惚れ薬を作ってください。
強い陽射しが照り付ける。セシリアは帽子のつばを持ち上げ、太陽を見た。青空を鳥たちが気持ちよさそうに飛んでいる。静かな風が木々を揺らし、葉と葉がぶつかる音が聞こえる。額にうっすらと浮かんだ汗が風によって乾かされる。
「いいお天気ね。とっても暑いけれど」
「ええ。そうですね」
同じように空を見上げ、しかし、セシリアとは正反対の表情を浮かべたリディをセシリアは小さく笑った。
「そんなに不満?」
「はい」
「相変わらずはっきり言うのね」
「言いますよ。そうでなければ、セシリア様はわかってくれませんもの。まあ、はっきり言ったところで、わかってくださるわけではないですけれども」
「よく知ってるじゃない」
片頬を上げるセシリアに、リディはもう一度ため息をついた。
「お考えは変わらないのですね?」
「ええ。だって、愛のない結婚なんて、寂しいじゃない」
「そもそも、惚れ薬なんて本当に存在するのですか?」
「さあ?」
首を傾げるセシリアにリディは軽く頭を抱えた。
「とりあえず、聞いてみたっていいでしょう?それにルーブ族の人と話もしてみたかったし」
「…どちらかというと後者が狙いなのですね。わかりました。どうせ、私が何を言っても、セシリア様の意志は変わらないでしょうから」
「それにもし本当に、それで愛が手に入るなら、欲しいわ」
「…セシリア様」
悲しそうに目を細めるリディの顔にセシリアは笑った。
「ほら、そんな顔しないの。…着いたんじゃない?でも、本当にこの家かしら?とりあえず止めてくださる?」
セシリアは馬車の御者に声をかける。馬車から降りて、目の前の小さな家を見た。リディも同じように家を見る。一階建ての木造の家であり、国王直属の薬師の家にしては小さかった。リディは、セシリアの母に教えらもらった住所を確認する。
「間違いはないようですが」
「ま、とりあえず尋ねてみましょう」
言い終わる間もなく、セシリアはノッカーで訪問を知らせた。セシリアはどこか期待した顔でドアが開くのを待った。
「…誰?」
少しだけ扉を開け、顔を覗かせたのは、ぼさぼさの黒髪の男。長い髪は後ろで1つにまとめられているようだった。頭をかきながら、ひどく面倒くさそうに、セシリアたちを見る。扉の開いた隙間からは独特のにおいが外に漏れた。その匂いに思わずセシリアは鼻を押さえる。
「こちらはクロード様のお宅でよろしいでしょうか?ハプス家のセシリア様と侍女のリディと申します。本日は突然の訪問で申し訳ありません」
恭しくリディが頭を下げた。クロードは大きな欠伸をしながら面倒くさそうに「そうだけど」と答えた。
「で、何?」
セシリアはいつもの笑顔を浮かべた。軽く頭を下げる。
「セシリアと申します。クロード様。母があなた様をわたくしの婚約者候補としてあげているのはご存知でしょうか?」
「…婚約者?」
「ええ。この前、城のものがあなた様の姿を書かせてもらいに来たと思うのですが」
「あ…そういえば、あったかも。ってか、俺、今、忙しいんだけど。帰ってもらっていい?」
「…え?」
「じゃっ」
戸惑うセシリアを他所に、クロードは玄関の扉を容赦なく閉めた。バタンと音を立てる。その音を耳にしながら、セシリアは両頬を上げ、リディを見た。その笑顔に、リディはため息をついた。
「…セシリア様、落ち着いてくださいね」
「ええ、もちろんよ」
「そんな表情を浮かべておいて何言っているんですか」
「私の表情の変化が分かるのはリディくらいでしょう。…それより、行くわよ」
「え?」
戸惑うリディに構うことなく、セシリアは玄関の扉に手をかけた。何の合図を出すこともなく、扉を開く。
「あの、セシリア様?」
「訪れたことは知っているんですもの。大丈夫よ、きっと」
そのまま笑顔で家の中に無断で入るセシリアにリディはもう一度ため息を吐いた。けれど止めても無駄だということは、長年の経験から知っていた。
一歩足を踏み入れるとそこは先ほどの独特なにおいが増していた。セシリアは鼻を押さえながら家の中を見渡す。外観からもわかったことだが、部屋の中はやはり狭かった。国王専属であるということを疑いたくなるほど質素な生活がそこからもわかる。宝飾品の類はなく、必要最低限なものしか置かれていない。
狭い家の中では、綺麗な黒髪はすぐに目に入った。大きな鍋を火にかけ、その前で鍋の中身をかき混ぜている。においの原因はその鍋のようだ。
「…何の用だ。今、忙しいと言っただろう」
こちらを振り向かず尋ねる。その態度にイラついたが表に出すことなく優しい声を出した。
「どうしてもクロード様とお話をしたくて勝手ながら中に入らせていただきました。お手間があくまでこちらで待たせていただくわけにはいきませんか?」
クロードがちらりと振り返る。セシリアは自然に口角を上げた。大抵の男が頬を赤らめるその笑みをクロードは一瞥しただけで、すぐに視線を鍋に戻した。
「…話しって何?」
「でも、お忙しいのではないですか?」
「混ぜていられればいいから、口なら動かせる。これが終わってからもやることあるし、今、話して」
「…わかりました。お忙しいのに、申し訳ありません」
セシリアは深々と頭を下げた。クロードは興味がなさそう先を促した。
「で?本題は?」
「本日、こちらに来させていただいた理由は2つあります。1つは、婚約者候補のクロード様とお話をさせていただきたいということ。そしてもう1つはお願いがあるのです」
「…婚約者?さっきから言ってるけど、どういうこと?」
クロードの言葉に嘘はないように思えた。そもそも嘘をつく理由などない。セシリアはリディを見たが、わからないと首を横に振るだけだった。セシリアは小さな声で「リディ」と名前を呼んだ。リディが頷く。
「先日、城のものがこちらに来て絵姿を書かせていただいたと思います。おそらく、その時、あなた様がセシリア様の婚約者の候補者だとお話をしていると思うのですが、聞いていらっしゃいませんか?」
クロードは混ぜる手は止めず、天井を見上げた。少し考えるように目を閉じる。
「そう言えば、この前、絵姿書かせれば薬の調合用の鍋を買ってきてくれるって言うから部屋に人を入れたけど。もしかして、あれか?鍋買ってくる暇もないからちょうどいいと思って条件飲んだんだけど。へぇ~俺、婚約者候補になってたんだ」
「…」
「まあ、でも、俺、婚約するつもりはないよ。それにそっちだってその気なんてないんだろ?」
「どうしてそう思うのです?」
「だって俺、ルーブ族だぜ?」
少しだけ皮肉を混ぜた様な表情を見せた。笑っているのにどこか苦しそうなその様子に、セシリアはなぜか胸が少しだけ痛くなる。
「…そういうわけじゃあ…」
「ねぇ、さっきから思ってたんだけど、それ、疲れない?」
クロードの視線がセシリアに注がれる。「それ」の意味がわからず、セシリアは首を傾げた。
「何のことをおっしゃってるのですか?」
「そのしゃべり方とか、嘘っぽい笑顔とか」
「…」
突然の言葉にセシリアは言葉を失った。「嘘っぽい笑顔」などと初めて言われた。母親すら疑わないほどセシリアは「お嬢様」の筈だ。けれどクロードの目はまっすぐで、からかっているようでも嘘をついているようでもなかった。
「…何をおっしゃっているのですか?」
少しだけ声が震えた。けれど、まっすぐクロードの目を見つめる。そんなセシリアにクロードは片頬を上げて見せた。
「さっき、外で話してた話し方の方があんたに合ってると思うけど?」
それだけ言うと、クロードはまた視線を鍋に戻す。鍋の中は煮立ってきたのかポコポコと音を立て始めてた。
「…外って、…なんで聞こえて」
そこまで言ってセシリアは思い出した。ルーブ族は人並み外れた聴力を持っていることを。
「私とリディの話が聞こえた、ということでしょうか?」
「まあね。それに、見てればわかる。顔の筋肉が引きつってる。不自然だぜ、その笑顔」
「…それも視力が優れていらっしゃるからですか?」
「それもあるけど、俺、薬師だから」
「…?」
クロードの言葉が分からず、セシリアは首を傾げた。
「薬師は薬草を使って薬を作る。それで病を治すんだ。それには薬草を見分ける目が必要。だから、自然に観察眼が鍛えられるんだよ。わかったか、お嬢様」
そう言ってクロードはまたセシリアから視線を外した。セシリアは口を閉じ、じっとクロードを見つめる。こちらを振り向かないため、広い背中と黒髪しか見えなかった。背が高いとセシリアは思った。先ほど見た顔は絵姿で見るよりも端正な顔立ちに見えた。顔が小さく、目鼻立ちがしっかりとしている。瞳の色素が少し薄く、どことなく黄色いような目をしていた。それが狼を彷彿させる。ルーブ族の特徴の一つだ。けれど、嫌な感じはしなかった。むしろ、引き込まれるほど綺麗だとセシリアは思った。口調は乱暴だ。けれど、今まで言われてきた飾られた言葉より、ずっと良かった。
セシリアは小さく笑う。そして、リディを見た。
「ねぇ、リディ。いい?だって誤魔化せないって言うしさ」
「え?あの、セシリア様…?」
リディは嫌な予感がした。けれどそれを止める前に、セシリアが両手を天井につき上げ、下げぶように言った。
「やーめた!」
大きく伸びをする。手を降ろしながら、ゆっくり息を吐いた。そして、先ほどの妖艶な笑みとは違う、年相応の笑みをセシリアは浮かべる。その笑みを見て、リディは大きな息を吐いた。
「お嬢様ってのも大変なんだな」
セシリアを一瞥してクロードが言った。
「そうなの。イメージが大切だから。国王直属の薬師は別にいいの?」
「仕事ができればそれでいいと言われている」
「いいね。…私は特にこれと言って優れていることないからな。だから、綺麗に笑うことが大切なの。ハプス家のお嬢様のイメージを守らなくっちゃいけないんだ」
「へぇ」
「そんなことありません!セシリア様は勉学に優れていますし、それに…」
「わかった。わかったよ。ありがとう。リディにそう言ってもらえて嬉しいよ」
リディの続く賛辞を遮り、小さく照れ笑いを浮かべた。
「どうでもいいけど、解決したなら帰れ」
「解決って、何にも解決してないけど。お願いがあるって言ったじゃない」
「…そうだったか?」
「言いました!」
「…何だ、そのお願いって」
「惚れ薬を作ってほしいの」
「……」
セシリアの言葉にクロードは呆れた様な表情を浮かべた。
「何、その顔」
「…惚れ薬などそんなものはない。性欲促成剤なら作れないこともないが」
「それじゃあダメなの。結婚するなら、愛したいし、愛されたいわ。だから惚れ薬じゃないといけないの」
「惚れてるやつと結婚すればいいだろ?」
呆れたと言いたげな言葉にリディは一瞬睨むようにクロードを見た。そんなリディにセシリアは首を横に振る。一度息を吐き、静かな声で言った。
「ねぇ、あなたは恋をしたことがある?」
「は?」
「私はないわ」
「…」
「でもね、あとひと月したら婚約を発表して、結婚しなくちゃいけないの。そして、その人とずっと一緒にいなければならないわ。それも選べるのは5人の中の1人。その期間内にそのうちの誰かと恋に落ちるなんてきっと無理だわ。でもね、私は、恋がしたい。ドキドキしたり、わくわくしたり、そういう気持ちを持ってみたいの。…愛されたいわ」
「…そう言われても、ないものはないんだよ」
クロードは困ったように頭をかいた。その言葉に、セシリアは下を向く。けれどすぐに口元に笑みを浮かべて、クロードを見た。
「……そう。国一番の薬師がそう言うなら、誰に頼んでも無理ってことね」
セシリアの言葉は皮肉には聞こえなかった。クロードは少しだけ、セシリアを見る。綺麗な顔立ちだと思った。誰もが彼女に目を引かれるだろう。でも、何もないのだと思った。何の自由も、権利も持っていないのだ。選ぶことを許されていない。胸が痛むのをクロードは感じた。
「…似てるな」
「え?」
「なんでもないよ。…できるかわかんないけど、調べてみることならできる」
クロードの言葉に、セシリアは落とした顔を上げる。その目は輝いていた。
「本当に?調べてくれるの?」
「できる保証はないけどな」
「いいわ。それで。…ありがとう」
零れるような笑みは、セシリアを先ほどより幼く見せた。きっとこのセシリアが本当のセシリアなのだとクロードは思い、クロードは少しだけ笑う。
「どうかした?」
「いや、なんでもない。…あ、でも、期限はひと月だったか?」
「ええ」
「…まいったな」
顔をしかめたクロードにセシリアは不安そうな表情を浮かべた。
「どうかした?」
「いや、正直今、手一杯なんだ。国王から頼まれている薬を作らなくちゃいけなくて。…お嬢様に時間を割けるか正直わからない」
ごめんな、と小さく付け加えるクロード。セシリアは少しだけ考え頷いた。
「そう。…じゃあ、私たちが手伝いにくるわ」
「え?」
「はい?」
セシリアの言葉に、クロードとリディが同じように聞き返す。
「だから、手伝うわ。雑用くらいならできるはずよ。ちょうど今、学校は夏休みでお休みだし。その代わり、空いた時間を惚れ薬のために使ってくださる?」
クロードより一瞬早く理解したリディがため息をつき、頭を抱えた。
「セシリア様、私たちっていうのはもしかして私も…」
「もしかしなくても、リディと私よ。当たり前じゃない、リディは私のお付きでしょう?」
「…それで、セシリア様と私でクロード様のお仕事をお手伝いに来る。その手伝った見返りとして、惚れ薬作成にご尽力いただく、ということでよろしいのでしょうか?」
「ええ」
誇らしげに頷くセシリアにもう一度リディはため息をついた。そんなリディを見て、クロードが小さく笑う。
「なんだか、あんたも大変だな」
「いえ、慣れておりますので。それに大変なのはクロード様の方かと」
「確かにな。けど、ま、正直、雑用をやってくれる人が欲しかったから助かるが、…お嬢様にできるのか?」
その言葉に、セシリアは両頬を上げた。長い髪がさらりと動く。
「誰に言っているのかしら?私は、ハプス家のセシリアよ」
どこか傲慢な態度もセシリアが言えば、霞んで見えた。クロードは片頬を持ち上げ、セシリアの目を見る。
「じゃあ、お手並み拝見と行こうかな」
「ええ。交渉、成立ね」
「ああ」
クロードが頷いたのを見て、セシリアはクロードに近づき、そっと手を伸ばした。不思議そうにその手を眺めるクロードに「握手よ」と笑みを浮かべる。
「は?」
「だって明日から仲良くしなくちゃいけないでしょう」
「…そうだな」
すっと手を差し伸べる。セシリアは満足そうに手を握った。その手をクロードはまじまじと見る。
「小さい手だな」
「しょうがないでしょう?あなたとは身長が違うんですもの」
「それもそうか」
「明日からよろしくね」
「ああ。…あと」
「え?」
「やっぱり、そっちしゃべり方の方がお嬢様に合ってるよ」
「そう?お嬢様らしくはないけどね」
「確かにな。…明日、手伝うなら、汚れること覚悟しとけよ。そんないい服じゃあ、手伝いなんてできないぜ」
「わかったわ。…リディ、今日は帰りましょう」
「かしこまりました」
「それじゃあ、クロード様。また、明日」
小さな音を立ててドアが閉まった。急に静かになった部屋。クロードは首を左右に動かし、部屋を見渡した。いつもどおりの狭い部屋が、少しだけ広く感じた。
「また、明日。…か」
そう呟いた顔には、かすかに笑みが浮かんでいた。
まだ、ファンタジー要素少ないです。でも、たぶん、始終これくらいです。