが望むなら」
ああ、どうして貴様はそんなにも、そんなにも。
「…………そこまで見くびられても困るな、僕の性分は貴様もよくわかっているはずだが?」
「……ふふ、私と同じ、か」
「ああ」
理解しあえる。受け入れてくれる。この修羅の性質を、戦場でしか生きられない僕を、クインスだけが唯一理解してくれる。そんな僕でも、いやそんな所さえ愛していると囁いてくれる。
ああ――幸せすぎてどうにかなりそうだ。愛している。愛しているのだ、クインス。僕の唯一。この男が望むなら、己の命さえ安いものだと、酔狂なことすら考えてしまう。
「……僕の望みは、貴様の望みを叶えること……ただそれだけだ」
「ヴィンデ……」
「…………未練など、戦場に出れば消えるさ。どうせもう奴らの元に戻る気など、貴様を裏切る気など、ないのだから」
クインスは、なにか反論したそうに口を開くも――些か迷い、いくつか吐息を漏らしただけだった。
*
――おかしい。もうとっくに向こうの準備は整っているだろうに。なぜ、ヴァーイス軍は攻めてこない?
当初の話では、長くとも一週間かそこらで対魔王の装備が完成するということだった。装備が整い次第、襲撃を開始する、と。王都から国境までは転移魔法が使えるため、一晩もあれば魔王城に到達してしまうだろう。僕を替え玉にするなどと言う無謀きわまりない作戦を決行したのも、一週間程度ならば誤魔化すなり、魔王軍を攻撃して撹乱させるなり、で、なんとか時間を稼げるだろうと踏んでのことだったはずだ。
すでに、僕があの国を出てから13日間、クインスに全てを告げてから7日間の時が経っている。
「……この件について、どう思う?」
「さあねえ……、なんか、心当たりないわけ? って言うかそういうのは魔王様に言いなさいよ」
駄目元でこの女に言ってみたが、案の定、無愛想な返事しか返ってこない。奴の言葉をあえてスルーして、僕は続ける。
「……心当たりがないわけではないが。確固たる資料があるわけでもない、あくまで推測の域を出ないのだ」
「ごちゃごちゃうるさいわねえ……とりあえず聞かせなさいよ、その、推測とやら」
相変わらずの偉そうな態度は腹立たしいが、こちらから話を振った手前、ぐっと我慢して僕は続ける。
「思うにヴァーイスは――いや、勇者は、魔王が持つ魅了に感付いたのではないかと」
「……どういうこと?」
僅かに、側近は興味を示したようだった。
「僕の裏切りに気がついているなら、魔王軍の軍備が整う前に早々に攻めてくるはず……よってその線は薄い。となると、物理的装備以外の準備をしている可能性。ネルケの性格を考えれば、恐らくは作戦の目的に僕の奪還も含めているはず……ヴァーイス軍としても、万一にも僕が寝返り敵になっては困るだろう。よって、僕を奪還するための準備に手間取っている、という可能性が出てくる」
「あら。アンタ、案外自己評価高いのね」
「……あくまで客観視した事実のみを述べているつもりだが?」
「あはは、ごめんなさぁい」
耳障りな笑い声。いちいち苛立ってしまう己に腹が立つ。わかってやってるだろうこいつ。
……ああ、まともに相手をしない方がいいことなどわかっている。わかってはいるのだが、しかし、僕以外で唯一クインスが心を許しているらしいコイツの存在は、どうしたって無視しようがないものであった。稚拙な敵対心なのは自分でも理解していたし、最近はそれをからかわれているらしいことも感じている。それなのにのせられてしまうあたり、僕もまだ、幼いということなのか……。
ともかく、話を進めねばなるまいと、深呼吸をして続きを口にした。
「……恐らく人間は、僕にかかった魔王の魅了を解く準備をしているのではなかろうか。こちらにも詳しい文献が残っているのだ、ヴァーイスもなんらかの資料を持っていておかしくない」
言いながら僕は、この推測の出発点となった資料――書庫で見つけた古の魔王の手記を、取り出した。
「……! よく……見つけたわね、そんな、古い文献」
「これは、信頼するに足りうる資料なのだな?」
「っ!」
珍しく、奴のポーカーフェイスが崩れる。
「……あんた、なに考えてんの。だいたいなんでそんなことを調べてたの? まさか、魅了を解こうだなんて、バカなこと……!」
「僕は、考えていない」
側近の言葉を遮り、僕は続ける。
「……この文献によれば、かつて、魅了で手に入れた男を勇者に奪われた魔王がいたらしいな。勇者のもつ光の魔力は、魔王の闇の魔力と相殺しあう対の力。勇者の魔力に触れた男は我に返り、魔王を捨てて裏切った、と」
奴は黙ってなにか考え込んでいるようだったので、僕は、続ける。
「その後、その魔王は憎しみから勇者を殺害。裏切者の男も殺害。以降、その魔王は史上類を見ない残虐さで知られる暴君となり、また、性への奔放ぶりも酷いものだったと……。……かの『史上最悪にして最強の魔王』を生んだのが、勇者とは。すごい話だ」
「……だから、なんだって言うの」
「僕は、クインスにそんなつらい思いをさせたくはない」
それは、心からの願いだった。
「……誰がどんなに望んだとしても、この幸せな日常を、壊してなるものか。奪われてなるものか……。たとえ魅了による紛い物の感情だったとしても、僕は、奴を愛していたいのだ」
「………………魅了されてるってわかってて、そんなこと言うバカは初めて見たわ」
「僕の全ては、クインスのためにある。奴の望みこそ僕の望み。そのためなら愚か者にもなろう」
「……ああそう。あたしは、魔王様が幸せなら、それでいいわよ。勝手になさいな」
呆れたような大きな溜め息をつくと、側近は、姿を消していた。
「……クインスが幸せなら、か」
思わず、奴の言葉を繰り返してしまう。何があの男にとっての幸せなのだろう。何が奴の本当の望みなのだろう?
ヴァーイスの連中がなかなか現れないことへの疑問を、クインスに問うたのは四日前のことだ。らしくもなく曖昧に言葉を濁すと、誤魔化されてしまった。あいつはいったい何を考えている? 僕を愛してくれているなら、なぜ、全てを話してくれないのだ。なにか重大なことを一人で抱えようとしているような、そんな風に見えて仕方なかった。
この、古の魔王の手記に書かれていたこと――当然クインスも知っているだろう。なぜ、僕に教えてくれなかった?
クインスの望みこそ僕の望み、と、側近には言ったがあれは嘘だ。本当は、死ぬまで奴の側にいたい。死ぬまで奴を愛していたい。例え、奴がそれを望まなくなったとしても。なんと、身勝手なのだろう。
……それでも僕は、愛している。
絶対に、古の哀れな男のようにはなるものか。この幸せを壊してなるものか。ずっと忌み嫌われ、ネルケの影に隠れて生きていた僕が、彼女に奪われ続けていた僕が、ようやく掴んだ愛なのだ。
もう嫌だ、ネルケのせいで、僕の幸せを壊されるのは……。
彼女は大切な肉親であったし、あの国で孤独だった僕を唯一支えてくれた存在なのは事実だ。けれど、僕の孤独は全て、元を正せばネルケが優秀すぎたからで――。
時が経つにつれ、彼女への盲目的とも言える感謝の念やある種の尊敬は鳴りを潜め、本当はそこになにもなかったかのようにさえ感じられた。あるのは精々、燻った嫉妬心と嫌悪だけ。まるで夢から覚めたような、誰かから作為的に偽りの感情を植え付けられていたかのような。
「……考えすぎなら、良いのだがな」
呟いた言葉は、誰にも拾われず虚しく響いた。