序章…此処に在り彼方に在り
全ての物語は"昔々"で始まるのです。
薄暗い店内に微かに響く、自鳴機。
ほんのりと漂う甘い匂いはシナモンだろうか。
木製の本棚がそこかしこに佇立しており、それは狭い店内をさらに狭くしている。
背の高い本棚には隙間なく書物が並べられ、入りきらなかったものは溢れだし、床に雑然と積まれていた。
そのたくさんある山の、一番上。
そこには酷く不安定で"奇妙な"ものが、置かれていた。
それは例えば、螺子が幾つも付いた自鳴機。
両腕の無い、テディベア。
土の無い鉢植えに植えられた干からびた白い花。
他にも、折れた傘の骨に、長いステッキ。
砂の無い砂時計。割れた鏡など。
それらはただ、ごちゃごゃと放置されていた。
ぎちぎちと錆び付いた音をたてて自鳴機が止まる。
と、今まで少しも動かなかった沢山の螺子が、突然、てんでんばらばらに動き出した。
あり得ないほど勢いよく、滑らかに。
すると、その動きを遮って細い指が1つの螺子に触れた。
途端、全ての螺子が一斉に静止する。
かちり、かちり、と丁寧な仕草で螺子を巻いていくのは、大きな黒いフードを被いた青年。
袖口から覗く肌は暗がりの中でも病的なまでに白く、薄く割れた唇からは驚くほど長い犬歯がこぼれている。
億劫そうにその長身を屈め、繊細な手付きで自鳴機を弄る彼は、この店の主人。
彼の名は、ツァルト=ハイト。
彼が主人をつとめるこの店は此方に在りながら、彼方に在りし店。
其処は、時の流れの中に存在する淀み。
そして其れは、すべての事象が終結する場所。
店の名は、ファタ.リ.テート。
意味は、"運命"。
この店は、"優しさ"の名を持つ主人の手によって、不変の時を刻んでいる。
この店へたどり着けるのは、この店を必要とするものだけ。
"ヒトでないもの"が店主として居座る店によくある規則だ。
そしてまた、主人の許可無く店に入ることは出来ない。
誰も。
ここは、そんな"普通では無い"店。
そして、主人もやはり、"普通では無い"。
彼は変わらない。
変われない。
『不変であれ』
彼はかつて、呪いとも、願いともつかぬ言の葉に縛られた哀れな生き物の末裔。
最もよく知られている彼等の名は、鬼人。
彼は、店と共に悠久にも等しい時を生き続けなければならない。
彼の先祖達と同じように。
昔は彼も、自身をこの店に結び付けた運命を呪った。
過去の咎を引き摺って生きる一族の宿命を呪った。
しかし、何も変わらなかった。
何も、変えられなかった。
何人たりとも、ファタ.リ.テートには留まれない。
何故なら其処に、"時間"は無いから。
しかし、存在しない時間の中で、彼は存在き続ける。
彼は本当に存在しているのか。
それは誰にもわからない。
勿論、彼自身にだって。
でも、と彼は思う。
今はそれでもいい、と。
だってきっと。
きっといつか、存在きる意味が見つかる、から。
今はただ、其れを信じて。
それまでは、只の店主として。
只の化け物の末裔として。
只のツァルト=ハイトとして。
此の店にやって来る者の話を聞き続けよう、と。
……ほら。
今日もまた、重い扉の軋む音が。
今日のお客様は何方でしょう。
ふふ。
本日も、ファタリテートは営業中です。
『いらっしゃい』