Act.6-02
本当にいいのか、言ってしまって?
――構わない。
ネルケを裏切ることになるぞ?
――承知の上だ。
もしも、もしも魅了が解けてしまえば。僕は、本当に孤独になるかもしれないぞ……?
――たとえそうだとしても、今、僕は魔王を愛している。
迷いはなかった。今言わなければ、僕は一生後悔する。未来のことなど関係ない。今、僕は彼を愛しているのだから。
思い切り深く、息を吸って、魔王の瞳をじっと見据えて。僕は言った。
「……もうじき、勇者がヴァーイス軍を引き連れ、攻めてくる」
ぴくりと、魔王が反応する。
「表沙汰にはなっていないが、先代勇者は数ヶ月前に死んでいる。今の勇者は姫騎士ネルケ――僕の、妹だ」
「…………、」
「すまない、クインス……。僕は貴様を騙していた。ヴァーイスの連中は僕を囮に使い、その隙に貴様を殺す気でいたのだ」
魔王は、固まったまま僕の言葉を聞いていた。
「ヴァーイスは必ずや兵を揃え、シュバルツェンを攻撃してくるだろう。できるだけ早く迎撃の準備を」
そこまで言って、僕は、口を閉ざす。
……言ってしまった。伝えるべきことは全て伝えた。もう、あの国には帰れない。僕は魔王を選んだのだ。
しばらくの間、その場を静寂が支配していた。
「……何故、」
最初に口を開いたのは魔王だった。
「何故……話してくれた? 私に正直に言えば確実に、おまえの大切な妹が傷つくぞ」
「……そんなことよりも、今は、貴様を失うほうが恐ろしいのだ」
それは紛れも無い真実。紛い物ではない、今僕が思う本心。
「――クインス。僕も、貴様を愛しているのだ」
真っ正面からその目を見つめる。もう逃げない。逃げられない。
「例え、魔力に魅了されなくとも、僕はきっと貴様に惚れていた。……初めて、だったのだ。あんなにもまっすぐに愛を向けられたのは」
「ヴィンデ……」
「だからそんな悲しい顔をするな。……両思い、というヤツだぞ。喜べ」
冗談めかして言えば、クインスは静かに泣きながら笑う。ああ、なんて、美しい男。我が最愛なる魔王様。
愛しくて愛しくてたまらないその唇へ、背伸びをして、軽く口づけをする。
「!!」
愛してやまない男の頬に触れ、その瞳の奥深くまで覗き込んだ。赤い瞳に映る僕は、自分でも思いもよらないくらい、穏やかなカオをしている。
「……それに、仮に僕が貴様を愛さなくなったとしても。もう祖国には戻れない。貴様の隣以外に居場所などないのだ」
「すまない……、私などに関わったせいで、おまえの一生は……!」
「僕の一生は永遠に貴様のモノ。貴様の愛で死ねるなら本望だ」
見開かれた瞳。どこまでも、どこまでも美しい男だ。ときめきが溢れて泣きたくなる。
「……まあ、叶うなら、貴様の全ても僕に捧げてほしいがな」
「ああ……やる。やるさ。いくらでも。こんなものでいいのなら。私の命も、一生も、おまえが望むなら全て捧げよう……」
奴の手が僕の頬をなぞる。大きくて無骨な手。絡まりあう視線。
「ありがとう……愛している、クインス……」
「っ……、私も、だ……」
そこにあるのはあまりに儚く、破滅的な感傷。今にも壊れそうな感情。このまま二人でならばどこまででも堕ちていきたい。
切なくて切なくて、愛しくて。感情の沼に沈みそうだ。こうして、二人して溺れてしまって、二度と助かることがなければいい。
不幸なほどに、シアワセだった。
ぐっと、クインスが身を屈めてくれた。優しく閉じられた瞳に、意図を察して顔を近付ける。
二度目の口づけは甘かった。息がとまるほどにまぐわう中、ゆっくりと、瞳が開かれる。ああ、この男の瞳は血の色をしている――と、ぼんやり思った。
ゆっくり、ゆっくりと、名残惜しげに離された身体。赤い瞳が切なく揺れている。僕との距離を離すに従い、その瞳も、鋭い色に変わっていき――。
「……ヴィンデ。おまえの気持ちは理解した」
そう言った声は、魔王たる風格と威厳に満ち溢れていた。
「祖国の企みを私に伝えたと言うことは、我が配下となり、共に戦う覚悟をしてきたという認識で間違いないか?」
「ああ……もちろん」
「おまえの行いは明らかな反逆だぞ? もう二度と、あの国には戻れまい。同族を、かつての仲間を殺す覚悟はあるのか」
魔王の視線が冷たく刺さる。迷いがない、とまで言えば嘘になる。だが。
「同族? かつての仲間? ……それがどうした」
僕には時間がない。考えるだけ無駄だ。僕の一番大切なモノは、今目の前にいるこの男なのだから。
「そんなもの、今更気にする必要などあるまい。僕は、貴様を選びヴァーイスを捨てた。だからこそ全てを話したのだ。貴様の敵は僕の敵……それ以上の意味はない」
主以外は切り捨てる――今までだってそうやってきた。姫の、勇者の騎士として。敵が変わっただけのこと。
むしろ、この国であれば誰にも咎められることもなく剣を振るえる。祖国では忌み嫌われていた僕の本質を、魔王は、求めてくれているのだから。これから待ち受ける戦争を思い、心躍っている自分に気がついた。
「……ふふ、良い顔になってきたじゃあないか? それでこそ私が選んだ男だ……」
クインスがちろりと唇を舐める。悠々と見せた、あくどい笑顔に興奮する。
「素直になれ、ヴィンデ。おまえは国を捨てた。おまえは自由だ。もっと見せてくれ、おまえの闇を……」
「ああ……戦場で、必ずや……」
この男に全てを捧げよう。彼が求めるモノ全てを。同族殺しも厭わない……いや、それで彼の役に立てるのだとしたら楽しみなくらいだ。
「今からローゼを呼び、至急兵を手配する。おまえの存在はこの戦局で必ず役立つことだろう……、作戦は随時指示する。楽しみにしていろ」
「ああ……」
なんと凛々しく、なんと美しいのだろう。僕の魔王は。すっかり臨戦態勢な姿に、改めて惚れ惚れしてしまう。
「我が同胞も、おまえのような強き者は喜んで受け入れるはずだ――、面白いことになるだろうな。皆への挨拶の準備くらいはしておけ」
「なっ、あ、挨拶だと!?」
「当然だろう? 私の新たな配下であり――生涯のパートナーなのだから」
思い掛けない言葉に驚愕した。
「……認めて、くれるのか。僕を伴侶として」
「おまえが先に言い出したのだろう、い、一生を捧げてくれると……。私とておまえと同じ気持ちだ」
「クインス……っ」
言いようもなく満たされていく。正式な伴侶として、僕の存在を明らかにしてくれるつもりでいたことが、ただ純粋に嬉しくて。それどころではないと思いつつも、幸せすぎて泣きたくなった。
「ふふっ……。私の民もだが、人間どももさぞかし驚くだろうな。おまえがこちらに着いたと知れば」
「……それは、どうだか。元が魔物同然の扱いだぞ? 排除する理由ができて喜ばれるかもな」
「愚かな! やはりおまえはヴァーイスに置いておくには勿体ない逸材だったな。人間程度にはおまえの闇の素晴らしさが理解できんのだろう……」
小さく自嘲した僕の手を、魔王は、そっと握りしめてくれる。それだけで痛みは消えていく。そうだ、人間などに構うことはない。僕には魔王がいるのだから。
「……ああ、愚かな奴ばかりさ。あの国の連中は。でなければ貴様を欺こうなどと思うはずもない」
「ふふ、そうだな……せっかく私が穏便に済ましてやろうとしたというのに。奴ら、相当死にたいらしい。……この魔王を図ったこと、後悔させてやる」
ニヤリとした笑いは、間違いなく魔王たるに相応しい風格に満ちている。いつもよりも雄々しい姿に胸の高鳴りが止まらない。
魔王は少しの間考えこむと、ぱちんと、小さく指を鳴らした。
床に素早く魔法陣が展開される。移動用……いや、召喚用らしい。ゆっくりと、寝間着姿の側近が、床から姿を現している。
「……ローゼ、至急の仕事だ。目を覚ませ」
「ふぁああーい……? あ、朝っぱらから何ですかぁ……いきなり……」
「もうじき勇者が攻めてくる」
「……はい?」
勇者。その言葉で、一瞬にして側近は覚醒したようだ。
「……一体どういうコトです?」
「あの老いぼれ勇者はくたばっていた。人間どもはどうやら、降伏した振りで我らを油断させ、兵を集め、新たな勇者を抱えて攻めてくるつもりでいたらしい」
「なっ……、そ、それは事実なのですか!? だとしたら相当な侮辱だわ……ナメるのも大概にしろっつーの……!!」
「ああ、そこの男から聞いた。……間違いはあるまい?」
いきなり話を振られ、少々慌てる。とりあえず頷き、魔王の言葉に補足をした。
「……全て、魔王の言った通りだ。新たな勇者は我が妹。だからこそ、身代わりとして僕が来たのだからな」
「嘘……あんた、あたし達を騙してたってわけ?」
「止せ、ローゼ。ヴィンデはたった今全てを語ってくれたのだ……国を捨て我等につくという誓いと共にな」
そう簡単に受け入れられるとは思っていなかった。僕が今までの戦争で魔物側に与えたダメージを考えれば、怨まれ、疑われるのもある種必然かもしれないと。
……しかしながら予想に反して、意外にもあっさり、彼女は僕に謝罪までしたのだ。
「…………そう、ね。ごめんなさいね、王子クン。話してくれて助かったわ。ありがとう、魔王様を選んでくれて」
「お、おう……?」
てっきり罵声の一つや二つ飛んでくるものだとばかり思っていたので、拍子抜けする。
側近はキッと視線を鋭くさせるとクインスを見据えた。
「魔王様、状況は理解しましたわ。まずは召集をかければよろしいかしら。今のお話は伝えた方が?」
「いや……戦が始まる、という事実だけで十分だろう。理由はこの城で話すと言っておけ」
「御意に」
彼女が手を掲げると一瞬にして着替えが完了していた。そして、次の瞬間には、女の姿は跡形もなく消え去っている。
「……奴は何処に?」
「ああ……、ローゼは転移魔術が得意だからな。いくつかある我が国の主要都市に向かい、そこの連中をまとめてこちらに送ってもらう予定なのだ。作戦はあるが、兵士が……駒がいなくてはどうしようもないからな」
そこで魔王は言葉を止め、まっすぐ、僕の瞳を見つめる。血のような紅が僕を射抜いた。
「――ヴィンデ。おまえはこの戦局で、かなりの重要な駒になる。……協力してくれるな?」
それは、恋人としてではなく、魔王としてのカオ。主としての命令なのだと、一目見て理解できた。
だから――僕も配下として、その足元に跪く。
「……御意に。我が最愛なる魔王様」
指先に敬愛の口づけをすれば、我が主は満足げに口角を上げた。