1-5 桜道
長らくお待たせしました。
第一部ラストです!
久しぶりのパソコン……
指が躍りいつもよりほんの少し長めです。
一人歩く帰り道。
いつものことだから何も思わない。
雲一つ浮かんでいない、吸い込まれそうな青空の下。
咲いたばかりの桜は五分咲き。
風にゆすられ、音を立てる。
時折舞い落ち花びらが、静かな小川に波紋を作る。
浮かんだそれは身を任せ、流れゆくまま過ぎていく。
施設への近道。
まだ舗装もされていないこの道は、散歩コースになるがしかり。
澄んだ空気に誘われて、ランナーの練習コースになるもしかり。
ただ、その誰もが年配で年輩である。
僕みたいな子供はもとより、大人も含めた若者は、この道に一人だけ。
言わずもがな、自分だ。
そして、この道を移動手段として使うのは僕くらいなのではないか。
そう言いたくなるほど、この道を流れる時間はゆったりとしている。
この道を見つけたのは、今の施設――家に移ってすぐのこと。
地図だけもらって出た探検。
この地域を覚えるために着いてすぐ行った散歩で、ここを見つけた。
あまり人のいる場所を好まない自分は、自然とこの場所を訪れていた。
初めて来たときの印象は、絵に描いたようにきれいかつ静かでのどかな風の流れる、とても居心地のいい場所だと思った。
一度で虜になるほど、自分好みの場所だった。
ここに来ると、不思議な気分になる。
物事を忘れてゆったりと空を眺めていても、足休めにしゃがんで光る川面を見つめていても、時折吹く風に踊らされた木のざわめきや川のせせらぎを聞いていても、いつも体が軽くなって心を癒してくれる。
今日も今日とて疲れてないと思ったのに、それは気づいてないだけのようだった。
そして、いつものように気持ちを浄化する。
特別覚えていたいと思う出来事以外を、いつも忘れさせる。
その大半が嫌なことだったから、忘れたいと思っているのかもしれない。
それは、今の自分にはわからないことだ。
「ん……?」
ふいに何かを思い出した気がした。
何となく見覚えのある誰か――――幼い子供の顔が浮かび上がった。
見たことがあるのは分かるのに、それがだれかが分からない。
ただなんとなく、見ているだけで気分が落ち着いてくる。
タッタッタと、横を六十くらいの老人が僕を追い抜いていく。
ぼーっとそれを眺めていると、不意に走りたい衝動に駆られたが、まだこの空気感を味わっていたいと足は速めず、とはいえ止めることもしなかった。
「あ! ちょうちょさんだ!」
前方からここでは聞いたことの無い、子供の声が聞こえた。
その声が、頭の中の記憶とリンクする。
こまめに鳴る足音とともに、その子供が近づいてくる。
先ほど言っていた蝶を追いかけているのだろう。
そして次第にその距離は縮まっていき、すれ違った。
大してスピードも出ていないはずなのにふんわりと制服が膨らみ、髪もなびく。
それがまた、新しい記憶を思い出させた。
さっき思い浮かんだあの子の記憶だ。
まさかと思い、急いで振り向く。
走って行くその子の背中しか見えない。
保護者であろうこれまた六十くらいの老人が、走ると危ないよと声をかけた。
するとその子は振り向いて、ちょうちょさん捕まえた! とはしゃいでいる。
素手で蝶を捕まえたのか! ……だが、それより僕は気になることがあった。
喜びで手が緩んだのか、その子の手から抜け出した蝶はそら高く羽ばたいていく。
ああ……、としゅんとするその子は手を上に伸ばし、目で蝶を追っていく。
ようやく追いついた老人がその子に何かを言うと、納得したようにうなずき、また二人で歩いていった。
僕は一人、その場所で呆然と立っていた。
今の子は僕の知らない子供。少なくとも、さっき思い浮かんだ顔の子ではない。
それなのに、なぜか心に引っかかるものがある。
男子ですらかかわりのなかった僕が、女子との思い出なんてあるはずがない。
でも、どこかで見たことのある光景で、それがすごく懐かしく感じる。
「まあ、いっか」
僕はその記憶も忘れることにした。
あいまいな記憶を覚えていても意味がないし、もとから懐古して楽しむ趣味はない。
結局嫌な記憶を思い出してしまうのがオチ。ならば何も思い出さないのが一番だ。
止めていた足を、ゆっくりと前に進ませる。
急ぐ必要はない。心休ませて、今この空気を感じながら歩く。
それにしても今日はなんていい日なのだろう。
小春日和と思えるような暖かさ。
実際小春とは、秋から冬の間にある暖かい日のことで今の季節に使う言葉ではないが、昨日までの寒さを思うとこうも言いたくなる。
普通に春日と言えばいいかって?
春日は一般的には日の長い日のことを言うもので……、日本語が難しいというのはこういったややこしい表現があるからだろう。
なんかうまくまとまった、というところでちょうど施設についた。
玄関の戸を開け、ただいまと言いながら靴を脱ぐ。
すぐに返事はあるが、その声は一つ。
耳にすっと入ってくる柔らかな声の持ち主は『子供』としては最年長の現役女子大生。
いつも忙しい夫婦に代わり、元気に家事をこなしている。
これを見ていると勉強面が心配になるが、お金を掛けまいと授業料免除で入学した秀才さんである。
いったいいつどうやって勉強しているのか――――。
「どうだった? 初めての中学は」
話したがり屋なのか、ほかの人に比べて彼女は僕に話しかけてくる頻度が高い。
見た目は若く、一つ二つ上のお姉さんみたいな印象だが、性格は同じかそれよりも幼く感じる。
誰が見ても心が落ち着き可愛がりたくなるその笑顔は、しかしその眼は僕の心を見透かしていそうで時折恐怖も感じる。
今の二つのほかにも、彼女は謎を多く持っている。
「うん……」
僕が含みを持ってそう答えると、なぜか彼女の口がほころびて、
「あ~、ともくんいいことあったでしょ?」
なんてにやけながら言ってくる。
『ともくん』というのは自分のこと。
何度も首を横に振ったが、きりがないのでもうあきらめた。
「ないですよ。そんなもの」
「またともくん敬語使ってる! 家族なんだからタメじゃなきゃダメだよ? それと、私のことは『お姉ちゃん』って呼んでね?」
また始まった。彼女はお姉さんアピールが強い。
それは見た目から起こされた行動なのかもしれないが、とにかく押してくる。
タメ口を使えというのは、今日どこか別のところで聞いた覚えがある……。
「呼びません。それに、家族内でも敬語の家はあります」
「そうかもしれないけど、外は外。うちはうち!」
そんなものにルールなんてないと思うのにな……とひそかに心の中でつぶやく。
「って、また話そらされちゃった! ともくん話題変えるのうまいよね~」
話題変えたのはあなたではないですか……と、これまた心の中でつぶやく。
「あったんでしょ? い、い、こ、と」
指でジェスチャーをつけながら言ってくる彼女に一言、あなた本当に大学生ですか? と言いたいが押し殺す。
来てすぐに聞いたこの答えは、どうゆうこと? という天然そのものの回答だった。
「強いて言うのであれば、ようやく暖かくなってきたということでしょうか」
「ほんとに強いて言ったね~」
「暖かくなることはいいことです」
「ま、今はそう言うことにしてあげるか~」
そういって彼女は戻っていった。
今日一番のいいことが暖かくなったことというのはうそではない。
実は起こっていたもっといいことは、無意識の範囲で本人は気づいていない。
リュックを下ろそうとしてひらり、視界の端に何かが入った。
気になってみると、一枚の花弁が落ちていた。
(肩にのっていたのかな?)
これが今日一番のいいことなのか……僕にはわからない。
そして、こうして過ごしているうちに何度も『愛』に触れているということを、僕はまだ知ることはできなかった。
次がいつになることやら……
頑張ります!
お楽しみに