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Act.6-01

 ――瞳を開ければ真っ黒な天井。もうすっかり見慣れた、魔王城の、僕の部屋だ。

「……今の夢は、」

 ひどく心拍数が早まっている。目覚めてなお、夢の続きにいるようだ。わからない。僕は、心のどこかでネルケを――憎んでいたのか?

「…………」

 否定しきれない。わからなくなってしまった。どうして彼女の為に生きていたのか。どうして、彼女の影でいいと思い出したのか。夢の中の僕の台詞が蘇る。

「『……影でいい、と思わなければ、あの国では生きていくことすら許されない』か……」

 それはある意味事実だった。ありのままの僕を受け入れる者は、あそこには居ない。ネルケの為という大義名分の元ですら、血塗れた僕の手をとってくれるのは、彼女だけだったと言うのに。

 いやそれだって、わからない。いつかは拒まれるかもしれないのだ。或いは僕が知らないだけで、彼女も僕を拒んでいるやも知れないのだ。

 夢の中で幼いネルケは、確かにはっきりと僕を拒絶した。被害妄想で済ますにはあまりに生々しかった、あの、光景。あれは一体なんだったのか……。

「……時間は、ない」

 確かめている暇はない。早くしないとネルケが来てしまう。僕が今こうして黙っていること自体、クインスへの裏切りなのだ。

 あの男を失いたくはない。僕の抱える闇ごと愛してくれた、愛しい人。最愛なる魔王様。奴が僕以外の手で傷付く所など、絶対に、見たくはなかった。

 ネルケを裏切りたくない。国を裏切れない。その気持ちが消えたわけではない。ただ――本当に彼女を信じて良いのか、僕の居るべき場所があの国にあるのか? 僅かな疑問が胸に引っ掛かる。

 きっと、今のまま何もせずネルケを選んだら、絶対に後悔する。予感はあった。例え破滅することになってでも、今、僕が隣に居たいと思えるのは――間違いなくクインスの方なのだから。

「……奴の部屋に、行こう」

 そして全てを伝えるのだ。僕の思いも、ヴァーイスの卑怯な策略も、その全てを。そうすることで、何かが変わる気がする。

 僕はクローゼットの扉を開け、最初の日以来ずっと奥にしまい込んでいた軍服――クインスが初めて僕にくれたもの――を、手にとった。





 意を決して奴の私室の前まで来た。緊張に震える腕を、無理矢理動かし、扉を叩く。

「――ん、ローゼか? ……なんの用だ?」

 扉の向こうでクインスの声がした。少し気怠げだがもしや、眠っていたのだろうか。僕がやって来るなどとは当然思っていないだろうな――昨日、あんなに冷たく拒否してしまったのだから。そのことについても詫びなければ。

 喉がからからに乾いて、声が出ないのではないかと思う。そんなに緊張していたのか僕は。

「……僕だ、ヴィンデだ。開けてくれないか」

「なっ……!?」

 がたり、と大きな音がしたかと思うと、どさどさと何かが崩れ落ちるような音も聞こえた。

「お、おいっ、大丈夫か!?」

「あっいや、その、あの……構わんッ、入れ!!」

「あ、し、失礼する……」

 少々面食らいながらも扉を開けると、そこには――書類にまみれた魔王がへたりこんでいた。

「……ヴィンデ……っ、」

 潤んだ瞳からは、恥じらいながらも僕の訪問を喜んでいてくれることが感じ取られ、ときめきで胸が苦しくなる。なんといじらしく愛らしいのだ。

「…………すまん、こんな格好で……その、おまえが来てくれるだなんて思わなかったものだから、慌ててしまって」

「だ……大丈夫か? 怪我は?」

「あ……い、や、その……書類の束が崩れただけだから、私は全然……」

「……よかった」

 ひとまず、大事ではなかったようで安心する。慌ただしく立ち上がり、長身を屈めながら書類を机に戻す姿はとても可愛らしかった。

 ……ああ、のんびりと見ている暇はない。はやく――言わなくては。

「ま、おう」

 ぴたりと、奴は動きを止めて僕を見た。きょとんとした目がこちらを見つめる。

 緊張のあまり、心臓が口から飛び出すのではないかと思った。

「そ、の……重大、かつ至急な話が、あるのだが……今話しても構わないか……?」

 絞り出した声は震えていた。

「……至急の、話?」

「ああ――昨日の返事を」

「駄目だ!!」

 ぐらり。突然の咆哮に、目眩がおきる。倒れそうになったがどうにか耐えた。

「――っ、す、すまない、ヴィンデ!! つい大声を……」

「い、いや……構わないが。……駄目、とは、いったい?」

 奴の顔色はひどく悪い。今にも泣きだしそうなカオをしていた。

「……すまない……、全て、私が悪いのだ。結果として、おまえの意思を踏みにじるようなことになってしまった。今更謝ったところで何にもならないだろうが……」

「……? な、何故貴様が謝る? 何の話だ……?」

「私は」

 震える声で、魔王は、言う。

「私は……おまえの精神を歪めてしまった……」

 ……は?

 いったい何の話だ? 嫌な予感がする。これから語られるのは、決して良くはないこと、らしい。不安に胸がざわついた。

「私は……私は魔王。世界で唯一、闇の属性の魔力を持つ存在。私が存在しているだけで、この身に宿る魔力は他者を魅了し魔王に絶対的服従を誓わせる」

「…………」

「私の存在自体が、強力な魅了魔術のようなモノ……。おまえの本来の意思に関わらず、長い間我が元に居れば、必ず魔王の力の下僕となる。……ここまで言えばわかったろう。私がおまえに犯した罪が」

 ……待て。意味が、わからない。

「…………何が、言いたい……?」

 闇の魔力? 魅了魔術? 嫌な予想が頭に浮かぶ。不穏な空気に、吐き気がする。

 魔王は静かに僕を見つめて、まるで罪人が懺悔をするように――言った。

「……私は……、私が、私のせいで。私の魔力のせいで。おまえを無理矢理惚れさせてしまった。そういうことだ」

「ッ……!!」

 魔王は……なにを、言っている?

 思考回路が完全に固まる。だってそんな。まさか。そんなはずはない。この思いが、胸を焦がすほどの情熱が――魅了の力によるまがい物だと?

 そんなことがあってたまるか!!

「ふざけるな……ッ、そんな、冗談だろう!? 嘘だと言ってくれ……!!」

「…………」

「じゃあなにか、今僕が貴様に抱いている思いは! この胸を埋め尽くす感情は!! 全て、紛い物だとでも――っ、」

 勢いに任せ怒鳴り散らしてから、ハッとする。魔王は辛そうに俯いていた。今にも、泣きそうな顔をして。

 反射的に奴を抱きしめる。

「っ、すまない……。そんな顔をさせたい訳じゃなかった、僕も……混乱、していて……」

「…………」

 腕の中で震える、大きく美しい身体。伝わる体温。僕にはこの男を慰めてやることすらできないのか。苦しくて苦しくて、泣きそうになる。

 ああ――この気持ちは確かに本物だ。でなければ、こんなにも胸が苦しいはずがない。こんなにも切なくてたまらないはずがない。

 少なくとも、今、此処にある僕は、確かに魔王を愛している……。

「ッ――、離せ!!」

「っ!?」

 突然、魔王が僕を突き飛ばした。そのまま逃げるように身を剥がされる。

「なっ……、なにをするのだ、魔王っ……」

「駄目だ……駄目なんだ、ヴィンデ、これ以上は」

「どうして!?」

「愛しているからだ!!」

 奴は、僅かに泣いていた。

「好きだ、愛しているのだ……本当に。ありのままのおまえを。だから……、あまり私に近づくな……」

 涙が静かに頬を伝う。あまりの気迫に、言葉を失った。

「……私の魔力は他者を魅了し、やがては意志無き傀儡に変えてしまう……。おまえの為を思えば、もっと、早くに距離を置くべきだったのだ……」

 どうすればいいのかわからない。なにを言ってやればいいかもわからない。当事者たる僕に、なにができる?

 愛するこの男の為ならば、傀儡と化すことも厭わない。そばに居ることが許されるならば。……けれど、それでは魔王は報われない、のだろう?

 今の僕がなにを言ったところで、傷つけることしかできないとわかっていたから――何も言えなくなる。

「……全て、私が悪いのだ。愚かだったのだ。おまえの横に居るのが嬉しくて、我を忘れた私の罪だ。赦せとは言わん、今更謝ったところでと思うだろうが……すまなかった、ヴィンデ……」

「…………」

「せめてこれからは、私と離れて生きてほしい……おまえがおまえであるうちに。できることなら私を忘れてほしい。最低な男だと罵ってくれて構わない。……一方的なエゴを押し付けてばかりだな、私は」

 そんな顔で、そんなことを言わないでくれ。忘れるだなんてできるはずがないだろう? 初めてありのままの僕を求めてくれた相手のことを。

 けれど、僕が隣に居ることは、魔王を苦しめるだけなのか? こんなにも愛していることが、魔王の重荷になってしまうのか。


 僕は、無力だ。



 けれど、このまま魔王の提案を呑んでしまえば、やがてネルケが攻めてくる。ヴァーイスはありったけの兵を注ぎ込むはずだ。備えなくして、魔王は、勝てるのか?

 万が一にも彼を失うようなことがあれば。僕はまた何もなかったように、あの国に戻り生きていくのだろうか。

 そんなこと、絶対に堪えられない。

「……恐らく、国に帰してはやれないが。おまえならきっと我が国でも活躍できるだろう。どこか好きな土地を見つけて、新しい人生を……」

「――待て!!」

 耐え切れず、僕は叫んでいた。

「駄目だ……! それでは、駄目、なのだ……」

「ヴィンデ!! 気持ちは嬉しい、だが私はおまえが……ッ、」

 視線が交わる。真剣に、奴の目を見つめた。この男ならばわかってくれると信じて。

「……、どういうことだ?」

 案の定、なにかがあると悟ってくれたらしい。魔王は深く息をつき、こちらを見据える。

 心臓が激しく鳴っていた。


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